ワクチン接種予約騒動

ワクチン接種予約騒動

髙田忍    

1.予告

私が住む西宮市では、65歳以上を対象に4月21日に接種券と問診票が発送され、翌22日に配達された。記憶によると、その頃のホームページには約19000回分と書かれていた。

ホームページには、詳しい接種場所や予約方法は5月10日付け「市政ニュース」とホームページで発表すると予告されていた。

5月9日にホームページが更新され、5月12日午前9時から予約受付開始と公表された。

 

2.予約の試み

予約には集団接種と個別接種がある。集団接種は市の施設5か所、個別接種は市内180の医院、クリニックで行う。集団接種は半分が市街地から離れた人口の少ない六甲山の裏側になっていた。集団接種の予約方法はウェブサイトと電話、個別接種は大半が電話になっている。

 

(1)集団接種

5月12日午前9時パソコンの前で待ち構え集団接種の予約に備えた。WEBにはクリックする場所が示されていた。電波時計の9時ジャストに予約サイトを開いたが画面は変わらない。一分後改めてサイトを開くと予約サイトが出てきた。

券番号と8桁の生年月日のPWを入力すると、さらに新たなPWを入力する画面に変わった。ようやく希望の接種場所にたどり着いたが、すでに「予約打ち切り」と出た。ほかの接種場所を選択したが、いずれも予約開始受け付けから5分後には予約終了となった。

 

(2)個別接種

集団接種はあきらめ、自宅近くのクリニックに予約することにした。電話は9時30分までかけ続けたが、話し中でつながらない。1時間後の10時半ごろ、ようやく繋がったが誰も受話器を取らない。5分後には切断された。

昼前に電話すると、出てきた女性の係員に「予約したい}というと、「当院ではかかりつけ医である場合に限り受け付けます」」との回答、「インフルエンザの予防接種をお宅でしたことがある」といったが「予防接種ではかかりつけ医」とは言えないと拒絶された。

午後再び電話し「診察券がある。番号は251番。去年風邪でお世話になった」というも、受け付けてくれなかった。理由は「当院で定期的に診察を受け定期的に治療している」という条件を満たさないからである。

常連客は歓迎するが一元の客はお断りという姿勢のようであった。

ほかの179か所に電話をする気が起こらないので予約をあきらめた。

 

(3)LINEによる情報共有

この顛末を黄斑変性友の会と大学時代のクラス仲間にLINEを通じて情報発信した。

すでに予約が取れたという話が伝わってきた。大阪の河内長野市の女性は並んで予約できたという。枚方市の女性は市が個別接種の窓口になり予約できた。神奈川県湯河原市では本人は9時2分に予約できたが、奥さんは9時3分でできなかったという。

友の会の会員は高齢者が多いので心配していたところ、西宮市在住の88歳女性から電話がかかった。事情を聴くと、ヘルパーさんが馴染みの医院で予約してくれたとのことで、すこし安心した。

 

(4)市役所と報道機関へ

一日が終わるのを前に、予約できなかったことの不満もあり市役所と報道機関に顛末を書いて知らせることにした。

市役所へはFAXで送った。翌日10時半頃携帯に係の女性からお詫びの電話があった。

女性の言うには、「個別接種の医院には日常の医療行為を抱えながらの接種なので市から無理は言えない」「集団接種は電話予約の枠が残っている。話し中が多いが電話予約してください」とのこと。二つの番号に三日目の14日もかけ続けたが、NTTのアナウンスが流れるだけで、つながらなかった。結局諦めることにした。

高齢者はパソコンが使えない人が多いことは認識しているかと問いただすと。「実は私の両親もパソコンを使えないし、予約できていない」と本音を漏らした。

朝日新聞社神戸総局とNHK神戸放送局に顛末を書いたメールを送った。最近、地方の町長が該当年齢に達しないのに不正に接種したかのように非難めいた報道が目立つ。むしろ、行政の長には優先枠を与え行政に滞りがないようにすることが本来の姿ではないかとの思いから、予約の実態を伝えた。NHK神戸放送局は14日午後6時30分からのニュースで「かかりつけ医」をめぐる混乱を取り上げた。尼崎市の女性を取材し、かかりつけ医に定義の曖昧さを問題にしていた。日本医師会の定義を引用しながら、受診回数などは「かかりつけ医」とは無関係と説明していた。送ったメールが多少なりとも記者の関心を呼んだようだ。

 

3.予約制度の問題

(1)予約枠の問題

西宮市のホームページには初回の接種には19000回と記されていた。接種券が送られた65歳以上の人口は、市のホームページによると3月31日現在117252人となっている。予約枠10倍以上に接種券を送っているのだから混乱するのは当然である。なぜこのようなことに気が付かないのか不思議である。接種券発送作業の手間を省いたとしか思えない。

自治体によっては、最初は75歳以上としているところがある。西宮市はキメの細かさに欠ける。西宮市の統計によると、65歳以上117252人のうち、75歳以上は59717人、65歳から74歳は57535人である。この数字を見ると75歳以上と65歳から74歳の二つに分けた方が、混乱も半減したのではないかと思う。

 

(2)かかりつけ医の問題

日本医師会のホームページには、かかりつけ医の定義が書かれている。「健康に関することを何でも相談でき、必要な時は専門の医療機関を紹介してくれる身近にいて頼りになる医師のこと」と記されている。

でもA医師がB患者の「かかりつけ医」であると登録するような仕組みは聞いたことがない。欧米にはそのような制度があると聞いたことはある。そのことを西宮医師会に尋ねるメールを送った。

数時間後、係の女性から電話がかかってきた。要点は「かかりつけ医の登録制度」はないということであった。恣意的な運用がされていることが分かった。次回から、そのような条件を外し近くの医院で接種を受けられるように考えるとの回答だった。

もっとも、市役所の女性と同じように医師会も証拠が残らないようメールではなく、電話で回答してきた。

 

 

4.今後の対応

今のところ二つの方法を考えている。西宮市は6月1日に再度、予約受け付けを行うのでこれに挑戦する。もう一つは防衛省の大型施設での接種である。大阪中之島の国際会議場で行われる。大阪市民は5月17日から予約開始、次第に大阪府民、3府県民へと対象が拡大されるが、兵庫県民の予約開始は14日現在決まっていない。いずれにしても、6月中には1回目の接種を期待している。

それにしても日本の社会システムの脆弱性を痛感させられる3日間であった。

 

 

新型コロナウィールスに関して思うこと

新型コロナウィールスに関して思うこと

 2月5日、東京での「関東会員の集い」に参加するため上京した。大阪から羽田空港行きのJALを利用した。冬のことなので富士山が美しく見えると思い、左の窓側の席を予約した。飛行機は太平洋岸沿いに東に向かい、やがて東京湾を北上した。それまで翼が邪魔になって見えなかった富士山が突然姿を現した。思わず数枚の写真を撮った。

着陸態勢時見えた富士山とダイヤモンド・プリンセス号

着陸態勢時見えた富士山とダイヤモンド・プリンセス号


 良く見ると左端にクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が写っている。予定では2月4日に入港することになっていたが、新型コロナウィールスの感染者が出て入港を許されず、東京湾内を彷徨っていたのである。

 コロナウィールスと聞いて、トヨタの車コロナを思い出す。コロナとは「太陽の冠」を意味する言葉である。昭和40年代、トヨタの車の名前は「冠」にちなんだ名前が付けられていた。クラウン(CROWN)は王冠、カローラ(COROLLA)は花冠を意味した。偶然か分らないが頭文字は全てCである。その後、発売された車もセンチュリー(CENTURY),セリカ(CELICA)、カリーナ(CARINA)のように頭にCが付けられていた。

トヨタ コロナ

トヨタ コロナ


 太陽のコロナは下の写真である。毎日テレビで見せられるウィールスとよく似た姿である。

太陽のコロナ

太陽のコロナ



 新型コロナウィールスの感染が広がるにつれて、耳慣れない言葉を聞くようになった。クラスターとテレワークである。クラスターとは小規模集団といえばわかる。テレワークとは電話による仕事のことかと思っていたが、在宅勤務のことのようだ。分かりやすい日本語があるのになぜ使わないのか不思議である。


 明治時代になり日本は西洋から多くの文化や思想を学び取り入れた。そして、カタカナ語ではなく漢字を使った言葉に翻訳した。「文化」「思想」もその一つである。他にも「経済」「社会」「会社」など、多くの言葉を漢字で表した。


 その頃、中国から日本へ留学生が来ていた。留学生は日本が漢字に翻訳した言葉を中国に持ち帰った。昨年中国は建国70周年を迎えた。町の中のいたるところに「社会主義価値核心価値観」の看板が立っていた。そこには民主、自由、平等、法治など12の言葉がある。その中のいくつかは留学生が中国に伝え定着させた言葉である。正式な国名である中華人民共和国の「人民」と「共和」も元は日本語である。

 

中華人民共和国の「人民」と「共和」も元は日本語

中華人民共和国の「人民」と「共和」も元は日本語



 そして、その漢字は古代の日本人が中国から持ち帰ったものである。新型コロナウィールスの感染拡大を防止するために、政府は中国と韓国からの入国を制限する措置を取った。中国が漢字を捨てた韓国のような反発をせず、むしろ日本に対して理解を示したのは、このような両国の長い文化の交流があるためではないかと思う。

(2020,3,14 髙田忍)