クルーズ船の思い出

空からダイヤモンド・プリンセス号
2月5日に行われた「関東会員の集い」と「なるほど、ザ再生医療」のシンポジウムに参加するため、大阪からJALで羽田へ向かった。冬の太平洋側は天気が良く富士山の写真を撮ろうと思い、左の窓側の席を予約していた。三浦半島を過ぎると左に旋回、東京湾を北上した。着陸態勢に入った時、富士山が美しい姿で見えた。良く見ると左下にクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が写っている。
翌日、大阪に戻り自宅へ帰る途中、学生時代同じのクラスの友人であるTさんから電話があった。「どこからかけていると思う?」「もしかしてクルーズ船?」と会話を交わした。多くの感染者が出て、前日に船室に隔離する処置がとられていた。
Tさん夫妻は幸い陰性と判定され、2月19日に下船して自宅に戻ったというメールが届いた。折り返し、写真を送ると次のような返事が返ってきた。
「2月3日の夜、予定を半日早めて横浜港に入港したのですが、4日の夜は外海で汚水処理、海水から真水を作るために横浜を出港して、5日の午前中に戻ってきました。GOOD TIMINGでしたね。ではまた。」

着陸態勢時見えた富士山とダイヤモンド・プリンセス号

着陸態勢時見えた富士山とダイヤモンド・プリンセス号

横浜港を漂うクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号

横浜港を漂うクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号

クルーズ船「飛鳥」にて
Tさん夫妻とクルーズ船で偶然、出会ったことがある。2017年9月のことである。金沢港から苫小牧港まで航行するクルーズ船「飛鳥」の船内であった。乗船し暫くすると、デッキで避難訓練の説明が行われた。集まった乗客の顔を見渡すと、そこには見覚えの顔があった。Tさん夫妻である。二泊三日の船旅で、食事やアトラクションを一緒に楽しんだことを思い出す。
写真は金沢港での乗船風景である。

金沢港での乗船風景

金沢港での乗船風景

出港すると乗客にテープが配られ、見送りに来た人と別れを惜しむ風景が見られる。五色のテープで美しい光景である。

五色のテープで美しい光景

五色のテープで美しい光景

船室は窓のある部屋であった。狭いが机なども備えられていた。TVも備えられていた。風呂については記憶がない。

船室は窓のある部屋

船室は窓のある部屋

出港すると間もなく日が暮れた。日本海に沈み行く夕陽がきれいであった。

日本海に沈み行く夕陽

日本海に沈み行く夕陽

苫小牧港に着くと、バスに乗り阿寒湖や知床半島を巡った。帰りは新千歳空港から関西空港行きの飛行機であった。到着時間が遅く、空港前のホテルに泊まった。

サンフラワー号(2017年5月)で九州へ
同じ年の5月には、九州の宮崎と鹿児島を旅行した。大阪南港からサンフラワー号というフェリーに乗った。出港すると大阪湾を南下し、四国沖の太平洋に出た。

サンフラワー号(2017年5月)志布志行

サンフラワー号(2017年5月)志布志行

室内に風呂はなく大浴場を利用した。食事は夕食、朝食ともバイキング形式であった。窓側の部屋で、外の景色も見えたので狭さを感じることはなかった。

窓側の部屋

窓側の部屋

鹿児島の志布志港に到着するとバスが待っていた。乗車口に貼られた座席表の名前を見て驚いた。私の旧姓「仁賀」という人の名前がある。この名字は生まれ故郷の滋賀県にだけしかない。琵琶湖西岸に近江の厳島神社ともいわれる白髭神社がある。湖に鳥居があることからそのように言われている。この神社を挟んで街道沿いに南と北に二つの村がある。この二つの村にしかない名字である。
宮崎の日向海岸近くのレストランでの昼食の時に「もしかして滋賀県の出身ですか」と尋ねると、予想した通りであった。南の村の生まれで中学校を卒業すると大阪へ働きに出たという。
この人は興味深い話をしてくれた。中国に旅行した時、名前の漢字を見て大変喜ばれたという。「仁」といい、「賀」といい、いずれも良い意味の漢字だからである。
この旅行では霧島温泉と指宿温泉に宿泊した。帰りは鹿児島から九州新幹線、山陽新幹線に乗った。

オスロからコペンハーゲン(2016年7月)
初めてクルーズ船に乗ったのは、その前の年に北欧に旅行した時である。関空からフィンランド航空に乗った。フィンランドの首都ヘルシンキへは9時間で着く。他の都市より短時間で行けるので便利である。その日の内に、スウェーデンのストックホルムに着いた。宮殿やノーベル賞授賞式会場を見学、再び飛行機に乗りノルウェーへ移動、フィヨルドを観光船で巡った。

ノーベル賞授賞式会場

ノーベル賞授賞式会場

フィヨルド

フィヨルド

クルーズ船に乗ったのはノルウェーのオスロ港からデンマークのコペンハーゲンであった。日記には「2段ベッドと聞いていたが、四つあり窮屈さを感じることはなかった。」と記録している。

ノルウェーのオスロ港からデンマークのコペンハーゲン

ノルウェーのオスロ港からデンマークのコペンハーゲン

この時も北海に沈み行く夕陽の写真を撮った。スウェーデンとノルウェーはEU加盟国だが、通貨はユーロでなく独自の通貨である。お金が少し残ったので、船内でシャツと靴下を買った。

北海に沈み行く夕陽

北海に沈み行く夕陽

コペンハーゲンの港に着くと人魚の像があった。洋上の風力発電も印象的であった。

コペンハーゲン港 人魚の像

コペンハーゲン港 人魚の像

洋上の風力発電

洋上の風力発電

 

エーゲ海(2018年9月)
2018年の9月、トルコとギリシャへの旅行を計画した。9月4日の台風21号で関空への連絡橋が壊れたためルートが変更になった。出発は関空から成田に変更された。新大阪から新幹線で品川まで行き、成田エキスプレスに乗り換えた。飛行機もタイのバンコック経由となり、ドバイで乗り継ぎトルコのインスタンブールという長旅であった。

トルコ・カッパドキア

トルコ・カッパドキア

ギリシャ・アテネのパルテノン神殿

ギリシャ・アテネのパルテノン神殿

 

バスによるトルコ国内の観光を終え、ギリシャへはエーゲ海の船旅を楽しんだ。三つの島に停泊する二泊三日の旅程であった。

ギリシャへエーゲ海の船旅

ギリシャへエーゲ海の船旅

非常に狭い部屋

非常に狭い部屋

部屋は非常に狭かった。椅子もない。もし、このような部屋に二週間も閉じ込められたとすると、ストレスがたまり耐えられないに違いない。
乗船すると、しばらくして日本人スタッフから船内の説明があった。主としてアトラクションの案内であったが、船内には医務室もあるという。ただし医務室が開いているのは午後7時から9時の間である。
ちなみにダイヤモンド・プリンセス号について調べると24時間診察が可能だそうである。飛鳥号は診察時間が決められている。国内海外を問わず健康保険は使えないから、旅行の傷害保険に入るよう勧めている。

北欧の海と違ってエーゲ海は空と海の碧い色が美しかった。ここでも、エーゲ海に沈み行く夕陽が観光スポットになっていた。

空と海の碧い色 エーゲ海

空と海の碧い色 エーゲ海

エーゲ海に沈み行く夕陽

エーゲ海に沈み行く夕陽

クルーズ船の旅は長くて二日が限度だと思う。船内のアトラクションも楽しいものではない。外の景色も大半は海原で次第に飽きてくる。ダイヤモンド・プリンセス号のことを思うと、これからは慎重にならざるを得ない。

(2020,2,24 髙田忍)

富士山とダイヤモンドプリンセス号

富士山とダイヤモンドプリンセス号

2月5日、日本医療研究開発機構の主催による「AMED再生医療公開シンポジウム」に参加するために上京した。会場は品川にあるTKPガーデンシティーであった。
参加申し込みと同時に往復の格安航空券を購入した。冬の太平洋岸は天気が良いので、上空から富士山の写真を撮影しようと考え、行きは左側、帰りは右側の窓側の席を予約した。
伊丹空港を離陸すると急に左旋回をする。かねて撮影したいと思っていた昆陽池(伊丹市)が目に入った。近くにはかつて勤務した工場がある。池には日本列島を模した島がある(画面右下)。

昆陽池(伊丹市)池に日本列島を模した島

昆陽池(伊丹市)池に日本列島を模した島

飛行機はやがて紀伊半島を通過し、名古屋上空に差し掛かった。はるか前方に富士山が浮かんだ。

横浜港上空に美しい富士山

横浜港上空に美しい富士山

伊豆半島を超え三浦半島に差し掛かると左に旋回、東京湾を北上し着陸態勢に入った。横浜港の上空に差しかかった頃、再び美しい富士山が見え何枚も撮影した。数日経って、画面を良く見ると左下に大きな船が写っている。形から見て、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」であることに気付いた。貴重な写真ではないかと思う。

海上左側にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」

海上左側にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」

翌2月6日も天気が良かった。大阪行きは少し山側の航路を飛ぶ。富士山の火口が見え、その上の方には南アルプスの山々が雪に覆われていた。

富士山の火口の向こうに南アルプスの山々が雪に覆われていた

富士山の火口の向こうに南アルプスの山々が雪に覆われていた

伊丹空港からモノレールに乗り阪急に乗り換えようとした時である。携帯に電話がかかった。

大学時代の友人T君からである。「どこからかけていると思う?」「クルーズ船からでしょう」。彼は一年に何回もクルーズの旅をしている。ニュースを聞きながら「もしかして」の予感が的中した。感染しないで早期に下船できることを祈る。

高田忍(2020,02,10)

ミステリーツアー

ミステリーツアー

 1月14日から二泊三日のミステリーツアーに参加した。ミステリーツアーとは予め目的地が分らないツアーのことをいう。とはいえ、おおよその予想をすることはできる。冬の東北と予想した。
 集合は午前7時5分伊丹空港であった。予想した通り仙台行きのANAに乗った。薄曇りであったが富士山を見ることが出来た。写真は山梨県の上空から撮影したものである。右下に光るのが富士五湖の一つである。富士山の向こうに光っているのは、太平洋である。

富士山

富士山

 仙台空港でバスに乗り換えた。バスは東北自動車道を北へ進み、盛岡ICで一般道に入った。秋田県に入った。行先は田沢湖からさらに北の山中にはいった「乳頭温泉郷にある大釜温泉」であった。廃校になった小学校に温泉があった。

廃校になった小学校に温泉

廃校になった小学校に温泉

 ここから、駒ヶ岳を見ることが出来た。

駒ヶ岳

駒ヶ岳

 温泉に入った後、元来た道を戻り岩手県盛岡市の郊外にある「つなぎ温泉」のホテルに泊まった。
 二日目、バスは7時30分に出発した。再び東北自動車道に入り北上する。鹿角ICで出て、一般道を南下した。この頃、雲一つない天気に変わっていた。田園地帯を通り抜け、やがて山の中に入る。青空を背景にした湯煙の光景は美しかった。

田園地帯

田園地帯

青空を背景にした湯煙の光景

青空を背景にした湯煙の光景

 

 朝から温泉に入った。後生掛温泉という。

後生掛温泉

後生掛温泉

 下山の途中、「死の雪中行軍」で知られる「八甲田山」が見えた。

八甲田山

八甲田山

 昼食は鹿角市内の道の駅で秋田県特産の「きりたんぽ鍋」を食べた。この付近には小坂という町がある。かつて鉱山の栄えた町である。明治時代に建てられた芝居小屋を見学した。従業員とその家族のための娯楽施設である。

芝居小屋

芝居小屋

舞台

舞台

 回り舞台の下に入り、八人がかりで回した。意外と軽く回る

回り舞台

回り舞台

 その後、「瀬戸内寂聴」も訪れたという「新安比温泉」に入った。バスは「当方自動車道」を南下、石川啄木や宮沢賢治の生誕地を通過し、南花巻温泉に宿泊した。結局、この日は四回も温泉に入ったことになる。写真は車窓から見た岩手山である。

岩手山

岩手山

 翌日、花巻空港からJALに乗った。新潟上空と通過し名古屋まで南下、方向を西に替えた。鈴鹿山脈上空から琵琶湖を撮影することが出来た。画面の中ほどの山は観音寺城跡と思われる。琵琶湖の先にはうっすらと比良山系の山が霞んで見える。今年は雪が見られない。

琵琶湖

琵琶湖

 ミステリーツアーとはいえ、過去に何度も通ったことのある道を行ったり来たりする。今回も目新しいものといえば芝居小屋くらいであった。やはり目的地は初めからはっきりわかっていた方が良いいと思う旅であった。

(2020,1,21 髙田 忍)

バルト三国旅行記

バルト三国旅行記

 11月18日から25日までフィンランド、バルト三国、ワルシャワのツアーに参加した。

 Thank You、Hankyuの後呂合わせで39万89百円の往復ビジネスクラスであった。安いだけのことはあった。寒くて暗いという印象しか残らない。そのうえ、早朝にホテルを出発し、数百キロバスで移動、訪問先の町は夕暮れ迫る中を駆け足で回るという物で決して快適という物ではない。食べ物も見た目は悪く味もいまひとつであった。

 それでも見知らぬ土地を訪ねるのは新しい発見があって楽しいものである。

1. バルト三国?

 バルト三国という名前を知っていたとしても、地図上のどこにあるのか。ましてや三つの国の名前をいえる人は少ないのではないだろうか。首都の名前に至ってはなおさらである。隣国の外交官がバルカン三国というくらいだから知名度は低い。

 国の名前を知っていたとしても、北からどのような配置になっているか。

 場所はロシアの西の端、北から五十音順にエストニア、ラトビア、リトアニアと並んでいる。人口は南の方に行くほど多くなる。豊かさは北が豊かで南へ行くほど貧しくなる。エストニアの人口は愛媛県と同じくらい132万人しかない。人種、言葉はエストニアが他の二カ国と異なる。

 三国とも国旗は三色旗、その色に意味を持たせている。ヨーロッパに三色旗の国が多いのは16世紀には国旗を制定していたオランダをまねたといわれている。いずれの国もEUとNATOに加盟し、通貨はユーロである。かつては国境に検問所が設けられてたが、現在は自由に行き来することが出来、検問所の跡が残っている。センゲン条約に加盟しているからである。センゲンとは条約が締結された町の名前に由来する。

 いずれにしても、日本の県くらいの大きさで、一つの国を構成している。ワルシャワのホテルで見たBBC放送の天気予報では登場しない国である。

バルト三国

バルト三国

2. 冬のヨーロッパ

 冬の北ヨーロッパは暗くて寒い。日の出が8時半、日の入りが午後3時半、そのうえ空は毎日雲で覆われていたため、一日中鬱陶しい。
ヘルシンキからエストニアに向かう船、午前10時頃撮影したが曇り空で薄暗い。

 エストニアの首都タリン、旧市街を望む、その先に海がある。


 道路わきの風景は、北から南に進むにつれ少しずつ変わる。エストニアでは白樺林が多く見られたが、次第に赤松の林に変わり、やがて広い野菜畑になる。

 三国を結ぶ道路は直線、片側一車線、暗いので昼間もライトをつけている。

 ようやく明かりが見えたのは杉浦千畝記念館を訪れた5日目、なんだか象徴的。1940年8月にポーランドから押し寄せたユダヤ人がかすかな光を見たのではないだろうか。

 午後1時頃の太陽の高さである。

 冬とはいえ花屋が目立った。ワルシャワ市内ではハボタンの寄せ植えが街路にかざられていた。

 同じワルシャワ市内で、街路樹の普段桜が満開であった。

 冬といえばクリスマス市、広場にツリーが飾られ店が並ぶ。寒さで防寒用の帽子を買った。15ユーロ。

3. ヨーロッパならではのこと

 日本と違う点は、どの小さな町でも城壁で守られていることである。小さな門と城壁がセットになっている。そして広場がある。道は石畳で歩きにくい。

 キリスト教会が沢山ある。プロテスタント系は質素でポルトガルで見た金銀をちりばめるようなことはない。ロシア正教は玉葱型である。十字架の下の方にある月はイスラムを表しジュ、十字軍が勝ったことを意味する。

 水はガス入とガスなしがある。ガス入りはSparkling、ガスなしはStillと表示されている。1.7ユーロ、約200円で日本より高い。


 町で見かけた派手な救急車。クロスした三本の青い線に中に蛇と杖が書かれている。スターオブライフというシンボルマークはアメリカが赤十字と区別するために1973年に考え出したもので、その後世界に広まった。日本の救急車にも使われている。蛇と杖は古代神話に由来する。

4. 杉浦千畝記念館

 杉浦千畝は、ドイツに侵攻されされポーランドから逃れてきたユダヤ人1600人に命のヴィザを発給した。家族を含めると6000人の命が救われた。リトアニアもソ連が侵攻し領事館は退去を求められていた緊迫した状態の中であった。

 ヴィザには滞在期間は拾日限りで敦賀上陸と書かれている。それまで薄暗いヨーロッパであったが、この日は日が出て少し光が見えた。79年前を象徴するようであった。

 記念館の門には「希望の館、命のヴィザ」と書かれている。

 ユダヤ人はこの駅から列車に乗って、シベリヤ経由で敦賀に向かった。シベリヤを通過するのに2週間かかったと館内の説明に書かれていた。

 

5.ワルシャワ

 ポーランドは3回目、ワルシャワは2回目、ほぼ20年ぶりである。当時はソ連の支配から解放されて10年経ちNATOに加盟した年だが、ソ連の雰囲気が色濃く残っていた。目立つ建物といえばスターリンが建てた高い建物であった。他にもごつごつとしたアパートが立ち並んでいた。

 今は文化科学館となっている。30階の展望台に上った。夕方の曇り空で視界はよくなかった。20年も経つとすっかり近代的な街に変わり、高層ビルが林立していた。

 

 

 

 ポーランドといえば、地動説をとなえたコペルニクス、放射線でノーベル賞を二度も受賞したキューリー夫人、作曲家ショパンである。

ショパン博物館には、自筆の楽譜やピアノが展示されていた。

 

ショパン博物館

ショパン博物館

ショパン自筆の楽譜

ショパン自筆の楽譜

ショパン使用のピアノ

ショパン使用のピアノ

 ショパンの心臓が葬られている聖十字架教会。

聖十字架教会

聖十字架教会

 キューリー夫人博物館

キューリー夫人博物館

キューリー夫人博物館

 

 日本語を話すガイドはしきりに蜂起という言葉を口にした。ある時はドイツに、ある時はロシアになった歴史がある。ワルシャワは第二次大戦で壊滅的被害を受けたが、戦後旧市街は瓦礫を集めて修復された。そのため例外的に世界遺産に指定されている。20年前とほとんど変わっていない。

 ここも城壁がある。

 

6.町で見かけた日本語

 フィンランド:ヘルシンキのホテルの隣 北海道寿司

 ヤクザという名前のすし屋(ラトビア)には驚いた。

 同じくラトビアの町の中でみた茶道の文字、何のためかよくわからない。

 現地語に並んで日本語が並んでいる。

教 会の中で、他の外国語に並んで日本語の小さな紙きれの案内が置かれていた。

 リトアニアのリネンの店に八女茶が売られていた。

 ワルシャワ市内の看板、琥珀の店でカタカナでアンバーと書かれていた。

 エストニアの首都タリンの市庁舎前の駐車場。トヨタが三台並んで駐車。日本車はどこでも見かけた。トヨタのタクシーもあった。

 最後はヘルシンキ空港内のラーメン屋。空港の中も日本語の案内表示があった。

 ヘルシンキへは最短ルートで9時間の飛行、便利な空港である。フィンエアー機内のモニターでは機外に付けられたカメラで外の様子が写される。これを見ていると退屈しない。

かいま見た中国

かいま見た中国

8月30日から9月4日まで初めて中国を旅行した。目的地は武陵源と桂林である。5泊6日であったが移動日が3日もある駆け足の旅であった。初日はCathay Pacificで関西空港から香港経由長沙まで飛んだ。直行便であれば4時間で行けるが、経由地での長い待ち時間があり9時間20分かかった。自宅からホテルまでは12時間以上となる。欧米に行くのとあまり変わらない。観光地は2日と3日目が武陵源、5日目が桂林であった。この間、感じたことを写真とともにまとめることにした。

1. 中国という国
人口は14億人、面積は日本の25倍もある。台湾を含む23の省の他に、チベットなど少数民族の自治区が5つある。一番人口が多い都市は重慶市で3050万人、次いで上海が2420万人、首都の北京は2150万人と続く。

2. 武陵源
武陵源は湖南省にある。湖南とは洞庭湖の南にあることから名づけられた。洞庭湖は琵琶湖の4倍程度の大きさで、広い中国の地図では、どこにあるのか見つけにくい。上海の西南西、香港の北を結んだ線が交差した辺りにある。洞庭湖から流れ出た水は長江(揚子江)に流れ出る。長江は北上し、やがて東に向きを変え上海にそそぐ。毛沢東はこの湖南省で生まれた。詩人李白も訪れている。
観光の一日目はテレビでも報じられたこともあるガラスの橋のある天門山である。荷物検査の後、パスポートの名前入りに入場券を照合を受けてロープウェイに乗るまでに約一時間、さらに30分以上もかかる長い(7455m)ロープウェイで山頂付近まで行く。中国の奥地だから標高も高いと思ったが、1000m程度であった。

ガラスの橋を渡る時は、傷がつかないよう靴にカバーをした。

 

ガラスの橋

ガラスの橋

      
下山は何度も長いエスカレーターに乗り換えた。そこには天門洞がある。さらにエスカレーターに乗ることもできたが、景色が見えるとの添乗員とガイドの勧めで、999段の階段を下りた。しかし、階段の幅が狭く足元を見ないで降りることは出来なかった。その上踊り場がないので休むこともできず一苦労であった。途中、振り返ると巨大な洞穴、天門洞が見える。

長いエスカレーター

長いエスカレーター  

999段の階段、後方は天門洞

999段の階段、後方は天門洞

さらにシャトルバスに乗り換え、曲がりくねった道を猛スピードで町に下りた。

翌日は袁家界や天子山風景区をハイキングした。階段の昇り降りが多く疲れた。スティックを持って行けば良かったと悔やまれる。

360メートルの三菱製エレベーターで下山した。観光客を呼び寄せるためとはいえ、世界遺産にこのような人工物を設置するのがいいのか疑問に思った

エレベータ(岩山の四角い物)

エレベータ(岩山の四角い物)

3. 桂林
桂林は広西省チワン自治区にある。湖南省の南西、香港の北西方向にある。ベトナムに近い。
約3時間半の漓江川下りを楽しんだ。沿岸の特徴のある山には名前が付けられている。九頭の馬が見える岩山には「九馬画」と名づけられていた。かなりこじつけであった。似たような景色がどこまでも続いた。途中、水上生活者の村などを通過した。

川下り

川下り

九馬画

九馬画

水上生活者の村

水上生活者の村

                    
4. 鉄道と道路
長沙から桂林迄は中国高速鉄道に乗った。現地ガイドは高速鉄道のことを新幹線と称した。日本の技術によることを認めているようであった。乗車賃は三時間半の距離を二等車で179.5元(約3000円)と極めて安い。
広い待合室には優先座席が置かれている。何本もあるホームへは飛行機と同じように発車時間に近づくまで入れない。飛行機の優先搭乗のように優先改札が認められ、その中には軍人が含まれていた。軍人は災害時などに役に立つ人という説明であった。

広いコンコース

広いコンコース

愛心専座(専用座席)

愛心専座(専用座席)

専用通道(老、幼、病、孕、?、軍人)

専用通道(老、幼、病、孕、?、軍人)

      

座席は1列に5席があり番号は1A、1B、通路を挟んでC,D,Eと新幹線と同じである。最高時速304キロを出していた。広い中国で直線の線路を敷くことが出来るからだと思う。

時速304km

時速304km

 

日本の新幹線と異なるのは、乗車券に旅券番号と氏名が記載されること、改札に先立ちパスポートと荷物検査が行われることである。飛行機に搭乗する場合と同じである。ガイドからハサミや爪切りは車内に持ち込むことが許されず没収されると聞いていた。直ぐに取り出せるようショルダーバッグに入れていたが検出されず通過できた。
乗客の中に召集された兵士が赤い大きなリボンを付けて乗っていた。

名前入り乗車券

名前入り乗車券

             招集さ

招集された兵士

招集された兵士

ガイドの説明によると、少数民族が住む地域を発展させるために今後も建設が進められているという。現在の総延長距離は約8万キロである。乗客数が増加しているため、2階の列車を開発中だそうだ。それにしても、すれ違う列車の本数は少なかった。日本のように4分おきに走らせるシステムは出来ていないようだ。

来年開業予定(長沙―張家界)

来年開業予定(長沙―張家界)

5. 道路
中国の自動車販売台数は最近伸びが鈍っているが、2019年2800万台の販売が予想されている。アメリカより多い世界最大の自動車国である。自動車が多いため高速道路が整備され、分離帯には百日紅などの木が植えられている。

日本車も多く見かけた。故障しないため人気があるそうだ。写真はサービスエーリアの駐車場で撮影した。前の2台、その後方の2台も日本車であった。

高速道路の案内標識は中国語と英語の表記がされていた。英語の場合、日本では固有名詞の後に、例えば「橋」のことを「Hashi」とローマ字で書かれていることが多い。中国では「Bridge」となっていて外国人にとって、親切な表記である。日本と同じように車間を表す0m、50m、100mの標識があった。もしかすると日本の仕組みを採用したのかもしれない。運転マナーはウィンカーを出さないで急に車線変更し、車間距離も短い。その注意の看板が目についた。

短い車間距離 

短い車間距離

追尾危険 保持車間

追尾危険 保持車間

長沙は湖南省の州都で人口は950万人である。経済が豊かな都市であるためかバイクはあまり見かけなかった。
ウィンカーを出さないで頻繁に車線変更する車があり運転マナーは良くない。バスの運転手は追い越しの時、警報音を出して知らせていたが煩く感じた。
しかし広西チワン自治区の少数民族が多く住む桂林では、経済格差がありバイクが群れを成して走っていた。車道は自動車とバイクは分離されている。環境保護のためほとんどが電動バイクだそうだ。中には後ろに子供、前に赤ん坊を抱きかかえて3人乗りのバイクを見かけた。ヘルメットの着用は義務付けられていないようだ。

       

群れをなすバイク

群れをなすバイク

三人乗り(男性、子供、女性)

三人乗り(男性、子供、女性)

6. ホテル
5泊の内、長沙で一泊、武陵源のある張家界と桂林でそれぞれ2泊した。いずれも高級ホテルで快適に過ごすことが出来た。施設は威容を誇るように大きなものであった。

広いロビー

広いロビー         

充電用アダプター

充電用アダプター

外国を旅行して困ることの一つがバッテッリーの充電である。国によってコンセントの形状が異なるので、色々な種類のアダプターを携行する必要がある。しかし、中国ではどのホテルでも複数の種類の差し込み口や写真のような延長コードが置かれていた。
部屋のテレビは、中国製はなく韓国やヨーロッパのPhilip製であった。トイレ、風呂は日本のTOTO製であった。どのホテルにも体重計とペットボトルの水が置かれていた。
普通、机の中には聖書が置かれていることが多いが、張家界のホテルには赤い表紙の中華人民共和国憲法が置かれていた。
桂林のホテルではロビーを会場にして結婚式の披露宴が行われていた。招待客の服装は、親族以外は平服でもよく、中にはTシャツに半ズボンの男性やジーンズ姿の女性がいた。職場から駆け付けるためだとのガイドの説明であった。

結婚式披露宴会場

結婚式披露宴会場

7.食事
ツアーの参加者は60歳以上の8名で、一つのテーブルを囲んで中華料理を食べることが多かった。地域によって料理には特徴があるという。土家族の住む張家界ではお椀にご飯とスープを入れる猫飯であった。桂林では米の粉で作ったビーフンが特徴である。ビーフンは秦の始皇帝の時代からの伝統料理だという。
張家界の少数民族が経営するレストランでは入り口で歓迎を意味する酒がふるまわれた。テーブルに着くと代表者が店から出された酒を飲み干すことが求められた。
正直のところ、連日の中華料理には飽きてくる。鶏肉や魚は骨付きで食べにくい。日本で中華料理というと炒飯、焼きソバであるが、色々なものを混ぜるのは料理とは言えないそうだ。食器の扱いも荒く欠けているものが多かった。添乗員が持参したふりかけは美味しく頂いた。
ビールの価格は銘柄品の青島、地ビールのいずれも中瓶で30元(約500円)とほぼ日本並みの価格である。統制価格かと思うほど、どこでも同じ価格であった。

プラスチックのビール用コップ

プラスチックのビール用コップ

火鍋料理

火鍋料理

7. 文字
中国は建国後、簡体文字を使うになった。日本の当用漢字のように簡略化された。「国」のように同じ文字を使う場合もあれば、「機」が「机」になっていたりする。しかし、おおよその見当がついた。同じ文字でも「小心」は心が小さいではなく、「気を付けよ」の意味である。英語が併記されているので意味が分る。
入口と出口は日本語と同じである。トイレは「洗手間」「公共ヱ生間」となっていた。「ヱ」は「衛」の簡体字である。関空から乗ったリムジンバスは後方にあるトイレのことを「厠所」としていたが、中国でこの言葉を見かけたことはない。
男女別の英語表記は男性がMale,女性Femaleとしているところが多かった。

 

公共ヱ生間(公衆トイレ)

公共ヱ生間(公衆トイレ)

最終日に宝物の博物館を訪れた。二枚の看板が掛かっていた。前には「藝術」、後方には「藝朮」となっている。日本では「藝」を「芸」に簡略化したが、反対に中国では、難しい「藝」を残し「術」を「朮」にしている。

8. お金と支払い
中国のお金の単位は元である。8月30日の関西空港での両替レートは1元が16.43円であった。人民元安と円高の効果であった。100元、50元、10元のお札が渡された。中国国内で買い物した時、お釣に1元、5元のお札が渡された。日本やアメリカ、ヨーロッパのようにコインがあるのかわからない。
しかし、現在の中国では現金が使われることはなく、ほとんどスマホ決済である。およそ7割の人がスマホで支払っているという。関空行きのリムジンバスの切符を買う時現金で支払い、紙の切符を受け取った。長沙の空港の市内行きのバス停には、行先ごとのQRコードの案内板があった。かなり進んでいるようだ。

行先別QRコード

行先別QRコード

9. 発展する中国
至る所で建物や道路が建設されている光景を見た。すでに経済力は米国に次ぐ世界二位である。ますます発展する力強さを感じた。初めて見た長沙の町は高層建物が立ち並び30年以上前に見たアメリカのニューヨークかと思うほどであった。

長沙のホテル客室から 

長沙のホテル客室から

長沙郊外

長沙郊外

今年で建国70周年になる。至る所に政治スローガンが書かれていた。
一番よく目についたのが社会主義価値観である。富強、民主、文明、和諧
など十二の言葉が並ぶ。小学生が覚えるそうだ。右の富強以下の四つは国家、真中の自由以下は社会、最後の愛国以下は公民(国民)の価値観である。国家目標が富強というと明治政府の富国強兵政策を思い出させる。

日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。

日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。

日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。

10. その反面
発展する中で、環境問題が気になった。毎日、曇り空の日が続いたが、同じ曇りでも日本とは違って、どんよりと靄が掛かっていた。高層ビルの写真からも分かる。
人々は親子の会話でも大声でする。店では売り子がマイクを付けて呼び込む。観光地ではガイドがマイクを使って大きな声で説明をする。とにかく、どこへ行っても騒々しい。
タバコの場所は指定されているが守られていない。トイレは煙草の煙で充満し臭い。高速道路のサービスエーリア(服務区)には下の写真の貼り紙があった。バスの運転手はガソリンスタンドでタバコの吸い殻を捨てた。

ガソリンスタンドで喫煙

ガソリンスタンドで喫煙

禁止吸煙、禁止随地吐痰など

禁止吸煙、禁止随地吐痰など

ガイドに「痰、唾を吐くな」の注意書きを見たというと、これはアフリカから来た人に対するものだとムキになって反論した。それでも、ゴミが散らかっているという印象はなかったが、シェア自転車が沢山放置されている印象を受けた。

中国は革命後10数年を経った頃、革命の成果で、「ハエ一匹いなくなった」とのニュースが伝えられた。それから、70年経った今年、クルーズ船の中でも蠅が飛んでいた。
しかし、国が豊かになると清潔で衛生的な国に発展し、人々のマナーも改善されるのではないかと思う。とはいえ、至る所に政治スローガンが溢れ、行く先々でパスポート、名前入り入場券と荷物検査をされると監視社会を旅行しているようで息苦しい。

11. その他ガイドの説明
長沙では65歳以上には無料のバス乗車券が配布される。老人が空調の効いたバスに乗り一日を過ごす。
以前は、役人に賄賂が必要であったが、今は一掃する運動が行われている。

さいごに桂林の女性ガイド李さんが語った言葉が印象的であった。中国は5千年の歴史がある。10数年間の日本との不幸な歴史に拘っていては、国は発展しない。
髙田 忍(2019,9,8)

津軽海峡春景色

津軽海峡春景色

石川さゆりの演歌「津軽海峡冬景色」に出て来る竜飛岬を是非見たいと思い、5月13日から4日間、青森、秋田の三大半島を巡る旅行に参加した。青森の太平洋側が下北半島、日本海側が津軽半島、南に下って秋田には男鹿半島がある。津軽海峡は青森と北海道の間の海峡で、潮は日本海側から太平洋側に向かって流れているが、月に一回は逆に流れることがあるそうだ。

津軽海峡冬景色の歌碑

津軽海峡冬景色の歌碑

1.岬
下北半島、本州最北端にある岬が大間崎である。本マグロのセリで全国的に知られている。灯台の向こうにうっすらと見えるのは北海道函館である。

 

大間崎灯台

大間崎灯台

本州最北端の碑

本州最北端の碑

 

津軽半島の最北端にあるのが竜飛岬である。北海道新幹線は竜飛岬の下を通っている。断崖絶壁の岬である。

竜飛岬

竜飛岬

入道崎は男鹿半島の西端にあり北緯40度の線が走っている。北緯40度には北京やスペインのマドリードがある。

大間崎       

大間崎

北緯40度

北緯40度

              

2.あの世
恐山
恐山は下北半島の中央部にある。赤い橋は三途の川にかかった橋で、左がこの世である。恐山の歴史は古く1200年前、比叡山延暦寺の僧が開山した寺である。現在は、福井永平寺の傘下にある。

三途の川

三途の川

恐山山門

恐山山門

火山ガスが噴出する岩肌の一帯が地獄、湖を取り巻く白砂の浜が極楽とされ、「人は死ねば山へ行く」と信じられてきた。テレビで死者との会話の仲立ちをするイタコという老女を見たことがあるが、常駐しているわけではない。

地獄

地獄

極楽浄土

極楽浄土

 

                

仏ケ浦
秘境仏ケ浦は下北半島の西河岸にある。岩々には仏にちなんだ名がつけられ、極楽浄土を思わせる世界が広がっている。パンフレットによると、かつて海底火山活動が盛んな時期があり、噴出物が緑色凝灰岩の層を形成したという。

仏ヶ浦

仏ヶ浦

3.遅い春
大阪空港から青森空港へは日本海沿いに北上した。山形県と秋田県境にある鳥海山は雪を被っていた。

鳥海山

鳥海山

神奈川県の横浜と同じ地名の町には菜の花祭りが行われていた。
桜はソメイヨシノを見かけることは少なく、家の庭に咲いた八重桜が丁度満開の見ごろを迎えていた。

菜の花畑

菜の花畑

八重桜

八重桜

津軽半島を南下する山道から見た新緑の風景はすがすがしかった。

秋田県にはかつて、琵琶湖に次いで大きな湖、八郎潟があった。昭和30年代から干拓が行われ水田に代わった。田植えが始まったばかりで、青空が水面に映って日本の春を思わせた。12キロに及ぶ直線道路の両側には菜の花が咲いていた。

八郎潟の水田

八郎潟の水田

12キロの直線道路

12キロの直線道路

寒風山から見た八郎潟水田

寒風山から見た八郎潟水田

4.空の見張り
青森や秋田は日本海を挟んで外国と接している。ミサイルをキャッチするレーダーが設置されていた。
下は下北半島釜臥山のレーダーである。恐山の山門越しに望遠レンズで撮影した。

レーダーサイト

レーダーサイト

写真は男鹿半島に置かれたレーダーのある山である。

5.鉄道、道路、船
この旅行での移動手段は、鉄道、バスと船であった。
下北半島には戦前、最北端の大間まで鉄道を敷く計画があった。一部では駅や鉄橋が建設されたが戦後資金難で見送られた。下風呂温泉の幻の駅である。   

幻の駅

幻の駅

北海道新幹線の本州側最北の駅は奥津軽いまべつ駅という。ここには在来線の駅と、道の駅がある。いずれも駅名は異なるそうだ。

五能線の鰺ヶ沢から深浦まで約一時間日本海沿いに走った。海岸沿いには岩があり、車窓から見た風景は飽きることがなかった。難読地名の駅があった。馬三つで「とどろき」と読む。普通は車が三つの「轟」だが、理由はよくわからない。

五能線沿いの日本海

五能線沿いの日本海

こんな字がある?

こんな字がある?

道路では車が通れない階段の国道339号が竜飛岬にあった。役人が、現地を見ないで机の上で国道を決めたらしい。秋田県内には「朴瀬」と書いて「ほのきせ」という難読地名があった。

車の通れない階段国道

車の通れない階段国道

これも難読地名?

これも難読地名?

下北半島から津軽半島へはフェリーで渡った。約一時間の途中、イルカが近寄ってくるのが見えた。船室の入り口には「二等旅客室」と書かれていた。かつて国鉄時代には一等車、二等車の区別があったが、いつの頃からか一等車はグリーン車と呼ばれるようになった。何となく違和感を覚えた。

6.祭りと伝統
青森の祭りといえば「ねぶた」である。写真は道の駅に展示されていた大湊の海上自衛隊の作品である。

大湊の海上自衛隊の作品

大湊の海上自衛隊の作品

毎年、年末になると、家にやってくるなまはげを見た子供が泣き叫ぶ姿が放映される。なまはげは男鹿半島に伝わる伝統行事である。角があるが鬼ではなく、神とされている。伝承館があり30分おきにその様子が演じられていた。主人との間に問答が交わされる。パンフレットには問答の例として「親の面倒見ない悪い嫁いねが(いないか)」と書かれているが、果たして今の時代に通用するかと思う。ますます若い人が地方から離れていくのではないかと危惧しつつ旅が終わった。

なまはげ

なまはげ

(髙田 忍 2019,05,18)

ヨーロッパの交通システム

ヨーロッパの交通システム

ヨーロッパの玄関口

今年放送されてるNHK大河ドラマ「いだてん」。オリンピックのマラソン選手は東京の新橋から福井県の敦賀を経て日本海を渡り、シベリア鉄道でストックホルムへ向かった。

敦賀はかつてヨーロッパ大陸への玄関口であった。10年ほど前にそれを確かめるために敦賀へ来た。リトアニア駐在の外交官杉浦千畝氏が発行した命のビザで多くのユダヤ人がこの港に上陸した。敦賀から神戸や横浜に行き太平洋を渡った。またシベリアに抑留されていたポーランドの子供たちも逃れてきた。

鉄道資料館には新橋発伯林行きの切符が展示されていた。敦賀はヨーロッパへの玄関口であったことがわかる。

 

ヨーロッパの交通システム

敦賀とつながっていたヨーロッパの交通システムは国によってさまざまである。三つの類型がある。仮にイギリス方式、ドイツ方式、フランス方式と名づける。

イギリス式

日本の交通システムは、明治時代にイギリスから鉄道技術を取り入れたためイギリス方式が採用されている。すなわち複線の鉄道線路では、列車は左側を通る。自動車も同じで左側である。運転席は右にあり右ハンドルだ。

地中海に浮かぶ島、かつてはイギリスの植民地であったマルタは当然のことながら、イギリス方式である。赤いポストはその名残である。同じ右ハンドルということで、日本車が多かった。驚いたことに日本では生産されなくなったいすゞ自動車の乗用車が駐車していた。

この島は1989年 12月2~3日に冷戦を終わらせるため米ソ首脳会談が行われた歴史的な島である。

  

赤いポスト

赤いポスト

左側通行

左側通行

いすゞの乗用車

いすゞの乗用車

                 

ドイツ式

イギリスとは正反対のドイツ方式がある。自動車も鉄道も右側通行である。

ドイツのアウトバーン

ドイツのアウトバーン

ノルウェーの高速道路 

ノルウェーの高速道路

ノルウェーの鉄道

ノルウェーの鉄道

   

      

アメリカもドイツと同じである。

ヨセミテ方面へ向かう車列

ヨセミテ方面へ向かう車列

アメリカの貨物列車、とにかく長い

アメリカの貨物列車、とにかく長い

 

ところが、この中間にフランス方式がある。自動車はドイツと同じ右側を走るが、鉄道はイギリス方式である。ナポレオン時代に、イギリスに対抗して馬車は右側通行にした。その結果、ヨーロッパ大陸では自動車も右側を走るようになった。鉄道については、蒸気機関車を発明したイギリスから技術を学んだため左側になっている。もっとも地下鉄は路面電車の延長という考えから右側になっていて複雑だ。

このフランス方式を採用している国がドイツの周辺にある。スイスやチェコである。ドイツからICE(Inter City Express)という特急に乗ってスイスに向かうと、国境の小さな駅でしばらくの間停車する。走る鉄道線路を右から左に切り替える必要があるからだ。

左の写真はフランスの鉄道でテレビから撮影したものである。日本と同じ左側を走っている。右の写真はスイスに旅行した時、列車の中から撮影したものである。窓の外に線路が見えるからフランスと同じ左側であることがわかる。向かってくる自動車は右側を走っている。

フランスの鉄道(テレビから)

フランスの鉄道(テレビから)

スイス(鉄道:左、 車:右)

スイス(鉄道:左、 車:右)

  

定年後、関西や名古屋の大学で学生を前に会社員時代の経験を話す機会があった。90分授業で年に一回か多くても二回の授業であった。この時話した内容の一部である。

世の中には、選択の余地がないルールと、選択の余地はあるがどちらかに決めないと世の中が機能しないことがある。「人を傷つけてはいけない。人の物を盗んではいけない」などは前者の例である。後者の例として、「生ごみは月曜と木曜」というゴミ出しのルールや、交通システムがある。そのため、ヨーロッパの交通システムは国によって異なるのである。  

ヨーロッパの鉄道の思い出

幼児専用コンパートメント

20年ほど前、オーストリアのブリゲンツで開かれた音楽祭に行った。舞台は湖の上につくられ、オペラ仮面舞踏会が上演された。終わりには花火が打ち上げられ、劇場の舞台では見られない迫力があった。

帰りはボーデン湖畔のリンダウからローカル線に乗り、ウルムからフランクフルトまでのICE(特急のこと)のコンパートメントの指定席をとっておいた。入口の扉に「Klein Kind Abteil」と書かれた貼り紙がしてある。ぼくらの席には幼児連れの二組が占有している。何かの間違いではないか。押し問答するも席を譲ろうとはしない。仕方なく、空いた席を探したが車内は込み合っていて座れない。車掌を探したが、近くにはいない。よく考えると、「幼児用コンパートメント」という意味だ。

シュツットガルトに停車した時ホームでやっと車掌をつかまえた。ぼくらの席は他の一般席の車両に移したといって案内してくれた。ところが、そこにも既に別の乗客が座っていた。ドイツでは指定席と自由席の区別はない。空いている席には誰自由に座ることができる。それが自由席になる。座席を確保したければ指定席券を買えばよい。車掌はその客を立たせた。一息入れてしばらくすると暑さと疲れのせいか、近くの席で幼児が大きな声で泣き出した。それにつられて別のところからも泣き声が上がった。

ようやく扉に貼られていた言葉の理由が分かった。幼児の鳴き声から周りの乗客に迷惑をかけないための工夫である。

それにしても車掌はウルムで乗車した時に指定席が変わったことを知らせる工夫をすべきではないか。幼児を他の客から隔離するとはよく考えている。しかし、はみ出された乗客のサービスにまでは、手と頭が十分に回らないようだ。(2000年9月)

 

イタリアの列車の中で

旅では色々な経験をする。楽しいこともあれば不愉快なこともある。初めてのウィーンでは、すれ違った見知らぬ人から楽友協会のチケットを二枚頂いた。毎年NHKが生中継するニューイヤーコンサートの劇場である。ハンガリー交響楽団の演奏だったと思う。

定年で帰国する直前の休暇を利用してイタリアのヴェローナという町で開かれる夏の音楽祭に行った。この町の円形闘技場では毎年オペラが上演される。あいにく開演間近に夕立が降、開演が10時に延びた。上演されたのは一幕のみであったが、アイーダは迫力があった。

翌日、列車でフィレンツエへ向かった。この時も、コンパートメントの指定席をとっていた。中に入ると6人掛けの席には、すでに夫婦と子供二人の家族の他に老婆の5人が座っていた。明らかに老婆が不法占拠している。切符を見せるように言っても、目をつぶり、横を向いて知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ。

目的地のフィレンツエまでは、わずか30分のことだから通路に立つことにした。すると子供連れの父親がドアを開け、ぼくを招き入れ小学生の子供を立たせ座らせてくれた。お礼を言うと、子供の教育のためだという。スイスから来た大学教授だった。人間の二つの側面を見ることができた。教えられる旅であった。

現存十二天守を訪ねて

現存十二天守を訪ねて

現存天守(げんそんてんしゅ)とは、日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことである。このような天守が全国に12ある。2012年から7年の間に、そのすべてを訪ね天守閣に登ることができた。北から順にその姿を周辺の景色とともにアルバムにした。
きっかけは2011年11月に妻が亡くなり、時間の余裕ができたことである。その頃、自分は前立腺癌の治療を終え再発防止を願って西国33札所を参拝していた。それも岐阜県の谷汲山華厳寺を最後にすべて巡り終えていた。新たな目標として100名城を考えたが、名城の選定基準が不明確なこと、100カ所は不可能を思ったことなどから現存十二天守に絞った。

1. 弘前城(青森県)

東北の桜を見るツアーに参加したのは2016年4月のことであった。角館から始まり十和田湖、八幡平を経て弘前の旅であった。弘前城は石垣を修復するため、天守の曳家工事をしているところであった。お堀に散った桜がまるでじゅうたんを敷きつめたようであった。

 

2.松本城(長野県)

2013年9月、名古屋から中央線に乗り継いで上高地へ行った時に立ち寄った。一番よくとれている写真である。姫路城が白いのに対し、松本城の壁は黒く漆で塗られている。
松本には、明治9年に建てられた開智学校が保存されている。

 

3.丸岡城(福井県)

福井県坂井市にある。西宮から片道250キロ、名神高速道路、北陸自動車道で3時間かかった。柴田勝家が築いた城で現存天守の中では一番古い。昭和23年の福井大地震で倒壊したが、昭和30年に修復再建された。城の隣には「一筆啓上 日本一一番短い手紙の館」がある。

4.犬山城(愛知県)

訪れたのは2014年6月2日。その前日、歴史街道倶楽部山城の会で彦根にある石田三成の居城佐和山城跡を登った。米原から名古屋まで新幹線、名鉄犬山線に乗り換えて行った。駅から城下町の風情が残る街並みを歩いた。かなりの距離があった。
天守から見下ろす木曽川の風景が良かった。

 

5.彦根城(滋賀県)

滋賀県に生まれながら、彦根城へ初めて行ったのは最近のことである。2014年6月1日佐和山城跡に登った後、彦根城を見学、翌日犬山城へ向かった。その後、数回訪れている。翌年8月,琵琶湖ウォークに参加した際、お堀の周囲を歩いた。
彦根城は井伊家の城である。1604年初代直政の時普請開始、二代目直孝が完成(1607年)させた。天下普請といって全国の譜代大名に手伝わせた。
NHK大河ドラマは今年で57回、このうち井伊家が14回登場する。大老井伊直弼は8回。5代6度にわたり大老職を出し、譜代大名筆頭の家柄である。
井伊家は30万石で、近江国に28万石、佐野領(群馬県)に1万8千石、世田谷領に江戸賄料として2千石を持っていた。一石とは成人が一年間に消費する米の量である。約150キロ。
井伊家の官職は掃部頭(かもんのかみ)で、平安時代の律令制の官職名からきている。
赤穂事件の浅野内匠頭長矩も同じ律令の官職名がついている。

城の北側に国の名勝玄宮園という日本庭園がある。


遠くに竹生島がかすんで見える。

6.姫路城(兵庫県)

これまでに三回訪れた。修復前に一度、修復中の2013年2月7日、修復後の2018年11月である。前の二回は天守閣に上ったが、2018年は70歳代後半になり、その高さに圧倒され登ろうという気持ちが失せ見るだけとなった。その代わり、隣接の好古園という日本庭園に入った。紅葉が見事であった。

7.松江城(島根県)

2012年10月、玉造温泉に泊まった翌日に訪ねた。駅からバスに乗った。近くには小泉八雲の記念館がある。再び山陰線に乗り米子で下車、足立美術館を見学した。ここは行く価値がある。綺麗な日本庭園がある。


8.備中松山城(岡山県)

JTBの「岡山の城を巡る旅」に参加した。他に岡山城や秀吉の水攻めで知られる備中高松城跡を訪れた。現存天守12城の中で「山城」の形態をとるのは、備中松山城だけである。
シャトルバスが出ている。

9.丸亀城(香川県)

丸亀城は2012年6月12日に訪れた。車で山陽道を走り、倉敷から瀬戸大橋を渡って坂出で出た。その時の写真は残っていたがはっきり映っているのは大手門だけであった。そこで2018年12月2日に再度天守の写真を撮りにいった。今回は淡路島経由であった。紅葉がきれいであった。
丸亀城は石が記の名城として知られているが、今年の台風で崩れ修復工事が行われていた。
1658年京極高和が播州竜野から転封され明治まで続く。

 

 

10.松山城(愛媛県)

四国には前述の丸亀城を含めて四つの現存天守がある。JR四国バースデーチケットを利用して松山城、宇和島城、高知城を巡った。バースデーチケットとは誕生月に1万円で、三日間乗り放題できる便利なチケットである。2012年9月18~20日の二泊三日の旅であった。初日は道後温泉、二日目は高知のビジネスホテルに宿泊した。

予讃線松山駅で降り、坊ちゃん電車で道後温泉に向かう途中にある。

松山は俳人正岡子規の生まれた町である。

翌日、JRの電車で宇和島に向かった。

11.宇和島城(愛媛県)

駅から歩いて15分ほどの高台にある。天守からは宇和海が見える。
藤堂高虎が慶長元年(1596年)から6年かけて築いた城である。

12.高知城(高知県)

関ケ原の戦いの後、山之内一豊が入府した城である。観光案内の人が桂浜まで行って坂本龍馬の像を見ないかと近寄ってきたが、1966年8月に職場の仲間といったことがあるので断った。

帰りは高松まで戻り、岡山行きに乗った。

 

番外編

会津若松城(福島県)

雪化粧の会津若松城である。戊辰戦争の時籠城したと言われている。

熊本城(熊本県)

熊本地震の数カ月前に、長崎や阿蘇を訪れた際に立ち寄った。加藤清正が築城した。

(2019,1,3 髙田)

北の島 南の島

北の島 南の島

70歳までに仕事や観光で47都道府県の内、45の都府県に行った。残っていたのは北海道と沖縄である。北海道には5年前の6月初め、沖縄には今年12月に旅し、目標を達成することができた。北海道では礼文島と利尻島、沖縄では宮古島を訪ねた。この二つの島は約3000キロメートル離れている。

 

礼文島

礼文島の名を知ったのは小学校5年か6年の国語の教科書である。この島で金環日食があったことを知った。調べてみると昭和23年5月9日のことである。それ以来この島の名前を忘れたことがなく、どんなところかと興味を持ち続けてきた。大阪空港家から羽田で乗り換え、稚内まで飛ぶ。稚内から船に乗った。
早朝に稚内港を出港し昼前には島に着いた。昼食は、うに丼ぶりで新鮮で美味しかった。
バスで北の方に進むと、ここが金環日食を観測した場所との説明があった。また島には信号が一つしかないとのことであった。
写真は礼文島の中で絶景ポイントといわれる澄海岬(すかいみさき)である。曇っていたので海の青さが見られないのが残念であった。

 

花の島
名前は調べていないが、6月上旬のことで、高山植物系の花が咲き乱れていた。

 

 

利尻島
礼文島の南に利尻島がある。そこには利尻富士が聳えている。ニシン漁が盛んだったころ、北陸をはじめとして本土から人々が漁師として住みついた。かつては栄えたところである。
利尻昆布でも知られている。

 

 

宮古島

宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島で、島全体が珊瑚の石灰岩に覆われていまる。石灰層は水が浸透する速度が早いため宮古島には川がない。ダムも地上にはなく地下ダムである。高い山もない。
台湾まで400キロメートル。樺太まで40キロの礼文島とは異なり緊張感はなかった。

サトウキビ畑

関西空港から直行便があり、約3時間かかった。空港を出ると、一面サトウキビ畑である。穂がまっすぐに伸びると収穫時期だそうだ。苗を植え付けたばかりのものや、収穫間近のものが混在していた、おそらく農作業を分散させるためではないかと思った。
島全体が石灰岩のため、水田でのコメ作りができない。日本酒も本土から運ぶことになるので高価な飲み物であった。

 

 

青い海とサンゴ礁
何といってもすばらしいのは青い海である。。川がないので泥や土が海に流れ込まない。地中海やエーゲ海より青さが澄んでいるように思った。島の周りの黒っぽいのがサンゴ礁。白波が立っているところもサンゴ礁で浅くなっている。防波堤の役目も果たしているそうだ。

 

 

サンゴ礁の魚
水中観光船に乗り45分間、海中の様子を見ることができた。海岸から100メートルもない所にサンゴ礁があり、たくさんの魚が泳いでいた。ウミガメも姿を現した。時々息をするために水面に出て来る。
巨大な鯵が船に近寄ってきた。水深は5メートルから10メートルで、水族館にいるようであった。

 

 

うえのドイツ文化村
この美しい海岸に、ドイツライン川沿いにそびえる城が立っている。名前は「文化村」だが、むしろ「友好村」の方がふさわしい。説明によると明治6年(1873年)7月12日、付近を航行していたドイツ商船が台風に遭遇し座礁難破した。村民が救助、手厚く看護して本国に帰国させた。船長から報告を聞いたドイツ皇帝ウィルヘルム2世が村民の博愛精神を称え「博愛記念碑」を建立した。その友好を記念して、1996年に城の形で記念館が作られた。日曜日というのに訪れる人は少なく、維持費が大変ではないかと心配した。
ドイツに二年間駐在したが、誰も親しく接してくれたのは、この出来事が影響しているのかもしれない。
残念ながら、和歌山沖のトルコ軍艦の救助ほどには知られていない。

 

花や蝶
大阪の温度が2~3度の時、ここでは20度もあった。さすが、セミは鳴いていなかったが、12月というのに草むらから虫の音が聞こえた。植物は大きく成長する。写真の赤い実はヤシの実である。大きな葉のクワズイモも自生していた。
熱帯性の花に蝶が蜜を吸っていた。蝶は飛び回るのでカメラにとらえるのが難しかった。

 

 

 

先祖崇拝
本土とは異なり立派な墓がある。仏教は伝来せず、先祖崇拝がこの地の宗教である。墓は家ごとではなく一族ごとにあるそうだ。骨壺は一つだけあり、次の人がなくなると、前の人は土に帰る。

 

 

(2018,12,20 髙田 忍)

滝にも色々

滝にも色々

濃溝の滝(千葉県)
房総半島のツアーに参加した。羽田空港から東京湾のアクアラインというトンネルを抜けると、そこは千葉県木更津である。千葉県には、全国に知られた名所旧跡があるわけではない。無理に作ったとしか思えない観光地のひとつが濃溝滝(のうみぞのたき)である。落差は殆どない。この洞穴から流れる小さな滝が時間帯によってハート形になるという。インスタ映えで広がり、観光客が訪れるようになったという。季節によっては周辺のホテルは予約でいっぱいになるという。この時は残念ながら、そのような光景は見られず、訪れる人も少なかった。水がきれいなため夏には蛍が飛び交うそうだ。

この機会に今まで、訪れたことのある滝の写真を集め整理することにした。
観光名所がないとはいえ、例外は内房総から見える富士山であった。
左は10月29日午後4時半過ぎ日没前の光景である。南房総の冨浦で撮影した。もう少し時間がたち、日没が過ぎると富士山が黒くかびあがるという。
右は鋸山からの富士山である。

 

 

 

白糸の滝(長野県)
今年8月に、長野と群馬を旅行した。新幹線で岐阜羽島まで行き、バスに乗る。長野県阿智村で星空を見るのが目的であったが、生憎の空模様で、満天の星は見えなかった。雲の間から火星や土星が顔を出していた。
翌日万座温泉(群馬県)に宿泊した後、北軽井沢にある白糸の滝を立ち寄った。ここは涼を感じられるためか、多くの観光客で賑わっていた。浅間山に降った雨が地下にしみこみ6年後に地上に出てきたのがこの滝である。信濃川に注ぐ。濃溝の滝に比べると落差もあり幅も広く滝らしくなる。土産物屋ではイナゴの佃煮が売られていた。

華厳の滝(栃木県)
昨年秋に訪れた華厳の滝は新婚旅行以来の二度目であった。日光にあり、中禅寺湖から流れ出た川が滝になる。有名な滝なので説明はいらないと思う。写真は下から見たものである。

那智の滝(和歌山県)
南紀勝浦の洞窟の温泉へ車で行った後、立ち寄った。熊野神社には参拝せず滝だけを見に行った。帰りは奈良県十津川村を通ったが、道幅が狭いうえカーブが多く緊張の連続であった。

イグアスの滝
数年前、南米ツアーに参加し訪れた。成田からロスアンジェルス経由でペルーのリマで乗り継ぐ長旅であった。自宅を出てイグアスの滝近くのホテルへ着くまで48時間、まさに地球の裏側であった。
この滝はブラジルとアルゼンチンの国境にあり、アマゾン川に注ぐ。日本の滝とはスケールが違う。ヘリコプターで上空から見るオプションツアーが用意されたが、万一の事故を思い参加しなかった。水飛沫がカメラに入り故障してしまった。
上の二枚はブラジル側から、下はアルゼンチン側から撮影した。熱帯性の動物や植物がみられた。

 

 

 

 

 

 

ナイアガラの滝
1997年に家族で旅行した。単身赴任でアメリカのデトロイトに駐在していた頃、妻と娘を呼び寄せた。ボストンの空港で待ち合わせ、レンタカーを走らせた。初日はタングルウッドという町で行なわれる音楽祭で、小澤征爾指揮のコンサートを聴いた。
雨合羽を着てボートに乗り、滝つぼの近くまで行った。ナイアガラはカナダとアメリカの国境にある。上流が五大湖のエリー湖、下流がオンタリオ湖である。アメリカ人によると新婚旅行で行く所だそうだ。世の中にデジカメがない時代の写真で少し色褪せているが、虹がはっきりと見える。
ナイアガラでレンタカーを返し、カナダ側に入った。鉄道で北上、モントリオールで一泊、さらにケベックでは行き英国女王が泊まったという有名ホテルに宿泊した。そのあとは飛行機で「赤毛のアン」で知られるプリンスエドワード島まで行った。これが唯一の家族3人揃っての思い出の旅行である。

髙田忍(2018,11,02)