病院の待ち時間

病院の待ち時間

1.二つの病院

75歳になった今、通院している病院が二つある。一つは京都の大学病院である。2010年9月から11月まで前立腺癌の放射線治療を受け、経過観察のために6カ月に一回の頻度で、血液と尿検査を受け、医師から説明を受ける。

もう一つは大阪の民間病院である。定年後痛風に罹った。尿酸値だけでなく中性脂肪やコレステロールの値が高い。3カ月に一回の頻度で血液と尿検査をして医師に薬の処方をしてもらう。どちらも検査内容は同じである。

 

2.受付から会計までの時間

京都の大学病院は6月2日に訪れた。診察券を読み取り機に入れ受付したのが9時30分で会計が終わったのが12時30分であった。一方、6月22日に訪れた大阪の病院は8時30分に受付し、支払いが終わったのは10時30分であった。同じ検査をしても、一時間の差がある。次のような比較表を作成した。

 

京都の大学病院

大阪の民間病院

病名

前立腺癌

痛風、生活習慣病

検査内容

尿検査、血液検査

尿検査、血液検査

受付から血液検査まで

45分

40分

血液検査から診察まで

1時間25分

1時間

診察終了から会計まで

50分

10分

 

3.待ち時間情報

大学病院の時間が長いのは、患者数が圧倒的に多いことが理由の一つである。しかし、会計の計算などは標準化すれば瞬時にコンピュータで計算出来るはずだが、なぜ50分もかかるのか理由が良く分らない。

長時間以上に困るのは、この大学病院では患者に待ち時間を知らせる仕組みがないことである。病院に着き診察カードを読み取り機に入れると、パナソニック製の呼び出し機が出てくる。この携帯電話のような機器から、患者ごとにメッセージが届く。「診察室前でお待ちください」「診察室にお入りください」「会計ができました」というメッセージが流れてくる。何分待つのかの情報はない。

驚いたことに、血液検査が終わってもいないのに「診察前でお待ちください」の表示がでた。

パナソニック製呼び出し機

パナソニック製呼び出し機

 

 

4.物理的時間と心理的時間

時間には、物理的時間と心理的時間がある。待ち時間が長いと感じるのは心理的時間が長いからである。あと何分待つのかという情報が与えられると、長時間待っても苦にならない。その間、本を読むなどのこともできる。

大阪の病院は心理的時間が短くなる様な工夫をしている。段階ごとに待ち時間が分かるようになっている。血液検査室には番号が表示され、待ち時間、待ち人数が表示される。

血液検査室前、番号と、右隅に待ち時間、待ち人数が表示

血液検査室前、番号と、右隅に待ち時間、待ち人数が表示

  

 

検査が終わると、次は診察を待つだけである。血液検査のために朝食を抜いてきた。朝食を食べるレストランにも診察番号が表示されるばかりでなく、スマホにも情報が提供される。診察が遅れると「30分遅れ」などの表示が出る。

スマホの番号表示

スマホの番号表示

  

診察室前、診察の遅れ「15分」が表示されている。

診察室前、診察の遅れ「15分」が表示されている。

  

会計も番号表示されるので、おおよその待ち時間を推定できる。

会計の番号表示

会計の番号表示

  

 

隣接する薬局も待ち時間を表示している。

薬局の表示、番号と待ち時間

薬局の表示、番号と待ち時間

  

 

5.同じパナソニックの呼び出し機

同じパナソニックの呼び出し機を使っている病院が他にもある。他人のiPS細胞を使って加齢黄斑変性の臨床研究をしている神戸中央市民病院である。ここでは、呼び出し機で「Cゾーンでお待ちください」の案内がされる。Cゾーンの待合室には番号表示番がある。そこで待っていると、間もなく「診察室前でお待ちください」の案内がある。確認ボタンを押して、暫くすると「診察室にお入り下さ」となる。問題は確認ボタンを押し忘れると、診察が後回しになることだ。

神戸中央市民病院の表示板

神戸中央市民病院の表示板

   

 

6.支払った医療費

支払った医療費は、京都の病院が3300円であった。ところが、同じ検査内容でありながら大阪の病院は無料であった。会計に何かの間違いではないかと聞くと、間違いではないという。今月初めに眼科で抗VEGF薬の硝子体内注射で44400円支払っていて、一か月の上限を超えているからとの説明であった。

 

京都の大学病院では、その日病院のサービス向上に関するアンケート調査をしていた。意見欄に大阪と神戸の病院の例を挙げ、待ち時間の表示をするようにと書いておいた。半年後が楽しみである。

(高田 忍)06/23/2017

近江商人の町を訪ねて

近江商人の町を訪ねて

日野祭

 

 日野は、近江八幡、五個荘と並ぶ近江商人を輩出した町である。現在も商社や百貨店はじめ多くの企業が活躍している。

 5月3日は日野祭の日である。午前11時に馬見岡綿向神社に16基の曳山が集まった。日野町は滋賀県で唯一残る町で人口22000人である。これだけの人口で16基の曳山を維持する地元の人たちの苦労は並大抵ではないと思った。いずれも1700年代から1800年代に作られた。


 曳山には、かつてこの地を治めた蒲生氏郷公や井伊直政、直虎など地元にゆかりのある人の像が掲げられていた。中には天秤棒を担いで行商をした近江商人の姿もある。

 近江商人の考え方は三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)といわれ、現代に通じる経営理念である。近江に本宅を置いて関東や東北で商売をしていた。

 曳山が神社から御旅所まで向かう本通りに面する家々では「桟敷窓」があった。板塀を一部切り取り、中に桟敷を作って曳山を見る。この土地ならではの光景である。

 

ある家の中を覗き込むと屏風が飾られ、その前で伝統料理を味わいながら祭りを楽しむようであった。

 

 

五箇荘

 

 ある商家には天秤棒が置かれていた。近江商人が天秤棒で運んだものは、麻などの商品ではなく商品カタログだという。近江商人は富山の薬売りの様な小売商ではなく、卸商であった。その頃から総合商社の役割を果たしていたという。

 近江商人の研究家、小倉栄一郎氏によると、地場産業が早くから発達していた。近江八幡の蚊帳、畳表、日野の塗椀、売薬、五個荘の麻布である。いずれも原料は他国産で、これを調達して農家に内職に出した。内職は分業で行われ、これを製品に仕上げ、問屋が販売するという仕組みが出来た。

 

 

 私小説家として知られる外村繁は五箇荘の呉服木綿問屋の商家の生まれである。生家には、家訓が展示されていた。

第一条 業務に勉励し、商店の利益増進を図るべし(売り手よし)

第二条 得意先は勿論、取引先下職に対しても言語動作を慎み大切に応接すべし

 

 外村繁は高校の大先輩である。その作品に昭和31年の真文学賞を受賞した「筏」がある。このほか「草筏」「花筏」がある。生家の門前に花筏が植えられていた。

 

 古い町並みが残され、街の中を流れる川には鯉が泳いでいた。また川には花壇が置かれ、季節の花が咲いていた。

 

関西の桜巡り

関西の桜巡り
万博記念公園(2017年4月9日)

先週来の雨が上がり、日曜日と重なって大勢の人で賑わっていた。曇り空で、少し物足りない気持であった。

花の丘のチューリップが咲き始め、ここでも多くの人が写真を撮っていた。

 

西宮・夙川堤の桜(4月10日)
この日は入学式と重なり、孫と撮影する風景が見られた。曇り空で、花の美しさが今一つ引き立たなかった。

海津大崎(4月14日)
海津大崎を訪ねた。海津大崎は琵琶湖の一番北にある桜の名所である。雲一つなく絶好の花見日和となった。いつもならJR湖西線は大津京でほとんどの乗客が下りるところ、マキノ駅まで混雑していた。
海津には江戸時代に加賀藩の蔵屋敷がおかれていた。日本海の海産物を、大津を経由して京、大坂へ運ぶ物流拠点の一つであった。
駅を出て湖の方へ向かうと大崎が見え、遠くに竹生島が浮かぶ。空と湖との青を背景にした花は見事であった。


江戸時代に築かれた水辺の石垣の景観もよく、いつまでも残したい日本の風景である。

花の旅(4月2日~4日、東京と静岡)

花の旅(4月2日~4日、東京と静岡)

 

靖国神社の標本木

初めて靖国神社を訪れた。参拝が目的ではない。桜の標本木を見るためである。4月2日のことである。この日、気象庁は東京の桜の満開宣言を出した。3月の寒さのせいか全国的に開花が遅れたが、今年一番早く桜の開花宣言出されたのは東京で3月21日のことであった。開花宣言は気象庁が標本木を観察して出される。桜の種類によって開花時期は異なるのでソメイヨシノを標本にする。東京は靖国神社、大阪は大阪城の西の丸庭園のように、都道府県ごとに決まっている。多くの場合、各地の地方気象台にある桜である。

4月2日は日曜日と重なり、多くの人で靖国神社は混雑していた。

 

 

境内には、他にも沢山の桜が咲いていたが、目にとまったのは幹の根元から咲いている花びらであった。その生命力に感心した。

 

九段坂と千鳥ヶ淵

 靖国神社界隈の通りには街路樹として桜が植えられている。バスの中から花見をしていると、突然スカイツリーが飛び込んできたので思わずシャッターを切った。

 

千鳥ヶ淵にの桜も咲き揃い、多くの花見客で賑わっていた。

 

六義園(りくぎえん)

 続いて向かったのは六義園である。関西ではあまり知られていないが、多くの人が入場券を求めて長蛇の列を作っていた。六義園は五代将軍徳川綱吉の信任厚かった柳沢吉保が築いた庭園で、明治になって三菱の岩崎弥太郎の別邸になった。JR駒込駅近くにあり、東京に、こんな広い空間が残っていることに驚いた。

 

桜は一本の枝垂桜だけで、そこに花見客が群がりカメラに収めていた。翌日の朝、NHKが現場中継をしていた、

園内にはさつきも植えられていた。ひと月後には、楽しませてくれるであろう。スミレが咲き始めていて、春の訪れを感じさせた。

 

 

椿山荘(ちんざんそう) 

一度は訪れたいと思っていたのが椿山荘である。萩出身の藤田伝三郎が事業を起こした藤田観光が経営しているホテルの庭園である。同じ萩出身の山縣有朋公の庭園であった。一万五千坪の庭園に5千本の樹木が記が植えられている。その名の通り椿が100種類、1000本も植えられている。椿はシーズンが終わりに近づきつつあった。

園内には樹齢500年という椎の木が神木として祭られていた。

桜はいずれも満開を迎えていた。園通閣という三重塔と並んだ桜がひときわ目立っていた。園通閣は元々広島賀茂郡にあったもので、明治になって廃仏毀釈で破壊されそうになったのを移築したお寺である。

庭園の中には秩父山系からの湧き水が出ていて、夏には蛍が飛び交うという。

 

神田川 

椿山荘を一歩外へ出ると神田川が流れている。南こうせつとかぐや姫が歌ったことでも知られている。川沿いに全長二キロにわたって桜が見事に咲いていた。

 

 

伊豆高原「さくらの里」 

伊豆は東京より温かい地であるからと満開を期待していたが、ようやく咲き始めたばかりであった。伊豆半島東海岸に沿って南下し、伊東温泉を過ぎると大室山がある。その麓に「さくらの里」があった。観光目的で作られたようだ。大室山には樹木はなく、野焼きされたあとであった。

 

伊豆四季の里公園 

当初の旅程では桜並木を観る予定であったが、開花が遅れているということで、急遽「伊豆四季の里公園」に変更された。城ヶ崎海岸にある公園で、はるかかなたに大島を見ることが出来た。花壇に四季折々の花が植えられていた。

 

 

下はようやく咲き始めた桜である。海の前方に大島がある。

 

帰りに店で花の種を買い求めた。

 

三嶋大社 

富士山の湧き水がでるという三島には三島大社がある。創建された時代は明らかでないが、源頼朝が尊崇した神社と伝えられている。池の淵にある枝垂桜が咲き誇っていた。


富士山を背景に撮影しようと思ったが、ここからは富士山は見えなかった。下は車窓から見た富士山である。

ここには樹齢1200年という金木犀が生き残っていた。

 さいごに駿府城

 徳川家康が引退して後すごした駿府城は開花が遅く一本だけ寂しく咲いていた。

目盛入りワイングラスと枡酒文化

目盛入りワイングラスと枡酒文化

「お爺さんも昼寝」

 1990年代の終わり、定年まで残り二年という年にドイツのフランクフルトに転勤した。ドイツでの生活を楽しもうと庭付きの家を借りることにした。日本のように、隣家との間に高い塀はなく、隣の庭に咲く花も楽しむことが出来た。

(地上三階、地下一階の庭付きの家)

(地上三階、地下一階の庭付きの家)

 

 この家を紹介してくれた不動産業者のNさんは、元大関琴欧州をスカウトし、佐渡ヶ嶽部屋に入門させた人でもある。

 Nさんは、午後1時から2時の間は庭の芝刈りが法律で禁じられていると注意してくれた。その理由を尋ねると「お婆さんが昼寝をするからだ」という。半信半疑で、レッスンを受けていたドイツ語の先生に聞くと「あなたの理解は半分だけ正しい。お爺さんも昼寝をする。」との答えであった。国の法律か、地方自治体の条例によって、大きな音を出す芝刈り機によって安眠を妨げることのないよう、昼寝の時間を保護していることに驚いた。

近隣同士のお互いの思いやりで話し合いで解決できる問題ではないか。なぜ身近な生活上の問題に、公の機関が介入するのか疑問であった。

 

「出張手当」

 ドイツで暮らしを始めると、日本では考えられない色々な規則に出会った。その一つが出張の日当である。日本であれば各企業が自由に決めている出張手当は、ドイツでは所得税法で一律に決められている。ホテルでの宿泊費は実費請求できるが、食事代は朝食、昼食、夕食別に出張先の都市ごとに細かく決まっていた。規定以上の食事代の支給は所得とみなされ課税対象になる。日本であれば支給される出張手当をどのように使っても会社から干渉されることはない。安いホテルに泊まって、呑み代に充てる。サラリーマン時代のささやかな楽しみの一つであった。

 

「法律の陰で」

 ドイツの人々は法律をよく守る。横断歩道では、車は停止してくれる。駅にゴミは落ちていない。紙屑を落とす人を見かけると注意して拾わせる。電車の中でヘッドフォンから音が漏れると注意する。お互いに注意しあって暮らしているようだった。しかし、人が見ていないところでは法律を守らない。町の中に落書きが多いのはこのためではないか。規則、規則の生活に反抗している姿ではないかと思った。

 

落書き

落書き

「メモリ入りワイングラス」

 もっと驚いたことは、ワインやビールのグラスに目盛り線が入っていることだった。これは度量衡法で決められているという。店が営業としてワインやビールを客に提供するときは、このようなグラスで出す必要がある。目盛り線に達していなければ、客は店に要求できる。客との間で多い少ないでもめないための工夫かも知れない。しかし、目盛り線の入ったグラスでワインを飲んだが、美味しいという感じはしなかった。

(チェコ・プラハのレストランで) 

(チェコ・プラハのレストランで)

 

(京都、四条烏丸の居酒屋で)

(京都、四条烏丸の居酒屋で)

 

 

 これに比べると、日本はおおらかだ。居酒屋で枡酒を注文すると、グラスから溢れ出た酒を枡で受ける。酒ファンにとってはささやかな楽しみの一つである。ヨーロッパに比べると、どこか温かみのある文化のように思う。

 

 この目盛入りグラスは最近ではEU各国で見られるようになった。写真上は2014年春チェコのプラハで撮影したものである。2月に訪れたキプロス島でも線が入っていた。ドイツの基準がEU全体の基準になったようだ。英国がEUから離脱した理由の一つにEUの官僚主義指摘されている。 このような生活の隅々まで規則や法律で規制するあり方に失望したのではないかと思う。     (高田 忍)