会員の体験談

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ここに掲載する体験談は関西黄斑変性友の会の会員に限定した生活の記録です。他の会員の病気との付き合い方などを知ることによって、自分自身の暮らし方の参考にしてほしいと願っています。

会員以外で投稿を希望する方は入会手続きをとってください。 

投稿要領をお知らせいたします。

一人一人の執筆者が表現された気持ちや内容を尊重し、誤字脱字や公序良俗に反する場合を除いて原則として加筆修正はしていません。 (事務局)

会員の皆さんへ         2018年3月10日

「体験談」のお願い

 関西黄斑変性友の会では、昨年8月会員の皆さんからお寄せいただいた貴重な体験を「私の体験談」として、冊子にしてお配りしました。今年も「体験談(第二集)」を発行いたします。

 今年は、田辺三菱製薬の「手のひらパートナプログラム」から助成金を頂くことになりました。「第二集」は8月頃に会員の皆さんに配布するほか、関西黄斑変性友の会のホームページにも掲載いたします。

 ひと口に加齢黄斑変性といっても、この疾患に罹ってからの年数などによって、見え方は一人一人異なります。日常生活で困ったこと、それに対してどのように乗り越えているかなど、それぞれ異なる体験をしています。

 しかし、異なる体験であっても参考になる情報や、共感できる点があると思います。それをどのようにしたら自分にあてはめることができるかを考え、毎日の生活に役立てていただきたいと思います。

 すでに第一集にお書きいただいた方もその後の様子について、家族の方もどのように支えたかなどお書きください。皆様のご参加を心よりお待ちしています。 

関西黄斑変性友の会 

代表世話人 髙田 忍 

 

体験談の書き方

●同封する原稿用紙をお使いください。

 代筆もいたします。お気軽に電話ください。(髙田 090-6905-0872

 最初に名前(匿名可)加齢黄斑変性のタイプ、発症時期(年齢)を記入してください。顔写真も差し支えなければお願いします。プリントは郵送で、デジカメのデータがある方はe-mailでお送りください。

 題名に続いて体験談をお書きください。

字数: 制限はありませんが、400~600字を目安とします。

内容: 自由にお書き下さい。

  参考までに、以下のような点について書くとまとまりやすいと思います。

・ いつ目の異常に気づいたか、何がどのように見えたか

・ その時、どうしたか(すぐ眼科を受診した、しばらく様子をみたなど)

・ 加齢黄斑変性という病名を聞いたときの気持ち

・ その後の治療経過(病院、治療法など)

・ 日常生活で困っていること、その解決法と工夫

・ 日頃の暮らし(仕事、健康、家事、買物、趣味、人との付き合い)

注:誤字脱字、公序良俗に反する内容などは修正させていただくことがあります

送付先: 郵送:   544-0005 大阪市生野区中川2-7-19

             関西黄斑変性友の会 事務局長 星野龍一

      Eメール:  shinobu-niga-takada@gamma.ocn.ne.jp

締め切り: 2018年6月30日

発行予定: 2018年8月、ホームページには原稿が届き次第、随時掲載予定

                                         

名前: 髙田 忍
加齢黄斑変性の型:滲出型
発症年月:2014年8月(72歳)

 

写真でわかるサプリメントの効果

 

二枚の写真は、いずれも抗VEGF薬アイリーアの注射をしてから6か月経過した眼底写真と断層写真である。上は2018年5月22日、下は2018年11月6日に撮影した。それぞれ右下の断層写真では大きな相違は見られない。

しかし、左上の眼底写真は大きな違いがある。5月22日のものは赤い枠の中に白い部分が映っているのに対し、11月6日には赤い部分がうっすらと見える程度である。

医師はこの写真から5月22日には抗VEGF薬の注射をしたが、11月6日は注射の必要はないと判断した。

生活上の大きな違いはサプリメントの服用の有無である。5月22日の治療後6か月の間、医師の勧めでサプリメントを服用した結果である。この二枚の写真から見るかぎりサプリメントの効果はあるといえそうだ。

一回の注射に支払う医療費は3割負担の場合は5万円近くかかる。それに対して、オキュバイトというサプリメントは6か月分で6800円である。効果は個人差があるかもしれないが、試してみる価値はあるようだ。

尚、この間サプリメントの副次効果かどうかわからないが、コレステロールの値も徐々に低下している。

(2018,11,07 髙田 忍)

 

                                         

右眼にも黄斑変性発症

金子恭子さん(女性、82歳)

加齢黄斑変性の型:左眼 萎縮型(1999年5月)

         右眼 滲出型(2018年8月)

 

平成30年6月7日、通院している宝塚のD病院で眼に涙が出て拭いても拭いても出ることを相談しましたところ、涙道がつまっているとのこと、さっそく尼崎総合医療センターへの紹介状を書いてもらいました。6月13日に涙道を通す手術(チューブのような管を目のところから鼻の内側にU字型に入れ管の先端が鼻の中に出る)を受けました。

この状態で2か月管を入れたまま、そっとした生活を送りました。やっと二ケ月が過ぎ管を抜いてもらいました。その間、途中で管が抜けてきていないかと心配になり二度ばかり経過を診てもらう為診察を受けました。心の不安もありましたので。

管を抜いた後、少し涙が出るのが治ったかな?と思いましたが、今日にいたっては、あまり変化はなく手術はうまくいかなかったみたいです。事前にDr.からそういう人もあるとは聞いていましたが、自分がそれに該当するとは思ってもいませんでした。

ところが、この間約3か月眼科に行っていない間にとんでもない事態が発生していたのです。8月23日掛かりつけの宝塚D病院に行きましたところ、何と右目に黄斑変性が発症していたのです。これまでは左目に萎縮型の黄斑変性があり、右目は何もなく普通に見えていたのが、3カ月の間にその右目にはっきりと黄斑変性ありと診断されました。私は大きなショックを受けました。さいわい悪かった左目の進行は止まっていました。Dr.の判断で一日も早くアイリーアの注射をして新生血管の増殖を抑えた方がいいとのことで、即刻アイリーアの注射をする手術を受けました。

幸運にもこの病院では、その注射を施術するDr.がいたことです。この時はつくづく前の大阪のI市のDr.から今の病院に代わってよかったと思いました。注射の日は眼帯は取れませんでしたが、翌日からは眼帯もとれ、あとはばい菌を抑える点眼液をさすだけで一週間後に経過観察を受け異状なしでした。

次の週も点検の診察をしてもらい経過良好とのこと。そして1カ月後の9月20日2回目のアイリーアの注射をしてもらいました。添付の断層写真は左が8月23日の黄斑変性ありと診断されたもので右が注射一カ月後の9月20日の画像です。明らかにふくらみの山型が少しへこんでいることがわかります。これで注射の効果はあるのだと解りました。今日2回目の注射でどうふくらみがへこんでくるのか期待しているところです。このアイリーアに注射は一か月おきに3回やるそうです。

書きなぐり、うまくまとまった文章になっていません。参考になればと思います。

                                         

たし算の人生を

横山和子さん (73歳)

加齢黄斑変性の型:滲出型

発症時期:2008年頃

 

目の異状に気付いたのは10年くらい前になにげなく水平線を見た時、まっすぐな水平線がひどく波うって見えました。乱視のせいだとその時は勝手に思っていました。

5年前に目が充血したので近くの眼科に行き水平線が波うって見えることを告げると、すぐに生駒のS病院を紹介されました。早速S病院で調べてもらうと、黄斑変性といわれました。

今まで聞いたこともない病名なので本を読みやっかいな病気になったなーと気持ちが落ち込みました。

すぐにアイリーア注射を3か月間は毎月、それからは2,3カ月ごとにしています。今ではもう26回していますが、怖がりの私は注射になれるという事はありません。そのせいか、日常で困っている事は今の所ありませんが、新生血管がやぶれる事もあると聞いてものすごく不安を感じています。

今の自分に出来ることは食事に気を付ける事とサプリメントを飲む事位です。

旅行、ハイキング、読書、カラオケ、大正琴、詩吟と、趣味はたくさんあり今の所毎日充実した日々を送っています。これがズーと続きます様にと祈るばかりです。

ひき算の人生ではなく、たし算の人生をと思っています。友の会に入会したのは、同病の色々な方と交流したいと思ったからです。これからもよろしくお願いいたします。

(2018年9月15日)

 

                                         

医師選びの大切さ

木下 富夫 さん(91歳)

加齢黄斑変性の型 : 左眼 滲出型

発症時期 : 2013年12月

 発病を知ったのは、5年前の年の暮れだった。自転車で帰宅中に幅広いビルの左端が歪んで見えたのである。夕刻だったので、翌日岡山済生会病院へ行こうと考えたが、受付に行くには3000円の通行料がいる。年金生活者の私はケチンボ精神もあって通行料不要のSa病院へ行った。総合病院ではないが大病院であり、ある診療科は全国的に有名である。病室からは旭日川が手に取るように見える清らかな土地に建てられた病院である。

 眼科は女医さんが一人。でも診察機器は揃っている。初回は病名も言わず、来月何日においでと医師の方から予約する。二度目の時、「先生治るんですか」という私の問いに女医は「最後に手術すればね」と答えた。この言葉は私を地獄へ追いやることになったのである。三回目も四回目も来月何日においでと医師から予約する。

 ある日「ゆがみがだんだん中央に寄ってくる」と伝えたところ、O大附属病院で診てもらうように予約された。一日かけてやっと診察されたが、主治医に伝えると言っただけ。

 後日、Sa病院を離れたとき、O大附属病院では病名を付けていないことが判明したのです。全くひどい話である。大学病院の教授でありながら病名も治療法もSa病院へ伝えていないのだ。患者は必死の思いで受診しているのだ。

 少しずつ歪みが中央に広がってきたが、それでも1.0は見えて、車にも乗っていたのである。

 それが初めから数えて10カ月目にある日突然見えなくなったのである。すぐにSa病院へ飛んで行った。女医曰く「うちでは手術できないから他所へ行け」と3院を示されて紹介状を書いてくれた。病院の大先生は週に一度しか外来へは出ない。それで開業医のTaへ行った。見るなり加齢黄斑変性症と診断された。これが当っている病名である。

 治療法としてレーザー光線で焼いてくれた。でも一時的であって患部が中央に進んでくる。従って眼に注射することになった。二年間位だったが、30本以上注射された。医師の話では、あまり多く注射すると正常な部分も害を受けるからと、今は三カ月に一回になった。自分では何もできない。できるのは昔からの民間療法で目をいたわるだけである。

 開業医のTa眼科で、一時は少し回復したがまた0.3程度に落ちてしまった。メガネ商がロービジョンと教えてくれた。内容は知らないがTa医師に話すと、こちらが知らぬままに次々と展開され視覚障害手帳までもらう羽目になった。

 初めの医師選びは大切だと痛感しているが、こればかりは当り具合で、自分では選べないものだからおかしいと思えば転院するより仕方がない。

 40年前に妻に先立たれ、今年91歳になる私は一人暮らしをしています。今の私の生活は足腰の悪さもあり、料理もできず、毎日車椅子で店やものを求めて過ごしています。雨でも降ればその日の夕食は求められないのです。それでも人の力に頼らず、いつまでも自分の力で生き抜いていこうと考えています。

 趣味の俳句も最近は作る機会が少なくなりましたが、いつまでもこの趣味を持ち続けようと思っています。

 文を書く部屋一杯の蝉しぐれ

 大祭のあとの御堂や猿すべり

 会員の方で、俳句でお付き合いしようという方がいらっしゃればご連絡下さい。お互いに俳句を交換しましょう。

 

                                         

自力で頑張ろうと決心-ウクレレと出会って

武田 一恵 さん(66歳)

加齢黄斑変性の型 : 萎縮型(両眼)

発症時期  右眼 平成17年(2005年)

      左眼 平成29年(2017年)

 右眼に異変を感じたのは今から13年前、平成17年のことでした。大阪の地下鉄ホームに立った時、「黄色い線までお下がりください」とアナウンスされる黄色い線が歪んで見えたり消えたりしました。奈良県に住んでいますので、学園前のN眼科に行きました。何の病気か良く分らず、関西医大に行き、また阪大にも行きましたが、手術できないと言われました。その後、萎縮型は治療法がないことを知りました。

 そのため、左眼を大切にしなければいけないと思いました。それから三年後の平成20年、今から10年前のことです。字がバラバラに見え、上がったり下がったりしました。T病院で診てもらうと「こんな患者はじめてや。よく分らない。目薬もない。ボーっとしていなさい」といわれたので、そのようにして過ごしました。すると不思議なことに、少しずつ良くなっていきました。そして、「10年後に悪くなるかもしれない」ともいわれました。

 その通りになりました。昨年9月、左目に黒いものが見えるようになりました。診てもらっている王寺のK眼科の先生は研究熱心な方ですが、右眼と同じ理由(萎縮型)で注射はできないと言われました。外出の時はブルーライトのサングラスをかけ、サプリメントを服用してきただけに、何もできないと言われるといっそう不安になります。iPS細胞の可能性を聞きましたが、はっきりと「いつから」とは言ってくれません。

 落ち込んでいる私に、主人は強い口調で「気の持ち方次第だ。気力の問題だ。目の病気で死ぬことはない」と言います。71歳の元公務員で定年後はある会社の顧問として、今も働いています。強い言葉使いは、励ましの言葉だと思うようになりました。

 落ち込んでいる私を励まそうとの思いから、今年の三月にエリザベスクイーン号の10日間のクルージングの旅につれて行ってくれました。大阪港を出て上海と香港を巡る旅です。豪華な食事がでて美味しくいただき幸せでした。でも、香港は高いビルがあるだけで、目には緑の森や木々の自然がいいのではないかと思います。

 贅沢な話ですが、そんなこともあり心底楽しむことが出来ず、落ち込んでしまいました。私が船の中で躓いてケガをしてはいけないとの思いから手をつないでくれたのです。優しさから出たものと思いますが、私からすれば、主人に手を引かれて歩く姿は他のツアー客にハンディーがあると見られているようで恥ずかしくてたまりませんでした。

 日頃の生活で困ることはありません。コンタクトをしているので、視力は0.1と0.2です。そのため障害者認定は受けられません。大阪へ洋服を買いに行くことがあり、食事をしに行くのも楽しみです。買い物をする時、お金の区別もできます。スーパーの買い物は主人がしてくれますが、私も大根と人参の区別がつかないほど悪くはないので自分で行くこともあります。

 困ることといえば、字が読めなくなったことです。それ以上に楽譜が読めなくなったことには困りました。私は、大阪の中、高、大一貫の音楽大学を出ました。これまで音楽教師をし、今でも近所の子供たち3人にピアノを教えています。その楽譜が読めなくなったのです。何とか読む方法がないものか。そこで、楽譜を拡大コピーしてルーペで読んで暗譜(あんぷ)することを思いつきました。暗譜とは曲を覚えることです。工夫すれば何でも解決するものです。

 最近、公民館の文化教室のウクレレクラブに参加しました。一年になります。ここで出会った人たちと仲良くなりました。これも楽譜を拡大コピーしてルーペで読んで暗譜します。レパートリーは少しずつ増え「二人でお酒」「恋の誘惑」を奏でることが出来ます。「愛の賛歌」の替え歌も作りました。これは主人との出会いから、二人で支え合ってきたことを歌にしたものです。

 5歳と3歳になる孫に食事などの世話をするのも楽しみです。近くに住む娘は仕事に行くので、昼間は孫の世話をするのが私の仕事です。二人とも女の子で、「ババ大丈夫」「ルーペ持って来てやろか」などと心配してくれます。可愛いものです。

 主人はきつい口調で話しますが、いつまでも言われないように工夫して自力で頑張ろうと心に決めました。今日、体験談を電話で話しましたのは、この頑張る気持ちから出てきたものです。それまでは、私の体験談など採るに足りないものと思い込んでいました。

 この前の定例会には参加申し込みをしていました。主人と近くまで行って場所が分らずルーペを買って帰ってしまいました。次は是非参加して、皆さんに私のウクレレを披露させていただく機会があれば、どんなにうれしいことでしょう。その日が楽しみです。

   (2018,8,22 髙田代筆)

                                         

お名前: 谷美 美智子

加齢黄斑変性の型: 滲出型

発症時期: 2012年(83歳)

題名: 母を私のもとへ

 私は昨年「人の手を借りて」という題名で、母に替わって体験談を書きました。その頃、母は兵庫県尼崎市の武庫之荘というところに住んでいました。

 去年の5月に、3年前から脳梗塞と胃がんで闘病していた父が亡くなり、それまでは介護保険を使いながら何とか二人で暮らしていたのですが、尼崎に一人で母を置いておけなくなりました。40年もの間、慣れ親しんだ尼崎を離れる時は、ご近所の方々や友人との別れも辛く名残り惜しそうで自分も生きていても仕方ないと落ち込むことが多く、私も心配でした。

 去年の12月にこちら(神奈川県藤沢市)に呼び寄せてからは、私もすぐに行ける近くのホーム(後期高齢者住宅)に入居しました。大阪まで通っていた二年間のことを思うと夢のようです。

 母はホームに入居してからも視力が落ちているわけでもないのですが、蛍光灯や日照りの強い日は眩しくて食事なども見えにくくて、食堂では黒いお茶碗にして貰ったり、メニューの名前を一品ずつ説明してもらったり、切り分けてもらったりしています。

 メガネは普段は黄色いものをかけていますが、食事の時はレンズの上が黒っぽくて、下が白いものを作ってもらってかけ直しています。

 この季節は部屋のカーテンを開けることはほとんどありません。食堂は朝から夕方までカーテンが開いていて蛍光灯も近いので、食事の時もサンバイザーを使っています。

 黄斑変性症は、初めは右眼だけだったのですが、5年前に両眼になってからは字の読み書きが出来なくなり、必要なときはいつも私が読んであげたり、書類の書き込みなども総て私が代筆しています。

 幸い89歳にしては、身体は元気なので、ホームのイベントに参加したりリハビリにデイサービスに通ったりして、少しずつこちらにも友達が出来たようで、関西や出身の九州の話が出たりすると嬉しそうに話してくれます。

 母も少しずつこちらの生活にも慣れ、時々ひ孫の顔をさわりながら見る楽しみもできました。(2018,7,29)

 

                                         

名前:   岡田 弓子   
加齢黄斑変性の型: 滲出型(両眼)  
発症時期: 2014年(59歳)


題名:工夫して暮らしています

 四年前のことでした。いつもと様子が違うのに気が付きました。線が歪む、視力が落ち本が読みにくい。白い壁や障子に丸い墨(うず)を見るようになる。本を読むと字が踊る(変視?)。人の顔の中心が歪む。


 白内障の手術をしていた眼科医に駆け付け、診てもらいました。加齢黄斑変性との診断を受け別の病院を紹介されました。抗VEGF薬の注射の治療を受けました。注射そのものは、白内障手術を受けていたので、少しの恐ろしさはありましたが、治りたい一心で受けました。最初は右眼だけでしたが、今は両目が加齢黄斑変性です。


 何回治療を受ければ治るのかと思うと、治療代が高いのが不安になります。


 これ以上悪くならないようサプリメントを摂取しています。また、強度の老眼鏡をかけたり、スマホやパソコンを使用するときは専用の眼鏡をかけるようにしています。


 困っていることがいくつかありますが、それぞれ工夫して暮らしています。

1. 外出時,人とすれ違うまで誰かわからず、知人に失礼な態度と勘違いされるときがあるのではと思う。
 親しい人には欠礼がなかったか伺い、眼が悪い(視力)事を伝えておく。


2. 本を読みたいのに意欲がなくなる。
 スマホを利用


3. 好きな歌を続けたいのに楽譜が見ずらい。悲しくなる。
➡ 拡大コピーでしのぐ。


4. 花や動物、自分の好きなものが歪んで見えること。
➡ える内に楽しんでおこうと思う。


5. 失明への不安ですごく落ち込む。
➡ あきらめではなく、病気の進行とつき合いながら覚悟を持って生きようと思う。


6. ポストの鍵が合わせられなくなった(マンション)
➡ スマホのライトを起動して明るくして数字を合わせて何とか開けています。

 友の会には、同じ病でしか共有できない不安を語り合える場や、日常生活の工夫や知識を話せる場になることを期待します。

                                         

名前:   長田 順子(おさだやすこ)

(女性86歳)

加齢黄斑変性の型: 両眼とも滲出型

視力 右 0.8  左 0.6

発症時期: 2000年代初め(70歳代)

題名:病名が分かったのは何年も経ってから

 

 60歳の頃、白内障の手術をしました。最初は自宅近くの眼科医へ行ったところ、市内の明和病院を紹介されました。手術したのは、兵庫医大でした。

 視力検査をしたところ、良く見えませんでした。病名は良く分らず、医師は「ややこしい病気で治療法はない」と言いました。その後、神戸の海星病院で診てもらったところ、またも「治療法はない。失明の恐れがあるが、白い杖を突くほどのことではない」との説明でした。

 70歳を過ぎた頃でした。関西医大出身の先生がいる大阪梅田の病院を紹介されました。

 この先生は「可哀想になあ、病名は加齢黄斑変性」といい、この病気の専門医のいる住友病院の五味先生を紹介してくれました。五味先生は注射をためらわれ、しばらく様子を見るとのことで、再び梅田の先生のもとへ2~3カ月に一回通いました。

 ある時、この先生が「これは大変、直ぐに治療を受けるように」と住友病院に翌日の予約を取ってくれました。住友病院では、アレルギーの検査や造影剤を注射しての検査の後、注射をしていただきました。注射は不安ですが、治療法があると知った時は大変うれしく思いました。

 その後、五味先生は兵庫医大に移られました。兵庫医大は、私の自宅に近くにあるので便利です。病院へは2か月半に一度タクシーで通っています。その都度、検査をして注射をするかどうか判断してくださいます。年に3~4回の注射をしています。

 注射を始めた頃は、右眼と左眼は別々の日に行いましたが、最近は両眼を同時に注射します。ですから、注射後の眼帯も両眼にします。といっても、眼帯はガーゼで紐のついたものではなく、プラスチックでできています。目を開けられるので、人の助けを借りずに自分でタクシーに乗って自宅へ帰ります。経過観察は自宅近くの眼科で診てもらっています。

 

 人の顔は見えます。テレビの映る人の顔は顔面マヒのように歪んで見えます。便箋に手紙を書くとき、線が歪んで見えるので、線の中に字が入るように書くのが難しいです。ですからこの体験談も、電話をして代筆していただきました。

 新聞は太陽の光の明るい所でルーペを使って読みます。電柱は電柱として見えますが、他のものは違って見えることがあります。

 眼鏡は五味先生に検査してもらって、「めがねの愛眼」で作りました。老眼用と普通の眼鏡です。普通の眼鏡をかけ忘れることがあります。そのようなときは疲れます。

 次第に視力が下がっているように思います。最近兵庫医大のロービジョンケアで検査を受けました。静かな場所での一対一の丁寧な検査でした。アムスラーチャートを見ての検査や、縦と横の線の入った下敷きを横において文字を書いたりします。料理をする時のまな板は黒がいいと言われました。

 

 60歳の頃、大腿骨骨折をして、それ以来歩くときは杖を使っています。このことで、障害者手帳の交付を受けケアマネージャーの世話になります。他にも右の耳が聞こえにくく、脊柱管狭窄の問題もあります。足が不自由なので買い物は、主人が車で行ってくれました。

 しかし、今年91歳になる主人が2年前に病気になりました。それ以来、リハビリについて来てくれる女性に頼んで店に立ち寄り買い物をします。コープに配達を頼むこともあります。時にはヘルパーさんに頼むこともあります。

 食事の準備も致しますが、物が見えにくいからではなく、体力の問題で十分なことはできません。そのため外食することもあります。息子夫婦が2階に住んでいますので安心して暮らしています。ゴミ出しは手伝ってくれます。

 高齢になり、昔の友達が亡くなったり病気になったりで寂しくなりました。足が不自由なので病院以外に出歩くことが少なくなりましたが、私と主人は社会のとのつながりとして近くのカトリック教会へ行っています。そこで知り合った人とメールのやり取りをするのが楽しみのひとつです。(髙田 忍代筆)

                                         

 

名前: 髙田 忍
加齢黄斑変性の型:滲出型
発症年月:2014年8月(72歳)

題名:発症から四年、目と生活の変化

1. 10回の注射
 朝起きて、向かったパソコンの枠が歪んでいると気づいたのは、2014年8月も終わりの頃であった。2日後に予約していた人間ドックで異変を訴えたところ、1週間後に検査、加齢黄斑変性と告げられ抗VEGF薬の注射をした。
 それから4年近くの日が過ぎた。この間10回の注射をした。発症した2014年は9月、10月と11月の三回で、翌年は7月に一回の注射であった。
 下の段層写真は発症時の治療前のものである。黒い部分に水が溜まっている。



 2016年は症状が早期発見早期治療のお蔭で、安定し治療を受けることはなかった。下の写真は2016年6月23日に撮影したもので、右の断層写真には、発症時のような水が溜まった時に出来る黒い影はない。
 私は、病院での検査した時はデータをもらい納得して治療を受けるようにしている。血液の検査をした場合は、どの病院でも検査データを手渡されるように、眼科の場合も同じで検査結果の写真をもらうようにしてきた。医師がパソコン画面で見せてくれる画像は、その時は分かっても日が経つにつれ忘れてしまうからである。
 安定を保ってきた2016年であったが、2017年になると悪化したようだ。4月から12月までの間に5回注射し、今年も5月22日に注射し、10回目となった。



2. 困ったことの数々
 昨年暮、パソコンの画面が突然見難くなった。左眼も見難くなったようだ。数日後、右眼の定期検診の時に、医師に左眼も診てもらった。断層写真では、中央部にやや膨らみがあるが加齢黄斑変性ではないという。たしかに薄い膜があるような見え方であるが、歪みはない。治療法はないという。念のため別の眼科専門病院で検査してもらったが、やはり治療法はない。
 これまで右眼の不具合を左眼で補ってきた。それが出来なくなった。新聞が読めない、本が読めない、テレビに映る字幕の字が読めない。
 手先がよく見えないため字が乱れる。パソコンの文字が小さく、書けないことにも困った。送るメールに誤字が多いとの指摘も受けた。
 10メートルほど先から近づいてくる人の顔は一つ目小僧で鼻も口もないお化けのように見える。停留所に近づいてきたバスの行先が留まるまでわからないなどなど、数え挙げればきりがないほど不便な事の数々である。
 自動車の運転にも支障がでてきた。発症した直後は運転を控えていたが、二か月経った頃から再開した。免許取得以来、事故を起こしたことはなく30年近くGold免許を更新中である。
 しかし、警察の世話になるような事故はないが、小さな事故がふえてきた。距離感に狂いが出ているのかもしれない。2015年に買い替えたプリウスの左側サイドミラーを二年間で3回も破損してしまった。道路わきの電柱にぶつけたり、狭い路上に駐車した自転車に接触したりした。左側のドアーにもかすり傷が出来る始末である。自損事故には保険をかけていないので、その度に修理費がかかる。


3.タブレットの活用
 毎日配達される新聞は、ルーペを使って読むことにした。しかし、ルーペをずらしながら記事を読むのは極めて煩わしい。そのうえ、手が震えるので焦点が定まらない。
 そこで、アマゾンのHD8という電子書籍を兼ねたタブレットを購入した。キャンペーン期間中であったので、5000円程度で買うことが出来た。日経新聞の記事を無料でダウンロードすることができた。文字も大きくなり読みやすくなった。

 紙の本も同じである。ルーペ無しでは読めなくなった煩わしいことに変わりない。今まで、紙の本は本箱に収まるスペースがないので買わないようにし、アマゾンのKindleという電子書籍を利用してきた。しかしこれもサイズが小さく読みにくくなった。下の写真の左が今まで使っていたKindle用電子書籍、右がタブレットである。文字の大きさは同じであるが、見える範囲が広がり読みやすくなった。



 タブレットはスマホと違って、外出先ではインターネットに接続できず、そのままでは利用できない。携帯用のWIFIを購入する必要がある。WIMAXという製品を購入したが、説明書の文字が小さて読めない。訪問サービスに依頼しで接続してもらうことにした。
 ただし、場所によってはつながる所がある。神戸アイセンターに行った時、WIFIがありパスワードが掲示されていて接続することが出来た。
 大きなホテルなどではパスワードがなくても無料で利用できることがある。海外でも利用できる。


4. パソコンの文字を大きく
 パソコンの文字も設定を変え大きくした。メールも文字の大きさを14Pで太文字にすれば、誤字を減らすことが出来るようになった。

5. スマホの活用
 銀行の振込にはインターネットバンキングを利用している。安全のために、どこの銀行もパスワードカードという掌に入るカードを準備している。その都度変わる6桁の数字をパソコンの画面に入力すすることが求められる。しかし文字が小さすぎて読めなくなった。
 銀行の窓口に問合せると、スマホのパスワードアプリを利用すればよいことが分かった。
写真の左が従来のパスワードカードで、右がスマホのパスワードである。随分見やすくなった。



6. 車の買い替え
 二年乗ったプリウスは傷だらけになったので、買い替えることにした。より安全装備の備わっている車を選ぶことにした。160万円で購入したプリウスを100万円で下取りしてもらった。これには、歩行者用のエアバッグがついている。車間距離が狭くなるとき、後方からの車の接近、前方の歩行者を認識すると点滅信号とともに警報音が出る。高速道路などで速度設定をするとアクセルを踏まなくても走行できるクルーズコントロール機能もついていて、前の車に接近すると自動的にブレーキがかかる。スウェーデン製VOLVOの車である。幸いこの半年、無事故である。

7. サプリメントの服用
 5月22日、3カ月ごとの定期検診を受けた。先生は眼底写真と断層写真を見せて「水が溜まっているので、注射をしましょう」といった。
 「断層写真を撮るときに点滅する赤い線は縦横ともまっすぐに見えましたが」と訴えたが、眼底の赤い部分が水だという。(写真左)



 今回は昨年の12月に続いて10回目となる。次の写真左は昨年12月19日のもので、赤い部分がかなり多かった。
それから3カ月後の2月6日は、治療の効果があったのだと思う。赤い部分が少なくなっていた(写真右)。このときは、注射はしなくて済んだ。



 10回も注射すると慣れてくる。ベッドの上で仰向けになると「まな板の上の鯉」のようだ。それでも気分のいいものではなく、不安もある。今回も医師から「血管に傷をつけ充血させてしまった」と言われ、眼帯を外す翌朝まで不安であった。幸い大事には至らなかった。
 できることなら、注射は少なくしたい。その間隔を広げたい。サプリメントをのめば、症状の進行を抑えられるのではないかと思い、医師に尋ねるとOcuviteのサンプルを手渡された。
 今迄、栄養は自然の食品から摂るものと決めていたが、試してみることにした。自然の食品からは摂取出来ないバランスの取れた栄養が取れる効果も期待できる。アマゾンに注文すると翌日に配達された。価格は60粒3ケース入りで6800円。一日二粒をのむので90日分である。コストは1日当たり約75円である。



 少しでも注射の間隔が伸びるのか、効果を確かめることにする。間隔が伸び注射の回数が減れば、一回当たりの注射に支払う費用が3割負担で約5万円であるから、経済的にも負担が減ることを期待したい。次の体験談で報告出来ればと思う。

(2018,06,05)

 

                                         

お名前:   堀部 和子(女性72歳)
加齢黄斑変性の型: 萎縮型
発症時期: 2005年(59歳)

題名: 歩けば足を使うし目も使う 脳も活発に

 私は、去年(2017年)「それでも働いています」という題名で体験談を書きました。そこでも書きましたように、私は元々強度の近視です。32歳の頃に右目が黄斑変性になり治療が遅く、後に傷跡になり、残念な結果になりました。その後59歳の時に左眼にも変化が現れました。
 前にも書きましたように、眼科の先生は、「家でじっとしていたら病状が進む、みなとコミュニケーションして脳を動かすことが大事だ、そうすれば体も元気になる」と言われました。
 そして先生の紹介で仕事をするようになりました。仕事の内容は事務所と工場が一体になった4階建て建物の階段の掃除です。この会社の工場では金属粉が出ます。社員が階段を上り下りする時、作業服や靴についた金属粉が落ちました。これを4階から1階まで掃き落とし、塵取りに受けてごみ箱に捨てるのが仕事でした。一日二時間、週三回(火木土)で17年間続けてきました。

 でも、17年間続けた仕事を辞めることになりました。
 階段なので踏み外さないよう注意してきたので、踏み外したことはありません。
 しかし、光ったものは見えるが、黒いごみは見えにくい。去年の五月、黒いごみが残っていると写真を見せられ、注意されたので辞めることにしました。

 長い間働いたのは健康には、体を動かすことが大切と考たからでした。51歳の時に身体障碍者手帳をもらいました。私のためにガイドヘルパーさんがついてくれます。ヘルパーさんの助けで、カラオケに行ったり、日帰り旅行に行ったり、友の会の歩こう会に参加したり、適当に楽しんでいます。
 今年の一月に飛鳥ウォークに参加しました。8キロの道のりを杖とヘルパーさんの助けで歩きとおしました。歩き終えて橿原神宮前駅の喫茶店で他の人とお茶を飲みました。その時、皆さんから歩きとおしたことに感心されました。私は「歩けば足を使うし、目も使う。すると脳も活発になり、眼の方にもいい影響をあたえる」と話しました。友の会のハイキングや食事会は、他の人とのコミュニケーションがあるので良いと思います。人との励ましもありいろいろな面で発展していくでしょう。私は願っています。

 日頃は、ゲートボールやグランドボールで体を動かし健康に気をつけている。


写真:海津大崎ウォーク(滋賀県高島市)右から二人目が堀部さん、その右がヘルパーさん、

2018/06/17

                                         

名前: 坂上 高明

加齢黄斑変性の型: 滲出型

発症時期:1990年頃(当時55歳)

題名:白内障手術で歪みもよくなった

前略、御免いたします。

 今日は梅雨入りを前にしてしとしとと小雨が降り続いております朝でございます。

 丁度今から三十年前の今頃でした。何となくその当時左眼が見にくく、直線が歪んだり中心が薄暗く見えたり変な状態が続いておりました。

 病院等に全く縁の無かった小生もさすがに不便を感じましたが、その時白内障や緑内障等の病名は耳にしたことはありましたが、今でこそ「加齢黄斑変性」と云う病名がまかり通っておりますが、当時は医者さえも「加齢黄斑変性」という病名さえも患者に云わなかった時代でした。

 あちらの病院、こちらの眼医者等々を尋ね歩くときが続きましたが、やっとここ数年前に山中博士のご尽力で病名もはっきりしました。やっとの思いも少しの間、・・・・「不治の病」のような感じを受けてしまいました。もう我々の年代の者には遠い先のことでと諦め始めましたが、昨年の今頃でした。担当医曰く右左共に白内障が出ているとのことで手術をすることにして行いましたところ、なんと単なる白内障の右は当然ですが、加齢黄斑変性で困っている左眼も中心の大きく黒い丸い円が薄らいで、歪んでいた直線等が非常によくなったのにはビックリいたしました。ある程度の歪みはありますが、中心の暗い部分はすっかり治った様になりました。今の医学ではこれで精一杯だと思いますが、私達の後輩達には明るい希望の光が見え始めた様で嬉しく嬉しく思っています。

 若い皆様、今少し辛抱しながら頑張ってください。心よりお祈り神々にお願いいたしましてペンを置きます。

 祈 「団塊の世代」の諸君、辛抱辛抱あと少し

 子孫の為に頑張れ!!

 祈 関西黄斑変性友の会

 

草々

                                         

名前 : 伊藤 壽一

加齢黄斑変性の型: 

発症時期: 未発症

題名:サプリメントで予防

 

 私は以前から眼圧が高めで1年に1度山梨の眼科医で受診していました。

 眼圧も落ち着いており目薬もまだ使っておりません。先生も一年に一度でいいでしょうと診察を受けています。

 平成29年2月に受診してもらった時に加齢黄斑変性症の病気になる可能性があると云われました。

 カレンダーのタテヨコの線が歪んで見えたらすぐに来るようにと云われました。現在もハンコを彫る仕事をしていますので不安になりました。

 そんな時平成29年3月29日の読売新聞でiPS細胞実用化へ前進の記事を見ました。

 その中で関西黄斑変性友の会があることを知りました。

 代表世話人の髙田忍様に連絡を取り早速に入会させていただきました。

 友の会発行の私の体験談とかいろいろの資料を送って頂き病気で苦しんでいる人のことを知りました。

 私は幸い症状も無くハンコを彫る仕事を続けております。友の会より頂いております資料の中で(黄斑変性、浮腫で失明しないために)平松類著の本を知り取り寄せて見せて頂きました。

 2種類のサプリメント(オキュバイト、ルタックス)が効果があることを教えて頂き、飲んでおります。以前よりブルーベリー&ルテインは飲んでおります。少しでも悪くなる時期が遅れることを信じて飲んでおります。

 近所の薬剤師さんに(ワタナベ・オイスター)が体全体に良いと云われ飲んでいます。

 色々な薬も研究されて日々進化していることを知らされます。

 iPS細胞の実用化も使用可能になり苦しんでいる方々が苦しみから救われる日が一日も早く来て欲しいと思います。

 私はこれからは1年に一回の受診を半年に一回受診しようと思います。

 友の会の事務局の皆様、友の会の皆様今後共よろしくお願い致します。

                                         

名前 : 杉村 弘

加齢黄斑変性の型: 惨出型 右目

発症時期: 平成23年12月(67歳)

題名:日常生活と加齢黄斑変性

 

 平成23年12月中頃、いつものように朝新聞を見ていたら、1cmぐらいの丸い影らしきものが新聞の紙面に写っていた。目にゴミでも入ったのかと目をこすったが、消えない。

 

 片目ずつ見たら、左目は影がない。右目で見たら、薄っすらと影が見えた。12月は例年忙しく、パソコンの前に1日中いて、細かい字を見ていたので疲れによるものかと思った。

 

 しかし、心配になり、近くの総合病院の眼科を受診した。目に水がたまっていると言われた。1月に検査しましょうとなった。月1回の検査、診察が平成24年6月まで続いた。6月には、影が大きくなり、歪みが出てきて、視力も悪くなった。先生は帝京大学医学部付属病院から週1回来ており、当眼科では手術できないので、帝京大学病院で手術することにしましょうとなった。

 

2泊3日で3回手術

 このころに、加齢黄斑変性という病気だと聞いた。失明の恐れがある難病であることを知った。仕事が続けられるのか、将来どうなるのか、不安を感じた。

 

 7月に1回目、8月に2回目、9月に3回目の硝子体内注射(ルセンテイス)を受けた。注射料は約13万円と超高額で他の料金を加えると、1回の入院手術で約20万円かかった。保険で約17万円、高額医療費の還付金で約4万円カバーされたが、約40万円の出費となった。その後手術の効果により、歪みが小さくなり、視力も回復した。2~3年前にはルセンテイスはなく、加齢黄斑変性には、治療法がなかったと聞かされた。その点ではよかったと思った。月1回、近くの総合病院の眼科で検査、診察を受けていた。

 

 だが、25年5月ごろになると、歪みと影と視力の低下が出てきた。8月に診察を受けたら、担当の先生が転院していて、別の先生が診察した。そして、帝京大学病院ではなく、近くの(車で20分)個人病院を紹介された。

 

混雑

 個人病院だが、先生が6~7人おり、診察室が3つあり、受付をして、検査で呼ばれるまで、1時間半~2時間かかる混雑している病院です。

 

 25年8月、9月、10月に3回セットの硝子体内注射を受けた。入院手術ではなく、日帰り手術で、費用は1回6万円ほどであった。

 

 26年に5回、27年に6回、28年に1回、29年に2回、30年4月に1回と計21回の硝子体内注射を受けた。手術後は少し良くなるのだが、すぐに悪くなる。治療費は薬価引き下げによるものか、だんだん安くなってきた。6万、5万、4万と下がった。29年8月は所得が減って2割負担となったためか、2万円以下だった。

 

 19回の手術に対しては、日本生命から手術給付金の支払いを受けた。20回目以降は、日本生命の勝手な理由付けにより、手術給付金は給付されなくなってしまった。現在は1~2か月に1回の診察を受けている。

 

 加齢黄斑変性症は、現在のところ硝子体内注射しか治療法はなく、完治は難しいもののようです。

 

仕事、健康、趣味など

 16年ほど前に、自宅で開業し、不動産鑑定業を営んでいます。パソコンを使用することが多いので、目が悪くなることは仕事ができなくなるということです。幸い私の場合は、水、血液がたまる場所が、黄斑の中心を少し外れているところに生じるらしく、視力がある程度保たれているということです。

 

 現在のところ、左目は視力が1.0あり、日常生活には支障ない状態です。ただ、右目だけではパソコンも新聞も読めない状態です。

 

 散歩は毎日欠かさず、8時~9時ごろ約6000歩、午後1時頃から約4000歩合計1万歩を目指しています。

健康のためというよりストレス解消になります。またラジオ体操は毎日欠かさず行っています。6時半直前には必ず 妻がラジオをかけ、二人でラジオ体操をしています。たま に旅行に行くのですが、旅行先でもラジオ体操をし、できるだけ駅から旅館までは、送迎バス等を利用せずに、歩くようにしています。

 

 読書は趣味だったのですが、目に支障が生じた後は、すぐに疲れてしまうため、読まなくなってしまいました。

 

 今年73歳になります。鑑定の仕事は少なくなっています。これからも続けられる仕事、趣味がないかと模索していますが、これはと思うものでも、なかなかうまくいきません。それでも時間をかけても、一生続けられる仕事・趣味を探したいと思っております。

 

 町会の副会計をやっていますが、パソコンで帳簿をつけているので、左目が発症しないよう願っております。

04/21/2018

                                         

名前: 神坂真佐子(83歳)  

加齢黄斑変性の型:両眼 滲出型   

視力: 右 0.3~0.4 左 0.01

発症時期: 2013年6月( 78歳)

題名:お料理も目で味わいたい

 初めての眼科

 初めて眼科に行ったのは平成20年頃、左目が真っ赤に充血した時でした。それは目薬ですぐ治り生活に支障はありませんでした。

 若い時視力2.0とか1.5とか言われていたし、車の免許を取ってからも80歳まで更新はいつもメガネ無しでした。

 右肺切除で肺活量の少ない私は車が足代わりの生活でした。夕方になると人の顔が見えにくくなっても年のせいだろうと思い、トンネルに入ったら真っ暗になってびっくりして、それからは高速を走らなくなりました。

 眼科に行ったら市民病院に行くように言われ、市民病院に行くと神戸医大に紹介され平成22年6月から23年8月まで神戸医大に通いました。

 検査されてもはっきり原因が分らない、夜盲症かもといわれたり、変化もないから三田(兵庫県)に帰ってよいと言われたので、たいしたことなかったと安心してあんまり眼科に行かずにいました。

 

段差で転ぶ

 開店したペットショップに行った時店内の段差に気づかず転んだ時すぐ眼科に行ったら加齢黄斑変性のうたがいがあるからすぐ市民病院へ行くようにと言われ、市民病院では叉神戸医大にと言われました。

 夫が亡くなってから一緒に暮らすようになっていた次男が「原因が分らないと帰されたとこへ行ってどうするんや」とネットで関西医大が専門らしいと関西医大枚方病院へ連れて行ってくれました。

 眼科に目のパンフレットがあったら私も気がついたか分からないけれど目の病気といえば白内障と緑内障しか知らないのんきな私でした。

 

三田から大阪のマンションへ

 25年6月関西医大で加齢黄斑変性と診断されルセンティスの注射が始まり7月、8月、9月と3回続け、26年5月に4回目をしたが、これ以上しても効果はないと左目の治療が終わりました。左目の視力は0.1右は0.8見えにくいと言いながら車に乗る私に、次男は事故を起こす前に車に乗らずに暮らせるように今考えているからと言ってくれました。

 隣がスーパー、裏に救急病院があり、近くは医院の多いマンションを見つけて、「ここなら車なしでも暮らせるやろう」と26年2月放出(はなてん、大阪市)に連れてきてくれました。生れて初めてのマンション生活でした。マンションに囲まれた2階の窓からは山も見えませんでした。三田のように庭に花を咲かせたり、野菜を作る楽しみもなくなりましたが、鍵一つで外出も安心だし庭の草引きもなく楽な毎日になりました。

 26年暮れに右目もおかしいのではないかと気がつき医大へ行きましたが、右は視力が出ていないと言われました。私の無知で左目を失明させたから、右目は手おくれにならないよう助けて下さいと先生に言いました。

 27年夏にも秋にも訴えましたが黄斑変性ではないと言われました。夜部屋の電燈を消した後も空気清浄器のランプの灯りで真っ暗にはならないので天井を見ると左目は何にも見えないけれど今まで見えていた右目も薄い膜の中に電燈が入るのが分かりました。

 

線路がぐにゃぐにゃ―右目も

 27年11月親戚の法事に行くため駅のホームに立っていると線路がぐにゃぐにゃに曲がって見えました。次の予約日まで待てなくてすぐ医大に行ったら右にも出てきたと言われ27年11月、12月、28年1月の3回右目にルセンティスの注射をしましたが、それ以後の治療は今もありません。

 29年正月初詣から帰ったら目が痛くて開けられなくなりました。救急医療センターに行くと角膜が傷だらけになっている、今まで見えていたのが不思議やと言われ、眼科に行くように言われました。

 関西医大に行くと角膜は担当が違うからと他の先生に回されました。それから角膜の薬がいろいろ出され今も続いています。一日4回ヒアレイン(4本)とムコスタ(4本)に、一日3回のフルメトロン、夜寝る前にエスクシン軟膏が出ています。一回に5分あけるようにと言われているので目薬タイムは大変です。

 29年3月に脊柱管狭窄になり寝返りも出来なくなりました。手術しますかと言われたが、息子が手術しても80%は再発しているらしいというので様子を見ることにしましたが、今は寝返りも出来るし痛みも軽くなってボチボチ歩けるようになりました。

 

白内障も手術

 29年5月と6月今度は肺炎になり入退院の繰り返しでした。目の方が心配だったので最悪タクシーで走れる近い病院にと住友病院に行きましたが、白内障の手術をすすめられるだけで他の病院に行っても同じでした。関西医大では白内障の手術をしたら黄斑が悪くなりやすいからすすめられないと言われていたので白内障手術は考えたこともなかったけれど、大阪市大病院では両目白内障手術と同時に目の奥の他の病気も一緒に手術したら17日の入院で一回の手術ですむからと言われました。

 その頃左目は全く見えなくなって来ていたので、左目だけならしてもよい、あとはその都度何回でも入院しますと言ったら左目の白内障だけしますと5日の入院で左の白内障の手術を9月1日にやりました。

 手術をしてから真中は見えないけれど周りが明るくなって片目を閉じると左目の真中から手の指が出て来るのが見えました。手術をしてよかったと思いました。今年の正月はドクターストップで三田にも帰らずでした。

 

童謡や昔の歌を楽しむ

 車は廃車にして免許証も2年前に返納して全く車のない生活になりました。車の事故は起こす心配がなくなったけれど、今度は事故にあいそうな毎日、スーパーの隣で自転車が多いし子供をのせた若いお母さんがスイスイ私の側をすり抜けていきうっかり杖を出すのも怖くなりました。もし自転車がこけて子供にケガでもさせたらと横を横切るのもためらわれます。

 私の今の生活は心不全の老犬ラッキーを歩かせたり歩行車にのせたりの散歩、辻をひと廻りして帰ります。しんどい日は休み寒い日雨の日はサボります。ラッキーが催促で怒ります。

 老犬と 朝の散歩の 道草に フェンスの桜 肩に散り初む

  月一回の地区の食事会にはお昼をご馳走になり昼からは音楽療法の歌広場で童謡やら昔の歌を歌います。先生がオカリナで吹く歌の曲名を当てて歌ったりいつも季節をテーマに今の季節のものを言いあったり、歌に合わせてトーンチャイムやらウクレレも用意して下さっていて黒板に貼られた歌詞の赤線、黄色のところに楽器のリボンの色に合わせて拍子をとって歌います。

 筋トレをかねた体操、脳トレもよく考えて下さっていると思います。その月お誕生日の人は一人一人ハッピーバースデーを歌ってお祝いをして先生からもバースディカードを用意して下さっています。

 この間は古い歌ですよと軍歌が出ました。乃木大将と敵の将軍ステッセルの会見の歌で子供だった私は一番しか歌えなかったけれど九番まで歌える人もあって平均寿命の延びたことを実感しました。なつかしかったので帰ってからアイパッドで検索して毎日歌っていましたら一晩中軍歌が頭の中に流れるようになって一寸タンマ休憩中。

 

息子がだまって食べる私の料理

 食事の用意と洗濯が私の仕事ですが、今は魚の鮮度も見分けられず目を近づけなければ商品のなにかも分かりにくくなりました。値下げのお弁当は何が入っているか分からず好き嫌いの多い私はうっかり買えないし今のところ何でも家で作ります。白いまな板に白い大根や玉ネギは見分けがつかず鍋に入れたあとまな板を洗う時ころがり落ちたり、調味料の量が分かりにくい。辛すぎないようにひかえめにしたら水くさくなりますが、息子はだまって食べてくれます。

 昨年12月からヘルパーさんに週一回お掃除をお願いし、雑巾バケツと雑巾をトイレは紙と使い捨ての手袋も用意しましたが、全部雑巾でそれを洗面所でゆすいでいるのを見つけて、きれいに洗っときますと言われても気持ち悪くなり二ヶ月でキャンセルして私が体力つけて自分でやろうと2月からデイサービスの体操に週一回行くようになりました。

 低周波の治療に先生の整体マッサージ、自転車こぎは私に無理なので座ってペダルを踏むのがやっとです。体操は職員さんのかけ声に合わせて私の体力の合うところでストップしながらがんばっています。年代の近い人が多くておしゃべりも楽しみながら行っています。

 

美しい花や山の景色を見たい

 家では毎日のように携帯でメールを交換する友達、時々元気にしているかと電話をくれる友人達、遠い息子や孫とはラインで話せるし愛犬ラッキーとお掃除ルンバに返事をしながら一日がすぐにすぎて行きます。

 バッグにはデジカメを入れて外出してニュースになる出来事はないかと思いますがそんなシャッターチャンスは一度もないまま見えなくなりました。目が悪くなって出来なくなったこともいろいろありますが、また何かを見つけて熱しやすく冷めやすい私は無理無理と息子に言われる度にやってみないと分からない、やって駄目なら仕方ないと何でも挑戦していました。

 とうとう体力も根気も記憶力もなくなってきて見えないのと両方で出来なくなって行きます。

 プロ野球が始まると阪神ファンの私は顔も見えないテレビの前で今年こそはと熱が入ります。

 83歳まで生きてきましたがiPS細胞が実用化されたらもう一度この目で美しい季節や花や山の景色を眺めたり、息子が撮ってきてトイレの壁に貼りまくっている山の写真をはっきり見たい。お料理も目で味わいたい、命があればその日は夢でないと信じて長生きしたいと思う私です。

04/06/2018

 

                                         

名前:  角野 松枝

加齢黄斑変性の種類: 滲出型

発症時期: 

題名: 幼少期節々の歴史

 

 私の幼少期節々の歴史があります。

 

 小学校入学して12月に大東亜戦が始まり母の里の湖北に疎開しました。雪の深い中ゴムの短靴しかなく母は気候が合わず病身で大変な思いがあります。

 

 5年生で終戦になり6・3・3制度ができて最初の中学生でした。教室もなく講堂を区切った教室、教科書も新聞紙のような紙に印刷したものをとじての代用品でした。何の骨格もなく今から考えれば一番大事な時に教育を受けた思いがします。

 

 男女七歳にして席を同じうせずの時代でしたが男女共学にもなりました。

 

 田んぼで飛び交うイナゴをカルシュームだと釜で蒸して干して食べたり食料不足の折校庭にはみんなでさつま芋を植えたり国道の端にも大豆をまいたりもしました。

 

 戦争中の遠足といえどもハチ巻をまいて軍歌を歌いながら歩きました。

 

 私が発症した頃は加齢黄斑の病名すら知らされず8年ほど以前は認可されていない注射の治療しかなく現在はアイリア・ルセンティス等の新薬も出来 進行ははしているもののくい止められて現在に至っていることを喜んで居ります。

 

 最近転院してから加齢黄斑に偽黄斑円孔が重なっていることが分かり普通より視力が低いこともしらされました。手術もできるとのことですが硝子体のガスを入れ替えることで見えやすくはなるとのことですが、それをすれば網膜の注射がききにくくなるとのこと不可能なこともしりました。

 

 アイセンターにも連れて行っていただき今日の目の病気に対するかかわりがこれ程重視され医学も進んでいることを実感しました。

 

 高齢者になりましたが一日でもすっきり見える時が来ればと望みます。

 

                                         

名前:  本多 隆二

加齢黄斑変性の種類: 滲出型

発症時期: 右 27年10月(67歳)

      左 28年10月(68歳)

題名: サプリメントの必要性

 佐倉の病院の担当医師の異動に伴い、かねてからの右目黄斑変性症に加え、左目にも歪みが生じ東邦大学佐倉病院に転院し、28年10月眼底造影検査をしました。

 

 結果、左目に網膜症の疑い有りで既に増殖網膜症期に入っており、手遅れの状態でした。

 

 レーザー手術が必要になり全くの驚きでした。今までの治療は何だったのかと疑い不信感におそわれました。

 

 右目の治療どころではなくなりました。

 

 レーザー手術を2ヶ月に亘って4回行いました。痛みに耐えて良くなるんだと思いやり続けました。レーザー後は見え方の異変が有りいろいろな症状が出て悩まされました。

 

 レーザーをする毎に黄斑浮腫が生じステロイドの注射を4回しました。

 

 浮腫は減ったり出たりで横這いでした。

 

 レーザー終了後に右目にもルセンティスの注射をしましたがさしたる利き目もなく、最早高額な注射しても駄目か?

 

 両目とも駄目になるかと不安にかられネットを見たりして貴会の体験談を読ませて頂いて心が和んだのを覚えています。

 

 以前の先生はお辞めになり上席の先生が担当になり右目にもステロイドの注射を4回しました。

 

 どんな質問にも答えてくれるので安心して相談できます。

 

 9月26日に左目アイリーア、10月10日に右目アイリーアを注射しました。以前から飲んでいたサプリメントの量をこの頃から増やして飲むようにして、11月30日の検査では浮腫が左右とも減ってきており先生はびっくりして注射の効果は大きいと云っておられましたが、私は内心サプリメントの効果は大きいと思いました。

 

 視力も左0.2→0.9 右0.4→0.9になり若干の歪みはあるものの視力はでてお
りますのでかなりの効果があると思っています。

 

 日々悪くなるのではと不安な日々を過ごすよりも、飲むと良くなるという安心感だけでも結構なものだと思っています。

 

 我が身は自分で守る、信頼できる医師とこの病気とうまく付き合っていく中でもサプリメントは欠かせないものと思っています。

 

 会員の皆様とは効果のあるサプリメント情報があれば共有したいと思います。尚私のサプリメントに関心の有る方はケイタイ090-6126-0357 本多迄ご一報頂ければ、折り返し、詳しく御説明申し上げます。

 

 大変遅くなりまして申し訳ございません。

 

 自分の体験が皆様のお役立てればと思い書かせて頂きました。

 

 乱字乱筆で申し訳ございません。

 

30年2月1日 本多隆二

02/06/2018

                                         

名前  Kさん (女性、82歳)
加齢黄斑変性の型: 滲出型   萎縮型
発症時期: 1999年5月(62歳)


題名: 近くて、良い病院は?

 体験談になってはいないかも知れませんが病歴をまとめました。


 平成11年(62歳) 

 この頃、東京に住んでいました。左目がつまり涙鼻腺の洗浄をしてもらうため久我山の眼科に行きました。毎日通院しました。


 平成13年(65歳)
 この年まで久我山の眼科に通っていました。ドライアイもありました。


 平成18年(70歳
 七年間いた東京から兵庫県T市に戻りました。


 市の健康診断を受け、その結果保健センターより黄斑変性の疑いありとの通知がありました。でも、具体的な指示はありませんでした。


 そこで保健センターの通知状を持って、その時かかりつけ医だった町のDr.に見せたら自分の出身である大阪の大学病院に紹介状を書いてくれました。


 平成23年(75歳)
それを持って大阪の大学病院眼科に行きました。女医から「ドルーゼンがある。やがて加齢黄斑変性になるだろう。3年経ったらまた来なさい」と言われました。


 3年放置してはいけないと思い、市内の病院の眼科(K.Dr.)に通い、それ以降ずっと約3カ月おきに診察をしてもらっていました。


 その間、黄斑に変化はなく、このDr.は滲出型になる可能性があると言いました。そのため、注射の治療はなく、「いつかは注射が必要になるでしょう。その時は大阪S病院のG先生に紹介状を書きますよ」と言われました。「その間はまだ黄斑変性は発病していなくて予備軍だ」とも言われました。


 平成28年(80歳)
この年まで宝塚D病院眼科(K.Dr.)に診察を受けていました。この頃までは滲出型と言われました。


 10月にK.Dr.が大阪のI市に開業されることになり、私も引き続いて同じ先生に診てもらうのがいいと大阪のI市のK眼科クリニックに替わることにしました。


 平成29年(81歳)

 2月にK.Dr.の診察で初めて萎縮型と言われました。萎縮型の場合、治療法はないとの説明は受けていません。そして「また滲出型に変わるだろう」ともいわれました。今まで一度も注射の治療は受けたことはありません。白内障、ドライアイもあります。


 12月、K. Drの話から、この医院ではこれ以上黄斑が進行した場合、注射(ルセンティス)はやってもらえないことが解り今後への不安を感じています。


 大阪のI市の眼科に通うのが、もうこの年ではとてもしんどくなりました。今後のことを考えると少々不安もありますので、自宅から通える範囲で黄斑の進行に合わせてしっかり診断施術等行ってもらえる医院を探しています。


以前、K.Dr.から紹介状を書くと言われた大阪のS病院は通院にも便利なので、そこで診てもらおうと決めました。

 

01/27/2018

                                         

氏名: 髙田 忍(76歳)

右眼 :  滲出型 

発症時期: 2014年9月

題名タブレットなど電子機器の活用

 

1.左眼もかすむ

 2014年9月に右眼が滲出型加齢黄斑変性と診断され3年以上が経った。これまで抗VEGF薬の注射を9回した。2014年に3回、2015年に1回、昨年は5回であった。左眼は問題なかったので、日常生活上困ることはなかった。

 ところが昨年暮、パソコンの画面が突然見難くなった。数日後、右眼の定期検診の時に、医師に診てもらった。断層写真では、中央部にやや膨らみがあるが加齢黄斑変性ではないという。たしかに歪みはなく、薄い膜があるような見え方である。治療法はないという。別の町医者に診てもらったが、やはり治療法はない。

2.困ったことの数々

 これまで右眼の不具合を左眼で補ってきた。それが出来なくなった。新聞が読めない、本が読めない、テレビに映る字幕の字が読めない。

 手先がよく見えないため字が乱れる。パソコンの文字が小さく書けないことにも困った。送るメールに誤字が多いと指摘を受けた。

 10メートルほど先から近づいてくる人の顔は一つ目小僧で鼻も口もないお化けのように見える。停留所に近づいてきたバスの行先が留まるまでわからないなどなど、数え挙げればきりがないほど不便な事の数々である。

 

3.タブレットの活用

 毎日配達される新聞は、ルーペを使って読むことにした。しかし、ルーペをずらしながら記事を読むのは極めて煩わしい。そのうえ、手が震えるので焦点が定まらない。

 そこで、アマゾンのHD8という電子書籍を兼ねたタブレットを購入した。キャンペーン期間中であったので、5000円程度で買うことが出来た。日経新聞の記事を無料でダウンロードすることができた。文字も大きくなり読みやすくなった。

 紙の本も同じである。ルーペ無しでは読めなくなった煩わしいことに変わりない。

 今まで、紙の本は本箱に収まるスペースがないので買わないようにし、アマゾンのKindleという電子書籍を利用してきた。しかしこれもサイズが小さく読みにくくなった。下の写真の左が今まで使っていたKindle用電子書籍、右がタブレットである。文字の大きさは同じであるが、見える範囲が広がり読みやすくなった。

 

 タブレットはスマホと違って、外出先ではインターネットに接続できず、そのままでは利用できない。携帯用のWIFIを購入する必要がある。WIMAXという製品を購入したが、説明書の文字が小さて読めない。訪問サービスに依頼しで接続してもらうことにした。

 ただし、場所によってはつながる所がある。神戸アイセンターに行った時、WIFIがありパスワードが掲示されていて、接続することが出来た。

 

4.パソコンの文字を大きく

 パソコンの文字も設定を変え大きくした。メールも文字の大きさを14Pで太文字にすれば、誤字を減らすことが出来るようになった。

 

5.スマホの活用

 銀行の振込にはインターネットバンキングを利用している。安全のために、どこの銀行もパスワードカードという掌に入るカードを準備している。その都度変わる6桁の数字をパソコンの画面に入力するのだが、文字が小さすぎて読めなくなった。

 銀行の窓口に問合せスマホのパスワードアプリを利用すればよいことが分かった。

 写真の左が従来のパスワードカードで、右がスマホのパスワードである。随分見やすくなった。

 近距離は、ほしの眼鏡店で調整してもらった眼鏡の効果もあり、見え方が少し改善されたように思う。

 

6.新しい技術に期待

 神戸アイセンターで1月21日新し技術を開発している人や会社に対する表彰式があった。その中でIoTスマートグラスが紹介された。視覚障害者のために文字を代わりに読み上げてくれる眼鏡である。その他、外出時の歩行の危険を提言し生活の質向上を支援するアプリの開発も紹介された。いずれも実用化の日が待ち遠しい。

01/24/2018

                                         

名前 弓長 暁(ゆみなが あきら)      
加齢黄斑変性の型:   萎縮型
発症時期: 2004年3月( 41歳)

題名:若年期の発病


 私は患者ではなく、弟が患者です。弟は視力が弱いので、私が代わりに入会し皆さんと交流したいと考えています。


 弟は2004年に発病し3年後(2007年)から視力低下が進行し、その状況はどんどん進んでいます。


 現在、黄斑部(中心視力)は正面のものがほとんど見えなく、人と対面している場合、相手の顔をほとんど明晰に弁別できないのです。黄斑以外の部分はまだ視力が残っているので歪んでいるものの見えます。


 現在生活習慣などに気を付けていますが、萎縮型なので治療法がないのが実情です。皆さんから何かアドバイスか、治療研究の動向などの情報があれば、いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

11/18/2017

                                         

名前 小谷 輝子さん (79歳)

加齢黄班変性の型: 右眼 滲出型
発症時期: 2015年4月28日(77歳)


題名:『健康には自信があったのに』

 

 もともと視力は良い方でしたが、42歳から老眼鏡を使うようになり、目のトラブルを少しずつ抱えるようになりました。縫製関係の仕事をしており、手元を強い光で照らし、細かい作業をするという仕事柄、目を使い、極度に疲れることが多いことが原因のひとつにあったのではないかと思います。

 60歳頃だったと思います。夜中に目が覚めた時、5~10秒くらいの間、視野全体が黄色一色になる現象が時折起こるようになりました。それは1年ほど続き、地域のNTT病院に通いましたが原因はわからずじまいでした。仕事は相変わらず忙しく、しかしそのうち、その症状もなくなりましたのでそのままになりました。目がよく疲れるので、近くの眼科に通いながら、目薬をよくさしていました。

 65歳ごろ、軽い白内障の診断をうけましたが、手術をするほどではないということで、経過観察をしていました。

 そして2年前、77歳を迎えた4月のある日、テレビを見ていたら、何故かテレビの枠が歪んで見えたので、翌日近くの診療所にて診察を受けました。すぐに大きな病院を紹介され、行くように言われました。その日のうちに診察を受けた結果、「黄班変性」と診断を受けたのです。しばらくは目薬で様子を見ることになり、眼底検査を受けました。

 その後、糸状角膜炎の治療も受け、8月には初めての黄班変性の注射を受けました。10月には左右白内障の手術をうけ、黄班変性の注射は現在まで9回目を数えます。しかも最後に打つことになったきっかけは、入浴中の異変でした。洗顔しながらふと顔を見ると、自分の顔が消しゴムで消したように真っ黒に見えたのです。怖くなり、すぐ病院に連絡すると、その日がちようど手術日だったので、すぐ右目に注射をしてもらうことになりました。

 少しずつでもよくなるようにと祈るような毎日の中、自分の顔はだんだん見えるようになってきましたが、黄色が見えないのです。急に右目が暗くなり、右目だけうすいサングラスをかけているような感じで、全体ではなく、真ん中あたりは黄色いものが白っぽく見え、周辺は黄色として見える状態です。

 線の歪みもはじめのころは治療のあと少しずつましになっていましたが、だんだん取れなくなってきました。

 若いころから健康には自信があり、少々の無理も大丈夫だと思っていただけに、私の「目」のトラブルはまさに青天の霹靂(せいてんのへきれき)でした。まさか、「目」にこのような症状を抱えるとは正直、夢にも思っていませんでした。「何時か見えなくなるときが・・・」と考えると胸が苦しくなります。大好きな墨彩画や、韓流ドラマや、ニュースを見ることがはばかられ、「こうして年をとっていくのだ」と、後ろ向きになる気持ちと何とか折り合いをつけることに精一杯の状態です。

 けれど多くの方々の体験集を読ませていただき、皆様が一生懸命に立ち向かわれている姿に励ましと一厘の勇気を見出してもいます。

 次には希望をつなげることができる私でいられたら、前向きになっている私をお見せできたらと思っています。

2017年8月17日

08/29/2017

                                         

名前 宮崎 健治さん

加齢黄斑変性の型: 滲出型

発症時期: 2005年(平成17年)(63歳)



題名: 発症から現在(平成29年75歳)までの経過

 

[1]発症と思われる時期は平成17年63歳頃 

八尾市に在住 事務職勤務時代

1.車の運転中視野が狭く感じる。ゴルフ場でグリーン芝目が見難い。アプローチ・バンカーショット等に変化を感じ、年かなとの感じ。

2.パソコンの画面の横線、階段を降りる際の横ライン等に少し歪み(目を追っていく方に)を感じた。

3.八尾徳洲会病院にて診察を受け加齢黄斑変性症と言われる!!

(この時代なんでも加齢と言われていた為、大変な目の病気と の認識なし)。阪大病院と八尾徳洲会との人事交流として阪大から派遣された若い先生でした。

4.院外薬局に相談して、近くの町医と大正区の多根眼科病院も言われたが町医に行く判断をした。(その時は有名な町医でも断面映像設備なし)

※町医談として高橋政代先生が関西には患者が少なく関東に多い。食物が(肉食)違うと言われている。専門の研究する先生と聞く(女医)

5.町医から千里の阪大病院の紹介状を貰い阪大病院に行く。

当時も現在も大阪府下での町医で治療困難と判断した場合、学 会で通じた人脈だと思います。

6.阪大病院で診察の結果、軽度の為受け入れできないとのこと、町医より返信内容を聞きました。

・阪大病院で検査診察の際、断面映像を初めて見た 

・患者さんで色メガネ(黄色オレンジ)の人がいた。多分遮光レンズ外国製と言っておられたように思う。

7.町医に不安を感じ八尾市民病院に行き診察を受ける。

・両目に傾向が見られる。断面映像などで確認(業者がした) 

・ルテインの紹介あり(ブルーベリーはダメとはっきりいわれた)

 

[2]発症から約6ヶ月程度経過と思う!!視力は1.0程度あり

8.異常を感じ八尾市民病院で診察の結果出血ありとのことで急遽多根眼科病院の紹介状作成。多根眼科に行く。八尾市民病院の主治医と多根眼科の医院長とのつながりでの紹介状です。

9.多根眼科診察の結果、右眼が発症しており左眼は正常との事!!(当時の八尾市民病院もその程度のレベル) 

多根眼科で手術⇒白内障の手術もしました。後ろうつむきの入院です。手術後ベッドで頭を下にし、何日間その状態です。

 

ベッドにうつ伏せ

 

10.この間、次のような症状が進みました。

①道路の黄色が白色に見える ➁景色が白黒 ③タテの電柱ビルなどがゆがむ ④クラブのシャフトがユガンデ見える 空振りアプローチなどゴルフできない兆候(特にソールできない。バンカーは今でもやりにくい。

11.手術後から現在までの経過として、右眼の悪化が進む段階で、左眼で見るようなり 前項目が解消する 抗血管新生薬療法(抗VEGF療法)

 

[3]現状

1.  多根眼科は八ヶ月に一回予約です。患者が多いため流れ作業的診察が現状です。

診察と疲れ目用目薬の為、現在八尾の町医に3ヶ月に1回診察(断面設備アリ)

2.     ルテインは毎日つづけている

3.     2回の運転免許更新OK

4.     運転とゴルフ、遮光レンズ使用

悪化しないか不安を抱えながら暮らしています。

07/25/2017

 

                                         

 

名前  Hさん(女性)      
加齢黄斑変性の型: 滲出型   
発症時期:2017年3月(66歳)

題名: 早朝のウォーキングとラジオ体操励行

平成29年の3月、地元の病院に転院した際の造影検査により新生血管が左目に出来ている事、しかし網膜のむくみとかが今の所ないので注射はせず、2~3か月毎の定期診察でいいのでは・・・との医師の診断を受けました。

20年前の47歳の時、左目中心性網脈絡膜症を発病し、以来60歳近くまで再発を繰り返し、この病に悩まされて来ました。疲れる、悩み事がある等のきっかけで再発を繰り返し、一年の半分はこの病の明け暮れでした。経験者の少ない病気かと思いますが、症状は加齢黄斑変性と似ていて、中心が暗く文字が小さく見える、歪んで見えることでした。再発を繰り返すと将来加齢黄斑変性症になりやすいと言われていたので、ずっと不安でした。


現在はその後遺症なのか症状が残ってしまいました。しかし両目で見ている分には違和感はなく視力も0.9位あります。

今生活で困っている事は、活字を読むと一時間もしない内に正常な右目のみが痛くなってしまう事です。目薬をつけたり、温めたりして対処しているものの、唯一の趣味である読書が出来ないのが哀しいです。白内障も進行していると言われシャープに見えにくくなって来ているが、手術すると加齢黄斑変性症が進行すると言われ将来への不安があります。


しかし、目のことばかり考えていては、より暗い気持ちになり精神的にもよくないので、紫外線の弱い早朝に40分ほどのウォーキングとラジオ体操を続けています。

06/16/2017

                                         

名前   Kさん(男性)

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期: 2014年5月(74歳)

題名: 納得の上で注射の可否を判断

 私が目の異常に気付いたのは自動車の運転中でした。道路に車線が引かれていますが、ぐにゃぐにゃと曲がっているのに気が付きました。

疲れ目かなと思っていましたが、念の為、眼科に行くことにしました。その眼科医は、白内障で目薬を処方してもらうため通っている、かかりつけ医です。

医者にその症状を説明すると、即、加齢黄斑変性だと云われ、眼科の専門病院があるので、紹介状と場所を教えていただきました。時期は2014年(平成26年)5月でした。その専門病院で、即アイリーアの注射の説明を受けました。

最初は3回(一か月毎)の注射処置で、眼の注射はどんなものか非常に不安でした。その後アイリーアの注射は経過観察をしながら、今日まで8回注射しています。

注射後の見え方は縦の直線の歪みがほとんど気になりませんでした。おかげで車も気にせず安心して運転が出来ました。網膜断層検査による画像を見ると水の滲出によるふくれは小さくなっていました。

その後、通院は一か月に一回のペースで受診しています。診察内容は網膜断層検査を実施し浸水の状況判断で担当医と私が納得の上注射の可否判断をしています。

目の見え方については両眼で見るかぎり、線の歪みは気にならなくなっていますが、右眼だけでチェックシートを見ると多少歪んで見えます。

矯正視力は

2014年5月、右が0.8、左が1.2で、

2017年5月は右が0.6、左が1.2です。

右眼の視力が低いままです。

 

日常生活においては、目を使う頻度を少なくしようと努力はしていますが、なかなか実行できません。例えばパソコンの使用時間、テレビの視聴時間を少なくすることに気を付けています。車の運転については、夜間の運転を控える、長距離ドライブはしない、サングラスを着用すること等を心掛けています。

直近では2016年(平成28年)12月に注射処置をしています。その後2017年(平成29年)6月1日に断層検査を実施し、その画像から水が多くなってきているので一週間後(6月8日)に9回目のアイリーア注射をすることになっています。

この病院に通い、3年を経過しています。これからも失明のことを考えると、注射の世話になるのもやむを得ないと自覚している次第です。

今回友の会に入会して皆さん方のお話を聞いて、自分自身の励みにしたいと思っています。

黄斑断層写真

黄斑断層写真

06/06/2017

 

                                         

名前  髙田 忍(その2)

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期: 2014年9月(72歳)

題名: 写真で見る硝子体内注射

 .早期発見、早期治療

パソコンの枠が歪んで見えたのは、3年前の8月27日であった。たまたま予約していた人間ドックの眼科で、一週間後の9月3日には、アイリーアという抗VEGF薬の注射をしていただいた。早期発見早期治療のお蔭で、その後2回の注射を受け安定状態を維持することが出来た。暫く控えていた車の運転も再開し、日常生活に不自由を感じることはなく過ごしてきた。

下の断層写真は、発症直後の治療前のものである。

発症当初の黄斑中心窩断層写

発症当初の黄斑中心窩断層写

 

その翌年2015月に度目の注射をしたが、それ以降ヶ月の間は安定状態が続いていた。下の写真は今年(2017年)16日のもので、特に異常は認められない。

治療後の黄斑中心窩断層写真

治療後の黄斑中心窩断層写真

 

2.薬の選択

ところが、それから3カ月後に定期検診を受けた際、医師から水(写真の黒い部分)が溜まっていると云われ、発症から度目の硝子体内注射をすることになった。

 

定期検診時、水(写真の黒い部分)が溜まっている

定期検診時、水(写真の黒い部分)が溜まっている

 

注射に先立ち、医師に質問を投げかけた。「一昨年までの注射はいずれもバイエル社のアイリーアであった。このほかに、ノヴァルティス社のルセンティスがあるはずだが、どちらを使うかを決める判断基準を教えて下さい」と。

医師の回答は、特に判断基準はなく自由裁量に任されているということであった。いずれの薬も、患者によって効果が異なるので一定の判断基準はないという。仮に甲という患者にAという薬に効果があれば使い続けるし、効果がなければBに変えるという。要するに基準はなく、試行錯誤で薬の選択が行われるように感じた。

 

3.注射

医師の了解を得て治療の光景を看護師に写真撮影してもらうことにした。

治療室に入った。注射に先立って、麻酔と消毒が看護師によって施された。最初の一滴は目に染みたが、二滴目からは何も感じなくなった。

 

点眼麻酔

点眼麻酔

 

麻酔と消毒を終え、注射を待っている光景である。

 

ベッドの上で待つこと20分、医師が手術着を着て現れた。注射の前に、眼に固定枠のようなものがはめられた。

 

固定枠装着

固定枠装着

 

次に医師は注射針を刺す位置を確認する。

 

注射位置確認

注射位置確認

 

 

注射は一瞬の内に終わる。麻酔をしているので痛みを感じることはない。

 

痛みを感じない注射、一瞬

痛みを感じない注射、一瞬

 

術後の消毒をして終了する。

 

術後消毒

術後消毒

 

そして固定枠を外す。

 

固定枠除去

固定枠除去

 

治療が終わると眼帯を掛けられた。翌朝までかけておくようにとの注意があった。三日間の目薬が処方された。

 

4.生命保険の給付金

治療を終え会計に行くと、眼帯をしていたので支払は機械でなく窓口でしてくれることになった。44400円である。これまでは「協会けんぽ」に加入していたので、一割負担の1万数千円で済んだ。昨年75歳になり後期高齢者医療保険に加入したため、割ではなく割負担が適用されたのである。

病院の前からタクシーに乗り、大阪梅田にある生命保険会社の窓口に立ち寄った。生命保険の手術特約に加入しているので、給付金の請求手続きをするためである。一昨年までは一回の注射に対して万円の給付金が出た。一割負担だと、お釣がくる勘定である。

しかし、2016年3月以降の手術から制度が変更になり、給付金が支払われなくなったという説明を受けた。治療費がもう少し安くならないものかと思いつつ、電車に乗り込んだ。

06/03/2017

                                         

名前  Fさん(男性、61歳)  

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期: 2014年 月(58歳)

題名:忘れてならない家族の存在

3年ほど前のある日のことです。営業の仕事で山あいの道を通行していました。疲れたので車を止め山の緑を何気なく見ていたら何か右目に違和感を持ちました。片目で木々を見ると中心部が緑でなく黒ずんで見えました。

直ぐにかかりつけの眼科で診察して貰ったら黄斑変性ではないかと告げられました。この眼科では、以前から眼圧が高く定期的に診察してもらっていました。医師は別の総合病院で治療を受けるよう紹介状を書いてくれました。

この病院では定期的に診察を受けています。抗VEGF薬の注射による治療をしていますが、過大な期待をしていました。過去3年間の間に一回再発し、その都度、視力が悪くなっています。いずれ、左目もそうなるのではないかと不安を抱えながら暮らしています。

実父がそうであるため自分もそうなるのかと思いました。この3年の間に事の大きさ(病気は治らない)を感じました。

一番困ることといえば、発症前はよく本を読んでいましたが、本を読む気が起こらなくなったことです。また、車が好きで良く遠出をしていましたが、余り乗る気がしなくなりました。

どうすればよいか解決策を考えました。以前はあまり新聞、雑誌等々健康に関する記事についてあまり興味はなかったのですが、この病気に関する記事が気になるようになりました。またこの病気に関する新しい治療法をPC等で調べることもよくあります。またサプリメントなどを服用しております。亜鉛やルテインなどが主成分のサプリメントです。

外出時においてもサングラスは必ず掛けるようにしています。

忘れてならないのは家族の存在です。家内や子供たちの存在はこの病気が何時また悪化して視力が衰微して行くのではないかという不安や恐怖感を少なからず緩和してくれているようです。彼らがこの病気の治療法や特集記事などを教えてくれることは自分一人だけじゃないというような気がします。

歳を重ねたからかもしれませんが、ある意味自身が生きていく上で毎日を大切に生きていかなければならないと漠然と思うようになりました。この病気のお蔭で自身が謙虚になれたような気がすること、また黄斑変性友の会の存在を知ることが出来たことは大きな収穫です。

05/03/2017

                                         

名前 建部 茂     

加齢黄斑変性の型: 滲出型

発症時期: 1997年 月(30歳代半ば)

題名:ブルーライトカットのメガネで目を保護

記憶は定かではありませんが、確か会社の健康診断で引っかかり詳しい検査で水泡がたまっているとの結果でした。その後、左目の視力検査で検査票の光っている場所が分からない事に気付きました。

医者から中心性網膜症だと告げられました。30代半ばころのことだと思います。自然に治ることもあるといわれ、その後は放置状態でした。

それから20年近くが経ち、また会社の健診で病院に行くように指導され大きな病院に紹介されました。抗VEGF薬の注射による治療を一回だけ受けました。治療費も高額だし効果もなかったので、2回目以降は断りました。飲み薬を処方されたことこともあります。

治療する手立てがないので目をなるべく酷使しない様に用心するしかないと思いました。ただ仕事で一日中パソコンと向き合っているのでどうしようもないですが・・・。

右側の目もその傾向があるといわれたので同様に発症したら、その時は覚悟しないといけないと思っています。

注射は正直ハイリスクの分、ハイリターン(完治)を期待していましたが、全く変化なしで残念でした。その後、医師から「もっと効果の高い別の注射がある」といわれましたが、やってみないとわからないとの事でしたので断りました。医者は彼らの実績(功績)優先で本当に患者のことを考えているのか?大変疑問です。

今は何とか右の目が見えるので日常生活で支障をきたしている事はありません。ただ仕事で一日中パソコンを使用しますので、目は非常に疲れやすいです。それと心配事ですが、現在のデスクワークの仕事がいつまで続けられるか?今後の病状の進行具合が気がかりです。

これといった対策はしていませんが、ブルーライトカットのメガネの着用や頻繁に休憩を取るようにしています。このほか、日常生活の工夫として少々的外れかもしれませんが、健康診断の視力検査等で少しでも視力をアップさせるために(見せかけで)、焦点をわざと右か左にずらして中心窩からずらして対象物を見極める練習をしています。

最近、病院の検査で右目も若干黄斑変性症の症状があらわれていると言われました。少し心配です。

サプリメントを飲んでいますが、友の会の皆さんとは、病気の進行を抑える方法など、色々な経験談などあればシェアしたいです。

04/28/2017

                                                                                   

名前 晒 香       

加齢黄斑変性の型:滲出型(両眼)

発症時期: 左 2013年7月(45歳)

                      右 2014年8月(46歳)

題名:両眼が近視性黄斑変性

2013年7月のことです。左目に異変を感じました。遠くも近くもぼやけて見えました。老眼が来たのかと思いました。二か月ほど経った頃、テレビを見ている時片目ずつ見たら歪んで見えました。コンタクトレンズをしていたので、すぐに眼科医に行きました。この眼科医は大学病院を紹介しました。加齢黄斑変性のことは、コンタクトレンズを処方した眼科医で知っていました。

大学病院では近視性黄斑変性といわれました。治療法は二つ提示されました。一つはアバスティンという認可されていないもので無料でした。もう一つはルセンティスです。高価ですが安全性が高いとと先生が言うので、ルセンティスを選びました。注射は発症してから二カ月後のことです。注射と聞いて怖いと思いましたが、あっという間に終わったので、その後は慣れました。

先生に「治りますか」と聞きましたが、「治りません」との返事でショックでしたが、まだ右目が見えていたので日常生活上の不便はありませんでした。

左目の注射は、ルセンティスを11月に受け、その後はアイリーアに変わりました。これまで全部で7回注射をしました。

それから1年後の2014年8月に右目も同じ症状が出た時には、さすがに倍以上のショックで、更年期の症状とも重なり、とても体がしんどかったです。片目の症状だけの時は、まだパートの仕事や趣味にテニスをしていましたが、両目に症状が出てからは両方ともやめてしまいました。もともと体を動かすのが好きな私はテニスの代わりになるものを探し、今はヨガに週2回行っています。ルセンティスの注射を2回し、3回目からアイリーアに変わりました。これまで、7回の注射です。お蔭で見える様になりました。

先ず、治療費が高いことに困ります。日常生活で困るのは、物が光ってギラギラと見えることです。目が疲れ上の瞼が重いような感じがします。そのためテレビはあまり見ないようにしています。細かい字も見ないようにしています。今のところ、眼鏡をはずしたらなんとか見えるのでスマホの画面を大きくしたりして見ています。

心掛けていることは、階段を降りる時は安全のため手すりを持つようにしています。また、他の家族の物と区別がし易いように、箸は派手な色のものを使っています。目の状態が安定せず、次々と色々起ってくる現実を受け止め、どう前向きに生きていったらいいのか、この会を通して見つけられたらと思っています。

私は発症年齢が若いので、友の会で誰か一人でも相談し合える人が見つけられたらいいなあといつも感じています。

(髙田 口述筆記)

02/11/2017

                                         

名前 次原 隆吉 

加齢黄斑変性の型: 左目(滲出型) 右目(萎縮型)

発症時期 :よくわかりませんので、自身の眼病の経緯からお話します。

題名:

30歳の時(現在70歳ですから40年前)に片方の目に中心性脈絡網膜炎を発症、症状は加齢黄斑変性症に酷似していて、視界の中心部分に黒い影ができ歪んで見えます。当然視力も低下します。

発症当初は眼球に注射をしていましたが、確立された治療方法は無く、自然治癒しかないようで約6か月もすれば元に戻りました。

原因はストレスだろうと言うことぐらいで明確な原因特定はできていません。その後、左右の眼球ともに数度再発を繰り返していましたが、50歳のころ、右目の再発した症状が治癒せず、物が歪んだ状態で固定化してしまいました。

矯正視力で0.6程度です。

今にして思えば、萎縮型加齢黄斑変性症だったのですね。

近所の眼科医での検診では、中心性脈絡網膜炎との診断でしたが・・・。

その後、68歳の時。左目に中心性網膜炎の症状が出た3か月後、流行性結膜炎の羅患がもとで角膜炎を発症したのですが、角膜炎の治癒が完全でなく、こじらせた結果近所の眼科医から強い目薬を処方されるも、処置が手遅れだったので、角膜に傷が残り治癒不能との診断を受けたのです。

中心性網膜炎の症状は残っているため、見えにくい症状が角膜炎なのか、網膜炎なのか判別がつきにくいのですが、近所の眼科医は角膜炎によるものとの判断でした。

角膜炎ならば移植の治療方法もあるとの思いで、強引に紹介状の作成を依頼し、大阪西区の眼科病院を受診しました。

(友人が角膜移植手術をこの病院で受けています)

その病院で初めて、左目は滲出型加齢黄斑変性、右目は萎縮型加齢黄斑変性との診断を受け、左目をアイリ-アの注射による治療を始めたのです。

ちなみに、角膜炎の傷は少し残っているが治療するほどでもなく問題無いでしょうとの診断結果を得ました。

2015年12月に黄斑変性と診断され、2016年1月から9月まで、6回のアイリ-ア注射で視力が0.8程度まで回復しましたが、眼底の状態が少し凸凹になっていて、物の見え方が影の付いた状態(ゴースト)です。

残念ながらこれ以上の回復は望めないようなので、当初は若干イライラしましたが、眼鏡矯正と慣れで現在は落ち着いています。

その後、病状の進行もなく安定しているため、現在は月に1度の経過観察で通院しています。

現在の病院は、地域医療相談センターで紹介された3病院の中で利便性、設備、診察、実績などから自身が選択した開業医です。

話は変わりますが普段気を付けていることについて少しお話します。

羅患した眼の病気は悔やんでもしようがないので、それ以外の体の健康に気を配るようにしています。

まず断酒を行い、1年間で12kgの減量に取り組みました。

食事も玄米&もち麦など食物繊維の多いものをとるようにして、血糖値の上昇を抑えています。

又ジム通いで運動し血行が良くなるように気をつけています。

趣味がスキーとドライブなので、少しでも永く楽しむためには、ある程度の体力づくりは欠かせません。

とりあえず80歳まで趣味を継続すべく。あと10年間は何とか症状が悪化しないように祈りながら日々節制に励んでいます。

02/11/2017

                                         

名前 増田貞雄

加齢黄斑変性の型:萎縮型

発症時期:   2000年頃  月(65歳)

題名:

 2004年に何年ぶりかでゴルフをした時、自分の打ったボールの行方がよく分からなくて困りました。以前はキャディーが見てくれたからよかったのですが、その時はキャディーなしです。私がゴルフを休んでいる間に、ゴルフはセルフプレーが当たり前になっていました。

同伴者の眼に助けられて、無事プレーを終えましたが、充分に楽しめませんでした。そのうちに、眼が悪いなりに勘も良くなり、なんとかセルフプレーでゴルフを続けることができました。ただ、視力は落ちていき、いつからか運転免許証に眼鏡の条件が付 きました

 

 2009年に、姫路で一番評判の良いといわれる眼科で受診しました。「網膜の、視力に関係のある場所に何かがある。それが何であるかは分からない。」と言われました。何かが分からないから、治療法がありません。日常生活に困る事もないので、それ以上何もしません

でした。今思えば、黄斑変性だったに違いありません。最新の光学機器はなかったようです。

 

 2010年に受診した人間ドックの成績表で[眼底に異常所見が認められる]と指摘されました。かかりつけの内科医の紹介で、阪大病院で黄斑変性に詳しい先生に診てもらいました。黄斑変性ではなくて、黄斑上膜だと診断され一安心しました。経過を見ようということになり、その先生が週1日勤務されている明石の病院へ移りました。経過を観察するといっても、何か月かに1度診てもらうだけで、特別な事は何もしませんでした。ある時、「あなたの黄斑上膜の状態なら、手術をすれば視力が若干回復するかも知れない、白内障手術程度の安全な手術だ」と言われ、手術をすることにしました。

 

 2012年にその明石の病院で黄斑上膜の手術を受けましたが、視力は良くなりませんでした。手術の後しばらくして、先生から「手術は成功していますが、もともと黄斑変性も少しはありましたから。」と言われました。もうこれ以上どうしようもないと、すっかり諦めておりましたが、2015年に住友病院の大きな新聞広告を見ました。

 

 2016年にかかりつけの内科の先生にもう一度お願いして紹介状をもらい、住友病院で診てもらいました。当然ですが、萎縮型の黄斑変性だと言われ、経過を観察する

ことになりました。まだ治療法がないのですから、いよいよ諦めるしかありません。待合室に「関西黄斑変性友の会」のちらしが置いてありましたので、無駄だとは思いながら持ち帰っておりました。何かにすがりたい気持ちから、昨年秋に入会させて頂きました。

多くを期待していたのではないのですが、役員の皆さまの熱心な活動に接し、改めて自分の眼を守るためにもっと努力しようと決意しました。

02/07/2017

                                         

名前  Tさん (女性)     

加齢黄斑変性の型:滲出型  

発症時期: 2012年10月(83歳)

題名: 人の手を借りて

今から四年前のことです。物の見え方がおかしいと気づきました。障子の桟がゆがんで見え、携帯電話がふくらんで見えました。また箸が曲がって見えました。その時は、83歳になっていたので年のせいだと思っていました。

三か月たってようやくかかりつけの先生に診てもらいました。先生はどのような病気かわからなかったので、病院に行くよう紹介状を書いてくれました。

その病院では検査の結果加齢黄斑変性と告げられ、そんな病気があることも知らなかったのでとてもびっくりしました。パンフレットや本を読んで悪くなることばかり考えました。

その病院では、心臓病や糖尿病の余病があるためレーザー治療しかできないといわれました。

初めは右眼だけでしたが半年で左にも移ったので一人では外出できません。通院には付き添いが必要な状態です。買い物は行っても、一人では商品もわからないし、お金も払えないので困っています。テレビを見る楽しみも本を読む楽しみもなくなりました。

日常生活ではできることは何でもするようにしています。遮光眼鏡をかけたりルーペなどの補助具を使います。外出には帽子を被ります。良いといわれるものは何でも食べるようにしています。昼間は眩しくて見えにくいので家事は朝夕にするようにしています。

困っていることがいくつかあります。食事の時何なのか分からなくて口に入れて初めて分かるくらいです。お茶を入れても湯呑の外にこぼしたりすることがあります。

昼間は天気が良いと外が真っ白に見えます。左目は白内障の手術をしているのでそのレンズのせいで光ります。横断歩道や信号も見えにくいので外出は一人ではできません。

それでも人の手を借りて、工夫していることがあります。字はマジックで太く書いてもらいます。赤や青の濃い色のシールをトイレのリモコンや電話の表示に貼っています。買い物や銀行、郵便局には家族に付き添ってもらったり、ヘルパーさんに頼んでいます。料理は自分でできなくなったので、ヘルパーさんに頼んだり宅配弁当にしたりしています。

病気の進行が早く一年で両眼が悪くなったので精神的に参っています。どうすればマイナス思考から前向きに考えられるようになるでしょう。 (家族代筆)

01/27/2017

                                         

名前 岸本 宏 

加齢黄斑変性の型: 滲出型  

発症時期: 2009年12月(78歳)

題名: 拡大読書器の助けを借りて

 

2009年12月のことです。78歳の時でした。電車やバスの中で本が読みにくくなりました。また細かい字が書けなくなりました。このようなことが急速に進行したので、これはおかしいと気付きました。このときは、物が曲がったり歪んだりということには気づくことはありませんでした。

 気付いたのは年末で、正月明けに家の近くの病院へ行きました。先生は右眼が加齢黄斑変性であるといい、大阪にある大学病院眼科への紹介状を書いてくれました。

 加齢黄斑変性という病名を聞くのは初めてでした。放置すれば、失明のおそれがあると告げられ、大変驚きました。なぜ、もっと早く、少なくとも一年か、二年早く検査を受けておれば、軽症で済んだはずだと思うと残念でなりません。読み書きが不自由になったのは2009年12月ですが、これよりもっと早い時期に発症していたのだと思います。左眼も黄斑浮腫に伴う網膜中心静脈閉塞症といわれています。

右眼はVEGF薬の注射の治療をしました。注射と聞いて痛そうだなと思いましたが、医師を全面的に信頼していましたので不安はありませんでした。

むしろ、検査や治療の段階で、医師の説明を理解できなければ遠慮なく質問し自分で納得できるようにしたらよかったと思っています。特に術後の養生の仕方や、日常生活上の注意事項、必要事項など、余り考えないで過ごしてしまったのが残念です。

両眼とも不自由なので、生活上困ることはいくつかあります。でも、工夫をして乗り越えるようにしています。

先ず、新聞や書物を読むのに不自由しますが、拡大読書器を使っています。問題は、文字は大きく鮮明になりますが、見える範囲の面積が縮小されるので本を動かしながら読むことになります。そのため時間がかかり疲れます。書くことには向いていませんが上手に使いこなせるよう工夫してみようと考えています。

次に字が書けないので段々漢字を忘れていくのではないかと心配しています。そのため不格好な字でもハガキを出すようにしています。

もう一つの問題は自転車です。人物、車が近くに来るまではっきりしないので危なくて乗ることが出来ません。そのためできるだけ歩くように努めています。

日常生活で気をつけていることは、TVを見る時間を少なくすることです。外出して明るい場所ではサングラスをかけて目を大事にするように心がけています。

他には、サプリメントや目薬の良いものを使いたいと思いますが、他の方の取り組みを知りたいと思います。

01/17/2017

                                         

名前 川口 伶子        

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期: 2006年12月(63歳)

題名: 四年間病院にかかったのに、何故?

 2006年12月に何となく見えにくく、目が痛くクシャクシャするように感じました。これから後の治療記録を書きました。 

2006年12月

目に痛みを感じ(いつも行く病院で)診察を受ける。

目が乾燥しているのでと人口涙液マイティア点眼薬を出してくださる。

白内障の系はあるが、今はそれほどではない。3カ月後予約。

2007年3月

診察を受ける。前と同様に報告される。(その)後、3~4カ月に一度診察を受ける。

2010年3月

大阪の大学病院に行きなさいといわれ、紹介状頂く。

大学病院受診。

検査の結果、左目、レーザーと注射(4泊5日入院)。この時、黄斑変性と診断(左目)、遅かったといわれた。右目も系はあるが、注射今はしなくて良いと。一年に一度造影検査しますと。

2014年4月

大学病院眼科で一か月半~2か月に一度受診。

4年間で、大学病院でレーザーもう一回(計2回)、注射13回受け、新しい注射の薬に変わり7回(計20回)

その後、大阪市内の民間病院(S病院)で受診するように言われ、紹介状を書いて下さる。

2014年6月

S病院眼科受診、注射する。

その後1カ月に一度受診、2カ月に一度注射をする。

2014年10月 白内障の手術をする(左目)

2016年6月 レーザー治療・注射

2016年10月~12月 毎月注射する。

 

今までの合計

(左目)レーザー3回、注射40回。

(右目)検査はしていますが、治療はしていません。

 

黄斑変性と診断されるまで、何となく目の調子が悪く、眼科受診していましたが、4年間分かりませんでした。

分かってから黄斑変性という病気に関心を持ち方眼紙を見て(アムスラー検査)ゆがんでいることに気付きました。最近はかなり曲がって見えます。

また左目は眼圧検査の時、器械の中の丸が半円に見え、調子の悪い時は三日月に見えます。

 

今は命のある間、見えることを願っています。現在一人で生活ができるのでありがたく思っています。注射の本数が何本でもできるのかが心配です。

新しい治療が安全で手軽に(費用など)できることを願っています。           以上

01/16/2017

 

                                         

名前 Fさん(女性)     
加齢黄斑変性の型:

 滲出型 左 萎縮型 
発症時期:

右2010年11月(70歳) 

左2003年12月(63歳)

題名: 両目が加齢黄斑変性症になって

私は平成28年(2016年)76歳になりました。

60歳の春、お針仕事で目が疲れましたので向かいの屋根を見て目を休めていました。何気なく片目ずつで見ると、右目は普通に見えましたが、左目は屋根の上の直線が波打って見えました。その内に治るだろうとそのままにしていました。

63歳の秋、中日新聞に「ゆがんで見えたら要注意、加齢黄斑変性症」という記事があり、早期発見して治療しないと失明する恐れあり」と書かれていました。左目のゆがみは続いていましたので、読んでいて怖くなり近くのN総合病院の眼科に受診しました。

診察の時、先生に「新聞を読んできました。心配です」と申しました。検査後、先生は「大抵の方は心配ありませんが、あなたの場合はおっしゃるとおりです。」と言われ、「はあ~」でした。病気でないことを願って、6か月ごとの経過観察ということになりました。

N総合病院は、私の家から歩いて10分のところにあります。初診の時より診察してくださいます眼科医O先生が加齢黄斑変性症の専門医であることが診ていただいている内に分かり、大安心でした。また幸運でした。

O先生は2009年(平成21年)3月末に総合病院を離れられ、新しく「O眼科」を開院されました。以来、総合病院に眼科はなくなりました。私の家から「O眼科」まで5km程ありますが、先生のもとに通院しています。晴天の日は自転車、雨の日はタクシーです。

70歳の秋、右目もゆがみが出て発症しました。左目だけで済むようにと願っていましたので泣きました。

最初に発症した左目はメガネをかけての視力が0.5まで低下した時もありますが、経過観察だけで少々ゆがみがあるものの1.0の視力を保って落ち着いています。右目は発症してから4年間は経過観察でしたが、急に進行して74歳の1月ルセンティスの注射治療を受けました。「めだま」に注射やなんて、かなわんなあでしたが、注射前のまぶたを広げる時や、消毒、麻酔の処置が少々苦痛なだけで、注射は痛みもなく一瞬で終わりました。注射後目がくしゃくしゃとして不快でした。ゆがみと乱視がひどく出て視力も低下しましたが、次第に回復してメガネをかけて1.0~1.2の視力になり良好な状態が続きました。しかし、1年10カ月後悪くなって75歳の10月2回目の注射を受けました。

現在は1カ月ごとに注射をするかしないかの診察を受けています。

私の目のために的確な診断と診察をして下さいます先生とお世話くださいます看護師さん、スタッフの方々に感謝申し上げます。

目の病気になってから新聞や健康雑誌で加齢黄斑変性症の記事が多く目につきました。それらの記事を参考に食べ物に気を付けドラッグストアSWサプリメントを買って飲みました。今は受診している眼科で「オキュバイト」を購入出来てありがたいです。

叉、外に出る時はかならず帽子をかぶり、うす茶色のUVカットのメガネをかけています。テレビをみるのも読書も程々にして少しでも症状が悪くならないように気を付けて毎日を送っています。

01/05/2017

 

                                         

名前 堀部 和子       

加齢黄斑変性の型:   萎縮型

発症時期:  2005年 月 (59歳)

題名: それでも働いています

私は子供の頃から目が不自由でした。弱視で、小学校の時は左目が0.6、右目が0.5で、中学校に上っても変わりませんでした。眼鏡をかけてもよく見えるということはありませんでした。

19歳の時、悪性貧血という病気になり、先生から他の人とは異なる網膜であるといわれました。24歳で結婚し子供が一人生まれました。

30歳になった時のことです。右目と左目を代わる代わる見ると、右目の方が何を見てもクニャーと歪んで見えました。

家の近くに住んでいた大学病院の先生に相談したところ、検査の器械がある先生の大学病院で診察を受けることになりました。

先生は「家で小鳥を飼っているか、小鳥から病気をうつされたのではないか。トキソプラズマではないか。どうしようもできない。手術はできない。失明するかもしれない。左目を大事にしなさい」というばかりで、何の治療もしてくれませんでした。

11年前、左目の右下に丸いものが張り付いた感じになりました。その頃、大学病院の先生は難波で開業していました。「眼底も傷んでいる、治らない」ということでした。

別の眼科へ行きました。真ん中が見にくいというと、新生血管が出ているということで萎縮型と言われました。アバスティンという注射を2回受けました。少し見えるようになりました。

地下鉄に乗ると前の人が良く見えません。夜暗くなると見えないのでライトを持って歩きます。テレビも白黒の見分けがはっきりした画面は見えますが、同じ色の系統は区別がつきません。

そのような状態ですから障害者認定を受けました。

そのお蔭で医療費は500円です。また街に出る時は、ガイドヘルパーさんが付き添ってくれます。骨を折って寝たきりにならないよう、特に段差に気を付けています。体には気を付けています。

目が不自由だからといって家にこもってばかりいるわけではありません。先生が「家でじっとしていたら病状が進む、皆とコミュニケーションして脳を働かすことが大事だ、そうすれば体も元気になる」と言われました。

先生の紹介で、週に3回ですが、それぞれ2時間ほど掃除の仕事をしています。毎日何か用を作り、出かけるようにしています。

主人に先立たれましたが、子供と一緒に暮らしています。洗濯もしてくれますので、寂しい思いをすることはありません。ときには、ヘルパーさんに付き添ってもらって、旅行もしたいです。(高田口述筆記)

12/27/2016

 

                                         

名前 福本 静子       

加齢黄斑変性の型:  滲出型   

発症時期:  2000年1月(69歳)

朝、テレビを見ながら何となく、片方の目をおさえた時、テレビに映ったアナウンサーの目がオタマジャクシの様な形に見えびっくり、左目に異常を感じて直ぐに眼科を受診しました。

先生は診療用のテレビに映った私の目の映像を、これは黄斑変性という病気で、私のところでは無理なのでと、大きな病院を紹介してくださって今に至っております。

あらゆる治療をし続けて安定している時があって、そんなに不自由を感じて来なかったような記憶しかなかったのですが、この半年、左目を抑えたり、片目をつぶって本を読んだりと、たいへん気分が悪い状態が続いています。

病院は月に一度くらいの割で受診しています。その都度、診察の結果は悪くないです、異常は感じられませんと先生はおっしゃるのですけど、注射はして貰った方がいいのではないでしょうかと、先生に言いましたら(私は今まで23本の注射をしています)これ以上続けても良くなる事はありません、無駄と言われました。

私は筋肉が衰えないように、毎日5000歩位、成るべく歩くようにしています。でも左目が邪魔をするのか宙を歩いているように歩き難いことが良くあります。

成るべく本を読む回数を減らしたり、テレビを見過ぎない様にとか、目を休ませるように努力してiPS細胞のお薬か手術を待つ希望を持って元気に過ごしたいと思っております。

12/15/2016

                                         

 

名前 左近 三郎(さこん さぶろう)

加齢黄斑変性の型 : 惨出型

発症時期:2009年12月 (84歳頃)

2009年12月に、右眼で窓枠などを見ると曲がって見えるので受診したところ、異常はないとのこと。その後、2010年5月に別の医師に診てもらったところ、受診検査(蛍光眼底造影など)の結果、黄班変性と言われ、治療の方法はなく、いずれ左眼もなる可能性があると言われました。

この時に病名をはじめて知り大変ショックでした。その後左眼の視力が1.2であまり不自由を感じませんでしたが、2012年12月に異常を感じ、診察の結果兆候があらわれてきました。

医師より進行を遅らすための手術(注射)の是非を問われ、いろいろと悩んだ末、2013年1月、2月、3月、6月と計4回注射をしましたが、視力が段々と落ち現在は右眼が0.05、左眼が0.06です。

日常ではルーペに頼る生活で、10倍位を使用すると範囲が狭いので、5倍を2つ重ねて見ています。 特に透明の物が見にくく、遠近感にも悩まされます。

 

一人暮らしの為、何事も工夫し、努力して頑張って参りたいと思います。

                                         

名前 力石 啓二       

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期: 2013年11月(64歳)

rikiishi

題名: 加齢黄斑変性を発症して

平成25年(2013年)10月頃、健康番組を見ていた時、今まで聞いたこともない加齢黄斑変性と言う、目の病気のことを知りました。片目ずつ格子状の物を見ると歪んで見えるとのこと。実際やってみると、右目が少し歪んで見えました。半信半疑のまま、インターネットで調査して職場に近い、今通院している眼科に行きました。やはり加齢黄斑変性でした。私の場合、中心窩の近くに変性部がありました。

眼内に薬剤を注射することになりました。点眼麻酔で注射をするので、痛みはまったくありませんでした。

それと同時に、最悪の場合は失明するとのこと。進行性の病気の為、定期的な眼内注射が必要。薬剤が3割負担でも5万円と非常に高額となる。中高年で80人に一人発症している。今、全体的に発症が増えていることなどを知り、最初は非常にショックを受けました。

薬剤はルセンティスを4回、アイリーアを5回注射して現在に至っています。最初の検査時は悪い右目の視力が0.6~0.7、良い左目が0.7でした。現在は悪い右目が1.0で、少し歪みがあります。良い左目は1.2です。4カ月に1回注射をしています。

医者の奨めもあり参天製薬のサンテルタックス20+DHA(ルティン.DHA.ゼアキサンチン)が入っているサプリメントと亜鉛、ビタミン剤、ブルーベリーを飲んでいます。サプリメントの効果で視力が改善していると感じています。

この病気の友の会に入り、体験談や定期的に病気の新しい治療法などの情報をもらい精神的に励まされています。

私の場合、運良く発見が早かった為、日常生活は何も不自由はありません。毎日チェックシート(アムスラーチャート)で片目ずつ見え方をチェックしています。今後iPS細胞などの治療が早く進むように、期待しています。

12/09/2016

                                         

名前 Sさん        (匿名希望)

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期: 1990年頃(55歳頃)

題名: eyeアイ」には愛を

前略御免、今から約30年ぐらい前に左眼に違和感が生じ、格子の桟が歪んで見えたり、中心がぼやけて見えたりしたので眼科に行く。Dr曰く。「ストレスのせいかも?」

当時巷では「加齢黄斑変性」という病名すら聞いたことが無かったので、やはり「ストレス」のせいかと思い込んでいたが・・・

それからのちも定期的に受け乍ら現在に至っている。

何度か注射もしたり、ある時は真っ暗闇の部屋に入れられ2日過ごしたこともあった。

それから通院しているが、どのDrも「可もなく不可も無い」程度の診察が続いている。現に段々悪化しているのは確かで左眼0.01右眼も1.0だったのがいつの間にか0.5になって白内障の兆しが見えているとのこと。

何のために通院しているのか?。。。

長時間待合室で待つのも苦痛だのに。。。

病院に入って逆に疲れて帰る様な現況です。

山中先生のIPSの件も進行して何人かの患者さんが我々同病の仲間の為に頑張って下さっているのは心強く感じます。一日も早くその恩恵を頂きたいと思っております。

我々世代のあとには団塊の世代の多くの人達がおられるので一日でも早く成功することを只々祈るばかりです。

そして友の会のお世話をされている方々には大変ご苦労様ですが、何とか頑張って頂き沢山の後輩たち光が当たります様に。。。

何卒網膜の難病克服に高田代表様以下ご一同様の更なるご活躍をご祈念申し上げます。

祈。フレーフレー「関西黄斑変性友の会」と「我が阪神タイガース」       

敬具

                                         

名前 国友 征子       

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期: 2012年1月(71歳)

題名: 治療経過

①  2007年頃から白内障の検査と目薬をもらいに眼科に行ったが、何も言われなかった。

②  2012年、黒目に水がたまった様に重たくなったので病院を変えて診てもらったら、滲出型加齢黄斑変性と診断された。

③  2012年2月、3月、4月とルセンティス注射開始。2013年は発生しなかった。

④  2014年、注射はアイリーアに変わり1月4月9月と3回、6月に白内障の手術をした。

⑤  2015年アイリーア注射2月6月9月11月4回、大学病院を紹介され、12月ビスダイン療法(光線力学的療法)をしてもらったが、1ヶ月程目がかすんでいた。

⑥  2016年、2月7月10月アイリーア注射をした。発生してから13回ルセンティスとアイリーアを注射、ビスダイン療法1回、計14回です。毎月検査に行っています。今のところ左目には発生していませんが、戦々恐々です。


⑦  保険も網膜硝子体注射と診断書に書かれたら、打ち切られたのでショックを受けています。
皆様の体験談を読ませてもらって共感しております。

 

見え方

見え方

光線力学的療法

 11/18/2016

                                         

名前 木下 富夫 

加齢黄班変性の型: 不明

発症時期 : 平成25年12月 (86歳)

 

題名: 病院選びに苦労

3年前だったでしょう。12月にビルの長い屋根の左端がゆがんで見えた。翌日すぐに病院に行った。この地方だけでなく全国にも名の通った循環器専門病院内の眼科(女医一人)である。眼底写真を何枚も取りながら病名をいわない。来月何日においでと予約をする医師の方から予約日を決める。

2度行っても病名はいわない。それで治るのですかと聞いたら最後に手術をすればねという。毎月一回予約の日に行くのだが病状が次第に悪くゆがみが中央へ及んでくる。何ヶ月か経ったとき、女医は O病院で診てもらって来いという。

紹介状を教授に渡して診てもらった。病名はいわない。主治医に連絡しておくからというだけ。そして元の病院へいくと、やっぱり病名も治療法もいわない。O病院から連絡を受けていないのだろうか。

ゆがみが中央へ寄ってくるが1.0はみえていたから、さほど深刻には思っていなかった。一年ほど経った頃、ドッサっと視力が落ちた。ほとんど見えない。予約日ではないが病院へかけつけた。そしたらこの病院の眼科では手術ができないから他の病院へいけという。人をバカにするな。それなら初診のときに云え。1ケ年何一つ治療してくれてなく写真を撮っただけではないかとムカムカした。

止むなく、紹介状をもらって直ぐにTK医院へいった。夫婦二人が眼科医でご主人の院長が診てくれた。すぐに加齢黄斑変性症といわれた。1ヶ月毎月診ていて病名のつかない医者、黄斑変性と診断できないO病院の先生。腹が立ってしょうがない。

TK医院で眼内注射を始めた。そして9ヶ月ほどの注射で0.7まで回復し、車にも乗れるようになった。

しかし今年4月1日のこと、眼底写真を見た奥さん先生は、眼底がきれいになっているから注射はしなくてよいだろうという。少し寂しい感じがしたが、治療を受けずに帰宅、そしたら1ヶ月後の4月末日に見えなくなった。

医師に電話をしたが連休で外国旅行に出かけて留守。連休あけにかけつけると眼内注射をしてくれたがさっぱりである。視力は0.2~0.3だった。6ヶ月経った今も医院の測定で0.3である。自宅の視力表では0.5~0.6位はみえているが人や車を見るのが見えにくい。

少し暗くなると外出はできない。

毎日毎日、神たのみで0.7みえるようにと祈っています。今後共よろしくお願いします。

 

 

                                         

名前 髙田 忍   

加齢黄斑変性の型: 滲出型   

発症時期:2014年8月(73歳)

高田さん

高田さん

 

題名: 早期発見、早期治療のお蔭

 

 二年前の早朝、いつものようにパソコンに向かうと右枠が歪んで見えた。幸運だったのは、その二日後に人間ドックの予約を入れていたことだ。異常を訴えると、翌週再検査することになった。 人間ドックを終えて、車を運転した所、車線が二重に見え危険を感じたので運転を控えることにした。

 翌週病院を訪れ検査を受けると、医師は加齢黄斑変性とつげ、その日のうちに抗VEGF薬の硝子体内注射を受けた。 以後、以後一か月ごとに三回注射をするという。 注射をしたからといって直ちに効果が出るものではない。 暫くは悪化した。パソコンの文字が見えにくくなり、ルーペの助けを借りた。車の運転ができないから、外出しないわけにもいかない。バスに乗ると、外の電柱が歪み、駅の階段が波打って見える。手すりに捉まり降りた。

 一カ月後二回目の注射をし、歪みも減ったので名神高速を西宮から大津まで走った。 ところが、途中の天王山トンネルに入ると真っ暗になり、後ろの車を心配しながら速度を落とさざるを得なかった。 そこで患者会で知った星野さんに相談し、斜視矯正用の眼鏡を作ってもらい、サングラスもかけるようにした。  

 3回目の注射の後は、八カ月後に一回注射しただけである。 眼の状態も。 安定し定期検診もこれまで3カ月おきから4カ月になった。陽の当たる部屋の障子はゆがんで見えるが、トンネル内も明るくなり運転は楽になった。 診察の都度、医師からもらう断層写真からも良くなっていることがわかる。

 しかし、それでも不安はある。新聞等には枕詞のように「失明の怖れがある」という言葉が付く。 それならば、見える内に綺麗な物やめずらしいものを見ておこうと決め、春には桜、秋には紅葉を見に出かけることにしている。

 目の病気に限らないが、体に異変を感じたら直ぐに専門医に診てもらい治療を受けることが大切であると感じた。

抗VEGF薬