会員の体験談2

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会員の体験談2

体験談掲載は会員皆様のご協力を得て記事掲載を行って来ました。1ページに書き込める容量限界に達したため新たに2ページ目を追加しました。

ここに掲載する体験談は関西黄斑変性友の会の会員に限定した生活の記録です。他の会員の病気との付き合い方などを知ることによって、患者様やご家族の暮らし方の参考にしてほしいと願っています。

一人一人の執筆者が表現された気持ちや内容を尊重し、誤字脱字や公序良俗に反する場合を除いて原則として加筆修正はしていません。 

令和2年(2020年)11月18日 

事務局長 星野龍一

 

ご注意

この他、民間療法的個人の治療方法などに関し、ここに掲載される体験談はあくまで個人的なもので、すべての人に適合するものではありません。各人判断に委ねます。加齢黄斑変性との因果関係が科学的に実証されているわけではありません。

友の会の立場は、医師の指示に従って治療を受けることです。(事務局)

 

目 次

掲載日 氏名(略称) 黄斑変性の型 主題
2023年03月11日 明石 雅夫 滲出型  
2022年06月25日 髙田 忍 滲出型 ガス注射で入院7日
2022年06月01日 大橋 洋子 滲出型 異変から四日目に注射
2022年05月01日 野澤 三郎 滲出型 ベオビュで回復を実感
2022年05月01日 森田 久美子 滲出型 クリアな視界に感動
2022年05月01日 雲北 一雄 滲出型 視界が明るく眩しい
2022年05月01日 小河原 えり子 加齢黄斑変性 黄斑変性から黄斑円孔へ
2022年05月01日 阿部 真理子 滲出型 自分の目は自分で守る
2021年08月14日 神徳 ひとみ 滲出型 一病息災の日々の中で
2021年07月25日 力石 啓二 滲出型 希望を持って長期治療を
2021年06月25日 川田 文 滲出型 人生に必要な枝切り
2021年03月01日 鈴木 真里子 近視性脈絡膜新生血管 与えられた視力を大切に
2021年02月20日 国枝 滋樹 滲出型 発症から5年、PDTと白内障手術で視力改善
2021年02月12日 小河原 えりこ 滲出型 不安の中で出会った友の会
2021年02月08日  南 和代  滲出型  ストレスや疲れをためない生活を
2021年02月08日 布施 英子 滲出型(両眼) 目をいたわる生活を
2021年01月14日 中山 由記子 滲出型 加齢黄斑変性に罹って・・・・
2020年12月30日 向平 恵子 黄斑変性の一歩手前 友の会のおかげで早期発見
2020年12月07日 中原 小弓 滲出型(両眼) 意味のある人生を前向きに
2020年11月18日 吉川 潤 中心性漿液性網脈絡膜症 アーシングの効果について
2020年11月18日 梅田 嘉昭 滲出型 私の病気の歩み

 

お名前                      :  明石 雅夫 

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    : 2016年9月

ひょとしたら加齢黄斑変性症かも

 五年半前、住吉川の河川敷を歩いていたら、前方の橋の欄干が歪んで見えました。ちょうどその頃、NHKの「今日の健康」で加齢黄斑変性症が取り上げられ、物が歪んで見える写真を紹介していたことを思い出しました。ひょっとしたら、加齢黄斑変性症かもしれないと思い、その二年前に白内障の手術を受けた開業医に行きました。


 2016年9月9日、眼科を訪れ、診察を受けると、黄斑の周りにタンパク質か何かのカスあり、加齢黄斑変性症の前段階のようだと診断され、今の段階で、すぐに治療の必要はないが、一度、治療して、様子を見るもの良いだろうということで、9月15日に1回目の抗VGEF薬の注射をしてもらいました。以後、一ヶ月間隔で二回目、三回目の注射を行い、その後、4ヶ月に一度の検診を受けることになりました。

 定期検診を繰り返すだけで、手元には何の資料もなく、また、それ以外にアドバイスもなく、4年が経過した2020年6月に黄斑変性の進行具合を調べてもらうと、「一年前より、微妙に水が溜まっています」。ドクターも迷いながら、「注射をしますか?」と尋ねられて、4ヶ月間様子を見ましょうということになりました。
 4ヶ月後、眼底写真を撮り、前回の写真と比べると、ほとんど変化がないということでした。しかし、右目の視力の低下をはっきり感じると伝えると、注射しましょうという話になりました。


2020年11月30日から、2021年1月21まで、一ヶ月毎に3度、抗VGEF薬(薬の種類は伝えられません)の注射を受けました。

2020年10/20 抗VGEF注射 4回目

2020年11/30 抗VGEF注射 5回目

2020年12/14 眼底の写真も撮ったが、1月前とほとんど変わっていませんでした。今回は薬の種類が変わったので、少し間隔をあけて、来年の1月12日火曜日に3度目(累計6回目)の注射をすることに決めました。

2021年1/12 抗VGEF注射 6回目

 3回目(累計6回)の注射が終わってから、結果を聞きに行くと、眼底写真を診ても、前回と全く変わらず、効果が見られないとドクターは言いました。このタイミングで、光線力学的療法の話を私の方から切り出しました。すると、以前は流行った治療法ですが、抗VEGF薬の方が効くので、今はあまりやられていないなどと、言う返事だったので、NHKの健康番組で、聞く人には効くという情報を得たと答えると、それでは紹介状を書きましょうということになり、紹介状を書いてもらい、眼科治療で評判のA病院に紹介状を書いてもらいました。

 2021年2月1日  A病院眼科に初めて行きました。 いくつかの検査をした後、黄斑変性の専門医が黄斑の写真を見て、「病状は進行しておらず、良い状態です。」と言ったので、今までかかっていた眼科で、加齢黄斑変性の改善が見られず、薬は効いていないと、言われたので、この病院を紹介されたと言うと、しばらく考えていた。

 そして、PDT治療について、聞くと、あれは、ここというタイミングでだけするべきもので、今やることはないという返事でした。そして、今は、前回の抗VGEFの治療から、3週間ほどしか経っていないので、まだ、薬の効力が残っているので、これが完全に無くなる2ヶ月後以降に再度、診察するということになりました。

 そして、今は、前回の抗VGEFの治療から、3週間ほどしか経っていないので、まだ、薬の効力が残っているので、これが完全に無くなる2ヶ月後以降に再度、診察するということになりました。
 
2021年4月5日 前回と同じ加齢黄斑変性専門の眼科部長が診察しました。事前にカルテも見ていない。次から次へと患者が来るから、こんな対応になるのでしょう。
 左右の眼を診察してから、検査の映像を見て、「前回と全く変わりはないので、このまま何もしないで様子を見ましょう」ということだったので、この先、どのように対応すればよいか、元の眼科医院に戻るのか、A病院で経過観察してもらうのか問うと、少し考えて、定期的に二~三ヶ月に一度、定期検診に来るように、また、よほど具合が悪くなれば、それに関わらず来院するように指示されました。

 以後、現在に至るまで、2年余り、4ヶ月毎の定期検診だけで、症状に変化がないとの事で、具体的な治療は全く無く、この病院で初診の時に、ドクターから、「右眼だけでなく、必ず左眼も悪くなりますよ。」と言われ、不安を抱えたまま何もせずにいました。わずかに日本眼科学会が、ルティン・サプリメントを勧めていると知り、それを毎日飲むだけでした。

 10歳程年上の知り合いで加齢黄斑変性症に罹患して、30回以上注射を受けた方から、だんだん悪くなるが、改善はしないと注射以外に打つ手はなしと伺い、漠然と将来に対する不安を抱えておりました。そんな折に、黄斑変性友の会を知り、入会することができて、たくさんの貴重な体験談を送って下さり、今後、医師との接し方など、治療を進めていく上で、大いに役立ちそうです。よろしくお願いします。

追伸
 入会させていただいて、すぐに体験談を送ろうとしたら、PCが不調で修理に出して、戻ってきたら、今度は右背部に激痛が走り、机の前に10分ほど座っているのが、やっとの状態が続きました。幸い、症状が改善し、やっと、体験談を背作成できました。

 来週、月曜日に定期検診があるので、友の会ニュースなどで教えてもらったことを頭において、ドクターに眼底写真、断層写真をもらうようにお願いしようと思います。

 


お名前                      :  髙田 忍 

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    : 2014年8月 (73歳)

8年の間に

 目に異変があることに気付いたのは8年前の夏 2014 年8月のことであった。パソコンの右枠が歪んで見えた。1 週間後に加齢黄斑変性と言われ、その日にアイリーアの注射をした。2018 年からサプリメント、オキュバイト 50+の服用を始めた。その効果だと思う。注射回数は年に 1 回に減った。


 早期発見早期治療とオキュバイトのお陰である。これを維持できると思っていた。ところが、今年5月に入ると靄がかかったように見える。うっとうしい。毎年5 月には花粉症で目が充血する。その内に治るだろう。6月に眼科検診がある。 それまで様子を見ることにした。


目の手術で入院とは

 6月14日、大阪の病院の二つの内科と眼科を予約していた。内科の診察を終え眼科に回った。いつもの通り視力検査から始まる。眼底写真と断層写真を撮り終えると、程無く診察室に呼ばれた。


 K 先生は3月の写真と比べて見せ、この黒い部分は出血していることを示すと説明した。明らかに変化がある。治療法はあるのかと尋ねると、驚きの返答が返 ってきた。「今からガスを注射する手術する。入院してもらう。」

 

 いきなりのことで、心の準備ができていなかった。眼の手術で入院とは考えたこともなかった。入院期間を聞いてもあいまいな返事であった。「明日、京都の病 院の予約をしている」と伝えたところ、手術は1日延期された。その日はアイリー アの注射だけをして帰宅した。入院の理由として説明されたのは、手術後うつ 伏せになるので、病院として経過観察するとのことであった。


 軽いガスは上に行く。眼の奥にまで行き渡らせるためにうつ伏せになる。素人にもわかりやすい説明であった。

 

ガスを注射

 翌日の6月 15日、1 週間ぐらいの入院を想定して洗面具や衣類をキャリーカートに詰めた。まずは、早朝の電車で予約していた京都の病院に向かった。12 時半ころに終わったが充電ケーブルを忘れたことに気づき、途中 Au ショップに立ちより買い求めた。


 病院には午後 2 時過ぎに入った。直ちに検査。眼底は広角レンズを使って多めに撮影された。直ちに手術室へ。手術は担当医ではなく M 診療部長の手で行われた。ガスはプロパンガスの一種(化学式 C3F8)で、量は0.3ccであった。


 手順はアイリーアの注射と変わらない。念入りな消毒と麻酔の後に注射された。


 手術が終わると車椅子に乗せられ、病室に運び入れられた。心電図のコードがつけられ、レントゲン室で肺の写真も撮影された。内科で処方された薬も預けた。健康管理の一切は病院に委ねられる。


病院での一日

 午前7時過ぎに朝食が運ばれてくる。朝食が終わると、朝食後の薬3種類 4 錠が小箱に入れて夜勤の看護師が持参する。病院によっては患者任せのとこ ろがあるが、管理の行き届いた病院であることに安心した。


夜勤は前日の午後 4 時から翌日午前 8 時までの 16 時間勤務である🄱。名前を確認して、飲んだことを見届ける。8 時には昼勤の看護師と交代する。眼薬を差して、9 時からの医師との診察に備える。

 これは 10 人ほどの入院患者に対する診察で、医師は持ち回り制である。眼底の観察と眼圧の測定が行われる。診察から戻ると健康チェックが行われる。

 血圧、体温、酸素濃度が測定されパソコンに記録される。

 やがて 12 時になると昼食が運ばれる。一日1800K カロリーである。メニューは例えば、魚と肉など2種類から選択できる。スプーンがないのでシチューやヨ ーグルトを箸で食べた以外、問題はなく、ダイエットの良い機会でもあった。退 院した時は1Kg 減っていた。


難行苦行のうつ伏せ

 その間ひたすら、うつ伏せの姿勢を続ける。80年間、あおむけで寝る習慣が 染みついている。いきなりうつ伏せといわれても容易にできるものではない。

 先 ず、息ができる隙間を作る。鼻を枕の上に出すと、顎が痛くなる。下に出すと額 が痛くなる。枕が固いからである。頭の位置が定まっても腕をどこに置くか。頭の下に入れてみる。痛くなる。姿勢が定まらない。肘や腰も痛くなる。夜中には寝 返りを打つこともできない。色々と繰り返しているうちに、気が付くと夜が明けていた。

 昼間もできるだけベッドでうつ伏せになる。起き上がった時は、椅子やベッドに腰 を掛け、俯きの姿勢を取る。


 入院して一番不安に思うことは退院の時期である。3日目の朝医師と面接した際自宅でもうつ伏せできるのであれば20日にも退院できると言われたが病院で治療に専念することにした。


スマホで NHK の音楽番組

 入院当初、検査と診察以外の用事で病室の外に出ることは許されなかった。 そのためお茶やアイコットンの買い物は担当の看護師がしてくれる。食事にお茶 は出ないからである。


 長い昼をどのように過ごすかが重要な問題である。何もしないでただひたすらう つ伏せの姿勢を取り続けることは苦痛以外の何ものでもない。


 スマホのNHKラジオの音楽を聴いた。童謡、演歌、クラシックまで楽しんだ。T Vをダウンロードしてプロ野球中継を見て過ごした。夜中の2時に目が覚めることもある。NHK のラジオ深夜便で滝廉太郎の曲や美空ひばりの唄を聞いて夜が明けるのを待ったこともある。充電ケーブルは必需品であった。

 大半をベッドで過ごすと運動不足になる。足の屈伸をした。ベッドから起き上が り、片足立ち、スクワット、かかと立ち、ラジオ体操など工夫した。


 入院から 5 日が過ぎると病室の外へ出ることが許された。地下の売店に入院生活に必要なものは全て揃っていた。入院前に慌てて買った充電用ケーブルもあった。ご飯のふりかけと小瓶に入った整髪料も買った。1週間、目に水が入 る心配から、洗髪が許されていなかったからである。うつ伏せのために髪に寝ぐ せがついたこともある。

退院

 6月21日、退院の前日、K 先生が退院許可書を持って病室に訪ねてきて、今後の治療方針の説明を受けた。自宅療養中も当分の間、うつ伏せを続け るようにとの注意を受けた。一週間後の外来受診で結果を見ていただくことになった。今後は、アイリーアの注射頻度が増えるかもしれないといわれた。退院後 2日に予約していた歯医者は、先生と相談し一カ月延期した。


 会計で入院費(病室代を除く)を1割負担で41020円支払った。生命保険 の入院・手術特約の補助がないか確認したところ、80歳以上には適用されな いとの回答があった。80歳以上の方が、病気になりやすいにも関わらず、年齢制限があるとも思いもよらなかった。


 アマゾンでうつ伏せ用の枕を注文しておいた。帰宅すると届いていた。やはり自分のベッドである。3時間うつ伏せでぐっすり眠ることができた。


病気は自分で治すもの

 1週間の入院治療で退院できたのは多くの人の世話になったからである。とりわ け、主治医のK 先生には気を使っていただき、退勤前の夕方6時に病室に様子を見に来ていただいた。眼科部長M 先生は慎重に注射をしてくださった。血圧の測定や問診、食事の上げ下げまでしていただいた看護師の皆さん、また毎日部屋の掃除をしてくれた人など、手助けをしてくれる人々のおかげである。

 とはいえ、7 日で退院できたのは治そうと言う気持ちがあったからである。日夜苦しいながらも、うつ伏せの姿勢を続けた。うつ伏せのポイントを見つけるのが難しい。同じ姿勢を保ち続けることは容易ではない。言うは簡単だが、まさに難行苦行の1週間であった。これに耐えた結果であると思う。病気は自分で治すも のであるとあらためて認識している。


お名前                      :  大橋 洋子 

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    : 2019年12月(75歳)

異変から四日目に注射

日本大学病院で

 2019年12月初めの夜、左目に靄(もや)がかかったような異変に気付き、翌日近くの眼科で眼底検査を受けたところ。洋梨型の血液の固まりが写っていてびっくりしました。

 神田駿河台(東京、お茶の水の近く)の日本大学病院を紹介され、いくつかの検査の後、夕方にはアイリーアの注射を受けることができました。ラッキーなことに発覚から注射まで4日という短さでした。

 日大病院の先生いわく、もう一つラッキーだったのは中心から少しずれていた為、真ん中は異常がなかったということです。日大病院は黄斑変性の患者がたくさんいます。眼科の先生も多くおられ、設備も沢山整っています。日大病院でのアイリーア注射はアイセンターとは独立した階の別室で行われます。流れ作業のようで、高価なのだからもっと一人一人丁寧にしてはと感じました。

注射は3回だけで安定

 その後、2020年1月、2月と計3回アイリーア注射を受けただけで、現在に至っています。最後の注射から2年3カ月経ちましたが、ありがたいことに落ち着いて進行していないようです。3回目の2020年2月、画像が改善していて、先生に「もう注射はいいでしょう。何か異変があったら来院するように」と言われました。眼精が良くない為、突然真っ暗になることもある等、脅かされました。というのも、初診での画像はちょっと危ないくらいに、良くなかったからです。

 近所の眼科には何カ月かに一度行き、眼底検査をしていただき、ドライアイ用のヒアレイン点眼薬0.3%を毎日注しています。2年以上経っていますので、又異変があったら、紹介状を持って日大病院に行く羽目になるかもしれません。

 左目は左端が歪んで見えますが、眼鏡をかければ不自由はありません。

サプリメント

 日大病院での初診の後、先生に「何かサプリメントないですか」と私からお聞きしたところ、ボシュロム・ジャパンという会社のパンフレットを黙って渡されました。先生から勧められたわけではなく、私はワラにもすがる気持ち、治したい一心から、直接ボシュロム社に電話で注文しました。栄養補助食品ですが。黄斑変性用とうたってありますし、のむことに決めました。

 ひと瓶に120粒入っていて一か月分です。一日4粒のみます。2020年1月から、2年半近くのみ続けています。オキュバイト・ブリザービジョン2といいます。ボシュロムもいくつか種類があるようですが、3カ月毎に3本届きます。ひと瓶、5292円ですが、3本まとめると14158円となり割引されます。クレジット払いで定期的に届きます。

 調剤薬局の薬剤師さんによると、別に変なものは入っていないといいます。近所の眼科医の先生は好意的に見ておられます。時々のみ忘れることがありますが、のみ続けているのは、症状の食い止めに多少は役立っているのかと思うからです。

眼鏡で目を保護

 右眼もいつかはと覚悟しています。白内障も年なので、やはりいつかはと覚悟はしています。昔から近視、乱視、老眼、ドライアイ、近年は数年おきに「後部硝子体剥離」にも両眼なりました。黄斑の診断後は、失明もあると言われたので、考えたことがあります。目の不自由な人も受け入れる老人ホームがあるかしらと思っています。

 どうして加齢黄斑変性になったのか、思い当たることがありません。糖尿病でもないし、喫煙もなしなので、やはり加齢でしょうか。読書好きで、テレビやスマホも見るので目を酷使したためかもしれません。あるいは眼症のあまりよくない遺伝も多少は影響しているのかもと思います。

 20年近く、リビングで東南の大きな窓からの日光を浴びてきました。海や山にはいきません。ガラス越しでも紫外線(厳密にはブルーライト)は要注意です。

 そのため、メガネは紫外線カット(普通入っていますね)の他、行きつけの時計屋さんにブルーライトカットも入れて頂いています。寝ながらの読書はなるべくしないように、就寝時間もよる11時と習慣づけるようにしています。年とって早起きになりました。カルチャースクールにて、たまにストレッチのようなこともしています。

 眼科と歯科の検診は欠かさず、認知症にならないよう努めたいです。

 


お名前                      :  野澤 三郎 (70)

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    : 2017年4月

ベオビュで回復を実感

効果がなかったアイリーア

 加齢黄斑変性と診断され、初めてアイリーアに注射をしたのは2017年6月でした。16回も注射しましたが、効果がなく2020年8月、認可されたばかりのベオビュの治療を受けました。

その後、感染症のために2回も入院し、ベオビュの注射の時期と重なって、4ヶ月半注射ができない期間があり、症状が進み右目はほとんど形が判別できない状態になっていました。


 ベオビュの場合、通常は3ヶ月ごとに注射をしていますが、前回、前々回ともに4ヶ月から4ヶ月半の期間が空き、もう回復は難しいかと思っていました。


 しかし、ベオビュはその状態からでも回復が認められました。以前のアイリーアの時は、治療をサボって半年ほど検査もせずに放置したらそれ以降は治療の効果は全く出なくなりましたが、ベオビュの場合は確実に回復するまでの効果が実感できています。

 現時点で注射して2ヶ月経っていますが、右目だけでテレビを見ても人の顔が誰か分かるし、少し大きめの字だったら読める状態です。ベオビュは私にとって非常に有効な治療薬です。しかし、現時点において私の周囲ではベオビュで治療している人は皆無です。


 現在治療している「さくら眼科」(京都桂川)でもベオビュは私一人だけで他の人への処方はされていないとのことです。ここは京大からの紹介で自宅から近いと言うことでお世話になっています。


 治験者に合わなければ血管が詰まって失明する可能性があることが分かっているようで、リスクが伴うため人に勧められないのが残念です。


 次回の注射は3月の予定ですが、私はこのまま継続してベオビュの治療を続けて行く予定です。

白内障の進行

 ベオビュに変えてから急速に白内障が進行し、1年ほど前に手術しています。ご存知と思いますが、白内障の手術は予想以上に簡単で、注射するのと比べて10分くらい時間が長く掛かる程度で、手術中や術後の痛みは記憶に残らないほど軽いものでした。

 手術は日帰りで翌日には眼帯が外れ、驚くほど視界が鮮明になりました。

 術後は今までと変わらず、全く不具合がありませんので、経験者として手術はお勧めしたいと思います。

 


 

お名前                      :  森田 久美子

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    : 2015年

クリアな視界に感動
白内障手術を受けて

病院選びから

 2015年位から人間ドックで視力低下を指摘され、眼科で検査するも黄斑変性はチェックされず、それから2年後位、見え方がおかしいので別の病院に移り黄斑変性と言うことですぐに注射をしました。かなりのショックだった事は今でも覚えています。浮腫はもう固まり注射をしても多分効果はないだろうと言われながら4回注射をしました。


 その間にわらをもすがる気持ちで多根眼科、おおしま眼科、その他3か所の眼科を回り 現在はむさしドリーム眼科に行っています。日赤でも診察されている先生に診ていただいています。、こちらの病院では2年半お世話になっています。

 病院の決め手はお知り合いの方が黄斑変性になり、その方も最初に行った病院からの紹介状でした。知り合いの方から詳しく聞いて、自分でもホームページを調べ、ここなら良さそうと思い診察を受けることにしました。たくさんの病院を回っているうちに病院のスタッフの雰囲気や先生との相性もかなり直感を信じました。そして自分で通える距離にあると言うことも大切でした。多根眼科や大島眼科で感じたようなストレスはなく、白内障手術もスムーズにできたので満足しています。

情報集めて手術を決断

 手術内容はたくさんの眼科医の方がYouTubeにアップされていて、かなり参考にしました。去年ぐらいからかなり視力が落ちて生活に不自由を感じていましたが、先生はそれほど積極的に白内障手術を勧められませんでした。

 その1つの理由には黄斑変性があると、期待できるほどの見え方が得られないこと。どうすれば良いのか?迷っていましたが病院で開催される患者や家族向けに白内障手術の説明会があり、それに参加してみました。その後の質疑応答でやはり白内障手術はした方が良いと判断し担当医の先生にも相談して良いタイミングにできたと思っています。

眼内レンズの選択

 どんな眼内レンズを入れるか。それが1番大切なことだとずいぶん調べました。


 網膜に異常のある人は単焦点レンズしか選択肢はなく、私もそれが良いと思っていましたし、今の単焦点レンズはかなりの範囲よく見えるようになり、コントラスト感度やハローグレアも多焦点レンズに比べるとかなり良いレンズだと理解しました。術前の検査の後、担当医の先生から「術後どういう生活を送りたいか?」と
聞かれました。


 私は高校時代からかなりの強い近視で眼鏡の生活はそれほど不自由を感じないので術後必要があれば眼鏡をかけても良いと思っていました。単焦点レンズは大きく分けて遠方を見ると近方を見る、そして最近は手元70センチから3メーター位まで見えるレンズ。車の運転は止めましたし、家の中で作業できる視力が一番良いかと思い、このレンズを選びました。

手術の日

 1月31日、手術当日は来院の30分前に散瞳の目薬を自分で差し、当日は8名位手術を受ける方がいて、実に速やかに流れに乗って手術は終りました。

 麻酔は点眼薬でした。1時15分に来院し、2時15分に手術控え室に入るまで何度かの麻酔薬、痛み止め、散瞳薬、抗菌目薬をさしました。手術は実質5分位でしょうか。手術室に入って前処置などを含めて15分ぐらいだったと思います。

 最近の病院はきっとそうなってると思うのですが、患者さんに寄り添い不安を解消するため、手術中も何度も声かけをして次に移る工程をアナウンスしてくださいます。

 もうそろそろ終わりますからねと言う声かけの時はほっとしました。

手術を終えて

 当日は術後の眼圧を下げるお薬、夜と朝の分と、もしかのための解熱鎮痛剤もいただいて帰りました。

 翌日は朝が早いのでコロナで通勤列車は嫌だったので近くのホテルを術後1泊とり9時までに来院しました。

 病院に行くともうすでに半数以上の方が来院されていて、なんだか不思議な連帯感に包まれました。(笑)診察で眼帯を外したときの驚きとクリアな視界に感動を覚えました。もう半世紀以上こんなクリアな世界を見たことがなかったです。

 帰りは簡単な眼帯をする方や、私は保護メガネをかけて帰りました。帰ってからは術後4日目まで通院します。1日3回3種類の目薬をさします。1つは抗菌目薬。2つ目はステロイドの炎症止め目薬。3つ目は黄斑浮腫を抑える目薬です。日に日に見え方に慣れ、黄斑浮腫による歪みにも慣れてきました。

右目の視力が回復、次は左目

 診察終わって初めて家で自分の顔を鏡で見たとき、自分の顔が細長く歪んで見えた時は恐ろしかったです。この見え方も浮腫のある場所によって人によるようです。術後の視力検査で手術した右目は1.0まで見えるようになり、そこそこ近くも見えます。しかし、手術をしていない左目は0.06のかなりの近視のまま。やはり不自由です。

 今日は、担当の先生の診察なのであと片方の目も手術をお願いしてこようと思っています。手術日がいつになるか分かりませんが、できるだけ早く手術をして、両眼でこのクリアな世界が戻ってくるのであれば、手術は嫌ですが楽しみでもあります。

 黄斑変性になってから徐々に視力も落ち、かなりいろんなことを諦めた生活をしていましたが、白内障手術をしただけでこんなに視力が改善されることに驚き、気持ちも前向きになります。

左目も手術

 前回の白内障手術からの今回の左目白内障手術の結果なのですが、右目と同様クリアな視界を期待して同じ度数合わせにしたのですが、残念ながら視力は0.6しか見えませんでした。それもぼんやり。かなりがっかり。右目は1.0。


 まだ眼帯を外してから2日目なので左右の見え方にもすぐにはなれませんが、両眼で見れば手術をする前の薄暗いぼんやりした世界からメガネなしで、そこそこ明るい世界が見えるのは嬉しいです。


 病院でもいろいろな方と待ち合いでお話していたら、ホントにそれぞれ違いがあって興味深いです。

 


 

 

お名前                      :  雲北  一雄

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    :  右眼 2014年5月(74歳)

視界が明るく眩しい

白内障手術を決めた理由

 2014年5月、74歳の時加齢黄斑変性滲出型を発症、治療開始、アイリーアの注射2ヶ月毎に1回した。

 2015年5月、自動車運転免許証更新の為、視力検査実施した時、眼科医より白内障の症状があると説明を受けた。白内障の症状が進行すれば、手術の方法があると説明を受けたが、実施は保留した。保留した理由は、症状としては、一般に目がかすむ、細かい文字が見えにくい等が言われているが、私の場合はその様なことは感じなかったからである。視力検査で矯正視力はR:0.4 L:0.7 。

 その後、手術をすることに決めた。その理由は、手術をした妻や友人の話を聞き、手術後は物がはっきりと 見え、眩しく感じると言われたからだ。 私も目が良くなると期待して眼科医に手術を申し出た(2019年6月)

 

手術前の説明

 眼科医より手術前、後の説明を詳しく聞く、妻同伴。  

 眼内挿入するレンズの度数はあらかじめ検査で予想して決めた。眼鏡を必要としないレンズを希望。

 手術実施日、右眼(2019.7.3) 左眼(2019.7.10 )

 

手術後

 手術の後 、視界が明るくなり、眩しく感じる、サングラスが必要と思う。眼鏡をかけなくても生活に支障がない程度の視力に回復している。

矯正視力 R:0.7 L:1.5

 従来の眼鏡は近視のため度数があわないので、レンズは買い替えた(2019.08 )

 医療保険給付金(外資系)右目、左目各¥10.000 が支払われた。

 


お名前                        小河原 えり子

加齢黄斑変性の型 : 

発症時期                    :加齢黄斑変性  2020年4月

                                       黄斑円孔    2021年6月

黄斑変性から黄斑円孔へ

 加齢黄斑変性は2020年4月に見つかりました。滲出型です。見つかったのは4月ですが発症時期はわかりません。先月5月の定期検診の断層写真で新生血管が消滅している事が分かり、とりあえずアイリーア注射はしなくて良い事になりました。新生血管消滅はアイリーア注射が効いたのでしょうと医師に言われました。以後経過観察をしましょうと今月6月7日に眼科検診。断層写真で黄斑円孔になっている。非常に珍しいケースですと。発症時期は不明です。来月7月の検診で聞いてみようと思っています。黄斑円孔は手術が出来るが予後が良くない。視力が戻ったとしても一年はかかる。副作用の問題もある。希に円孔が自然に塞がる場合もあるので当分は経過観察です。

仮に放置しても網膜剥離を起こさない限りは視力低下があるかもしれないが、完全失明はしないようで現状維持のようです。最近、黄斑円孔が見つかったばかりなので、医師と相談しながらやって行こうと思っています。私自身はよほどの緊急性がない限り手術はしない方向です。まとまらない文章ですがよろしくお願いいたします。経過観察の都度ご報告出来たらと思います。

サプリメント

 私はサプリメントを服用しています。写真は参天製薬のルタックスです。最初はルタックス20を飲んでいました。これは1日一錠でルテイン20mgです。その後ルタックス20Vをのんでいます。こちらは1日3回飲んでルテインが20mgになります。ルタックス20Vの箱に自分が飲んだ開始日書いてあります。

  値段ですがルタックス20は3箱で8000円前後。ルタックス20Vは3箱で10000円前後だったと思います。

 私は楽天で買いました。他のサイトとは比較していませんのでもう少し安く買えるかもしれません。


お名前                      :  阿部 真理子(67歳)

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    :  2020年

自分の目は自分で守る

「黄斑」を手掛かりに

 一昨年の夏のことでした。右眼がぼやけて見えたので、近所の眼科を訪ね診てもらいました。異常はないと言われました。それでも、見え方が今までと違うので、別の眼科に行きました。そこでも、病名をはっきり言われませんでした。ただ、「黄斑」に問題があるように言われ、眼薬を処方されました。

 この眼科で聞いた「黄斑」という言葉を手掛かりにインターネットで調べたところ、加齢黄斑変性の症状に似ていることが分かりました。そこで、大きな病院がいいと思い、かつて網膜裂孔で診察を受けた尼崎の病院にいきました。

 ここは、その前に診察を受けていた大阪の大学病院が遠いため紹介された病院です。

 診察にあたった若い医師は病名がよくわからず、先輩の医師と相談したようです。先輩の医師は詳しく検査して、病名が加齢黄斑変性であると告げました。しかし、その後は私を診察することはなく、再び若い医師に任せました。若い医師は加齢黄斑変性の治療には不慣れなようでした。

 アイリーアの注射の段取りなど自分で判断できず、看護師に確認するありさまでした。

自分で調べて選んだ病院

 このような病院に自分の眼を預けるわけにはいかない。自分の眼は自分で守らなければならないと思うようになりました。そんな時、「黄斑」という言葉を手掛かりに調べている時、「黄斑変性友の会」があることを知りました。電話して。病院を探していると相談しました。応対された方が示した、いくつかの病院におなかから最近できたという病院を選び、行ってみることにしました。眼科専門病院なら安心できると思ったからです。

 尼崎の病院では二回目の注射の予約をしていましたが、主治医に依頼して紹介状を書いていただきました。専門病院では、特に専門汚染性を指定することはありませんでした。病名は近視性脈絡膜新生血管と言われました。細かい質問にも答えていただき安心しました。「これからはこの病院で治療を受けたい。診ていただけますか」とお願いしたところ、承知していただいたのです。

 2回目、3回目と注射した結果、次第に落ち着いてきました。去年の冬までは、3カ月に一回の検査と診察でしたが、今年からは半年に五回になります。

 今は支障なく暮らしています。病院の医師から「おかしいと思ったらすぐ来てください」と言われています。

 自分で気になることを調べた結果、設備の整った病院で信頼できる医師に巡り合うことができ満足しています。

 


お名前                      :  神徳ひとみさん

加齢黄斑変性の型 :   滲出型

発症時期                    :   2020年9月頃(69歳)

 

一病息災の日々の中で

 

 私が右目の異常に気付いたのは2020年の9月頃でした。

 

 横断歩道や階段を降りる時の横線がゆがんで見えました。はじめは気のせいかと思いました。

 

 やっと眼科を受診したのは12月でした。手術(注射)は12月24日に受けました。それから現在(2021年7月)まで、月一回の検診で経過観察が続いています。

 

 右目の視力は落ちています。両眼で見るとまだよく見えています。左目を守りたいと思い、これからも油断せず気をつけたいと思います。現在、“友の会”で教えていただいたサプリメント、参天製薬のルタックス20Vをのんでいます。

 

 これまで、何度も先のことを考えると不安でした。一番おそれているのが失明の事でした。そんな時、ふっと、この病気の“患者の会”があればどんなに心強いことかと思い、一生けんめいネットで探しました。“友の会”にたどり着いた時は嬉しかったです。今からは一人じゃない!(オーバーですが)若ければとび上がっていた事でしょう。

 

 それからすぐに入会させていただきました。送っていただく体験談や友の会ニュースは毎回楽しみです。字が大きくて読みやすくあたたかい心遣いを感じました。

 

 私がこの病を得て思う反省点は食生活でした。偏食で特に野菜が苦手でした。緑黄色野菜は黄斑部に必要だと知りました。今は食生活も考えて工夫しながら、野菜料理が楽しくなってきました。

 

 失うものがあるなら、必ず得るものがある!と聞きました。私は今年71歳になります。これからの人生の時間で、得るものを一つでもみつけ、感謝の日々を送り続けたいと思います。

 

 



お名前  :力石 啓二
病名   :滲出型
発症時期  :2014年5月(65歳)

力石さん

力石さん

希望を持って長期治療を


私は2度目の体験談になります。右目が加齢黄斑変性になり、約7年になります。左目は現在も正常です。抗VEGF薬治療も3カ月~4カ月に一回の注射をし、合計で13回行っています。


幸いにも、ここ4年間は病状が初期の状態で安定しており、硝子体内注射は行っておりません。


悪い右目の視力は 0.9 ⇒ 0.4 ⇒ 0.8 となり安定しています。

  
見え方は右目が少しゆがんで見えますが、左目の視力が1.2であるため生活には問題ありません。


サプリメントは毎日参天製薬のルタックス20や総合ビタミン剤、DHA・EPA、亜鉛、ブルーベリーを飲んでいます。


この病気は、現在完治はないと思いますが、私のように安定した状態で止まるケースもあります。どうか希望を持って治療をして下さい。


(2021年7月)


お名前    : 川田 文
病名     : 近滲出型
発症時期    :2018年12月(61歳)

川田さん

人生に必要な枝切り

 

早期発見・早期治療というけれど
 眼に異常を感じたのは、2018年12月の初めでした。初めは何かふと物を見た時、黄色い物が見えましたが、じっと見つめたら何も見えない。少し気になって近所の眼科医で診察してもらったところ、ストレスから来る『中心性漿液性脈絡網膜症(ちゅうしんせいしょうえきせいみゃくらくもうまくしょう)』と診断され、3ヶ月もしたら勝手に治ると言われ、その後、正しい診断が出るまで、2ヶ月のタイムラグがあります。この頃はすでに、症状は自分でもわかるくらいかなり進んでおりました。


 加齢黄斑変性は早期発見・早期治療といわれますが、誤診によって大切な時期に治療のタイミングを逃し残念でなりません。

毎回変わる打ち手の医師
 最初の診断が誤診である事がわかり、この病気はウチでは治療出来ないので、県立病院に行く様、紹介状を渡されました。紹介状の宛先の先生が来られるのは、2019年1月22日でした。ところがその眼科診察前日の21日の夜、介護をしていた舅が亡くなり、バタバタと葬儀やら何やらで、その紹介状の宛先になっていた先生には、ようやく2週間遅れ診察を受ける事ができ、やっと「加齢黄斑変性症」との診断を受けました。


 実に自分で異常を感じて受診してからすでに2ヶ月が経ち、状態はかなり悪くなっていました。


 最初は紹介された大学病院で治療してもらっていましたが、その病院の眼科はすでにいっぱいでパンク状態。 私の主治医の先生もバイトで月に2回来られるだけなので、いろいろと尋ねたい事があっても、訊く機会もなく、こちらは不安を抱えたままで、ひと月過ごすわけです。その上、眼球注射は打つ度に先生が変わり、主治医の先生には一度も打ってもらった事はありません。


 ひねくれた見方かも知れませんが、何だか「所詮バイト」的な無責任さが感じられ、先生への不信感が芽生えてしまいました。


 またその病院に行くのに交通の便がなく、タクシーで行けば片道4,000円もかかり、眼球注射の費用と合わせれば、大変な出費になります。


 最初の眼科医から紹介された病院の医師でしたが、病院を選ぶときには自分でもしっかりと調べる必要があることを痛感しました。

 

セカンドオピニオンで見つけた医師
 そこで、実家の母の介護当番(兄夫婦と当番制でやっています)の日に合わせて、実家から通いやすく眼球注射が出来るかどうかはもちろん、さまざまな条件を徹底的に調べました。


 いろいろな紆余曲折がありましたが、開業まだ2年目ですが、私の思う条件にピッタリの眼科が実家の隣り町で、開業されている事がわかりました。すぐさまセカンドオピニオンをお願いし、今までの経緯ともし何かあった場合の対応など、事細かく聞かせて頂きましたが、全てにとても誠実にお応え下さいました。


 また、奥様も眼科医で 地域医療にも積極的に力を入れておられます。


 何と言っても バックに『県立医大』の大看板があっての眼科医とは違い、開業医の場合、何かミスがあれば、全て自分で責任を負わねばなりません。その覚悟と自信がその先生からは感じとる事ができました。


 やっと自分の望む先生に巡り会えたと、とても嬉しく感激しました。


 県立医大の方には、転院を申し出て今までの資料を送って頂けるようにお願いし、その後、現在に至るまで、その先生に1ヶ月に1回のペースでアイリーアを注射してもらっています。

 

情報に振り回されない冷静な判断
 ある時、製薬会社の人から、アイリーアの注射について聞いた話で不安を覚えたことがありました。


①アイリーア注射を打ち続けていると血栓ができやすくなるリスクがある
②段々と薬に対する耐性が出来てきて、薬が効かなくなる


心配になり、それまで一カ月おきの注射を2か月間空けてみた結果、かなり病状が進行してしまい、主治医の先生と相談の上、また一カ月に一度のペースで注射しております。


 それから約3年間、一カ月に一度のペースで眼球注射を続けたところ、②の耐性が出来るようなことはなく。此処に来て、ようやく薬の効果が表れ始めてきました。


残念ながら、まだ一カ月たつと、また新生血管が元と同じように大きくなりますが、今までと違い、注射後2~3週間くらいは小さくなってくるようになりました。


 治療方針はそれぞれの患者さんの状況によって様々ですので、やはりその患者さんの状態を一番よく知って下さり、信頼関係を築ける眼科医の方と相談の上、最後は患者さん本人の決断次第ですね。あまりいろんな情報に振り回されないように冷静に判断し、情報整理していきたいと思います。

 

2020年5月28日

2020年5月28日

2021年4月5日

2021年4月5日

20210506

20210506

20210518

20210518

               

新しい夢
 「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といわれますが、時には桜の木も「これでもか!!」と思うくらいに切る時があります。残酷なようですが、その分地の下にしっかりと根を張り、より大きく強く美しい花を咲かすために。


 この病気になって、私は多くの大切なものを失いました。仕事を失い、友人とも疎遠になり、諦めざるを得なかった夢もあります。けれどもそれまで出会うはずのなかった多くの人とご縁があり、また新しい夢を見つける楽しさはとても新鮮な気持ちになれます。この病気はきっとしっかりと根を張り、より大きく強く生きるために私の人生に必要な枝切りだったと思います。

 



お名前    : 鈴木 真里子
病名     : 近視性脈絡膜新生血管
発症時期    :2020年8月(66歳)

与えられた視力を大切に

 目に異変を感じたのは、2020年の8月末でした。夜、新聞を読んでいると、目の前がぼおっとして、字が読みにくくなったのです。どうしたのだろう、そう思って片目ずつ目をつむって確かめると、右目が見えにくいことが分かりました。


 数日、様子をみていましたが良くならず、近所の眼科に行きました。視力検査、眼底検査、眼圧等の検査をしましたが、特に異常はないということで、そのまま帰宅しました。


 2週間後に人間ドックを受け、視力検査で去年矯正視力1.0だった右目が0.4に落ちており、メガネを変えたかと聞かれました。そこで、もしかしたらメガネが合わなくなったのかもしれないと思い、メガネ屋さんに行って検査をしてもらいました。検査の結果はメガネ上の問題はなく、やはり目に何らかの異常があるのではないかということでした。


 そこでセカンドオピニオンと思い、別の眼科に行きました。いろいろ検査した結果、医師の話では、白内障の兆しがあり、右目黄斑部にめくれがあるということでした。薬を飲んで様子をみましょうということで、飲み薬と白内障予防の点眼薬をもらいました。


 帰宅してから、「黄斑部、めくれ」とインターネットで検索してみましたが出てこず、検索しているうちに「加齢黄斑変性」という病名が出てきました。画面に映るアムスラーチャートをしてみると、右目で方眼紙がぐにゃりとゆがんで見えたのです。症状もぴったりで、記事には早期発見早期治療が大切と書いてあります。次に眼科に行くのは薬がなくなってからの1か月後の予定でした。そこまで待つのは不安と思い、大きな病院に行く決意をしました。


 私は以前、網膜裂孔でレーザー治療をしたことがあり、そのときに術後の定期検査でお世話になった総合病院を思い出し、行ってみることにしました。電話して尋ねると、以前の診察から何年も経過しているので、初診扱いになる、紹介状をもらってきてほしいということでした。


 そこで、薬を処方した眼科に依頼して紹介状を書いてもらい、持参して受診しました。私の担当医は若い医師で、検査の結果を見てもよく分からず、先輩医師の診断を仰ぎました。先輩医師の話では、黄斑部に水がたまっており、注射でよくなるが年を取ると再発することもあるとのこと。「加齢黄斑変性」と「強度近視」のパンフレットを渡されました。


 それから診察は若い担当医に戻り、蛍光眼底造影検査をすることになりましたが、検査の予定が空いておらず、2週間後になりました。検査の日を待っている間も、右目はどんどん悪化するように思え、左目だけでは生活も心もとなく、活字を読むこともままならなくなりました。愛犬が顔を近づけてきてもはっきり見えません。


 やっと2週間が経過し、蛍光眼底造影検査をしました。検査の結果、担当医から「滲出型の加齢黄斑変性」と診断されました。断層写真を見ると、2週間前のものと比べ、ふくらみが大きくなっているようでした。医師に、「こうなってからではなかなか治らない」と言われ、この2週間の間に悪化したのかと思うと、暗い気持ちになりました。それから治療の話になり、注射をしましょうか、ということになったのですが、悠長に「いつにしましょう?」と聞かれたので、できるだけ早い日程でお願いしました。それでも4日後でした。


 右側にあるものは顔をずらして左目で見ないと見えない状況で、一日一日、目が見えなくなっていく気がして不安でたまりませんでしたが、やっと注射の日を迎えました。医師には、加齢黄斑変性と強度近視の違いを尋ねましたが、「分からない、はっきりしていない」との返答。注射で治るのか尋ねても「注射してみないと分からない、難しい病気」とのこと。アイリーアとルセンティスの違いを尋ねると「アイリーアの方が強くて効果がある」とのこと。不安の中で、10月中旬、1回目のアイリーア注射をしました。医師は注射自体もとても不慣れな様子で、高い費用がかかることも事前説明はなく、看護師さんから聞いたほどでした。


 注射のあとも良くなった感じはなく、アムスラーチャートでもゆがんで見えることに変わりはありませんでした。この先、読むこともできなくなると思うと、真っ暗な気分になりました。私はもともと読んだり書いたりすることが好きで、仕事もそうした分野のことをしていましたし、図書館の本は、冊数の限度まで借りるほどでした。


 現在の医師や治療に対する不安をかかえ、加齢黄斑変性を調べているうちに、友の会のことを知りました。すぐに入会手続きを取り、現状と医師に対する不安感を伝えたところ、セカンドオピニオンを勧められ、大阪や兵庫のいくつかの病院を紹介されました。新聞などで最近よく見かける兵庫の病院に行くことを決めました。若い担当医の心ない言葉で傷つくことも多く、現在の病院で治療を続けることに大きな不安を感じていたので、転院を考えました。この病院は、紹介状なしでも受診できますが、電話で問い合わせるとやはり紹介状はあったほうがよいとのこと、また、私はすでに1回目の注射を終えているので、転院してその後の継続治療が可能かどうかも分からず、紹介状を書いてもらうことに決めました。


 そこで、注射後の診察日に、黄斑変性の専門の病院でも診てもらいたいと話し、なんとか紹介状を書いてもらうことができました。


 それから、兵庫の病院へ。眼科に特化した病院ということもあり、ずらりと並んだ最新の検査機器、医師や職員の対応にこれまでの病院との大きな差を感じました。


 ひととおりの検査の結果、私の場合、「加齢黄斑変性」ではなく、「近視性脈絡膜新生血管」との診断でした。今後はこの病院で診てもらいたい旨をお願いし、承諾されて心からほっとしました。

 後日、加齢黄斑変性と近視性脈絡膜新生血管との違いを尋ねたところ、網膜の腫れ具合が違う、また近視性では眼球が楕円形に伸びているため、強膜と網膜の間にある脈絡膜にヒビが入ることがある。それを補おうとして新生血管ができる。私の場合、脈絡膜にヒビが入っており、同じ場所に新生血管ができているというお話でした。


 その後、1か月ごとに注射をし、最初の病院での注射も含め、これまでに3回の注射を終えました。目の具合は、2回目の注射の頃から視力が良くなってきて、現在、あまり苦労なくものが見えるまでに回復してきています。読んだり書いたりも依然と同様にできるようになってきました。今後は、定期的に検査に通い、また悪くなるようなら注射をするということになっています。もう片方の目も同じようになる可能性があると言われており、油断はできません。


 医師の話によると、近視性脈絡膜新生血管の場合、目の形状の問題なのでこれといった予防策はない。サプリなどの効果も症例が少ないためまだエビデンスはないとのことですが、血流をよくすることは大事とのことで、食事や運動にも気を配って生活していきたいと思っています。


 今回の体験から、見えることのありがたさをあらためて感じています。一時は本当にお先真っ暗な気持ちになりましたが、視力も与えられたものだと実感し、自分の生き方を見直すチャンスをもらったと前向きにとらえたいと思っています。これまでは無意識に行っていた読んだり書いたりも、意識せざるを得なくなり、本当に大事だと思うことにしぼるようになってきました。


 また、確かな情報とよい病院を受診することも大事です。私の場合、いくつもの病院を受診したにもかかわらず、診断がつかないまま、あるいは誤った診断のまま、日が過ぎていきました。加齢黄斑変性をよく知らない眼科医もいるのだと思うと、愕然とします。これから、友の会の皆さまとも心を合わせてご一緒に歩んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 


お名前                      :   國枝 滋樹

加齢黄斑変性の型  :    滲出型

発症時期                  : 右目 2016年4月(73歳)

國枝滋樹さん

國枝滋樹さん

発症から5年、PDTと白内障手術で視力改善

  • 探した転院先での手厚い治療

 

1.現在の状況

 黄斑変性友の会から体験談をと言われて、随分と時間が経ちました。

 会に入会した当時(2019年)に受けていた治療は、抗VEGF薬のアイリーアとルセンティスの注射だけでした。入会後にPDT(光線力学的療法)と白内障の手術も受けました。また最近では、初めてベオビュの注射を受けました。体験が増えました。

 病院での治療に加えて、サプリメントも確実に服用するようになりました。NHKの 「きょうの健康」で悪化防止のためにビタミンC・E、ルテイン、亜鉛などを食事やサプリメントからの摂取を推奨されたのと、NHKの番組「チョイス」で友の会の高田さんが説明していたサプリメントも服用しています。幸いにも右目の加齢黄斑変性は悪化していないようです。左目も発症していません。現在の治療とサプリメントの服用を続けたいと思っています。

 黄斑変性友の会に助けられました。友の会には参考になる情報が沢山あります。 後にも記載しましたが、途中で病院を変えることにした時に友の会の情報が役に立ちました。感謝をしています。

 

2.発症と治療の経緯(転院前)

    私が病気の発症に気がついたのは2016年4月11日の朝、目覚めたときでした。右目の中心に黒くて大きな丸い物が見えたのです。15日にかかりつけの眼科医院を受診。加齢黄斑変性の疑いありとして京都市内の病院を紹介されました。

    翌週22日病院を受診。蛍光眼底造影検査を受け27日に滲出タイプの加齢黄斑変性と診断されました。担当医師から治療の進め方の説明がありました。抗VEGF薬の眼への注射とPDTとの併用治療になるだろうとのことでした。

 パンフレット「アイリーアによる治療をはじめられる患者さまへ」とアイリーアによる「高額療養制度のご案内」それとPDT手帳「ビスダイン療法で加齢黄斑変性治療を受ける患者さんへ」のパンフレットを渡されました。

 パンフレットを読む間もなく、診察後、初めて眼に注射(アイリーア)を受けました。不安と怖い思いをしました。当日と翌日3日間に点眼する抗菌薬(ベガモックス)を処方されました。

   2016年4月から2018年4月までアイリーア注射を13回実施。2018年5月から2019年1月までルセンティス注射を8回実施。ただ、ルセンティスは私には、あまり効果がありませんでした。「水の溜まり」が早かったのです。

 (注)「水の溜まり」とは、新生血管からジワジワと出た血液が黄斑部分に溜まることで像が歪んで見えます。

 費用は診察、検査を含めてアイリーア注射の時は、約4万5千円(3割負担)、ルセンティス注射の時は約5万2千円と7千円ほど高額でした。担当医師は注射をアイリーアに戻しました。2019年2月から6月まで3回実施。ルセンティスより効いていると感じました。

 でもこの頃から転院を考えるようになりました。診察時にPDTを併用すると何度も話がありましたが、3年近くになるのに一度も実施されないのを気にしていました。 PDTは、出来れば網膜を痛めるかも知れないので注意する必要があるとの知識はあったのですが、なぜ言われて実施されないのか説明がないので不安になってきました。

 また2018年4月の診察時には「白内障がある。治療すれば視力は良くなるだろう」との話もありました。でも実施されそうにはありませんでした。他にも病院の仕組みや運営についても転院をしたいと思うことがありました。この病院は京都では優秀な病院として評判なので残念なことでした。

 

3.転院先の検討

 検討して選んだ3カ所(大阪2,兵庫1)から、兵庫に絞りました。ただ、もっと 

 詳しい情報を得たいと思いました。 黄斑変性友の会があることを知ったのです。直ぐ6月に入会しました。正解でした。非常に参考になって良かったと思っています。

 病気の患者会は、家内が関節リウマチを患ったときに、日本リウマチ友の会に入会して、京都の病院について、いろいろと教えてもらって病院の選定等で助かりました。そして適切な治療を受けられたことがあったからです。

 

4.転院後の治療の経緯:PDTやベオビュの治療

 医院の紹介で兵庫の病院を7月2日に受診出来ることになりました。前の病院での治療内容の経過を説明しました。

 7月8日に目の状況把握のために蛍光眼底造影検査を受けました。その後は、水の溜まりは少なく白内障も中心からズレているとのことで視力は0.6-0.8と良く見えていました。

 9月になって状況が変わりました。9月10日の診察で、右の視力が0.3と低下していました。10月に入院して、初めてPDT手術を受けました。

 PDTの効果か、アイリーア注射は、翌年2020年7月まで9ヶ月間ありませんでした。 それと右目の白内障の手術もPDTと同じ担当医師により8月に受けました。視力が0.3から1.0に 改善しました。もちろん歪みも少しありますが良く見えるようになりました。手術して良かったです。

  2020年8月に兵庫に移って3回目のアイリーア注射をしました。2020年11月に担当医師よりアイリーアからベォビュに変更の話があり、パンフレット「ベオビュによる治療を受ける患者様へ 滲出型加齢黄斑変性」と「水晶体注射に関する説明書(同意書付き)」を渡され副作用について少し話をされました。同月に注射を受けました。

 2020年12月と2021年1月にOCT(光干渉断層撮影)検査で水の溜まりをチェックされましたが効果があるようです。注射をするとしても3月以降になりそうです。ベオビュの薬は感じられるような副作用は、今のところありません。

  注射の回数は、PDTの効果もあってか、京都では期間平均2ヶ月に1回でしたが、神戸に移ってからは、今のところ4ヶ月に1回と減っています。

 以上が、現在までの治療の経緯です。

 

 5.良かった転院

 転院は心配でしたが、結果は非常に良かったと思っています。

  兵庫の病院の担当医師を信頼しています。PDTと白内障手術の結果も良かったことと新しい薬ベオビュ注射の効果も診てもらっています。有難いです。

 別の医師から聞いたのですが、この病院では医師はグループ化されており、各患者の治療は、グループ内で意見交換して、治療方針をたてて進められるとのことです。一人一人の患者が大切にされていると感じました。

 また、病院の検査体制、眼への注射などの体制、看護師等の患者への対応、患者を長時間待たせないことへの配慮。京都の病院とは、まったく異なり素晴らしい病院だと感じています。

 

6.二つの病院比較(転院理由の補足等)

転院は、慎重にあるべきだと思ってはいます。今までの治療が場合によっては無駄になることや、病状が悪くなることもあるかも知れません。

  京都も兵庫も同じ公立病院ですが、下記の点で違いを感じています。

 

  • 診察治療:京都では、すると言われていたPDTと白内障の手術も実施されなかったこと。説明もなく不安でした。

 兵庫では、PDTは初診後3ヶ月後、白内障は12ヶ月後に確実に実施されました。

  • 検査(眼圧・視力・OCT):京都では検査の対象は、悪い方の右目だけでした。正常な左目は対象外でした。高齢化すれば、左目も発症もする可能性があると言われています。検査がないのでかかりつけ医に診てもらっていました。

 兵庫では、毎回、両眼を検査、断層だけでなく血流を見るOCT検査も実施。

 安心感が違います。

  • 抗VEGF薬の注射

  京都では診察後、担当医師か、またはその都度、異なる助手が実施するため、上手か下手か分からないので不安でした。注射の場所も、控え室風で暗く衛生面に心配がありました。

 兵庫は診察とは別の日になりますが、清潔感のある専用の部屋・設備で専門医師・看護師により注射前の手順が丁寧に行われ注射も不安がないように配慮されていました。

  • 待ち時間について

 兵庫への通院時間は、片道約2時間かかります。京都の倍以上です。

    ところが通院と病院の滞在の全行程(自宅から出掛けて自宅に帰るまで)は、どちらも約5時間です。(自宅を出発してから帰宅するまでで。通院時、段階毎にスマホで 時間を記録しています。京都では、注射は、診察の後行われますが、比較のため注射にかかる時間は除いています。)

  京都は通院時間が短いのですが、検査や診察の待ち時間が非常に長いのです。  急患でもない患者の割り込みが多く、受付番号がバラバラです。「早回し」というのがあるようで、担当医師から早回しにしょうかと言われたこともありました。診察室・検査室の前や眼球注射の控え室にいると割り込み状況が良く分かります。これも転院を考えた要因の1つです。

  病院の収入に貢献しているのは、多くの一般患者です。運営に当たっては、患者に対して公平にあるべきです。京都人として悲しい限りです。全職員が意識を改革して、公平さと正義感を持って、正常な病院運営をされることを、そして私も良好な治療を受けられることを期待しています。

 

第二部 PDT(光線力学療法)の治療を受けて

 1.PDTの事前説明

 2019年10月兵庫の病院でPDT(光線力学的療法)、光に反応する薬剤ビスダインによる治療を初めて受けました。腕の静脈から注射した後、病変部にレーザーを照射するという2段階で構成される治療法です(PDT手帳)。

  私は、発症してから今まで、治療は抗VEGF薬の右眼への注射のみでした。アイリーア16回とルセンティスを8回受けていました。2019年7月から兵庫の病院を受診することになりました。

 担当医師は、治療の基本方針として。注射の方がPDTと違って網膜を痛める

可能性がないので、注射でいける人は注射で行くとの説明がありました。診察は月に1回程度です。7月と8月は、右目視力は0.6~0.8で見えていました。水の溜まりも比較的少なく、指摘されていた白内障も中心からズレているとのことでした。

 ところが9月になって状況が変わりました。9月10日の診察で、右の視力が0.3に低下していました。水が溜まったのと白内障が急に進んでいるとのことでした。

 PDT(ビスダイン療法)を検討するためにスケジュールが立てられました。

  • 9月20日蛍光眼底造影検査 ②9月24日診察 ③10月4日アイリーア注射

仮予約 ④10月11日PDTの仮予約    

 9月24日の診察でPDTを実施するとのことが決まりました。診察では水漏れの箇所は、9月20日の造影検査で確認しているので、そこにレ―ザーを照射するとのことです。PDTの前に水の溜まりを少なくするためアイリーア注射を行うとのことでした。白内障の治療についてはPDTをやってから考えるとのことでした。

 担当医師から手術の手順と看護師からは入院手続きや日程とその内容などについて説明がありました。そして身長と体重の測定がありました。

 (渡された資料)「PDT手帳」「PDTに関する説明書」「PDTの入院日程のクリニカルパス(日毎にどんな処理があるのかと注意事項等を記載)」その他入院関係の書類を渡されました。

 治療内容は「PDT手帳」によると

  • 使用するビスダインの量を身長と体重から体表面積を算出して決める。
  • 調整したビスダインの溶液を、10分間かけて腕の静脈から注射をする。
  • 注射終了後、眼に点眼の麻酔薬をする。
  • 特別なコンタクトレンズを装着し、腕の注射開始から15分後のタイミングで病変部にレーザーを83秒間照射する。 
  • このレーザーの働きによって活性化されたビスダインが新生血管を退縮させる。このレーザーは熱を発生させないので、眼に強い痛みが生じたり、組織を焼くことはありません、と掲載されています。

 

2.入院

 入院期間は、1泊2日(10月11日から12日)です。

 また10月4日アイリーアの注射の説明と「硝子体注射に対する説明書」等の資料も渡されました。注射に先立って使用する点眼薬(ベガモックス)を処方されました。10月1日から7日まで右目に1日4回点眼します。

〇10月4日アイリーアの注射

〇10月11日(金)入院

 13時受付、病室へ瞳孔を開く目薬を3回点眼そして点滴。

 14時40分病室から処置室へ移動、説明後。ビスダインを注射。

 15時過ぎレーザー注射。治療後点滴が抜かれる。その後病室に戻る。

 

【治療後に強い光を浴びないことへの注意】

 治療後48時間は皮膚や目が日光や強い光を浴びないように保護が必要となります。光を浴びないように、院内で動ける範囲の限定や病室ではカーテンで光が入らないに注意することや、また、ビスダインを早く体外に排出させるために水分をこまめに飲まなくてはなりません。

〇入院2日目(土)

 午前中に診察がありました。強い光を避けるために日没後に退院の予定でしたが、19号台風の影響で交通機関が乱れているため、2泊に変更し3日目日(日)に日が暮れてから退院することになりました。

 帰宅途中の光対策として、ツバの長い黒い帽子(家内のもの)、サングラス、黒マスクと黒手袋を着用しました。ただ、少し異様な格好なので、一人で帰宅するのはまずいと、家内が付き添いました。

 

3.退院

 「PDT手帳」には、直射日光に対して注意するように書かれていて「日中に外出する場合は、サングラス・手袋・ツバ付きの帽子・長袖のシャツ・長ズボン・くつ下を着用してください」と記載されています。

 また、副作用として「治療した目に起こりうる視力低下などの視覚障害、薬剤の投与に関する痛み、光線過敏性反応(治療後に強い光を浴びたことによってやけどのような症状になる)、注射部での副作用(薬剤の漏れによる炎症や出血など)が報告されている」とのこと。

 光源についても、注意が必要なものと、必要でないものとがあります。

(注意が必要なもの)直射日光、白熱灯(裸電球、スタンド)、ハロゲンランプ、コピー機、スキャナー、車のヘッドライト、ネオンライトなど

(注意が必要でないもの)テレビ、パソコン、蛍光灯、LED照明

 ビスダインは、投与後48時間(入院中・退院後)は体内から薬剤が完全には排出されていません。そのため日光など強い光を浴びないように特に注意する必要があります。

 「また、治療後5日目までは、できるだけ日中の外出を避け、強い光は浴びないようにしてください。」(PDT手帳)ということです。

 

4.自宅療養

 以上が、ビスダイン療法の内容ですが、手術そのものは、痛みは特に感じませんでした。ただ手術中は、レーザーの照射点がズレないように、眼を動かさないように注意する必要があります。

 術後、帰宅してからも家の中で過ごすのに光対策が必要です。診察時に、注意事項として聞いていたので、入院前に家での対策をしました。

 我が家は、戸建ての2階建て、各部屋には雨戸があり閉めれば良いのですが、玄関の屋内側、キッチン、トイレ、洗面所、浴室の各窓には雨戸がなく、照明も白熱灯でした。窓には、黒のビニール袋や布を貼り付け、照明は、LED電球に取り替えました。浴室は、日が暮れてから入浴すれば良いので対策しませんでした。

 

5.経過観察

10月21日、PDT後初めての診察。右目視力0.5(手術前より少し向上)

 担当医師は10日しか経っていないので効果は分からないと思うが、「OCT画像

 ではじくじくした感じがなくなってきて、少しスッキリしている。PDTは効いても 

 効かなくても3ヶ月以上は間隔を開けることになる。」などを言われました。

 11月19日、12月24日の診察。 右目視力0.8(前回より向上)。水が、減っている。PDTが徐々に効いている。

 

 PDTを受けて、2ヶ月経ちOCT画像に徐々にじわじわ感がなくなり、水の溜まりも減っているということで、PDTの手術が上手に行われたと感じました。

 また、PDTは、1ヶ月、2ヶ月と徐々に効くようで、前に言われた「PDTは効いても効かなくても3ヶ月以上間隔を開ける」と言われたのが分かる気がします。 以降、診察のみで、注射等の措置があったのは、2020年7月のアイリーア注射で、PDTから9ヶ月後となりました。

 また、懸案となっていた、白内障の手術は8月に実施された。9月には、右目の視力が、1.0(左は1.2)となりました。自動車運転免許証が、初めて「メガネの条件がなし」になりました。ここまで良くなると思っていませんでした。

 

 PDTと白内障と2つの手術の結果、視力が大きく改善しました。良かったと感謝しています。

 

 


お名前      :小河原(こがはら) えりこ 

加齢黄斑変性の型 :滲出型

発症時期     :2020年4月(70歳)

小河原(こがはら)えり子さん

小河原(こがはら)えり子さん

不安の中で出会った友の会

加齢黄斑変性と診断されてから10カ月が経ち7回目の抗VEGF薬「アイリーア」の治療を受けました。子供の頃かから病気がちで色々な手術もしてきましたが眼には自信がありました。ただ仕事の関係上目を使う事が多くドライアイの目薬をもらいに20年ほど前から3ヶ月ごとに眼科に行き検眼や眼圧などの検査をしていたのが発見に繋がったのだと思います。

 医師の説明では、まず1ヶ月に1回、連続3回行い、その後は定期的に経過観察を行いながら、通常、2ヶ月に1回治療を続けます。と言われ「先生一生しなければならないのですか?」と聞きましたら、新しい治療が確立するまでは、この方法しかないとのことでした。

 最初に診断を受けた時は左目がダメでも右目があるさ❗的なちょっと楽観視している自分でしたが、資料を調べたり視覚障害に関わっている人から話を聞いたり、アイリーア治療の効き目が感じられない事もあり不安が大きくなって行きました。

 更に今が頼りの右目にも発症したらどうしよう❗それでなくても注射恐怖症の私が眼球に注射を受けつづける事が知らず知らずのうちに大きなストレスとなっていました。去年暮れには動悸が止まらない。眠れないなど症状が強くなり主治医に相談して、しばらく安定剤を飲んでしのいでいました。頭では理解出来ていても感情が追い付かず苦しい時期を過ごしていました。

 そんな時に「黄斑変性友の会」の存在を知りに星野事務局長にお電話し入会させていただきまた。すぐに体験談や資料やDVD(NHKのチョイス、加齢黄斑変性最新治療情報)を送っていただき、大変心強く思いました。

 先日は代表の高田さからサプリメントのアドバイスもいただき早速取り寄せました。幸い眼科の医師がきちんと説明してくれ、私の気持ちに寄り添ってくれるのも救いです。

 友の会入会を機に同じ病を抱えていらっしゃる皆様との交流を通じて前向きに日々を重ねて行けたらと思っています。

 

 

 


お名前      :南 和代 

加齢黄斑変性の型 :滲出型

発症時期     :2014年10月(65歳)

ストレスや疲れをためない日々を!

 昨年はコロナ禍で少し不安を抱き眼科を受診しました。しかし、いつもどんな時も患者を待ち診て下さる医師がいることに感謝の気持ちでいます。

 私が左眼の異変に気付いたのは6年程前、ハガキの字が凸凹に見えたことです。まるで水の中で見ているようで、手で触れて平面を確認していました。

 近くの眼科では中心性脈絡網膜症で少し様子を見るように言われました。しかし状態は変わらず、幸いにもS病院のG先生を紹介され診て頂きました。左眼は乱視のためその歪みが影響しているとの事でした。さっそくアイリーア硝子体内注射を受け、以下はその回数です。

2014年

2015年

2016年

2017年

2018年

2019年

3

1

1

2

1

2

 

 そしてその後は物の中心が暗く見えることもなくなり、写真でも水たまりはなくなり現在に至っています。そして矯正視力もよくなっています。

 いま思うと、私の眼が悪くなった時期は元気でいた母が大腿骨を骨折してその世話に日々を費やしていました。また目の回復は母が白寿で亡くなったあとの時期と重なっています。疲れやストレスは眼と関係があるかと思ったりします。そして2019年の友の会への入会と同時に教えていただいたサプリメント「オキュバイト50プラス」も飲みつづけていて効果があったと喜んでいます。またコロナの中、ストレス解消と運動を兼ねて自宅で毎日1時間のストレッチをしています。趣味の短歌も私の楽しみのひとつです。

 今後も友の会ニュース・体験談を読んで参考にさせて頂きます。

 

 


お名前      :布施 英子(80歳) 

加齢黄斑変性の型 :滲出型(両眼)

発症時期     :右目(70歳) 左目(63歳)

布施 英子さん

布施 英子さん

目をいたわる生活を

 立春なのに長浜(滋賀県)は雪降りです。10㎝ほど積もっています。雪景色はきれいですがネ・・・・・。

 「友の会ニュース」15号などお送り下さいましてありがとうございました。五味文先生の「新型コロナウィールスと眼科治療」の記事は分かりやすく、私の目の治療の手引きの一つとさせていただきます。

 1月5日、右目にルセンティス注射治療を受けました。水が溜まってきたのです。前回の注射治療より2年が経っていました。1月27日、注射後の診察に行きました。病状が治まっていなくて続けて注射と言われないかとビクビクしながら行きました。検査の結果、水はきれいに引いていました。うれしくて診察室で拍手をしてしまいました。

 けれども五味先生の記事にありますように注射で治まっても再発するのが難儀です。注射を受ける期間が少しでものびるよう目をいたわって生活していこうと思っています。

 「赤ワインと玉ねぎ」は朝夕飲んでいます。飲み始めて5カ月が過ぎました。血流が良くなったようです。目の疲れが和らいでいます。又、冬は指先のアカギレがひどくて痛い思いをしていましたが、今冬は免れています。

 1月26日、(数年前の定例会で隣合わせになり親しくなった大阪の)神坂真佐子さんがお電話を下さいました。日常のこと、目の具合のこと、お話がつきません。私を忘れることなく、お電話をくださいますこと、ありがたく幸せです。

 色々お世話になりますが本年もよろしくお願いいたします。切手を少々同封します。ご笑納ください。

(2021年2月3日)

 


お名前      :中山 由記子 

加齢黄斑変性の型 :滲出型

発症時期     :2019年3月(79歳)

中山由記子さん

中山由記子さん

「加齢黄斑変性に罹って・・・・」

 

食生活に気を付けていたのに
 私は80歳になるまで病とは関係なく、健康に恵まれた生活を送っていました。しかし、2019年3月のある朝、目が覚めて立ち上がろうとした時、左目の瞳の真ん中あたりに何か黒い物に覆われたような、視界を妨げられたような異様な感じを覚えたのです。


 直ぐに眼科病院を探し、ネットでは評判が良かった病院で受診することにしました。診断結果は「加齢黄斑変性」と言われました。加齢と言う名前が付くのだから歳をとったら仕方のない事?と思いながらも女医さんに、私は食生活には気を付けて来たのですが、と言いますと、医師はひとこと「食事なんて関係ないですよ」の返事に一寸がっかりしました。食事が大事と言う事に関心が無いのだと、一瞬思いましたが注射の予約を入れて帰りました。

 

1年3カ月に8回注射
 その治療として2019年4月から6月まで1か月置きに3回の注射を受けました。その後8月に再発で注射。又12月に再発で注射。2020年3月に再度の注射。4月に又注射。6月にも注射。1年3か月の間に8回もの注射を受けました。こんなに立て続けに注射をして良いものかと疑問を持つようになっていたのです。翌月の7月の検診でも「次の予約を入れましょう」と言われたのですが、私は様子を見たいと思います。と返事をしました。


 それ以降行く気になれないでいます。左目が見えにくいことは確かです。しかし、病院へ行かなくなって7か月目になりますが、特別悪化したようには感じられずにいるからです。

腹八分目に医者いらず
 今まで、私は元氣で長生きしたいという強い信念を持っていましたから、まず “腹八分目に医者いらず”を実行。手作りの食事作りにも心掛けていました。


 (お料理作りは大好きです)お味噌も自家製。ぬか漬けも欠かしません。塩分控えめにも気を付けています。又、世間でよく言われる、「ま。ご。わ。や。さ。し。い。」のバランスのとれた食事にも気をつけて来ました。黄斑変性になってからは、目に良いというサプリ、ルテインも摂り始めました。運動面では8000歩から1万歩くらいは日常的に歩いています。雪道になって苦戦中ですが・・・・

受動喫煙が原因?
 黄斑変性になった原因らしきものは何かと?頭を巡らせて思い起こしてみました。喫煙者が罹りやすいと知りました。私は喫煙者ではありませんが30年前の50代頃まで勤めていた頃の会社では各人の机の上にそれぞれ灰皿が置かれていました。天井が真っ白になるほど煙が充満していた事。吸わない私達女性は互いに顔をしかめて堪えていたのです。今では考えられない光景です。家では夫だった人が1日にピース100本です。否応なしに吸い込まされていた事など。結構長い期間受動喫煙状態だったように思われます。


 私自身と言えば、夜は遅くまでパソコンやスマホをブルーライトカット無しの状態で触っていました。大切な睡眠時間も疎かにしていたのが原因だった?と反省しています。


 高田さんに教えて頂いたセカンドオピニオンの意味やブルーライトカットに関してのアドバイス等を受けることが出来て本当に有難いと思っています。友の会に入って良かったです。アドバイスを頂けるだけでも安心感で気持ちが楽になりました。
今後共よろしくお願いいたします。 

中山由記子

 下記は参考まで記します。
                          
 (豆 ) 
(ごま)
(わかめ、海藻類)
(野菜)
(魚 特に青魚)
(しいたけ きのこ類)
(いも、穀類)

私はこれに(こ)を加えています
酵素です。(老化防止酵素と言われています。)
             
2021年1月10日

 


お名前      :向平 恵子 (62歳)

加齢黄斑変性の型 :黄斑変性の一歩手前

発症時期     :

友の会のおかげで早期発見

向平恵子(むかひらけいこ)さん

向平恵子(むかひらけいこ)さん

人間ドックで
 今年10月、人間ドックの結果に「左目が加齢黄斑変性の疑い」と書かれており、ネットでどんな病気か調べてショックを受けました。日本の失明原因第4位。しかも目に注射をするしかないなんて怖すぎる…


 どないしよう?私は20年前にやはり人間ドックで高眼圧症とわかり、毎日点眼薬をしているというのに。この病気は、高眼圧でも視野や視神経乳頭に異常はありません。しかし、緑内障になる可能性が高いのです。その緑内障は失明原因第一位。


 今回の二つ目のパンチで、いつもは前向きな私も気分はどん底。くよくよ、ずるずると無為に過ごし、12月も半ばになってしまいました。しかし、よしっ、このずるずるに結着をつけるぞ!とネットで「黄斑変性 友の会」と入力すると、最初に出て来たのがこちらの友の会でした。

 

「友の会」に入会
 一見してこれは充実した素晴らしい会だとわかり、すぐに入会申し込みのメールを。すぐに星野さんと高田さんからお返事が。会費を送金、翌日にはゆうパックでドサッと3年分の体験記や資料が届き、仕事の早さにびっくり!


 一日かけて全部一字一句漏らさず、読みました。先輩の皆さんの悩みと奮闘ぶりを知り、また最新情報も知り、やっぱり心配、でも、元気も出たわ、みたいな複雑な気持ちになりました。


 ただ、コロナ感染者数が更新、どこにも行かないでステイホームしているので、年内に一度行くべきか迷っていました。しかし、もう前に進むしかない!と高田さんにお電話し、どこの病院に行けば良いか、相談に乗って頂きました。その結果、友の会のアドバイザーをされている兵庫医大の五味文先生に診て頂くことにしました。心の悩みには、カウンセラーの方もいらっしゃると知り、これも決め手になりました。

 

五味先生の診断


 高眼圧症でお世話になっているかかりつけ医に紹介状を書いて頂き、医院から医大に予約を入れ、翌12月23日には五味先生に診断して頂き、先生は以下のお話をして下さいました。


① 高眼圧症の方は視神経はおかされてないので、安心して下さい。


② 左目は黄斑変性だが、OCTでは非常に小さな膨らみが根っこのように黄斑の上部にできているだけで、活動はしてない。このまま、活動しないで終わる人もいる。


③ アムスラーチャートでは、中心より下に歪みが少し出ているようです。


④ 滲出型か萎縮型か?という私の質問に対して
まだ活動していないので、それ以前の話です。


⑤ 緑黄色野菜をたくさん食べて下さい。サプリは必要かとの質問に、いりません。


⑥ 引き続き、かかりつけ医で定期的に診てもらい、何かあったら、またここへ来て下さい。


 ああ、良かった!!早期発見でごく初期とわかりました。高田さんのアドバイス通り、OCT のコピーをもらいました。自分の記録を保管しておきます。


 兵庫医大でもらったOCT のコピーに私が赤でマークしました。このわずかな盛り上がりが、先生がおっしゃる「根っこみたいな部分」です。

OCT断層図

OCT断層図


 幸い黄斑より少し写真で右寄り、つまり実際には上寄りだから、アムスラーチャートでは、中心点より下が歪んで見えます。黄斑の真下でなくて、不幸中の幸いでした。
素早い仕事で、入会から診断までわずか8日間! 年末年始を笑顔で過ごせる事になりました。

Zoomミーティングで
 12月27日には、早速ズーム(オンラインで同時に複数の人の顔を見ながら会話できる)で新入会員を対象のレクチャーを受けた後、先輩会員さんとの交流もでき、うれしかったです。


 友の会のおかげで、先輩の皆さんの貴重な体験記で学ばせて頂き、最新の情報を得ることもできました。コロナ禍もなんのその、直接会えない分はズームでカバー、高田さんの先進的な行動にリスペクトです。

 

自分で出来ることは何でもやってみる
 対策として、早速、緑黄色野菜と魚中心の和食を心がけ、ルテインのサプリも飲み、1日1万歩歩いています。


 加齢黄斑変性は目の血管の老化です。なので、整体の先生にダントツ血流がアップする体操を教えてもらいました。1日に1度、背筋30〜50回と腹筋20〜30回です。1回ごとに頭を床に落としたら、鼻呼吸を2回します。足先を家族に持ってもらうか、たんすの引き出しを利用して固定するとよいです。これで重度のリューマチの患者さん2人が薬無しで軽度になったそうです。足湯も血流が良くなるので、始めました。


 自分でできる事は何でもやってみる!来年は攻めの1年にします。友の会の皆さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


お名前      :中原 小弓

加齢黄斑変性の型 :滲出型(両眼)

発症時期     :2009年(59歳)

意味のある人生を前向きに

 私が加齢黄斑変性を発症したのは2009年、59歳の時でした。中心がぼやけて見えない症状です。人の顔もよく見えませんでした。

 最初は近くの眼科で診てもらいましたが、後に大学病院に変わり3年間通いました。現在は別の眼科で治療を受けています。

 この11年間で合わせて50~60回注射の治療を受けました。両眼ですので、当初は別の日に注射されましたが、最近は同じ日に両眼を注射されることがあります。注射の後、眼帯をする必要がないということなので、一人で帰ることが出来ます。自動車の運転免許を返納しましたので、眼科へは自転車で通っています。片道20分のところにあり、交通量も多くないので危ないと思ったことはありません。

 視力は右眼が0.3、左眼が0.4です。中心が見えないので、視力検査の時は顔をそむけないと判断できません。最近は歪んで見えるようにもなりました。注射を50~60回もしたとはいえ、やはり不安を感じます。注射をされるときは大きく口を開け深呼吸をして緊張しないように努めています。

 これ以上、症状が進行しないようにと食べ物には気を付けています。緑黄色野菜が目に良いといわれるので、カボチャやほうれん草を料理して食べるようにしています。それでも、どのように症状が進行するのか心配です。

 しかし、心配ばかりしていても前に進むことが出来ません。先生について習ったことはありませんが、ピアノを弾くことが出来ます。「学生時代」や「    」などが得意で、歌いながら弾いています。もし、皆さんと一緒に歌う機会があればどんなに素晴らしいことかと思います。体も大切にしなければならないと思い、100本体操、ヨガやプールで泳いで健康の維持に努めています。毎日散歩も欠かさないようにしています。土いじりをして自然に親しむように心がけています。

本が読めなくなりましたが、オートピアという図書館で録音図書という器械で読んでもらいます。最近ではアドラーの「拾われた勇気」「幸せの勇気」を読んで感動しました。

この病になり本当に辛い、苦しいことが沢山ありましたが、自分自身にとって意味のある人生を送ることが出来ると前向きに考えています。

(2020年11月24日、髙田代筆)

 


お名前      :吉川 潤

加齢黄斑変性の型 :中心性漿液性網脈絡膜症

発症時期     :2018年11月(34歳)

アーシングの効果について

中心性漿液性網脈絡膜症発症から病院での診断経緯

中心性漿液性網脈絡膜症発症から病院での診断経緯

中心性漿液性網脈絡膜症発症から病院での診断経緯

 

アーシングに関して

大学病院で診断をしてもらうことになったタイミングで父親の紹介でアーシングに出会いました。最初は半信半疑でしたが、病院の診断においても有効な解決策がなさそうでしたので、とにかく何でもやってみようとの思いで始めました。アーシング歴は1年半程度になります。最初は裸足で公園を散歩することから開始しました。その際に頭がすっきりとした感覚を味わいました。睡眠時にも使用したいと思いアーシングシーツを購入し使用をしました。最近はアーシング足袋で公園を散歩しています。今は家全体(フローリング、畳、クッションマットなど)をアーシングできたらいいなと思っています。

カルナクリン、シナールは大学病院の先生に意味があまりないと言われてからは、一切薬を飲むことをやめました。ルティンというサプリメントも飲んでいません。レーザー治療も受けていません。

 

改善効果(黄斑部写真)

下記症状の強い左目の写真を紹介します。右目は水のたまり具合は現在なくなり症状は出なくなりました。

 

〇2020年1月診断時 アーシング開始から10か月

※大学病院に通院開始した時よりも半分程度の水のたまり具合に改善

OCT画像1

OCT画像1

 

〇2020年7月診断時 アーシング開始から1年4か月

※ 1月よりもさらに水のたまり具合が半分以下に減少

 

OCT画像2

OCT画像2

 

今後に関して

自身の経験から同じような病気で苦しんでいる方へアーシングの効果を伝え、症状の改善、予防を推奨したいと思いました。(友の会入会のきっかけです)

自身の病気も悪化しないように予防をし、完治を目指したいと考えています。

アーシング自体効果がある人、ない人個人差はあるとは思いますが、私の家族においては、よく眠れるようになった、ひざの痛みがなくなった、髪の毛が白髪で真っ白であったが、最近黒くなってきた、血圧が下がったとの嬉しい報告があります。

文献などを読みますとアーシングをすることで血流がよくなり、上記のような改善効果が出ているのでないかと推測しています。

アーシングを一度試してみる価値はあると思います。やり方や文献などご紹介できることはまだございます。コロナウィルスで実際にお会いしづらい状況ですので、ビデオ通話などを通し、ご相談ができれば幸いでございます。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

『アーシング®とは

アーシング®とは、靴やソックスを脱いで、裸足や素肌で地球の大地と直接つながることを言います。私たちの祖先はアーシングをしながら生きてきました。今はアーシング自体が難しくなっています。 アーシングは、電化製品をアースすると同じような原理で、体をアースすることで身体電気を地面に逃し、体の電気のバランスを保ちます。さあ、母なる大地とつながってみましょう。』

 


お名前      :梅田嘉昭

加齢黄斑変性の型 :滲出型

発症時期     :2003年(75歳)

 

梅田さん

梅田さん

私の病気の歩み


凹んで見えたバンパー

 2003年(平成15年)75歳の時、私が道を歩いていると前方に停車していた自動車の後方バンパーが酷く凹んでいるのに気づきました。しかし、近付いてよく見ると、少しも凹んでいませんでした。

 私は自分の目に異常を感じ、たまたま網膜の病気の記事が載っていた新聞を持ってすぐに会社近くの眼科医院に駆け込みました。そこの医師に「私の病気はこれですか」と訊ねると、医師は「あなたのはそんな易しい病気ではなく加齢黄斑変性という難しい病気なので、うちでも治療できますが、淡路のYC病院へ行きなさい」と強く勧めました。そこは堺の自宅から遠距離でしたが行ってみることにしました。


 YC病院の医師は「あなたのは、滲出型加齢黄斑変性といって、白人の中途失明者の大半はこの病気にかかっています」と説明され、私も早晩失明するのではないかと危惧しました。

 

病院から近所の眼科院へ

 2005年(平成17年)7月、神戸市中央区にある介護付有料老人ホーム,エレガリオ神戸へ入居しました。暫くは同病院へ月1回位のペースで通いました。

 最初は見えていた同病院の大きな文字「診察室」とか、その他の貼り紙の文字などが行く度に読み辛くなり、廊下も暗く感じ歩きにくくなりました。その頃はまだ有効な治療法がなかったのか目薬や飲み薬も出ませんでした。ただ『ボシュロム・オキュバイト+ルテイン』というサプリメントの服用を勧めてくれただけでした。それを服用しましたが、全然よくなりませんでした。


 同病院の通院は神戸から遠すぎるので転院を申し出た所、医師は「神戸から新幹線で来ればよい」と言い引き止めようとしましたが、敢えて近くのK大病院眼科へ転院しました。しかし、ここは患者が多いし注射する場所もあまり清潔とはいえず気にいらなかったので、近所の四代続いている評判のいいT眼科院へ再び転院しました。同院は噂にたがわずいいクリニックなので、私も気に入り、以来毎月ここで受診を続け今日に到っています。


注射は次のとおり。

2011年(平成23年) ルセンティス 3回  K大病院
2012年(平成24年) ルセンティス 3回 K大病院
2014年(平成26年) 硝子体手術  1回  T眼科院
アイリーア 3回 T眼科院
2015年(平成27年) アイリーア 3回 T眼科院
2016年(平成28年) アイリーア 1回 T眼科院
2017年(平成29年) アイリーア 1回 T眼科院
2018年(平成30年) アイリーア 2回 T眼科院
最近は2020年(令和2年)10月19日 アイリーア


尚、少しでも明るく見えるようにと白内障の手術も同院でしました。

 

失った多くの趣味

 私の場合、病状の進行が大変早く、読み書きが出来なくなったので、やむなく会社を閉鎖しました。マイカーの運転、パソコン、絵を描くこと、写真を撮ること、旅行、社交ダンス、楽譜が見えないのでカラオケレッスン等々、多くの趣味を失いました。


 現在の視力は0.02~0.04で新聞雑誌などは全く読めません。拡大読書器は読む個所を絶えず動かさなければならず、一人では使いにくく、『活字文書読上げ装置アイビジョンスピーチオ』も自分独りではセッティングできないので、家内の助力が必要となります。障害者手帳は1種1級、外出時は信号も見えないので、白杖を持って家内に付き添ってもらいます。

 

毎日4000歩で体力維持

 昨年3月、人間ドックで胃癌が見つかり、同年6月に約30年前手術して残っていた1/3の胃も摘出し全くの胃無しとなりました。退院9日目には誤嚥性肺炎で再入院しもはやこれまでと思いましたが、今は元気です。胃がないため1時間以上かけ、しかもトロミ付きの食事なので外食はできません。

 唯一の楽しみは神戸中央図書館と点字図書館でリーダーさんに週3回対面朗読、1回2時間してもらうことです。図書館は2月下旬からコロナで長らく休みになっていましたが、最近ようやく解禁、復活しつつあるので全面復帰が待ち遠しいです。運動は胃癌で退院後、週2回正味2時間半のリハビリデイサービスのトレーニングと毎日4000歩以上のウォーキングで体力維持に努めています。


(令和2年11月10日記、92歳)

 

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