会員の体験談

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ここに掲載する体験談はNPO法人 黄斑変性友の会の会員に限定した生活の記録です。

他の会員の病気との付き合い方などを知ることによって、自分自身の暮らし方の参考にしてほしいと願っています。

会員以外で投稿を希望する方は入会手続きをとってください。 

投稿要領をお知らせいたします。

一人一人の執筆者が表現された気持ちや内容を尊重し、誤字脱字や公序良俗に反する場合を除いて原則として加筆修正はしていません。 (事務局)

会員の皆さんへ            2018年3月10日

「体験談」のお願い

 「NPO法人 黄斑変性友の会」では、昨年8月会員の皆さんからお寄せいただいた貴重な体験を「私の体験談」として、冊子にしてお配りしました。今年も「体験談(第二集)」を発行いたします。

 今年は、田辺三菱製薬の 「手のひらパートナプログラム から助成金を頂くことになりました。「第二集」は8月頃に会員の皆さんに配布するほか、関西黄斑変性友の会のホームページにも掲載いたします。

 ひと口に加齢黄斑変性といっても、この疾患に罹ってからの年数などによって、見え方は一人一人異なります。日常生活で困ったこと、それに対してどのように乗り越えているかなど、それぞれ異なる体験をしています。

 しかし、異なる体験であっても参考になる情報や、共感できる点があると思います。それをどのようにしたら自分にあてはめることができるかを考え、毎日の生活に役立てていただきたいと思います。

 すでに第一集にお書きいただいた方もその後の様子について、家族の方もどのように支えたかなどお書きください。皆様のご参加を心よりお待ちしています。 

会員の方々が綴った貴重な体験は社会的資産として大きな価値があります。

永久に保存するため、国立国会図書館と大阪府立中央図書館に寄贈いたします。

NPO法人 黄斑変性友の会 

代表世話人 髙田 忍

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I030055107-00

体験談の書き方

●同封する原稿用紙をお使いください。

 代筆もいたします。お気軽に電話ください。

 最初に名前(匿名可)加齢黄斑変性のタイプ、発症時期(年齢)を記入してください。顔写真も差し支えなければお願いします。プリントは郵送で、デジカメのデータがある方はお問い合わせ欄からお送りください。

 題名に続いて体験談をお書きください。

字数: 制限はありませんが、400~600字を目安とします。

内容: 自由にお書き下さい。

参考までに、

以下のような点について書くとまとまりやすいと思います。

・ いつ目の異常に気づいたか、何がどのように見えたか

・ その時、どうしたか(すぐ眼科を受診した、しばらく様子をみたなど)

・ 加齢黄斑変性という病名を聞いたときの気持ち

・ その後の治療経過(病院、治療法など)

・ 日常生活で困っていること、その解決法と工夫

・ 日頃の暮らし(仕事、健康、家事、買物、趣味、人との付き合い)

注:誤字脱字、公序良俗に反する内容などは修正させていただくことがあります

送付先: 

郵送:   544-0005 大阪市生野区中川2-7-19

      NPO法人 黄斑変性友の会 事務局長 星野龍一

発行予定:ホームページには原稿が届き次第、随時掲載予定。

目次

掲載日 氏名(略称) 黄斑変性の型 主題
2020年03月20日 神坂真佐子 両眼 滲出型

大きな声で歌を

2020年03月10日 尾郷徹哉 病名も何も教えてくれなかった。

赤ワインに玉ねぎを刻んで

2019年11月29日 初田邦代 滲出型

光る神様に出会って

2019年10月10日 Sさん 両目 滲出型

父を看病して思うこと

2019年10月10日 岡田 弘 不明

毎日8千歩で健康維持

2019年8月13日 雲北 一雄 滲出型

フレイル予防のすすめ

2019年8月6日 匿名希望 滲出型・萎縮型

不安との戦い

2019年3月1日 匿名希望 滲出型

94歳の母に励まされ

2019年2月6日 髙田 忍 滲出型

眼底写真から思うこと(サプリメントの効果)必読

2019年1月21日 布施 英子 萎縮型 滲出型 予防法もしっかり実行
2018年12月18日 高屋 千津子 萎縮型 僕が君の目になる
2018年11月7日 髙田 忍 滲出型 写真でわかるサプリメントの効果
  金子 恭子 萎縮型 滲出型 右眼にも黄斑変性発症
2018年9月15日 横山 和子 滲出型 たし算の人生を
  木下 富夫 滲出型 医師選びの大切さ
2018年8月22日 武田 一恵 両眼萎縮型 自力で頑張ろうと決心-ウクレレと出会って
2018年7月29日 谷美 美智子 滲出型 母を私のもとへ
  岡田 弓子 両眼滲出型 工夫して暮らしています
  長田 順子 両眼滲出型 病名が分かったのは何年も経ってから
2018年6月5日 髙田 忍  滲出型 発症から四年、目と生活の変化
2018年6月17日 堀部 和子 両眼萎縮型 歩けば足を使うし目も使う 脳も活発に
  坂上 高明 滲出型 白内障手術で歪みもよくなった
  伊藤 壽一   サプリメントで予防
2018年4月21日 杉村 弘 滲出型 日常生活と加齢黄斑変性
2018年6月4日 神坂 真佐子 両眼 滲出型 お料理も目で味わいたい
  角野 松枝 滲出型 幼少期節々の歴史
2018年2月1日 本多 隆二 滲出型 サプリメントの必要性
2018年1月27日 Kさん 滲出型 萎縮型 近くて、良い病院は?
2018年1月24日 髙田 忍 滲出型 タブレットなど電子機器の活用
2017年11月18日 弓長 暁 萎縮型 若年期の発病
2017年8月29日 小谷 輝子 滲出型 健康には自信があったのに
2017年7月25日 宮崎 健治 滲出型 発症から現在(平成29年75歳)までの経過
2017年6月16日 Hさん(女性) 滲出型 早朝のウォーキングとラジオ体操励行
2017年6月6日 Kさん (男性) 滲出型 納得の上で注射の可否を判断
2017年3月6日 髙田 忍 滲出型 写真で見る硝子体内注射
2017年3月5日 Fさん 滲出型 忘れてならない家族の存在
2017年4月28日 建部 茂 滲出型 ブルーライトカットのメガネで目を保護
2017年2月11日 晒 香 両眼滲出型 両眼が近視性黄斑変性
2017年2月11日 次原 隆吉 滲出型 萎縮型 眼病の経緯
2017年2月7日 増田貞雄 萎縮型 ボールの行方がよく分からなくて困りました
2017年1月27日 Tさん 女性 滲出型 人の手を借りて
2017年1月17日 岸本 宏 滲出型 拡大読書器の助けを借りて
2017年1月16日 川口 怜子 滲出型 四年間病院にかかったのに、何故?
2017年1月5日 Fさん 滲出型 萎縮型 両目が加齢黄斑変性症になって
2016年12月27日 堀部 和子 萎縮型 それでも働いています
2016年12月15日 福本 静子 滲出型 アナウンサーの目がオタマジャクシの様な形に
  左近 三郎 滲出型 蛍光眼底造影などの結果、黄班変性
2016年12月9日 力石 啓二 滲出型 加齢黄斑変性を発症して
  Sさん 滲出型 「eyeアイ」には愛を
2016年11月18日 国友 征子 滲出型 治療経過
  木下 富夫 不明 病院選びに苦労
  髙田 忍 滲出型 早期発見、早期治療のお蔭

大きな声で歌を


氏名      : 神坂真佐子さん(84歳)
加齢黄斑変性の型: 両眼 滲出型
発症時期    : 2013年6月(78歳)

糸の通し方
 先の切れた穴の針は写真がありませんが百均にあると思います。針の先が切れていて糸を強くピンと張って針の上でピンと張ったまま針先に押しつけると切れ目から針穴に糸が入ります。今はそれもまぐれに入るくらいですが、この冬 下のほうが破れた下着のベストを捨てようと思った。しかし丈が長くて長くて、上は着れるし暖かいから下の穴のあいたところからはさみを入れ、周りをぐるりと切りました。

 これが難しかった短く切りすぎないようにし幅をあわせながら少しずつぐるりと切りました。それから裾を三つ折りにしてひと 針ひと針、「ちどりがけ」をしました。昔を思いだして靴下の穴の繕いしたなあ~と、半日かかったけど、楽しくやりました。

 指の先は気をつけて向こうに出る糸が表に大きく出ないようにと、ちどりがけは大変でした。

 おやつのケーキを我慢したらこのようなもの一つぐらい買えるのに・・・と思いながら何でもすぐ捨てられない。昔のもったいない人間です。しかし、お蔭で寒い冬を無事暖かく越せました。


炊飯器の水
 水加減は内釜で三合お米を洗ったら、最後はお米を流さないようにぎりぎりまで水を捨てる。お米を計ったカップに三倍に量った水を新たに入れます。

 私は唾液がでないからご飯が食べにくい、だから少し多めの水加減に少し柔らかめに炊きます。それでもご飯は唾液がないので口のなかで団子になって喉を越さないのでいつもお茶漬けで流し込みです。幸い入れ歯もさし歯もないので堅い沢庵もカリカリ音をたてながらおいしく食べられます。


 おかきのお茶漬けにしてがりがり食べるのですぐ胃を悪くします
 

 八十歳までメガネもなしに車で走り回っていたのにどうしてこんな老後になったのかと悔しい思いの毎日です。しかし全盲の人も強く生きておられるのに恥ずかしいと思って頑張って暮らしています。

一人で歌を
 コロナの為に月に一度の地区の食事会も音楽療法の歌広場も取りやめになりました。仕方ないからアマゾン・エコーで「越路吹雪」の歌を聴いて「サントア・マミー」を一緒に一時間も歌ったり聞いたり、曇った日は暗くて電気をつけていてもかたづけも出来ないから一人で大きな声で歌っています。


赤ワインに玉ねぎを刻んで


氏名      : 尾郷 徹哉
加齢黄班変性の型: 病名も何も教えてくれなかった。
発症時期    : 平成23年頃(76歳)

 今年85歳になり物忘れも出て来まして正確な年月は少しずれが有るかも知れませんがご容赦ください。


 今考えると最初は網膜変性症では無かったかと思います、それは黄班ははっきりみえていたからです。


 通勤で朝駅のホームで電車待ちの時片目ずつ交互に覆っていた時でした右目で見たときレールや上空の架線が鋸の歯のようにギザギザに見えたのです。吃驚して翌日眼科に行きました、先生は何も言わず沢山写真を撮ってからこの病気は治す薬も治療法も有りません、半年に1回位見せて下さい。


 そして病気が進行するようだとレーザーで焼きましょう,しかし焼くと割と高い確率で見えなくなりますよと言ったのです。飲みたければ売店にサプリメントが売って居ますから飲んでください保険は効きませんよ、と言ったのです。

 それでそのサプリメントを1年くらい飲みました、ドイツ製の高価な物でしたが治る気配は無かったです。すっかり落ち込んでぼんやりして何かを読んでいた時でした、フランスの民間薬とし

≪赤ワインに玉ねぎを刻んで漬けて3日目から飲むと目に効果あり≫と出ていたのです。


 之しかないと思い、早速夏の麦茶の広口瓶に玉ねぎを刻んで入れて赤ワインを注ぎ3日間を待って飲み始めました。


 加齢黄斑変性症のテストに使う碁盤目の用紙で時々テストをしましたが最初は碁盤目があちこち破れていたのが少しずつつながって破れた個所も少なくなってきていました、これに力を得てさらに飲み続けてテストするとレールも電線もギザギザでなく緩やかなカーブになって居ました、ここまで1年位でした。車の免許試験の0.8もクリアしましてそれから3回継続出来ました。

 そして昨年春頃赤ワインを飲むのを止めて様子を見ていると、黄斑の処に黒い物が見えてだんだん大きくなってきたのです、ビックリしてこれは加齢黄斑変性症になったと自覚しました、そしてワインを飲み続けた所黒い物がだんだん小さくなって消えたのです。


 今は再発しないように少し量を減らして飲み続けております。


 4日毎にワインを仕込むことを除けば昔と何ら変わる事無く見えますので一安心しております。先日NHKの深夜放送で黄斑変性友の会の存在を知り困っている人のお役に立てばと思い参加することにしたのです、よろしくお願いします。

事務局から問合せ

 このまま掲載すると赤ワイン効果があるような印象を与えます。「誰にでも当てはまるわけではない」との注釈を付けて掲載しますが、いかがでしょうか。
文末に「NHKの深夜放送で知った」とありますが、何日の放送かも興味があります。

尾郷さんからの返事

 NHKの深夜放送ですが3月6日の朝4時からだと思います、NHKに伺った所タイトル“視力を失って得た人生”と言いました。

インタービユウを受けたのは≪松浦常子さん≫と言いました。(←リンクしていますクリックすると別ページが開き記事が読めます) NHKの電話番号は、0570-066066です。


 私の近所でも赤ワイン玉ねぎを飲み続けている人がおりますが、伺うと目の調子が良いと言っております。

 もう一つ話が有りまして近くに私と同じ会社で定年された桃井さんと言う方がおりました90歳で去年亡くなられましたが、何年か前に連絡を受けて伺ったんですが、加齢黄斑変性症が進んでいて昼と夜がどうにかわかるくらいに進んでおりました。


 私が赤ワイン玉ねぎを最初に届けたのが5月20日でしたが、6月に伺った時TVの野球放送の前に居ました。
 吃驚して見えるんですかと伺うと、選手の顔は分からないが球を追いかけている動きが分かるよと言いました。

 その後も卓球の試合も見て球は見えないが動きで感心しておりました。相撲が好きで力士の取り組みは分かるが顔は見えないと言っていました、又こんな人生が送られるとは思いもしなかったと言って喜ばれました、それから3年位赤ワイン玉ねぎを届けましたが最後に喜んでもらえて私もうれしかったです。

 病院は近くの東邦大学病院に掛かって居ましたが時々視野測定に通っておりましたが伺うと視野測定しかしてくれないと言っていましたが外え出るのを楽しんでいました。

 私の場合も同じ東邦大学病院に掛かったのですが治らないと言われたので2度とはいきませんでした。赤ワイン玉ねぎを飲むだけでした。

 個人差が有るかも知れませんが酒に弱い人はジュースを入れたりしていますが沸かしてアルコールを飛ばして飲んでも効くかどうかは分かりません。


尾郷徹哉。


光る神様に出会って

お名前      :初田邦代さん

加齢黄斑変性の型 :滲出型

発症の時期    :2016年ころ

  思えば、私がかかりつけの眼科から紹介されたのが一年と二カ月前、白内障と黄斑に水が溜まって腫れているということからです。S医大の先生は黄斑変性と白内障、「注射をしても白内障の手術をしてもネ」といわれました。でも白内障の手術はいつでもできるからという事で、注射ルセンティスを十一月と十二月の二回して下さいました。何故か三回目はありませんでした。きっと効かなかったのでしょう。

 その後、一か月毎に。検査・診察をしていただきましたが、少しずつ見えづらくなっていったのです。私の気持ちもどんどん落ち込んで行き外出もあまりしなくなり、心配した娘が「こんなのネットで見つけたよ」と黄斑変性友の会でした。「遠いやん。か」と渋る私でしたが、娘がさっさと手続きを済ませてくれました。

 治療もままならぬまま、一体白内障でなのか、黄斑変性でなのか、こんなに見えづらくなっていくのは随分と悩みました。でも注射を変えてみましょうという事で、アイリーアの注射を受けました。「今度は効くといいのにね」と先生がおっしゃって下さった時は本当に嬉しかったです。

 二週間から三週間で効果があるといわれましたが、一向によくならず気持ちはどん底。支えてくれた友達の電話が何よりでした。先生から「じゃ手術(白内障)を考えてみて下さい」と云われたのが六月。どこか逃げ出したいような気持になり、思わず高田さんに電話をかけていました。

 「(この病気は元に戻ることはない。ならば他に頼るものは何かないか)メガネ、メガネ、メガネですよ」

 「えっメガネ」。

 「取り敢えず、大阪の生野区のメガネ屋へ行きなさい、電話しておくから」と親切に言って下さり、家族に相談して出かけたのが七月二十二日、ネットとナビを頼りに知らない土地で探すのは大変でしたが、玄関で待っていて下さり、これが星野様との縁です。検査やいろいろアドバイスを丁寧にして下さり、とにかく神戸アイセンターへと勧めて下さったのです。二日後の二十四日にはアイセンターの玄関口に立っていました。

 診察していただけることになり、いろいろな検査を受けました。その検査器が私にはとてもやさしい色合いで笑われるかもしれませんが、行くたびに受ける検査に怯えていた頃があったのです。

 検査を終え二度目の診察室に入り事情をいろいろ聞かれました。先生が「じゃー、こちらで診ましょう」とおっしゃって下さった時は本当に嬉しかったです。それからトントンと事はスピーディーに運び、九月六日右目の白内障の手術を受け現在に至っています。本当に見えづらかった物が見えるようになり大変うれしく思っていますが、これからなんです。

 黄斑変性に関しては、物は歪んで見えますし、いまだ不安で一ぱいです。これから体力のある限りアイセンターでお世話になりたいと思っています。主人が先生のことを光る神様だと申して喜んでくれています。          


父を看病して思うこと

Sさん (50歳女性 患者の長女 東京都在住)


患者       :83歳男性
加齢黄斑変性の型 :滲出型 両目 
発症時期     :約10年前 

 加齢黄斑変性の父を看病していて、二つのことを重点に調べました。一つはセカンドオピニオンに関する情報(方法 行きたい病院)の収集、もう一つは拡大鏡等の補助器具の情報収集です。私が看病を通じて痛感したことは症状の軽いうちに病状が進行した時の準備をしておけばよかったということです。友の会の皆さんの参考になればと思い、体験を書くことにいたしました。
 
父の病状
 父は、約10年前(私は、すでに家を出ていたので、詳しい状況は分かりません)に加齢黄斑変性を発症しました。近所の眼科で診察を受け、そこで紹介された大学病院で加齢黄斑変性と診断されました。すでに左目は、治療ができないほど症状が悪化していたため、右目だけ治療を行いました。治療は、抗VEGF薬の眼球注射です。治療は1か月毎に3回の注射をし、その後、定期検査を受け悪化すると再度眼球注射という方法です。

 発症してから、ほんの数回視力が落ちることがありましたが、眼球注射をすると、視力は回復していました。眼球注射は平均すると年に6回程度受けていました。5年前に母を亡くして以後、父は一人暮らしをしていますが、生活に不自由することはなく、趣味の囲碁や英会話を楽しんでいました。


 私も、父もこの状態がずっと続くと思っていました。しかし、症状が回復しない程、悪化してしまったのです。今年6月いつも通り、定期検査を受けたところ、本人に視力低下の自覚症状はなかったのですが、眼底に腫れが見られるとのことで、1週間後の眼底注射の予約を取りました。注射の3日前、急に眼が見えにくくなり(今、思えば出血したのだと思います。)その後1か月毎に3回続けて眼球注射を受けました。断層写真では、眼底の腫れはやや良くなっていますが、残念ながら、現在も視力は回復していません。(矯正して0.2程度)

 

セカンドオピニオンについて

 直近の治療を受けている時に、現在の担当医の対応に不満を覚えました。そこで、私はセカンドオピニオンを受けるために色々調べ始めました。どの病院が良いか、セカンドオピニオンを受けるためにはどのような手順を踏んだらよいか等です。セカンドオピニオンは患者の当然の権利ですが、父そして私にも今の担当医が気分を害するのではないかという不安がありました。私はインターネット等で情報を集めるなかで、そのもやもやした気持ちを解消することができました。


 しかし、父は視力低下からインターネット上の情報を自分で読むことはすでにできない状態の中で、娘の私からの説明だけでは、その不安を解消することはできませんでした。
最終的には、現在の病院からの情報提供なしで(今の担当医には知られることなく)、診てくれる病院を見つけそこでセカンドオピニオンを受けることができました。


 セカンドオピニオンについて、調べたり、病院へ問い合わせをするということは、私が患者当事者ではないのにも関わらず、かなりのストレスでした。一刻も早く、良い方法を見つけなければならないと思う焦りもありました。もし、症状が悪化した状態でこれを患者本人がするとしたら、そのストレスは相当なものではないかと思います。


 ですから、今、症状の軽い会員のみなさんも、もし今後、セカンドオピニオンを受けるとしたらどのような病院があるのか、どのような手順を踏むのか等を今のうちに調べたり、あるいは、ご家族に調べてもらったりをしておくと良いと思います。

 補助器具について
 視力が低下してから、父は大好きだった英会話のテキストを読むことはもちろん、市役所等から送られてくる手紙も市販の拡大鏡を使っても読めなくなっていました。父が英会話のテキストを3倍に拡大コピーして更に拡大鏡を使っても読めないと知った時には私は愕然としました。文字の大きさだけではなく、字体やコントラストも重要であることを知りました。


 インターネットで電子拡大鏡というものがあることを知り、良さそうなものを何点かピックアップしました。値段も安くはないので、実際に商品を試せる店舗を探したのですが、なかなか見つかりませんでした。(そもそも、パソコン画面を見るのも困難な状態の人が必要な器具ですから、インターネットに情報がないのも当然です。)眼科に付属するロービジョン*専門店もあったのですが、そこは、ロービジョン*外来で診察を受けてからではないと、器具を試すこともできないとのことでした。

(*ロービジョン 眼の機能が、病気や怪我などによって低下してしまった状態)


 インターネットを検索しているうちに実家から1時間くらいのところで欲しいと思っていた電子拡大鏡を試せるお店がなんとか見つかりました。その店の店主はロービジョン学会の会員で、父の目の症状も普通の眼鏡店よりは理解してくれました。このお店を見つけられたのは本当に良かったです。店主の方が、パソコンの画面も見えないほど眼の悪い方に情報を発信するのは本当に難しいとおっしゃっていました。


 電子拡大鏡など、必要のない会員の方々も将来もし必要になったら、どんなものがあるのか、ロービジョン外来がある病院はどこかなど、今のうちから調べておくと良いと思います。


 症状が悪化するなんてことを考えるのは、気分の良いことではないのですが、セカンドオピニオンの情報にしても、補助器具の情報にしてもお守りと思って準備しておくと良いと思います。


 これが、私が父を看病するなかで皆さんにお伝えしたいと思ったことです。少しでも皆様の参考になれば幸いです。
 
 参考までに私が購入を検討した商品と実際に購入した商品を記載します。iPadなどのタブレットにインストールして使える拡大鏡のアプリもあるようです。また、良いものがみつかれば、友の会を通じで皆さんにお知らせしたいと思います。また、すでに使っている良い商品があれば、友の会を通じでお知らせ頂ければ嬉しいです。


購入商品
 株式会社システムギアビジョン クローバー4(39,800円)

購入商品

購入商品


検討商品
 株式会社システムギアビジョン クローバー3(29,800円)
 株式会社システムギアビジョン クローバー10(198,000円)
*クローバー10は障がい者手帳を持っている方が補助を受けて購入する場合が多いとのことです。


名前 :岡田 弘

銀閣寺庭園で

銀閣寺庭園で


加齢黄斑変性の型 : 不明
発症時期  :左眼:1995年(平成7年  60歳) 
      右眼:2002年(平成14年 67歳)

題名: 毎日8千歩で健康維持

生い立ち


私は昭和10年(1935年)東京の蒲田で生まれました。戦前、国民学校と行った時代に学校に入学しました。蒲田は中小企業の町工場が多い土地で、家業はグリコの箱に印刷する仕事でした。昭和20年の東京大空襲で壊滅的被害を受けました。


兵庫県の出石に逃れ苦しい生活が続きました。その後、大阪に移り父親は事業を起こしました。


ゴルフ場で


目の異変に気付いたのは今から24年前の平成7年、神戸地震の年です。ゴルフ場でティーショットをしようとしたとき、止まっているはずのボールが浮いたり沈んだりしました。直ぐに眼科に行きました。アムスラーチャートを見せられ、やはり歪んで見えました。医師は病名が加齢黄斑変性と告げました。今のような抗VEGF薬のない時代のことで、治療はレーザー光線でした。

アムスラーチャート

アムスラーチャート


右眼は正常だったので、自動車の運転は出来ました。ただ、トンネルの中は暗いので、大型トラックのテールランプを見ながら走りました。出口などの書かれた案内標識は助手席の妻が読んで、カーナビの代わりをしてくれました。その後、右眼も発症したので運転免許証は自主返納しました。


毎日読む新聞


現在の視力は右眼が0.003、左眼が0.007です。枚方の関西医大で3~4カ月に一回定期検査のために訪れます。治療は24年前のレーザー光線以外には何もしていません。

 
この視力で困ることは、字を上手に書けなくなったことです。切手を真っすぐに貼れないという問題もあります。


このような視力ですが、新聞は日経新聞と産経新聞を毎日読んでいます。LEDのスタンドで明るくし拡大ルーペと、テレビで宣伝しているハズキルーペを使います。今朝の日経新聞には「アメリカ政府の高官が竹島は日本の領土という発言」「内閣改造で小泉進次郎氏が環境大臣に内定」の記事が出ていました。視力が低いのに新聞を読むのは、仕事で銀行マンなどと接する機会が多いからです。テレビも見ますが、字幕を読み終わらないうちに画面が変わってしまいます。


4年前の平成27年の障害者手帳の視力4級の交付を受けました。鉄道やバスに乗る時、付き添いがあると一人分は無料になります。ただし、特急料金や指定席の割引はありません。入場料も割引になります。2月の歩こう会で訪れた銀閣寺の入場料を割引がありました。僅かですが、たすかります。
このほか、息子の運転する自動車に同乗するので自動車税が免税になります。またNHKの受信料が半額になります。


欠かさない運動


健康を維持するため、運動を欠かさないようにしています。先ず歩くことです。万歩計を身につけて、家で5000歩、会社に出勤して3000歩、合計毎日8000歩以上歩くようにしています。


このほか、昨年6月の定例会で大阪の女性医師窪田先生が紹介された「かかと落とし」などをします。寝る前にはタオルを握る運動を3000回行います。

窪田先生

窪田先生

窪田先生 2

窪田先生 2



仕事の経営は5年前息子に譲りましたが、土曜、日曜と「二水会」のある日を除いて毎日出勤します。経理帳簿を見るのが仕事です。


食べ物は妻が塩分を取りすぎないよう気を使ってくれます。


友の会との関わり

私は2015年に友の会が発足した当時からの会員です。出来るだけ、多くの人と知り合うために行事に参加するようにしています。
一昨年4月の琵琶湖畔海津大崎は長い距離でしたが、歩くことに慣れるようになりました。


今年2月の京都哲学の道は平坦で距離も体の負担になりませんでした。しかし、奈良の山の辺の道は坂道が多く歩きにくかったです。それでも、最後に立ち寄った店で三輪素麺を美味しく頂きました。10月の兵庫県たつの市の歩こう会のあと、赤穂温泉に泊まるのが楽しみです。


3月の神戸理化学研究所見学会では、予想もしていなかった高橋政代先生が出てきて講演をしていただきました。質疑応答で、私の治療について質問しましたところ、「安定していることが大切」といわれ、安心しました。

見学会にて 高橋政代先生

見学会にて 高橋政代先生



さいごに、友の会の行事にはいつも妻が付き添ってくれます。感謝しています。         

(2019.9.11 髙田 忍 口述筆記)

窪田純子医師の講演から

窪田純子医師の講演

窪田純子医師の講演1.アキレス腱を伸ばす

窪田純子医師の講演2.背筋を伸ばす

窪田純子医師の講演2.背筋を伸ばす

窪田純子医師の講演 3.体ひねりと片足立ち

窪田純子医師の講演 3.体ひねりと片足立ち

窪田純子医師の講演 3.ペットボトル体操

窪田純子医師の講演 4.ペットボトル体操

 


名前      : 雲北 一雄

加齢黄斑変性の型: 滲出型

発症時期    : 2014年5月 アイリーア注射 15回

題目      : フレイル予防のすすめ

-高齢者の健康維持についてー

 黄斑変性友の会から提供いただいた上記テーマについて私なりに当てはまるものをしるします。

 私は現在80歳になりました。今のところ健康面では健診(人間ドック)で多少気になることはありますが.いたって毎日元気に過ごしています。

 フレイル予防に必要な3つのことができているか見直してみました。

 「栄養面」では特に気を付けていませんが栄養士からのお話を参考に塩分・甘いもの・量を控えるようにして朝昼晩3食は必ず取っている。

 「運動面」では月1回、週2回で開催されている高齢者向けの体操に参加しています。

 月1回の方はシニア向けのさわやか運動(2h)をタイトルに体操の講師が前半は健康面のお話があり.後半は無理のない全身運動をしています。

 週2回の方はDVD(町作成分1h)を見ながら高齢者向けの体操をしています。いずれも一人で運動するのが不得手ですのでこのような企画の場に参加して体を動かすようにしています。

 「社会面」では町・社会福祉協議会から認可をいただいた福祉団体で.スカイクロス・ウオーキング・サロンがありそれぞれの代表をしていました。今年度(令和1年4月)でもって代表を退き、後継者にバトンタッチしました。いずれも60歳以上のシニア向けで集まれば和気あいあいと楽しい一日を過ごすことができ健康の増進と会員相互の親睦を図ることを目的にしている。

 いずれも月1回のペースで実施している。

 以上の面からみて、特に健康維持について自身の努力とともに毎日を規則正しく過ごし自分に合った行事・集会に参加することにしています。

08/13/2019


名前 :      匿名 男性
加齢黄斑変性の型: 滲出型・萎縮型
発症時期:     2009年12月(43歳)

不安との戦い

 平成21年12月頃、43歳の時に職場でパソコン作業中、突然、左目に違和感を覚えました。左目の奥にピキッとした音がなったような感じでした。その日から、左目で見る画像や文字に少しの歪みを感じるようになりました。当時、仕事上のストレスに見舞われていた頃であったことも覚えています。


 初めは老眼の症状かなぁ、と考えていましたが、文字の歪みに不安を感じ数日経っても症状が変わらないので、5歳上の先輩に老眼について質問をしました。


 私は、「老眼は私の年ぐらいになるものですか?」と尋ね、先輩は「それぐらいの年になると老眼になるものだよ。」と答えられました。
さらに私は、「老眼になると文字が歪みますか?」と尋ねたところ、先輩は「それはないなぁ、一度眼科で診察を受けたらどう」と勧めていただきました。


 近所の眼科で受診したら、新生血管があり、精密検査を受けたほうがいいと言われ、不安になりました。
阪奈中央病院で精密検査を受け「黄斑変性症」と言われました。聞いたことのない病名でインターネットの情報は断片的で治療への不安感と、当時奈良県内では手術ができるのは市立奈良病院の一人の先生しかいないとのことで、益々不安になりました。


 市立奈良病院の先生は、若い先生でしたが、黄斑変性症について詳しく説明をして頂き安心できました。その後、翌年の1月に眼底検査や造影検査を経て、アイリーアの硝子体注射という手術を受けました。


 当時は私自身手術室にさえ入ったこともなかったので、とても緊張し、術後の血圧は170以上になり看護師さんに支えられて手術室を出てきた程でした。


 術後は定期的に通院していたのですが、23年の夏に照明を替えようと上の方を覗き込んだときに、右目にも違和感を覚えました。この時の診断は硝子体剥離でしたが3年ぐらい前から右目にも黄斑変性症の症状が発症しました。両眼ともに症状が出てくると、今後の日常生活にも不安を感じました。
数年前からお世話になっている大阪の専門の先生に、私の黄斑変性症は新生血管の滲出性と強度近視を原因とする萎縮性の両方の特徴があるとのことでした。また右目は硝子体剥離を原因とする黄斑前膜もあり、60歳ぐらいから黄斑前膜の手術と白内障の手術をすることが望ましいということも教えて下さいました。


 現在は少しずつ、見える範囲が小さくなっているような感じもあります。


 黄斑変性症は、『今まで当たり前に見えていたものが見えなくなる』という不安との戦いを強いられる病気だと思います。そのため、少しでも色々な情報を求めてインターネットで検索していたら、黄斑変性友の会の存在を知りました。関西だけでもこんなに多くの人が悩みを抱えているんだなぁ、と改めて感じました。個人差はあるでしょうが、貴重な情報交換、助け合いのきっかけになる会だと思い入会させて頂きました。

 余談ですが、当時の手術費用は健康保険が適用され3割負担ですみました。また平成21年度までアイリーアの手術は保険点数が手術と同等で医療保険の適用も受けられ、ほぼ、自己負担なしで受ける事ができました。しかしながら翌22年度からの厚生労働省による改正(私には改悪ですが)で、アイリーア手術は保険点数が低く評価され注射の扱いと同等になり、医療保険の適用が受けられなくなり、一回当たり約5万円の自己負担となりました。
黄斑変性症の多くの人は定期的な注射が必要だと思います。金銭的な負担を理由に手術を諦めてしまう人もいると思います。何とか改善して欲しいと強く思っています。


 また、5年前に理研さんによるiPS細胞の臨床研究が始まり、個人的にはとても期待しています。


 パソコンやスマートフォンの普及で今後も多くの方に黄斑変性症の症状が出てくるかもしれません。同じような悩みを持つ方に、少しでも自分の経験から伝えられることは伝えて不安感が癒されて欲しいと思います。

以上


名前:  金子恭子(82歳)      

加齢黄斑変性の型:  滲出型   

発症時期:  1999年5月(62歳)

題名:新しい注射の効果

 

前回体験談を記載してもらいましたから、それ以降の進展及び変化について少し書き述べ皆様の参考になればと思います。

2018年6月から8月にかけて涙道の手術を受け、その間眼科への診察が出来ずにいまして、8月23日にやっと眼科に診てもらいました。

ところが、その空白の2ヶ月ほどの間に右眼に黄斑変性が発症していて、それまで左眼が黄斑変性と言われていたのが、右眼にも黄斑変性を発症したことになります。

即日アイリーアの注射を受けました。1カ月後9月27日に眼科に行き網膜の断層写真など撮ってもらったところ、少しふくらみは減り、その後1か月ごとにアイリーアの注射を4回受けました。しかし4回目の注射は、これまで週間おきだったのが、医師の休みで5週目となりました。医師から「注射の効きが弱くなったかもしれないので、今回もう一回アイリーアを打って、それで効果がなければレーザーに移ることになる。アイリーアの注射は本来3回で90%OKだけど、ハレが出るタイプでもある」と言われました。

4週間後に眼科に行きました。診てもらった結果「薬(アイリーア)は効いていないわけではないが、少し効きが悪くだいぶ腫れている」とのことでした。

その時、医師は「レーザーに移る前に別の注射薬(ルセンティス)があるから、それを一度試してみましょう」と言われ、即ルセンティスの注射を受けました。4週間後恐る恐る検査を受け診察してもらったところ、この新しいルセンティスの注射の効果は断層写真でもはっきり出ているのが確認できました。写真を見て「この注射の効果が本当なのか2週間たったら診ましょう」と言われ、2週間後の1月17日に眼科に行き、いつもの断層写真を撮って診てもらったところ、ルセンティスの注射の効果が出ていると言われ、ひとまずはレーザー治療に移ることは避けられホッとしました。

その後4週間おきにこの新しいルセンティスの注射を続けました。3回目の2月14日の検診の結果、前回より腫れは引いていて断層映像もかなり水平に近いところまで戻りました。

3月14日の4回目の検査では新しい機器が入ったからと蛍光眼底造影検査(注:参照)も同時に受けました。まばゆい赤や黄や緑のチカチカする光線を当てられ目がくらむような検査で正直これは御免だと思いました。しかし、これが医学的にどのような効果を測るものかわかりません。

以上今日にいたるまでの私の黄斑の治療です。私が今回初めて知ったのは黄斑の注射にも2種類があるということです。アイリーアだけが効かないから駄目と思わず、他の注射も試してもらうことをお勧めします。(2019329日)

 

(注)蛍光眼底造影検査とは、腕の静脈に造影剤を注射すると心臓を経由して眼底の血管に流れていく様子を眼底カメラで連続して撮影する検査です。青色光または赤外光フィルターを通して眼底を照明し、造影剤(色素)から発した蛍光だけを撮影しますので、血管内の血液の流れの状態や、通常の眼底検査では発見が困難な病変を詳しく調べることができます。


名前:  匿名希望

加齢黄斑変性の型: 滲出型

発症時期: 2007年8月(56歳) 

94歳の母に励まされ

 片目をふさぐと右目が

2007年の8月初旬ごろ文字が読みにくくなりました。私は以前から遠視のためプラス度数のコンタクトを両目に装着しており、近くを見る時は見にくいので老眼鏡をかけて文字を見ていました。

老眼が進んだと思っていましたが、ある時鏡の前で片目をふさいで交互に見た時右眼は普通に見えるのに、左目で見た時中心部が黒くかけているのに気付きました。変だと思い眼科に行きました。黄斑変性との診断でした。すぐに治療はせずにしばらく様子を見るとのことでした。経過観察で毎週眼科に通い、翌月の9月になってレーザーで毛細血管を塞ぐ手術をしました。

三日間の入院、その後一週間は光を避けてるようにし、家に帰っても太陽や家の明かりにも気を付けて過ごしました。

その後、順調によくなり中心部の黒いものはなくなりましたが、レーザー痕なのか、ゆがみは残りました。しばらくは遠近感がつかめなく自転車に乗るのも怖い思いをしました。その後の数カ月後には外出しても特に困ることもなく自転車に乗れて以前と変わらない生活が出来ていました。

安定した11年間

11年間は眼科にはほぼ3カ月ごとの検診に通いました。 11年の夏に一度前回の場所で少し膨らんできたのを注射で治療したことはありました。でもあまり深刻に思いませんでした。

左目も

黄斑変性発症後はルテインを欠かさず服用していましたが、2018年9月に左目の見えにくさに気付きました。眼科に行きましたところ、新たに以前とは違うと場所での出血が見つかりました。今回はガスを注入しての手術と3日間の入院でした。1週間はほぼうつむきの生活でかなりのストレスです。

ところがその治療で私の血のかたまりは移動せず、10月2日の一回目の手術入院に引き続き1週間後の10月9日に再入院となりました。硝子体を切開してそこから血のかたまりを溶かす注射をし、その後ガスを注入して血のかたまりを移動させる手術でした。この時は手術時間も1時間以上だったと思います。

手術は部分麻酔で目の中の様子がはっきりわかるため、針が入ってくる様子やその後散らばった血液が吸い込まれていく様子など気持ちのいいものではありませんでした。

また10月29日にはアイリーアの注射もしました。

10月9日の手術後、黄斑変性の部分の少し黒いものは薄くなったのですが左下の4分の1の視野がなくなりました。手術した眼科の先生に、見えない部分があると伝えたのですがあまりわかってもらえませんでした。その後初めて視野検査をしてもらったらほぼ4分の1の視野がなくなっていました。

先生の見解では、私に持病の高血圧とか糖尿とか左首の高脂血症のような動脈にプラークがないということでした。内科の方で検査してくるようにといわれました。私は「以前から健康診断も定期的に受けているし血圧も低血圧だしその他の持病はないです」と答えました。でも、もう一度検査を受けその結果を眼科には提出しました。

別の眼科で検査

その後なんだかその眼科が信頼できなくなり行くのが嫌になり違う眼科で何故見えない部分があるのかを調べてもらいました。やはり4分の1の視野がなく網膜の静脈が詰まっており、もう戻らないとの見解で、はっきりとした原因は分からないとのことでした。朝起きると何とも言えない不安な気持ちでいっぱいでした。

 94歳の母が

そんな落ち込む私を見ていた94歳になる母がインターネットで関西黄斑変性友の会を見つけてくれて私に勧めてくれたのです。私もその後、友の会のサイトを何度も閲覧し、どうしようかなと迷っていました。お正月に帰ってきた長男家族を含めみんなに私が友の会に入会しようと思っていることなど話し合い関西黄斑変性友の会に入会することにしました。

 2019-03-01


名前: 髙田 忍

加齢黄斑変性の型:滲出型

発症年月:2014年8月(72歳)

眼底写真から思うこと

2019年2月5日、大阪の病院で3カ月ぶりに検診を受けた。いつもと同じように視力検査の他に断層写真と眼底写真が撮影された。今回は、加齢黄斑変性の右眼のほかに正常な左眼の撮影も行われた。幸い、今回も右眼は悪化しておらず、抗VEGF薬の注射はなかった。


下の表は2014年9月に発症して以来、暦年毎に注射の回数と、次の注射までの間隔を表したものである。前回の注射は2018年5月22日で9カ月間病状は安定していることになる。2016年には一度も注射がなかったのは、発症時の治療の効果が持続していたものと感がられる。その効果が薄れ2017年には4回も治療を受けた。


2018年5月以降の最も大きな生活上の違いはサプリメント服用の有無である。効果があったと判断している。

 

2014

2015

2016

2017

2018

2019

3

1

0

1

0

    8か月➡       20か月➡ 9か月➡サプリメント

 

 

下は右眼の眼底写真と断層写真である。医師の説明によると、眼底写真の色は網膜の厚さを等高線図のように表わしたものだという。緑色は正常な厚さであることを表し、白色は薄いことを示し水が溜まっていると考えられるという。この写真からは異常がないので、注射は必要ないと判断された

 

下は参考までに撮影された左眼である。右下の断層写真も異常は見られず、眼底写真も素人目にも正常なことがわかる。

 

次の写真は前回注射した9カ月前の2018年5月22日のものである。たしかに白い部分が大きく写っている。納得して注射をして貰った。

 



ところが、念の為に一昨年2017年4月21日の眼底写真をみた。この時は注射されたのである。一見した所、2月5日の写真と大きな違いは見られない。違いはといえば、この間に担当する医師が変わったということだけである。医師の判断にも個人差があるようだ。次の検査の時に、医師の判断基準を聞いてみようと思う。

 


この時から75歳以上の後期高齢者となり3割負担が適用され45400円支払っている。生命保険の手術特約も適用されなくなり負担と感じるようになった。それ以前は一割負担であったことことに加え、生命保険の手術給付金を一回当たり50000円を受け取ることができた。天と地の差がある。

サプリメントの価格
今回、注射をせずに済んだのはサプリメントの効果ではないかと考えている。発症して4年以上経過しているのに、治療をしなくて良い状態が続いているからである。2017年には4回も注射したことと比較するとサプリメントの効果を信じたい。


サプリメントはボシュロムジャパン社の「オキュバイト50+」である。同社から直接購入すると60粒(一ヶ月分)で3780円(税込み)で、3か月分に換算すると11340円となる。ところがアマゾンから三か月分を購入すると6800円である。アマゾンは大量仕入れの価格でボシュロム社から割安で入手しているようだ。この違いは大きい。


(2019,02,06 髙田 忍)


名前:布施 英子

加齢黄斑変性の型: 右 滲出型  左 萎縮型
発症時期:     左 2003年12月(63歳)
          右 2010年12月(70歳)

予防法もしっかり実行

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年は3回も行事に参加させていただき幸せでした。

「友の会ニュース」7号その他をお送り下さいましてありがとうございました。私のへたな作文を掲載していただき恥ずかしい限りです。

「友の会ニュース」に「早期発見も大事、その前に予防を」の記事を拝読しました。左目が加齢黄斑変性症と診断された15年前は有効な治療法はないようで、経過観察だけでした。診断を受けてから新聞や健康雑誌でこの病気に関する記事を多く目にしました。「友の会ニュース」にある記事と同じ内容でした。症状の進行を止めたい一心で一生懸命予防につとめました。それでも7年後に右目にも発症したのでした。とても悲しかったです。現在は両目にゆがみがあるものの治療と予防法を続けているおかげだと思っています。

ですが、15年も眼病をわずらっていますので、目の具合が良い時は横着になって見ないようにしているテレビに見入ったり本も読みすぎたりして目を疲れさせてゆがみがひどくなり「いっけない!!」と反省することしきりです。

2019年は目をいたわって予防法もしっかり実行して注射治療を受けることがないようにしたいです。(2019年1月5日)

 

私が続けている予防と改善法は次の三つです。

 

①       黄緑色野菜に豊富なルテインを摂取する

②       紫外線やテレビなどから発するブルーライトから目を守る

③       運動する

どれも発症時健康雑誌から学びました。それぞれの内容を詳しく書きます。

 

1.    ルテイン摂取について

ルテインは有害な光をさえぎり目の酸化を防ぐ。ルテインを含む緑黄色野菜としてケール、ほうれんそう、ブロッコリー、芽キャベツ、レタス、パセリ、トウモロコシ、卵黄などがあります。

私はほうれんそう、ブロッコリーから摂取しています。ルテインは油と一緒に摂取すると十二指腸での吸収がよくなり効率よく体内に取り込むことができるようになると記されていました。

なので、ほうれんそうはゆでてごま油で炒めていましたが、今はゆでたものにアマニ油エゴマ油小さじ一杯としょう油少々で調味してほぼ毎日昼食か夕食に食べています。

ブロッコリーはかぼちゃ、にんじんと一緒にフライパンに入れ水少々で蒸し煮にして朝食に食べます。

酢、しょうゆ、ごま油少々の手作りドレッシングにつけて食べます。長年、毎朝食べていても飽きません。

一人暮らしなので一度作ると4回は利用できて便利です。

ほかの緑黄色野菜もごまあえ、煮びたし、みそ汁にします。生野菜は食べません。

炒め物や揚げ物は年寄りになって食べられなくなりました。それでも油分も必要と思いますので食物にかけたり、手作りドレッシングに入れて摂取しています。これまではオリーブ油とごま油だけでしたが、MCTオイル、エゴマ油、アマニ油も利用して楽しんでいます。

健康雑誌の記事には、すでに加齢黄斑変性症を患っている人は食物だけでなくサプリメントも利用することをお勧めしますとありました。なので、ドラッグストアでルテインのサプリメントを購入して飲みました。

4年前(2015年)NHKテレビの加齢黄斑変性症に関する放送で、この病気のための複合サプリメントが眼科で購入することができると伝えていました。眼科受診の時、先生におたずねしましたら、この医院でも購入することができました。うれしかったです。「オキュバイトプリザービジョン2」です。30日分5290円です。以来毎日飲んでいます。

ゆがみはありますが、視力(めがねをかけて今の所、右1.0左1.0)は保たれていますので効果はあるのかなーです。 

2.    紫外線やブルーライトから目を守るについて

発症時からUVカットでうす茶色のメガネを使用しています。

外に出る時は必ず帽子をかぶります。テレビは、昼は見ません。夜も1~2時間程度にしています。

3.    運動するについて

近くの運動公園に歩きに行きます。1週間に3~4回、体の調子によって30分~1時間歩きます。

毎日自宅で行っている運動

  • 片足立ち 一分ずつ
  • スクワット30回
  • スワイショウ30回ずつ(両手を前後に振る。両手を左右に振る)

 昨年6月の定例会で窪田子先生に教えていただいた体操を行って、体を動かしています。

以上が私の加齢黄斑変性症の予防と改善法です。これからもずっと続けて視力を保っていられたら幸せだなと思っています。

(2019年1月17日)


名前: 高屋千津子(67歳)

加齢黄斑変性症の型:萎縮型(両眼)

発症時期:右眼 昭和58年(1983年) 

     左眼  平成7年(1995年)

僕が君の目になる

異変は32歳の時

私の右眼の異変は32歳の時、娘の出産直後でした。写真を見ていて、下の部分が歪んでいることに気付きました。しかし、子育ての忙しさと左眼が見えていたため、あまり不自由なく生活しておりました。 その7年後、コンタクトレンズを作りなおそうと行った病院で「右眼の中心部が真っ黒で神経が死んでいる。どうしてもっと早く治療しなかったのか」と叱責されました。右眼は今も視野はありますが、ほとんど視力はありません。

 

左眼も

恐れていた左眼に異常が見つかったのは、平成7年夏のことです。転勤族であるため東京、金沢、福岡、横浜、千葉、広島と引っ越しました。主人は長男ですので、半年後に広島を離れ実家のある京都府南丹市に帰る予定で家を改築していた矢先のことでした。 車を運転していて焦点が合わず、疲れているのかなと思いました。そのうちテレビ画面が歪んで見えるようになり、広島の大きな病院3か所で診察を受けました。眼底出血なので、一年半から二年くらいかかりますが治りますよといわれホッとしました。止血剤と血管を強くする増血剤の眼中注射と飲み薬をもらい治療しました。 しかし0.9あった視力はどんどん悪くなり0.3にまでになってしまいました。運転免許更新も迫っていたので、視力回復センターにも一日おきに通いました。視力は戻らないまま南丹市に引っ越すことになりました。

 

サジを投げた医師の一言

それと同時に、主人は鹿児島へ転勤になり離れ離れの生活になりました。すぐに京大病院、京都府立病院に行きました。京大病院では10人くらいのインターンの人たちの前で私の目の画像を説明し、医師は私にこう言いました。「あなたの目は加齢黄斑変性症だね。今の西洋医学では治らんね」「前の病院で飲み薬をもらっていたのですか?」「出せと言われれば出すけど気休めだよ」と。その時初めて黄斑変性症という病名を知りました。その医師のサジを投げた一言は、私を地獄に突き落としました。悲しくてかなしくて涙が止まりませんでした。目の病状はどんどん進行し、カメラのシャッターをきったようにピカッと光ったり、黒い影が見えるようになりました。

 

前向きにしてくれた主人の一言

私の目はどうなるんだろう、不安で不安でたまりませんでした。主人の両親はうなぎの肝がいいからと魚屋に頼んで買ってきてくれたり、優しくしてくれましたが、気持ちはどんどん落ち込んで行きました。 知らない土地で、おしゃべりする友人もなく、2人の娘たちも新しい土地で頑張っていると思うとあまり言えませんでした。鹿児島にいる主人からは、毎日のように電話がありました。でも心配かけたくない思いで明るい話しかできませんでした。 ある時主人から電話があり、胸がいっぱいで声が出ませんでした。「どうしたの。おふくろに何か言われた?」「そうじゃないの。私の目見えなくなってしまうかもしれない。」初めて泣きながら言いました。主人は「君の目が見えなくなったら、僕が君の目になればいいじゃないか。目が見えなくたって君に変わりないんだから。君はいてさえくれたらいい」と。嬉しくてうれしくて涙が止まりませんでした。そのとき、これからは前向きに生きて行こうと思いました。

 

「黄斑変性症は治る!」に期待して

腰を痛めて、鍼灸で有名な明治鍼灸大学病院に行ったとき、目の病気の事を話すと、一割負担(200円)で10回ハリ治療を受けられると言われ、東洋医学にかすかな望みを持って受けましたが、全く変わりありませんでした。 10回目の治療を終えたとき、待合室で雑誌「今日の健康」の「黄斑変性症は治る!」という見出しが飛びこんできました。そこには阪大病院の田野教授が五~六年前から黄斑変性症の元気な網膜を移植する手術をしていると書いてありました。 この時、主人は大阪に転勤していましたので、主人を通して阪大病院にお願いし、田野教授の診察を受けました。この手術は発症してから1年未満の人が対象で、自分にはできないこと。その代わり、これ以上血管が切れないよう眼球の周りに金属の支え棒を入れる手術を勧められました。二週間入院し、その手術と斜視の手術を受けました。 左眼は矯正して0.08くらいで中心部が全く欠けているので、人の顔や見ようとするものが見えません。年とともに見えにくくなり、おまけにオッチョコチョイですので、よくつまずいたり段差で転び骨折し、家族の皆に迷惑をかけてきました。

 

お菓子とパン作りの楽しみ

主人は19年間の単身赴任を終え3年前に退職して、今は私の専属運転手兼ガイドヘルパーとして私の目となり心の支えとなって助けてくれています。ほんとに感謝いっぱいです。真ん中が見えないので、できないことも多いのですが、大好きなお菓子作りとパン作りは、暇さえあれば作って楽しんでいます。 いつか皆さんにおいしいお菓子を作って持っていきますね。これからもどうぞよろしくお願い致します。

2018.12.18


名前: 髙田 忍

加齢黄斑変性の型:滲出型

発症年月:2014年8月(72歳)

 

写真でわかるサプリメントの効果

 

二枚の写真は、いずれも抗VEGF薬アイリーアの注射をしてから6か月経過した眼底写真と断層写真である。上は2018年5月22日、下は2018年11月6日に撮影した。それぞれ右下の断層写真では大きな相違は見られない。

しかし、左上の眼底写真は大きな違いがある。5月22日のものは赤い枠の中に白い部分が映っているのに対し、11月6日には赤い部分がうっすらと見える程度である。

医師はこの写真から5月22日には抗VEGF薬の注射をしたが、11月6日は注射の必要はないと判断した。

生活上の大きな違いはサプリメントの服用の有無である。5月22日の治療後6か月の間、医師の勧めでサプリメントを服用した結果である。この二枚の写真から見るかぎりサプリメントの効果はあるといえそうだ。

一回の注射に支払う医療費は3割負担の場合は5万円近くかかる。それに対して、オキュバイトというサプリメントは6か月分で6800円である。効果は個人差があるかもしれないが、試してみる価値はあるようだ。

尚、この間サプリメントの副次効果かどうかわからないが、コレステロールの値も徐々に低下している。

(2018,11,07 髙田 忍)

 


右眼にも黄斑変性発症

金子恭子さん(女性、82歳)

加齢黄斑変性の型:左眼 萎縮型(1999年5月)

         右眼 滲出型(2018年8月)

 

平成30年6月7日、通院している宝塚のD病院で眼に涙が出て拭いても拭いても出ることを相談しましたところ、涙道がつまっているとのこと、さっそく尼崎総合医療センターへの紹介状を書いてもらいました。6月13日に涙道を通す手術(チューブのような管を目のところから鼻の内側にU字型に入れ管の先端が鼻の中に出る)を受けました。

この状態で2か月管を入れたまま、そっとした生活を送りました。やっと二ケ月が過ぎ管を抜いてもらいました。その間、途中で管が抜けてきていないかと心配になり二度ばかり経過を診てもらう為診察を受けました。心の不安もありましたので。

管を抜いた後、少し涙が出るのが治ったかな?と思いましたが、今日にいたっては、あまり変化はなく手術はうまくいかなかったみたいです。事前にDr.からそういう人もあるとは聞いていましたが、自分がそれに該当するとは思ってもいませんでした。

ところが、この間約3か月眼科に行っていない間にとんでもない事態が発生していたのです。8月23日掛かりつけの宝塚D病院に行きましたところ、何と右目に黄斑変性が発症していたのです。これまでは左目に萎縮型の黄斑変性があり、右目は何もなく普通に見えていたのが、3カ月の間にその右目にはっきりと黄斑変性ありと診断されました。私は大きなショックを受けました。さいわい悪かった左目の進行は止まっていました。Dr.の判断で一日も早くアイリーアの注射をして新生血管の増殖を抑えた方がいいとのことで、即刻アイリーアの注射をする手術を受けました。

幸運にもこの病院では、その注射を施術するDr.がいたことです。この時はつくづく前の大阪のI市のDr.から今の病院に代わってよかったと思いました。注射の日は眼帯は取れませんでしたが、翌日からは眼帯もとれ、あとはばい菌を抑える点眼液をさすだけで一週間後に経過観察を受け異状なしでした。

次の週も点検の診察をしてもらい経過良好とのこと。そして1カ月後の9月20日2回目のアイリーアの注射をしてもらいました。添付の断層写真は左が8月23日の黄斑変性ありと診断されたもので右が注射一カ月後の9月20日の画像です。明らかにふくらみの山型が少しへこんでいることがわかります。これで注射の効果はあるのだと解りました。今日2回目の注射でどうふくらみがへこんでくるのか期待しているところです。このアイリーアに注射は一か月おきに3回やるそうです。

書きなぐり、うまくまとまった文章になっていません。参考になればと思います。


たし算の人生を

横山和子さん (73歳)

加齢黄斑変性の型:滲出型

発症時期:2008年頃

 

目の異状に気付いたのは10年くらい前になにげなく水平線を見た時、まっすぐな水平線がひどく波うって見えました。乱視のせいだとその時は勝手に思っていました。

5年前に目が充血したので近くの眼科に行き水平線が波うって見えることを告げると、すぐに生駒のS病院を紹介されました。早速S病院で調べてもらうと、黄斑変性といわれました。

今まで聞いたこともない病名なので本を読みやっかいな病気になったなーと気持ちが落ち込みました。

すぐにアイリーア注射を3か月間は毎月、それからは2,3カ月ごとにしています。今ではもう26回していますが、怖がりの私は注射になれるという事はありません。そのせいか、日常で困っている事は今の所ありませんが、新生血管がやぶれる事もあると聞いてものすごく不安を感じています。

今の自分に出来ることは食事に気を付ける事とサプリメントを飲む事位です。

旅行、ハイキング、読書、カラオケ、大正琴、詩吟と、趣味はたくさんあり今の所毎日充実した日々を送っています。これがズーと続きます様にと祈るばかりです。

ひき算の人生ではなく、たし算の人生をと思っています。友の会に入会したのは、同病の色々な方と交流したいと思ったからです。これからもよろしくお願いいたします。

(2018年9月15日)

 


医師選びの大切さ

木下 富夫 さん(91歳)

加齢黄斑変性の型 : 左眼 滲出型

発症時期 : 2013年12月

 発病を知ったのは、5年前の年の暮れだった。自転車で帰宅中に幅広いビルの左端が歪んで見えたのである。夕刻だったので、翌日岡山済生会病院へ行こうと考えたが、受付に行くには3000円の通行料がいる。年金生活者の私はケチンボ精神もあって通行料不要のSa病院へ行った。総合病院ではないが大病院であり、ある診療科は全国的に有名である。病室からは旭日川が手に取るように見える清らかな土地に建てられた病院である。

 眼科は女医さんが一人。でも診察機器は揃っている。初回は病名も言わず、来月何日においでと医師の方から予約する。二度目の時、「先生治るんですか」という私の問いに女医は「最後に手術すればね」と答えた。この言葉は私を地獄へ追いやることになったのである。三回目も四回目も来月何日においでと医師から予約する。

 ある日「ゆがみがだんだん中央に寄ってくる」と伝えたところ、O大附属病院で診てもらうように予約された。一日かけてやっと診察されたが、主治医に伝えると言っただけ。

 後日、Sa病院を離れたとき、O大附属病院では病名を付けていないことが判明したのです。全くひどい話である。大学病院の教授でありながら病名も治療法もSa病院へ伝えていないのだ。患者は必死の思いで受診しているのだ。

 少しずつ歪みが中央に広がってきたが、それでも1.0は見えて、車にも乗っていたのである。

 それが初めから数えて10カ月目にある日突然見えなくなったのである。すぐにSa病院へ飛んで行った。女医曰く「うちでは手術できないから他所へ行け」と3院を示されて紹介状を書いてくれた。病院の大先生は週に一度しか外来へは出ない。それで開業医のTaへ行った。見るなり加齢黄斑変性症と診断された。これが当っている病名である。

 治療法としてレーザー光線で焼いてくれた。でも一時的であって患部が中央に進んでくる。従って眼に注射することになった。二年間位だったが、30本以上注射された。医師の話では、あまり多く注射すると正常な部分も害を受けるからと、今は三カ月に一回になった。自分では何もできない。できるのは昔からの民間療法で目をいたわるだけである。

 開業医のTa眼科で、一時は少し回復したがまた0.3程度に落ちてしまった。メガネ商がロービジョンと教えてくれた。内容は知らないがTa医師に話すと、こちらが知らぬままに次々と展開され視覚障害手帳までもらう羽目になった。

 初めの医師選びは大切だと痛感しているが、こればかりは当り具合で、自分では選べないものだからおかしいと思えば転院するより仕方がない。

 40年前に妻に先立たれ、今年91歳になる私は一人暮らしをしています。今の私の生活は足腰の悪さもあり、料理もできず、毎日車椅子で店やものを求めて過ごしています。雨でも降ればその日の夕食は求められないのです。それでも人の力に頼らず、いつまでも自分の力で生き抜いていこうと考えています。

 趣味の俳句も最近は作る機会が少なくなりましたが、いつまでもこの趣味を持ち続けようと思っています。

 文を書く部屋一杯の蝉しぐれ

 大祭のあとの御堂や猿すべり

 会員の方で、俳句でお付き合いしようという方がいらっしゃればご連絡下さい。お互いに俳句を交換しましょう。

 


自力で頑張ろうと決心-ウクレレと出会って

武田 一恵 さん(66歳)

加齢黄斑変性の型 : 萎縮型(両眼)

発症時期  右眼 平成17年(2005年)

      左眼 平成29年(2017年)

 右眼に異変を感じたのは今から13年前、平成17年のことでした。大阪の地下鉄ホームに立った時、「黄色い線までお下がりください」とアナウンスされる黄色い線が歪んで見えたり消えたりしました。奈良県に住んでいますので、学園前のN眼科に行きました。何の病気か良く分らず、関西医大に行き、また阪大にも行きましたが、手術できないと言われました。その後、萎縮型は治療法がないことを知りました。

 そのため、左眼を大切にしなければいけないと思いました。それから三年後の平成20年、今から10年前のことです。字がバラバラに見え、上がったり下がったりしました。T病院で診てもらうと「こんな患者はじめてや。よく分らない。目薬もない。ボーっとしていなさい」といわれたので、そのようにして過ごしました。すると不思議なことに、少しずつ良くなっていきました。そして、「10年後に悪くなるかもしれない」ともいわれました。

 その通りになりました。昨年9月、左目に黒いものが見えるようになりました。診てもらっている王寺のK眼科の先生は研究熱心な方ですが、右眼と同じ理由(萎縮型)で注射はできないと言われました。外出の時はブルーライトのサングラスをかけ、サプリメントを服用してきただけに、何もできないと言われるといっそう不安になります。iPS細胞の可能性を聞きましたが、はっきりと「いつから」とは言ってくれません。

 落ち込んでいる私に、主人は強い口調で「気の持ち方次第だ。気力の問題だ。目の病気で死ぬことはない」と言います。71歳の元公務員で定年後はある会社の顧問として、今も働いています。強い言葉使いは、励ましの言葉だと思うようになりました。

 落ち込んでいる私を励まそうとの思いから、今年の三月にエリザベスクイーン号の10日間のクルージングの旅につれて行ってくれました。大阪港を出て上海と香港を巡る旅です。豪華な食事がでて美味しくいただき幸せでした。でも、香港は高いビルがあるだけで、目には緑の森や木々の自然がいいのではないかと思います。

 贅沢な話ですが、そんなこともあり心底楽しむことが出来ず、落ち込んでしまいました。私が船の中で躓いてケガをしてはいけないとの思いから手をつないでくれたのです。優しさから出たものと思いますが、私からすれば、主人に手を引かれて歩く姿は他のツアー客にハンディーがあると見られているようで恥ずかしくてたまりませんでした。

 日頃の生活で困ることはありません。コンタクトをしているので、視力は0.1と0.2です。そのため障害者認定は受けられません。大阪へ洋服を買いに行くことがあり、食事をしに行くのも楽しみです。買い物をする時、お金の区別もできます。スーパーの買い物は主人がしてくれますが、私も大根と人参の区別がつかないほど悪くはないので自分で行くこともあります。

 困ることといえば、字が読めなくなったことです。それ以上に楽譜が読めなくなったことには困りました。私は、大阪の中、高、大一貫の音楽大学を出ました。これまで音楽教師をし、今でも近所の子供たち3人にピアノを教えています。その楽譜が読めなくなったのです。何とか読む方法がないものか。そこで、楽譜を拡大コピーしてルーペで読んで暗譜(あんぷ)することを思いつきました。暗譜とは曲を覚えることです。工夫すれば何でも解決するものです。

 最近、公民館の文化教室のウクレレクラブに参加しました。一年になります。ここで出会った人たちと仲良くなりました。これも楽譜を拡大コピーしてルーペで読んで暗譜します。レパートリーは少しずつ増え「二人でお酒」「恋の誘惑」を奏でることが出来ます。「愛の賛歌」の替え歌も作りました。これは主人との出会いから、二人で支え合ってきたことを歌にしたものです。

 5歳と3歳になる孫に食事などの世話をするのも楽しみです。近くに住む娘は仕事に行くので、昼間は孫の世話をするのが私の仕事です。二人とも女の子で、「ババ大丈夫」「ルーペ持って来てやろか」などと心配してくれます。可愛いものです。

 主人はきつい口調で話しますが、いつまでも言われないように工夫して自力で頑張ろうと心に決めました。今日、体験談を電話で話しましたのは、この頑張る気持ちから出てきたものです。それまでは、私の体験談など採るに足りないものと思い込んでいました。

 この前の定例会には参加申し込みをしていました。主人と近くまで行って場所が分らずルーペを買って帰ってしまいました。次は是非参加して、皆さんに私のウクレレを披露させていただく機会があれば、どんなにうれしいことでしょう。その日が楽しみです。

   (2018,8,22 髙田代筆)


お名前: 谷美 美智子

加齢黄斑変性の型: 滲出型

発症時期: 2012年(83歳)

題名: 母を私のもとへ

 私は昨年「人の手を借りて」という題名で、母に替わって体験談を書きました。その頃、母は兵庫県尼崎市の武庫之荘というところに住んでいました。

 去年の5月に、3年前から脳梗塞と胃がんで闘病していた父が亡くなり、それまでは介護保険を使いながら何とか二人で暮らしていたのですが、尼崎に一人で母を置いておけなくなりました。40年もの間、慣れ親しんだ尼崎を離れる時は、ご近所の方々や友人との別れも辛く名残り惜しそうで自分も生きていても仕方ないと落ち込むことが多く、私も心配でした。

 去年の12月にこちら(神奈川県藤沢市)に呼び寄せてからは、私もすぐに行ける近くのホーム(後期高齢者住宅)に入居しました。大阪まで通っていた二年間のことを思うと夢のようです。

 母はホームに入居してからも視力が落ちているわけでもないのですが、蛍光灯や日照りの強い日は眩しくて食事なども見えにくくて、食堂では黒いお茶碗にして貰ったり、メニューの名前を一品ずつ説明してもらったり、切り分けてもらったりしています。

 メガネは普段は黄色いものをかけていますが、食事の時はレンズの上が黒っぽくて、下が白いものを作ってもらってかけ直しています。

 この季節は部屋のカーテンを開けることはほとんどありません。食堂は朝から夕方までカーテンが開いていて蛍光灯も近いので、食事の時もサンバイザーを使っています。

 黄斑変性症は、初めは右眼だけだったのですが、5年前に両眼になってからは字の読み書きが出来なくなり、必要なときはいつも私が読んであげたり、書類の書き込みなども総て私が代筆しています。

 幸い89歳にしては、身体は元気なので、ホームのイベントに参加したりリハビリにデイサービスに通ったりして、少しずつこちらにも友達が出来たようで、関西や出身の九州の話が出たりすると嬉しそうに話してくれます。

 母も少しずつこちらの生活にも慣れ、時々ひ孫の顔をさわりながら見る楽しみもできました。(2018,7,29)

 


名前:   岡田 弓子   

加齢黄斑変性の型: 滲出型(両眼)  

発症時期: 2014年(59歳)

題名:工夫して暮らしています

 四年前のことでした。いつもと様子が違うのに気が付きました。線が歪む、視力が落ち本が読みにくい。白い壁や障子に丸い墨(うず)を見るようになる。本を読むと字が踊る(変視?)。人の顔の中心が歪む。

 白内障の手術をしていた眼科医に駆け付け、診てもらいました。加齢黄斑変性との診断を受け別の病院を紹介されました。抗VEGF薬の注射の治療を受けました。注射そのものは、白内障手術を受けていたので、少しの恐ろしさはありましたが、治りたい一心で受けました。最初は右眼だけでしたが、今は両目が加齢黄斑変性です。

 何回治療を受ければ治るのかと思うと、治療代が高いのが不安になります。

 これ以上悪くならないようサプリメントを摂取しています。また、強度の老眼鏡をかけたり、スマホやパソコンを使用するときは専用の眼鏡をかけるようにしています。

 困っていることがいくつかありますが、それぞれ工夫して暮らしています。

1. 外出時,人とすれ違うまで誰かわからず、知人に失礼な態度と勘違いされるときがあるのではと思う。  親しい人には欠礼がなかったか伺い、眼が悪い(視力)事を伝えておく。

2. 本を読みたいのに意欲がなくなる。  スマホを利用

3. 好きな歌を続けたいのに楽譜が見ずらい。悲しくなる。 ➡ 拡大コピーでしのぐ。

4. 花や動物、自分の好きなものが歪んで見えること。 ➡ える内に楽しんでおこうと思う。

5. 失明への不安ですごく落ち込む。 ➡ あきらめではなく、病気の進行とつき合いながら覚悟を持って生きようと思う。

6. ポストの鍵が合わせられなくなった(マンション) ➡ スマホのライトを起動して明るくして数字を合わせて何とか開けています。

 友の会には、同じ病でしか共有できない不安を語り合える場や、日常生活の工夫や知識を話せる場になることを期待します。


名前:   長田 順子(おさだやすこ)

(女性86歳)

加齢黄斑変性の型: 両眼とも滲出型

視力 右 0.8  左 0.6

発症時期: 2000年代初め(70歳代)

題名:病名が分かったのは何年も経ってから

 

 60歳の頃、白内障の手術をしました。最初は自宅近くの眼科医へ行ったところ、市内の明和病院を紹介されました。手術したのは、兵庫医大でした。

 視力検査をしたところ、良く見えませんでした。病名は良く分らず、医師は「ややこしい病気で治療法はない」と言いました。その後、神戸の海星病院で診てもらったところ、またも「治療法はない。失明の恐れがあるが、白い杖を突くほどのことではない」との説明でした。

 70歳を過ぎた頃でした。関西医大出身の先生がいる大阪梅田の病院を紹介されました。

 この先生は「可哀想になあ、病名は加齢黄斑変性」といい、この病気の専門医のいる住友病院の五味先生を紹介してくれました。五味先生は注射をためらわれ、しばらく様子を見るとのことで、再び梅田の先生のもとへ2~3カ月に一回通いました。

 ある時、この先生が「これは大変、直ぐに治療を受けるように」と住友病院に翌日の予約を取ってくれました。住友病院では、アレルギーの検査や造影剤を注射しての検査の後、注射をしていただきました。注射は不安ですが、治療法があると知った時は大変うれしく思いました。

 その後、五味先生は兵庫医大に移られました。兵庫医大は、私の自宅に近くにあるので便利です。病院へは2か月半に一度タクシーで通っています。その都度、検査をして注射をするかどうか判断してくださいます。年に3~4回の注射をしています。

 注射を始めた頃は、右眼と左眼は別々の日に行いましたが、最近は両眼を同時に注射します。ですから、注射後の眼帯も両眼にします。といっても、眼帯はガーゼで紐のついたものではなく、プラスチックでできています。目を開けられるので、人の助けを借りずに自分でタクシーに乗って自宅へ帰ります。経過観察は自宅近くの眼科で診てもらっています。

 

 人の顔は見えます。テレビの映る人の顔は顔面マヒのように歪んで見えます。便箋に手紙を書くとき、線が歪んで見えるので、線の中に字が入るように書くのが難しいです。ですからこの体験談も、電話をして代筆していただきました。

 新聞は太陽の光の明るい所でルーペを使って読みます。電柱は電柱として見えますが、他のものは違って見えることがあります。

 眼鏡は五味先生に検査してもらって、「めがねの愛眼」で作りました。老眼用と普通の眼鏡です。普通の眼鏡をかけ忘れることがあります。そのようなときは疲れます。

 次第に視力が下がっているように思います。最近兵庫医大のロービジョンケアで検査を受けました。静かな場所での一対一の丁寧な検査でした。アムスラーチャートを見ての検査や、縦と横の線の入った下敷きを横において文字を書いたりします。料理をする時のまな板は黒がいいと言われました。

 

 60歳の頃、大腿骨骨折をして、それ以来歩くときは杖を使っています。このことで、障害者手帳の交付を受けケアマネージャーの世話になります。他にも右の耳が聞こえにくく、脊柱管狭窄の問題もあります。足が不自由なので買い物は、主人が車で行ってくれました。

 しかし、今年91歳になる主人が2年前に病気になりました。それ以来、リハビリについて来てくれる女性に頼んで店に立ち寄り買い物をします。コープに配達を頼むこともあります。時にはヘルパーさんに頼むこともあります。

 食事の準備も致しますが、物が見えにくいからではなく、体力の問題で十分なことはできません。そのため外食することもあります。息子夫婦が2階に住んでいますので安心して暮らしています。ゴミ出しは手伝ってくれます。

 高齢になり、昔の友達が亡くなったり病気になったりで寂しくなりました。足が不自由なので病院以外に出歩くことが少なくなりましたが、私と主人は社会のとのつながりとして近くのカトリック教会へ行っています。そこで知り合った人とメールのやり取りをするのが楽しみのひとつです。(髙田 忍代筆)


名前: 髙田 忍

加齢黄斑変性の型:滲出型

発症年月:2014年8月(72歳)

題名:発症から四年、目と生活の変化

1. 10回の注射  朝起きて、向かったパソコンの枠が歪んでいると気づいたのは、2014年8月も終わりの頃であった。2日後に予約していた人間ドックで異変を訴えたところ、1週間後に検査、加齢黄斑変性と告げられ抗VEGF薬の注射をした。  それから4年近くの日が過ぎた。この間10回の注射をした。発症した2014年は9月、10月と11月の三回で、翌年は7月に一回の注射であった。  下の段層写真は発症時の治療前のものである。黒い部分に水が溜まっている。

 2016年は症状が早期発見早期治療のお蔭で、安定し治療を受けることはなかった。下の写真は2016年6月23日に撮影したもので、右の断層写真には、発症時のような水が溜まった時に出来る黒い影はない。  私は、病院での検査した時はデータをもらい納得して治療を受けるようにしている。血液の検査をした場合は、どの病院でも検査データを手渡されるように、眼科の場合も同じで検査結果の写真をもらうようにしてきた。医師がパソコン画面で見せてくれる画像は、その時は分かっても日が経つにつれ忘れてしまうからである。  安定を保ってきた2016年であったが、2017年になると悪化したようだ。4月から12月までの間に5回注射し、今年も5月22日に注射し、10回目となった。

2. 困ったことの数々  昨年暮、パソコンの画面が突然見難くなった。左眼も見難くなったようだ。数日後、右眼の定期検診の時に、医師に左眼も診てもらった。断層写真では、中央部にやや膨らみがあるが加齢黄斑変性ではないという。たしかに薄い膜があるような見え方であるが、歪みはない。治療法はないという。念のため別の眼科専門病院で検査してもらったが、やはり治療法はない。  これまで右眼の不具合を左眼で補ってきた。それが出来なくなった。新聞が読めない、本が読めない、テレビに映る字幕の字が読めない。  手先がよく見えないため字が乱れる。パソコンの文字が小さく、書けないことにも困った。送るメールに誤字が多いとの指摘も受けた。  10メートルほど先から近づいてくる人の顔は一つ目小僧で鼻も口もないお化けのように見える。停留所に近づいてきたバスの行先が留まるまでわからないなどなど、数え挙げればきりがないほど不便な事の数々である。  自動車の運転にも支障がでてきた。発症した直後は運転を控えていたが、二か月経った頃から再開した。免許取得以来、事故を起こしたことはなく30年近くGold免許を更新中である。  しかし、警察の世話になるような事故はないが、小さな事故がふえてきた。距離感に狂いが出ているのかもしれない。2015年に買い替えたプリウスの左側サイドミラーを二年間で3回も破損してしまった。道路わきの電柱にぶつけたり、狭い路上に駐車した自転車に接触したりした。左側のドアーにもかすり傷が出来る始末である。自損事故には保険をかけていないので、その度に修理費がかかる。

3.タブレットの活用  毎日配達される新聞は、ルーペを使って読むことにした。しかし、ルーペをずらしながら記事を読むのは極めて煩わしい。そのうえ、手が震えるので焦点が定まらない。  そこで、アマゾンのHD8という電子書籍を兼ねたタブレットを購入した。キャンペーン期間中であったので、5000円程度で買うことが出来た。日経新聞の記事を無料でダウンロードすることができた。文字も大きくなり読みやすくなった。

 紙の本も同じである。ルーペ無しでは読めなくなった煩わしいことに変わりない。今まで、紙の本は本箱に収まるスペースがないので買わないようにし、アマゾンのKindleという電子書籍を利用してきた。しかしこれもサイズが小さく読みにくくなった。下の写真の左が今まで使っていたKindle用電子書籍、右がタブレットである。文字の大きさは同じであるが、見える範囲が広がり読みやすくなった。

 タブレットはスマホと違って、外出先ではインターネットに接続できず、そのままでは利用できない。携帯用のWIFIを購入する必要がある。WIMAXという製品を購入したが、説