初めての地中海

初めての地中海

(2017,2,19~2.25)

 

地中海の島、キプロス島とマルタ島のツアーに参加した。キプロス島は地中海の東にあり、四国の半分程度、人口は87万人、マルタ島はイタリアのシチリア島の南、東京23区の半分の面積に40万人程度の人が住んでいる。いずれも独立国でEUに加盟しており、通貨はユーロである。

二つの島はともに、かつては海底にあって地殻変動で隆起してできた島である。島全体が石灰岩で覆われ白っぽく、青い空と海とのコントラストがきれいである。

 

キプロスの海岸

キプロスの海岸

キプロスの山間部

キプロスの山間部

 

マルタの海岸の町

マルタの海岸の町

石灰岩の建物(マルタ)

石灰岩の建物(マルタ)

 

地中海から上る太陽は真っ赤で、また空気は澄んでいて、星空も観察でき、オリオン座と冬の大三角形を見ることが出来た。

地中海から上る太陽

地中海から上る太陽

 

 

二つの島は石器時代からの遺跡が残る歴史の古い点で共通している。また多くの民族が往来し支配者も時代によって入れ変わってきた。共通点は大英帝国の植民地であったことだ。そのため、街にはイギリス時代の名残が残っていた。

一つは郵便ポストである。Royal Postと銘の入った赤いポストが今も使われている。日本でも一昔前までは使われたポストである。マルタでは箱形のポストも併用されている。よく見ると投函口が二つあり、一つは国内便(Local)、もう一つは国際便(Foreign)に分かれている。小さな島国ならではのことと思う。

 

赤いポスト

赤いポスト

箱形ポスト

箱形ポスト

 

電気のコンセントも英国式で、ホテルでスマホに充電するにはアダプターが必要である。

英国式電気コンセント

英国式電気コンセント

日本との共通点は車が左側通行であるということだ。日本は鉄道の技術をイギリスから導入されたことから、車も鉄道も左側通行になった。

左側通行(キプロス)

左側通行(キプロス)

 

交通

日本車が多く見られる

システムが共通であるためか、ヨーロッパ大陸に比べると日本車が多く見られた。日本市場では苦戦している三菱車が意外にも多く、見かけないのはダイハツのみであった。

日本車が多く見られる

手前の二台は三菱、その向こうの白い乗用車とトラックはトヨタ。(マルタ)

日野のバス

日野のバス

 

写真下は、とっくの昔に製造しなくなったいすゞの乗用車である。30年以上も昔に、中古車として輸入されたものではないかと思う。今でも走っているのは日本車の性能の良さかもしれない。

いすゞの乗用車

いすゞの乗用車

 

このように古い車を長く使用するので、排ガスが問題になる。マルタでは国が補助金を出して排ガス対策の新車購入を推奨しているという。写真はマルタの漁村で見た充電中の電気自動車である。

電気自動車

電気自動車

充電ポスト

充電ポスト

 

交通システムについて、ヨーロッパには三つのタイプがある。一つはイギリス型で車も鉄道も左側通行である。ヨーロッパ大陸では自動車は全て右側通行になっている。このうちドイツのように鉄道も自動車と同じ右側という国がある。ところが、フランスやスイス、イタリアのように鉄道は左側通行という折衷型もある。大陸を支配したナポレオンがイギリスとは異なる道路のシステムを決めたことによるという。彼の死後、フランスは鉄道技術をイギリスから導入したため鉄道は左側にしたが、車は右のままで変更しなかった。さらに不思議なことは、地下鉄は車と同じ右側を走る。地下鉄は路面電車の延長との考えかも知れない。

下の写真は20年ほど前、スイスで列車の車内から道路を走る車を撮影したものである。

スイスの鉄道と道路

スイスの鉄道と道路

 

街の中で見かけた看板に面白いものがあった。これはメガネ屋の看板である。上から文字数が増え、小さくなる。視力検査ができるようだ。

眼鏡屋の看板

眼鏡屋の看板

下の写真は電気店の営業時間を表している。午前は8時30分から12時、午後は4時から7時。まるで日本の開業医のようだ。ところが開業医の診療時間はもっと短い。午後4時(5時)から7時までである。

電気屋の営業時間

電気屋の営業時間

 

開業医の診療時間

開業医の診療時間

 

閉店中の看板は「Sorry we are CLOSED」である。日本の店はこの英語をよく間違える。営業中は「Open」だから、閉店中は「Close」と勘違いする。営業中は「Come in we are OPEN」の看板がつり下がっていた。

Sorry we're closed

Sorry we’re closed

Come in we are open

Come in we are open

マルタ島では日差しがきついためか、日本の「すだれ」のようなものを日よけに使っている家があった。

すだれを掛けた家の入口

すだれを掛けた家の入口

すだれの材料となる植物

すだれの材料となる植物

 

地中海に浮かぶ二つの小さな島国は、古代から多くの民族が行き交い支配者も次々に変わった。キプロスは今もトルコとの間に紛争があり、国連の兵士が駐在している。同じ島国である日本はそのような歴史を経ていないことに幸せを感じる旅であった。(髙田 忍)

 

アメリカの商人(あきんど)

アメリカの商人(あきんど)

アメリカのトランプ大統領は、日本は自動車を大きな船に乗せてアメリカに持ち込むが、日本は閉鎖市場でアメリカの車を買えないようにしていると非難する。たしかに、アメリカでは日本車がよく売れている。写真は15年ぶりにアメリカを訪れたとき、ヨセミテ公園(カリフォルニア)の駐車場で撮ったものである。GMの車が一台あるだけで、他は全て日本車であった。

高田氏提供

高田氏提供

アメリカの主張に対して、日本政府関係者は1980年代の認識だと反論する。1980年代には日米の間で自動車摩擦が起き、多くの日本の自動車メーカーが北米に工場を作った。自動車部品を作る会社に勤めていた私は、オハイオ州に工場を作る仕事に携わり度々日本とアメリカの間を往復した。工場が完成すると、自動車の町デトロイトに駐在し営業の仕事に携わることになった。

ある時、日本から上司が出張してきた。靴を買いたいというので、大きなショッピングモールの中にある老舗の靴屋に案内した。店の主人は、足のサイズを測り、店に倉庫に置いているいくつかの靴の中から、足にぴったりの靴を選び薦めた。それから一年ほど経った頃のことである。アメリカに来た上司が、もう一度靴屋に行きたいという。履き心地が良いから、さらに一足買いたいという。

店の主人は、一年前と同じようにサイズを測った。しかし、一年前とは少しサイズが違うようだった。主人は、「間違ったサイズの靴を薦めて申し訳なかった。」といって、一年前に支払った代金を返してくれた。店の名はJonston Murphyという。

(写真は20年経った今も型崩れしないアメリカの靴)

(写真は20年経った今も型崩れしないアメリカの靴)

デトロイト郊外のアパートの近くに洋服屋(テイラー)があった。腕が良いという評判のインド人の職人で、7年間のアメリカ駐在中に何着かの背広を仕立ててもらった。ある年のことである。柄物のシャツを誂えてもらった。出来上がったシャツを見ると、色の具合が注文したものと違うように思った。実際は私の思い違いであったが、テーラーは自分に非があるといって、料金を取らなかった。

アメリカの自動車メーカー、フォードは昨年日本市場から撤退した。それを日本は閉鎖市場だとトランプ大統領に訴えている。フォードは約100年前T型モデルという単一モデルだけを大量に作り消費者の売りつけて大きくなった会社である。それから時代は変わった。消費者の好みも変わった。それに合わせた車づくりが求められている。いくら政治的圧力にたよっても、会社は発展しない。是非、デトロイトの靴屋や洋服屋から「あきんどの精神」を学んでほしい。靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる考え方に替えて欲しいと思う。

(髙田 忍)

02/17/2017

「ひこにゃん」はなぜ猫か?

「ひこにゃん」はなぜ猫か

今年のNHK大河ドラマは 「おんな城主直虎」 である。

NHKの大河ドラマが初めて放送されたのは昭和38年である。今年の大河ドラマ「おんな城主直虎」は56作目である。

再び井伊家が登場する。そのためか、彦根市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」には全国のファンから多くの年賀状が届いたという。

粗製乱造気味のゆるキャラの中で、「ひこにゃん」は「くまもん」と並んで人気がある。「くまもん」は、熊本の熊であることは容易にわかるが、彦根はなぜ「猫」なのか

ひこにゃん

ひこにゃん


2代目直孝は、徳川秀忠、家光、家綱の執政を務め大老職に就いた。徳川幕府の役職は「大老」「老中」「若年寄」などの、年寄臭い名称が使われる。

これは徳川家が三河で使っていた役職名を持ち込んだからである。

 

井伊家は譜代大名筆頭格で、徳川幕府の中で5人6回(4代直興は2回)の大老を出している。このような地位を占めたのは、いずれ「おんな城主」で明らかにされると思うが、織田信長が本能寺の変で暗殺された後、徳川家康が伊賀越えで三河まで逃げ帰るときに、初代藩主となった直政が護衛し命を守ったからとされている。

 

直政は関が原合戦の後、石田光成の居城、佐和山城を攻める先鋒を務めたが、翌年亡くなった。

 

彦根藩は35万石を与えられた。内訳は近江国28万石、佐野領(現在の群馬県)1万8千石に加え世田谷領が賄料として2千石与えられた。世田谷は井伊家の所領であった。

 

これは江戸藩邸の藩士たちの食費のようだ。このほか幕府の役職手当としてに対して5万石が加わる。

 

ちなみに一石とは成人の一年間のコメの消費量の単位である。一食一合として、一日三合、一年約千合で、これが一石に相当する。そして太閤検地の頃、一石の米がとれる田の面積が一反と定められた。

 

東京の世田谷に豪徳寺というお寺がある。

小田急線に同じ名前の駅がある。

今年一月の半ば豪徳寺を訪ねた。

言い伝えによれば、井伊の殿様が鷹狩か領内見回りかの目的で寺の近くへ来た。その時、雷鳴がとどろき、門前の大木の下に雨宿りした。その時、寺の猫が手招きをして招き入れた。その直後、大木に雷が落ち命拾いをしたとの言い伝えがある。

豪徳寺の猫は井伊家にとっては命の恩人というわけである。寺には沢山の招き猫が供えられている。一月のことで、訪れる人は少なかったが、直孝をはじめ直弼までの藩主の墓がある。

 

豪徳寺(東京世田谷)

豪徳寺(東京世田谷)

 

 

 

豪徳寺の招き猫

豪徳寺の招き猫

 その前日、幕末の大老井伊直弼が水戸浪士に暗殺された桜田門を訪れた。

暗殺されたことを示す碑の様なものはなく、お堀の周りを多くの人がジョギングをしていた。

彦根藩邸跡より桜田門を臨む

彦根藩邸跡より桜田門を臨む


護衛をしていた彦根藩士の内、現場で死亡したものの他、傷を負ったものは切腹、負わずに逃げ帰ったものは全員打ち首となった。水戸藩士18名も明治まで生き延びた2名を除いて亡くなっている。

井伊大老は安政の大獄で独裁者とのイメージ作りが明治政府によってなされたが、「開国」という決断をしたことによって、今日の日本があると確信している。墓は世田谷豪徳寺の片隅にあり、今日の日本を眺めているに違いない。

井伊直弼公の墓(東京世田谷、豪徳寺)

井伊直弼公の墓(東京世田谷、豪徳寺)

02/06/2017

近畿 KINKI

関西と近畿

この地域には、名前に関西や近畿をつける会社や団体が多い。

「関西の気象情報をお知らせします」これはNHKテレビで毎日耳にする言葉である。

そして、冬であれば「近畿北部は大雪でしょう」が続く。関西と近畿はどのように違うのだろうか。NHKの関西の気象情報の地図は、近畿二府四県に三重県に四国の香川県と徳島県を含んでいる。近畿北部は兵庫県、京都府の日本海沿岸地方のようだ。関西が広い範囲であることがわかる。

古い都があったこの地域は「畿内」といった。山城、大和、摂津、河内、和泉の五つの国である。「近畿」は「畿内」に近い所というのが名前の由来である。

「関西」とは関所の西という意味である。具体的には、近江と他の国を隔てる関所、すなわち愛発関(越前)、不破関(美濃)鈴鹿関(伊勢)のことである。近江より西が関西である。

この定義からすると、NHKが関西に三重県を含めているのはおかしいということになる。

 詳説日本史研究(山川出版社)よりいashuppamsha 

詳説日本史研究(山川出版社)よりいashuppamsha

 

 この地域には、名前に関西や近畿をつける会社や団体が多い。

関西を名称にしている代表的なものは、関西電力、関西学院大学、関西大学、そして海外との玄関口関西国際空港がある。

一方近畿はというと、養殖マグロで一躍有名になった近畿大学、青の交響曲で知られる近畿日本鉄道、役所では経済産業省近畿経済産業局などがある。

ところが興味深いことは、これらの英語名である。近畿大学であれば普通KINKI UNIVERSITY、近畿日本鉄道はKINKI NIPPON RAILWAYではないかと想像する。ところがいずれも「KINKI」を使わない。近畿大学は「KINDAI UNIVERSITY」、近鉄は「KINTETSU RAILWAY」である。役所の方は「The Kansai Bureau of Economy, Trade and Industry」と、近畿を関西に置き換えている。

大阪:阪急梅田駅構内広告

大阪:阪急梅田駅構内広告

 

だから海外からのお客さんの玄関口が、「近畿国際空港」ではなく「関西国際空港」と名付けたのはうなずけるKINKIを避ける理由は、英語の「Kinky」と発音が似ていて、「HENTAI」を連想させるからである。だじゃれではないが、KINKIは禁忌である。

もっとも、大阪には一文字違いであるが「KANKYO」の看板を屋根につけたタクシーが堂々と走っている。関西ハイタク事業協同組合に所属するタクシーである。

 

 JR大阪駅タクシー乗り場


JR大阪駅タクシー乗り場

02/06/2017

 

 

 

 

 

 

 

セカンドオピニオン

セカンドオピニオン

今まで聞いたこともない病気や難病に罹(かか)ると、誰しも今受けている治療法でいいのかと不安になることがある。先生の言葉足らずや一寸した不用意な言葉に接するとなおさらである。尤も、こうした先生の言葉使いは、患者の側の感情的な態度に影響している側面があるかもしれない。コミュニケーションには双方に問題がある。


いずれにしても、患者にとっては信頼できる医師の下で安心して治療を受けるのが望ましいが、そのような医師を探すのは容易なことではない。このような治療に対する不安を解消する方法の一つがセカンドオピニオンである。


6年前、妻が大阪の大学病院で血液癌(けつえきがん)の一つである骨髄異形成症候群(こつずいいけいせいしょう)と診断された。満室のため自宅近くの市民病院に入院することになった。担当の先生は無神経にも「一年後の生存率」を口にした。そして、抗ガン剤治療を行うという。この治療法で本当にいいのかと思い、セカンドオピニオンをとることにした。


問題は、どの病院の、どのような医師の意見を聞くかである。インターネットで治療実績の多い病院を検索した。その中から京阪神に限定せず、名古屋から岡山まで範囲を広げた。病状の進み具合で三回、それぞれ二人の先生、合計六人の先生から意見を聞いた。


結果は、どの先生も特に異なる治療法を示すことはなかった。それでも病院によっては、一人の先生だけで判断せず、他の医師と協議して丁寧な説明書を書いてくれるところがあった。また、他の病院の知り合いの医師にその場で電話してくれる先生もいた。

そうしたなかで、神戸の病院の先生は人柄もよく信頼できると判断したので転院することにした。おかげさまで、この先生の下で治療を受けた結果、生存率20%になるといわれた一年どころか、さらに半年も長く生きることが出来た。この先生の医療技術もさることながら、安心して療養生活を送ることが出来たからだと思っている。


セカンドオピニオンは病気の診断が正しいか否かを聞くためではない。その治療法が妥当かを聞くものである。癌であれば、手術か放射線投射かを選ぶことが出来る。最近はオブジーボという薬もある。


しかし加齢黄斑変性の場合は、治療法は限定されている。選択肢が多いわけではない。違った治療法を示される可能性は少ないと思う。とはいえ、今まで抗VEGF薬の注射をしてきたのに、これからは必要ないなどといわれることもある。すると何もしなければ悪化して、最悪の場合は失明するのではないかと不安になる。


安心するためにセカンドオピニオンをとる価値はある。先ず、病院を探すことから始まる。私であれば、やはり妻の時にしたようにインターネットで治療実績の多い病院を調べる。他に、製薬会社のホームページの病院検索を利用する。どちらも共通する病院が並んでいるので、その中から病院を選ぶことになる。


セカンドオピニオンは患者のための制度である。今罹っている先生の恩義に反するのではないかと心配する必要はない。手続きは、病院の「地域医療センター」というような名称の患者相談窓口が教えてくれる。  (髙田  忍)