音楽を併せ聴きながら秋を満喫 U-tube マントヴァーニ・オーケストラ

Mantovani – Golden Hits (1967)

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最近、ハードディスクに貯めていたCD等の音楽ファイルをBGMで使うこと無く、もっぱらU-tubeを利用するようになってきました。

星野 龍一

                                          

信州旅日記 代表世話人 高田 忍氏

信州旅日記

加齢黄斑変性という病気には枕詞のように「失明の怖れ」という言葉が付く。それならば、見える内に美しいもの、珍しいものを見ておこう。「春には桜、秋には紅葉を」と決めた。

幸い、発症した二年目に比べると治療の効果が出て、歪みも和らいだ感じがする。

この秋は信州の秋を尋ねることした。関が原より東へ車を運転するのは初めてである。途中10キロ近くのトンネルや、工事中で片側一車線の規制が行われていたが、快適なドライブを楽しむことが出来た。

 

奈良井宿

西宮から350キロ走って、中山道六十九次の宿場の一つ奈良井宿に立ち寄った。街道の両側には漆器や五平餅の店が軒を連ねる。さすがに山間の宿場だけあって外国人は少なく、ひっそりと昔の雰囲気を残していた。

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諏訪湖の夕陽

その夜は諏訪湖畔の宿に泊まった。沈みゆく夕陽が湖に映え綺麗であった。その夜は久しぶりにマッタケ料理を味わった。

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浅間山と鬼押出し園

二日目、諏訪から高速で東に走り山梨県に入った。多くの別荘が並ぶ清里高原に立ち寄った後、軽井沢方面へ向かった。訪れたのは鬼押出し園である。江戸時代(1783年)に浅間山の噴火で、一瞬にして村が溶岩で埋まり多くの人が亡くなった。奇岩が積み重なり何とも言えない光景であった。名前の由来は、浅間山に住むと信じられた鬼が、噴火で岩を押し出したことから名付けられた。山には犠牲者の霊を悼むお寺がある。

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遥か彼方にそびえる浅間山は雲に隠れていたが、一瞬雲が切れると山頂にある1000トン岩を写すことが出来た。この岩は1950年9月30日の噴火の時、火口から飛んできた火山弾である。

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白糸の滝

近くには白糸の滝がある。この滝は浅間山の地下水が流れ出たものである。

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碓氷峠見晴台

三日目は碓氷峠の見晴台から関東の山々を眺めた。見晴台と名付けられているように、その見晴らしは素晴らしく、暫く動こうとしなかった。

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碓氷峠は長野県と群馬県の境界にある。境界に沿って石が並べられていた。楓であろうか見事に色づいていた。

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雲場池

軽井沢というと夏の別荘地という印象があるが、近くには自然が多い。紅葉に囲まれた雲場池の周囲には多くの観光客が訪れていた。

 

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千畳敷カール

午後、高速道路を松本経由で駒ケ根まで走った。駒ケ根に着いたのは5時半過ぎで、やはり暗くなると運転は難しい。駒ヶ岳麓のホテルの宿に泊まった。

旅の最終日、バス30分ロープウェイ7分を乗り継いで千畳敷カールへ行った。毎時15分と45分に出るバスは、乗り切れない乗客のために臨時便を出していた。ロープウェイは標高差950メートルを一気に駆け上った。まるでエレベータのようである。

千畳敷駅は2611.5メートルにあり、日本一高い駅である。日本国内でこんな高い所に来たのは初めてである。ゴロゴロした岩の多い遊歩道を歩くと、息切れする思いがした。

名前の由来は千畳もある広い空間で、カールとはくぼ地のことらしい。落ち葉一枚でも持ち帰ることが禁じられ、環境保護の努力がなされていた。

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天気が良く遥か彼方に富士山を見ることが出来た。印象的な光景であった。

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馬籠宿

さいごに馬籠宿(岐阜県)に立ち寄った。ここは、島崎藤村の生まれた所でもある。馬籠は平坦な奈良井宿とは異なり坂道に沿っている。昔の人の旅は苦労の多い旅であったと思われる。ここにも多くの外国人が訪れ、中にはソフトクリームをなめながら歩く姿が見られた。

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往復1100キロの信州の旅であった。一時間走ると10分休むことにし安全運転を心掛けた。

ツアーと異なり車の旅の優れているところは、自分で計画を組み行きたいところへ行けることである。