「ひこにゃん」はなぜ猫か?

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「ひこにゃん」はなぜ猫か

今年のNHK大河ドラマは 「おんな城主直虎」 である。

NHKの大河ドラマが初めて放送されたのは昭和38年である。今年の大河ドラマ「おんな城主直虎」は56作目である。

再び井伊家が登場する。そのためか、彦根市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」には全国のファンから多くの年賀状が届いたという。

粗製乱造気味のゆるキャラの中で、「ひこにゃん」は「くまもん」と並んで人気がある。「くまもん」は、熊本の熊であることは容易にわかるが、彦根はなぜ「猫」なのか

ひこにゃん

ひこにゃん


2代目直孝は、徳川秀忠、家光、家綱の執政を務め大老職に就いた。徳川幕府の役職は「大老」「老中」「若年寄」などの、年寄臭い名称が使われる。

これは徳川家が三河で使っていた役職名を持ち込んだからである。

 

井伊家は譜代大名筆頭格で、徳川幕府の中で5人6回(4代直興は2回)の大老を出している。このような地位を占めたのは、いずれ「おんな城主」で明らかにされると思うが、織田信長が本能寺の変で暗殺された後、徳川家康が伊賀越えで三河まで逃げ帰るときに、初代藩主となった直政が護衛し命を守ったからとされている。

 

直政は関が原合戦の後、石田光成の居城、佐和山城を攻める先鋒を務めたが、翌年亡くなった。

 

彦根藩は35万石を与えられた。内訳は近江国28万石、佐野領(現在の群馬県)1万8千石に加え世田谷領が賄料として2千石与えられた。世田谷は井伊家の所領であった。

 

これは江戸藩邸の藩士たちの食費のようだ。このほか幕府の役職手当としてに対して5万石が加わる。

 

ちなみに一石とは成人の一年間のコメの消費量の単位である。一食一合として、一日三合、一年約千合で、これが一石に相当する。そして太閤検地の頃、一石の米がとれる田の面積が一反と定められた。

 

東京の世田谷に豪徳寺というお寺がある。

小田急線に同じ名前の駅がある。

今年一月の半ば豪徳寺を訪ねた。

言い伝えによれば、井伊の殿様が鷹狩か領内見回りかの目的で寺の近くへ来た。その時、雷鳴がとどろき、門前の大木の下に雨宿りした。その時、寺の猫が手招きをして招き入れた。その直後、大木に雷が落ち命拾いをしたとの言い伝えがある。

豪徳寺の猫は井伊家にとっては命の恩人というわけである。寺には沢山の招き猫が供えられている。一月のことで、訪れる人は少なかったが、直孝をはじめ直弼までの藩主の墓がある。

 

豪徳寺(東京世田谷)

豪徳寺(東京世田谷)

 

 

 

豪徳寺の招き猫

豪徳寺の招き猫

 その前日、幕末の大老井伊直弼が水戸浪士に暗殺された桜田門を訪れた。

暗殺されたことを示す碑の様なものはなく、お堀の周りを多くの人がジョギングをしていた。

彦根藩邸跡より桜田門を臨む

彦根藩邸跡より桜田門を臨む


護衛をしていた彦根藩士の内、現場で死亡したものの他、傷を負ったものは切腹、負わずに逃げ帰ったものは全員打ち首となった。水戸藩士18名も明治まで生き延びた2名を除いて亡くなっている。

井伊大老は安政の大獄で独裁者とのイメージ作りが明治政府によってなされたが、「開国」という決断をしたことによって、今日の日本があると確信している。墓は世田谷豪徳寺の片隅にあり、今日の日本を眺めているに違いない。

井伊直弼公の墓(東京世田谷、豪徳寺)

井伊直弼公の墓(東京世田谷、豪徳寺)

02/06/2017

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