「友の会」を通じて広がる友の輪

「友の会」を通じて広がる友の輪

 「もう友人でないかも」

 アメリカのトランプ大統領が、日本のテレビや新聞に登場しない日はない。この一文を書いている10月13日(土)午後7時のNHKニュースでも、中間選挙の情勢を伝える中で登場した。世界で最も経済力と軍事力を背景にした国の大統領の言動は世界に大きな影響を与えるから、当然といえば当然だ。その一言で、トルコの通貨リラが暴落するほどの影響力がある。

 最も注目を集めている最近のニュースといえばアメリカの中国に対する関税制裁であろう。アメリカは巨額の貿易赤字の主たる原因が中国にあるとして、中国からの輸入製品に対して高率の関税を課して制裁することになった。中国もこれに対抗してアメリカからの輸入製品に対して高率の関税を課した。この二つの国の争いは貿易戦争とまでいわれるようになった。

 今から30年ほど前の1980年代後半、日本とアメリカの間でも貿易上の紛争があった。燃費がよく性能も優れた日本の小型自動車がアメリカの消費者に好まれ、BIG3といわれたアメリカの自動車が売れなくなった。失業者が増え日本車の打ちこわし運動や日本人と間違えられた中国人が殺される悲劇も起こった。このような時でも貿易戦争という言葉は使われず、貿易摩擦という表現にとどまっていた。

 トランプ大統領が「習近平主席はもう友人でないかもしれない」との趣旨の発言をしたとのニュースの接し、いささか驚いている。今まで習近平主席とは友人の関係であったかのように理解できるからだ。Friendといったのか定かではないが、私の経験からはFriendはかなり限定した使われ方をする。

 

友人と知人

 日米間で貿易摩擦といわれた頃、勤務していた会社では自動車部品関連の事業部に所属していた。二年間ほど購買課長をしたことがある。自動車部品に使用する部品を調達するのが主な仕事で、多くの仕入れ先の人と接する機会に恵まれた。その中に、アメリカのデトロイト近郊に本社を置く会社から購入する部品があった。年二回セールスで訪れてきた営業部長とは、英語の勉強にもなるのでその夜は食事をして親睦を深める間柄となった。所謂接待を受けた。阪神タイガースが1985年に優勝した日、大阪梅田で食事をした後ホテルまで送って行く途中、喜びのファンに出くわしたことを今でも思い出す。

 アメリカとの貿易摩擦を回避するため、日本の自動車会社の多くは北米に工場を建設し現地供給することになった。それに従って部品メーカーも米国に進出し工場を建てた。1992年1月アメリカのデトロイトに現地事務所の責任者として赴任することになった。早速住むところを探さなければならない。そこで、かねてから親交のある営業部長に相談した。彼はワンフロア200平米もあるアパートを紹介してくれた。休日には自宅に招き、ときにはゴルフを共にし単身赴任の私につき合ってくれたこともある。そのため、私は彼を友達のように思うようになった。

 赴任後しばらくしてバージニア州の工場を見学する機会があり同行してくれた。案内してくれた工場の人に、私は「彼とは長年のFriend」と思わず言ったことがある。すると営業部長は即座にこれを否定した。かなりきつい口調で「友人(Friend)ではない。知人(Acquaintance)だ」と。この言葉は25年以上経った今日に至っても未だに忘れることが出来ない。この時初めて英語では友人と知人を峻別していることを知った。ビジネスの世界では仮に親しく(friendly)なっても友達とはみなさない。一線を画す態度にむしろ感心した。トランプ大統領の「友達」発言を聞いて、習近平主席を友達として見ていたことに納得できない理由はここにある。あくまで国益を優先する政治の世界のつき合いに過ぎないからだ。

 

家族ぐるみの親交10数年

 これまでの77年の人生で友人と呼べる人はそれほど多くはない。36年間の会社時代に出会った人で友人と思える人はいないし、定年後も付き合っているような人はいない。その理由は、会社時代の同期生は、互いに会社内で競争を意識する関係ではないかと思う。結果は定年時点での会社内での地位となって表れる。

 僅か四年間の学生時代に出会った人は会社時代とは関係が異なる。学生同士には競争関係はない。卒業後の進路はそれぞれ異なるからであろう。60歳定年を過ぎた十数年前頃、関西に住むクラス仲間達が互いに声を掛け合い誘い合って親交が始まった。数年後には伴侶を入れた家族ぐるみ十数名の会に発展した。もう15年以上続いている。幹事は持ち回りで春と秋にハイキング、桜や紅葉を楽しんだ後懇親会で盛り上がる。ときには一泊旅行もする。軽井沢や伊豆の他奥びわ湖に泊まったことがある。今年の春は奈良県吉野の桜見物、秋は西播磨たつの市散策と赤穂温泉での一泊が予定されている。

 数年前、N夫人がこれまで勉強したことを披露してはとの提案があり、懇親会の前にレクチャー行うことになった。今年の秋は自分が幹事で、赤穂に因んで「忠臣蔵」の話をすることにし、ゆかりの地を訪ねてきた。既に東京の吉良邸跡や泉岳寺に行ってきた。

 

友達の輪

 ずいぶん前置きが長くなった。3年前に関西黄斑変性友の会が発足した。会の名前には「友の会」が付けられている。発足当初はその意味をあまり深く考えなかった。

 二年目を過ぎた頃、名前の由来は同じ病気で悩む人同士が友達になる会ではないかと思うようになった。会員同士には会社の社員同士のような利害や競争関係はない。そこで、お互い親しくなる方はないかと考えた。「歩こう会」と称して明日香村や海津大崎など関西各地のハイキングを企画、また開設された神戸アイセンターの見学会などを積み重ねて行った。

 その結果、会員同士の友達としての付き合いが少しずつ始まっている。定例会で隣同士の席に座った人がいる。他府県にまたがる二人の女性会員はその後も電話をかけあい再会を心待ちにしていると聞く。体験談を電話してきた人から、近くに住む人はいないかと聞かれことがある。同じ県内の人を紹介したところ、「最近会ってお互い励まし合おうと話し合った」とのお便りをいただいた。友の会に携わって、このように友達の輪が次第に広がっていくことを知ることほど嬉しいことはない。

(2018,10,13髙田忍)

バランスの取れた生活で認知症を防ごう

バランスの取れた生活で認知症を防ごう

 

 大阪大学大学院医学研究科池田学教授の講演「認知症の予防と治療」を聴く機会があった。以下はその要約である。

 

 「一番なりたくない病気は何か」というアンケートを取ると、癌ではなく認知症という結果がでる。2011年の調査によると、全国で認知症患者は462万人、予備軍は400万人であった。現在ではそれぞれ500万人と推定されている。

 高齢者の比率が増加しているので、今後も増えると思われる。65歳以上の高齢者は、大阪万博の年1970年には7%で高齢化社会といわれた。1994年に14%と倍増し高齢社会、2005年には20%となり超高齢化社会となった。その上、65歳以上の一人暮らしの人の比率は毎年右肩上がりで上昇している。

 物忘れ、うつ病、せん妄、健忘症、失語症で病院を訪れる人がいる。これは必ずしも認知症ではない。認知症と正常老化の違いを比較すると次のような表になる。

 

認知症

正常加齢

原因

病気

加齢

自覚

なし

あり

記憶

経験自体いえる

明確に思い出せない

社会生活

困難

支障なし

 

 認知症に至らない症状に「せん妄」がある。これは軽い意識障害で意識水準が低下する。この原因は薬にある。抗不安薬、抗うつ薬、睡眠薬、筋弛緩剤、利尿薬、抗がん剤、ホルモン剤が影響する。二つ以上の病院で治療を受ける場合は、薬手帳を示すなどして注意する必要がある。

 認知症の危険因子は加齢である。5歳ごとに倍増する。75歳から79歳では5%の人が認知症であるが、80歳~89歳は30%、90歳~94歳は60%となる。

 それでは認知症は予防できるか。原因は脳梗塞である。脳梗塞は早期発見、早期治療で予防できる。頭部CTで梗塞があると判断すれば、大きな血の塊を取り除く手術を受けることが出来る。

 喫煙、大酒、高血圧、糖尿病、脂質異常、心臓病、痛風は脳梗塞の予備軍である。

 脳梗塞のなりかけには、意欲が低下する。たとえば外からヘルパーさんが来ている時は、家事もできるが、一人になると何もできない。閉じこもりになる。昔は、家族が多く体を動かさざるを得なかった。寝転んでいると孫が心配して声を掛けるようなことがあった。一人暮らしの増加で家族の支えが減ってきた。それに替わるのがデイサービスである。(体も動かし、緊張もするからだと思う)

 肥満や糖尿病に注意し適度な運動が必要である。閉じこもりは運動量が低下する。読書やテレビを見て知的活動をするなどバランスのとれた生活をするように心掛けるべきである。

 以上が講演の要約である。

 加齢黄斑変性の患者は、外出時の転倒を恐れ自宅に引きこもりがちにならないようにしたほうがよいと思う。バスや電車に乗って外出すれば、体を動かすし緊張もする。外の世界の刺激も得られると思う。友の会の企画する定例会のほか、歩こう会や見学会多くの人の参加を期待している。 (髙田 忍)