見えた瞬間

難病指定 網膜色素変性症患者が見えた!

58歳 女性 大阪市ご在住

長年お世話させて頂いた<難病指定>網膜色素変性症患者さんの見えた瞬間

5年前娘さんがネット検索で当店のことを知りご来店いただき、遮光レンズや様々手法で対応し見えていたが徐々に視力が落ちてゆき、とうとうある日、本当に見えなくなっており患者本人は驚きと失念のあまり涙ボロボロ流される場面に立ち会ったりしてまいりました。本人ともども小生も大変苦しい思いでした。最近では相手の顔などほとんど見えなくなってきて、娘さんに手を引かれてご来店されるなどお困りの様子は大変胸が痛く、見かねた末各方面にお願いして新型スマートグラス試着を数種行った。

2018年6月18日の新型スマートグラスの試着をして「見えた」瞬間の様子を動画で残します。お困りの方へなにとぞ福音とならんことを願っています。

網膜色素変性症の場合、環境を暗くする必要があり、急遽店舗のシャッターを下ろし装着テストした状況が下記画像からおわかり頂けるかと存じます。

ぶっつけ本番で撮影したため見苦しい点はご容赦願います。

動画は下記写真をクリックすると別ページが開き動画が再生されます。

装着後直ちに本スマートグラス購入を娘さんは決定、発注済み。

グーグルアドグランツ悪戦苦闘記

グーグルアドグランツ悪戦苦闘記

 

 NPO法人になるといろんなメリット、寄付金を受けられ国が特定非営利活動法人として認定を受けると慈善事業に準ずる対象として著名な企業から寄付などを受けられるとインターネットで知り、2017年の秋NPO法人になることを髙田会長に進言し特定非営利活動法人申請に賛同して頂き実行に移していただいた。髙田さんは幾度となく所管の大阪市にご足労いただき、実に手間のかかる定款作成、事業計画書など苦労して作成され提出して頂いた。数ヶ月の期間を経てようやく受理され特定非営利活動法人として承認を2018年4月2日付けで受け国の認める法人登録に至った。

 

 この傍ら2月か3月ころ、言い出しっぺの重たい責任が生じ早速アドグランツ承認の作業に取り掛かろうとした。甘く単純に法人申請すれば簡単に申請出来るだろうと素人考えでいた。物事には道理があり薄っすらと闇雲に誰にでも申請できるものではないだろうとは思っていたが・・・早速、やりかけた途端「法人登録番号」という暗礁に乗り上げた。これがないと何もできない。

 

グーグルのNPO支援に関する情報

「Google Ad Grants の仕組みは Google AdWords オンライン広告配信サービスと同じで、非営利団体を検索しているユーザーをターゲットにしてあなたの団体のメッセージを表示します。非営利団体の条件を満たしていれば、毎月 10,000 ドル USD 分の AdWords 広告費が助成されます。」

 最初この一節を読んでこれは新会員募集に絶対的な効果があり会と会員に寄与し皆様に喜んで頂けると信じた次第である。

 

 ところがどっこいである・・・Google Ad Grantsを申し込もうと嬉々として申し込み着手。世界共通のNPO団体のインターネット認証、テックスープという組織がありここへ登録認証する事が先であると判明、これがないと一歩も先に進めないことがわかり、テックスープへ登録しようとしたら【法人登録番号】が必須であった。

 

 特定非営利活動法人申請申請は髙田さんにより確かにされたが、法人登録番号は申請したからと言ってすぐに頂けるものではなかった。じれったい気持ちで今か今かと毎日パソコンで法務局サイトをアクセスし登記完了し番号公示されるまで待っていた。ある日法人登録がされようやく登録番号をネットから得た。

 

 小躍りしながら早速テックスープに登録申請した。ここまでは法人番号さえあれば簡単に登録できた。

 

 一般にネット上の申請は自動迅速で間もなく登録申請が受理され、確認メールで登録完了した。テックスープにあるNPO特典の数々を読んでにんやり、「こりゃ楽勝だ」と小躍りしたのはここまで、あとに地獄がまっていた。

 

 このGoogle Ad Grantsのシステムが実に難解で厳しい。Googleにアカウント登録は有ったのであるがNPO法人として登録していないので日頃使っているメールアドレスを使ってアカウントを作ってしまった。これが以降最後まであとを引き幾度となく拒絶さればかりであった。もはやこれまでかと天を仰ぐ始末、方法がわからない。NPO団体があまりこの制度を利用していない理由がほんのりわかった。

 

 問題はアドグランツ申請に必要なテックスープで登録したメールアドレスと異なる別のメールアドレスを使用していたのが最大のミステークだった。この結果拒絶の嵐に遭遇したわけであった。一度別アカウントにメールアドレスを登録してしまうと商業使用で使われた同じユーザーだと判定され、どう変更したらよいか?どれとがリンクしているのかすらわからず苦労した。

 

 このようなネット認証で一度既存のメールアドレスを使用してしまうと、システムは同一のものとみなし条件を満たさないと自動的に却下。一度作ってしまうと取り消しが利かないらしい。仕方なく登録に使用したメールアドレスをアカウントの補助連絡先と登録したものまで削除し新たにアカウントを作成した。

 

 ジレンマに落ち、悪あがきの結果いつの間にかアカウントを4つほど作ってしまっていた。一体どれがどのアカウントか?どれがアドグランツのアドワーズアカウントか?事を起こした自分でさえもはや不明。この間既に一月が経過していた。何をやってもだめ。折を見て落ち着いてチャレンジしようと決め何度もやったが駄目だった。

 

 仕方なくどこか手助けしてくれる業者(費用は言いだしっぺ自己負担を覚悟)をネットで物色した、いない。ある日検索して漸くNPO団体でアドグランツ登録を無料で手助けしてくれる業者を偶然見つけ、そこへ丸投げを試みた。しかし、数日立ってこちらも何故か、うまく行かない様子。

 

 ある日業者からホームページにタグ付けをするように指示を受けた。「うまくいきそうだ助かった!」任せていれば済むだろうと甘く考えた。

 

 指示された作業は過去にやったことがあるのでタグ付けをしようとやおらホームページのWP(ワードプレス)管理画面でタグ付けのテキスト画面に切り替えようとした。こんどはどういう訳か?WPシステムが受け付けない。いくら切り替えスイッチをクリックしてもテキスト画面に切り替えられない=ということはタグ付けができない。ここでまた挫折。

 

 色々やった挙げ句自分には到底手に負えない。業者にワードプレスのIDとPWを渡すからNPO業者になんとかして欲しいと願い出た。しかし業者は、「タグ付けでサイトが故障した場合責任を持てないから出来ない」とすげなく断ってきた。ここでまた挫折。WPホームページの恐ろしさはプロですら嫌がる代物、タグ付けなど嫌がるのは理解できるし・・・仕方ない、気を取り直してなんとかやってみようと症状を検索し解決方法を探った。ネット上の説明ではプラグインで解決とか色々有ったが余計に難しくするばかりの方法であった。

 

 「タグ付け」とは閲覧者がホームページを閲覧しても見えないグーグルに感知させるプログラムを裏に忍ばせる作業で、特殊な書き込みがサイトの目に見えない裏の部分に書かれているものを指す。サイトがアクセスされると瞬時に検索エンジンが感知し反応すると言った簡単なプログラムである。これをトップページの指定された場所とランディングページにタグ付けする(要するに前と後ろに)ように指示を受けたわけで、これが出来ないと一歩も先に進めない。

 

 一旦この作業は諦め、しばらく頭を冷やしてネット検索で原因を調査していたら過去に入れた別のプログラム(プラグインと呼ぶ)が動作を止めている可能性に気がついた。そのプラグインを停止すると、突然テキスト形式に切り替えることがやっと出来た。黒い雲が晴れ始めたような気分だった。

 

 今度は別の自分の知識上の問題に気づく、ヘッダーとボディの後ろにタグを書き込めと指示されているが、ヘッダーとボディの表現がNPO業者の書いたのと違っておりサイトを壊しそうな気配におののきながら、こうなれば危険を冒す以外方法がないと觀念。それに似た表現のものを探しおっかなびっくりだが誤っていれば書き直せばよかろうということで早速作業を完了した。メールで業者に連絡し動作確認したところタグ付けは問題はなく書かれているとメールで返事が帰ってきた。やれやれである。

 

 ところが数日して承認されたかと問い合わせたところ、駄目だった。

 

 自分のやったことは自分にしかわからない。やはりアカウントの設定にミスがあると感じ、矛盾を起こしているメールアドレスを削除し新しくアカウントをグーグルの手順書をじっくり読みながら再作成し再度登録依頼を業者に依頼した。

 

 今度は業者がある程度宣伝分などの書式に手を出せるよう、業者を管理者として登録(当たり前だが主体になる者が許可しないと外部から手出しできない)した。

 数日後業者が作成した宣伝の番号を自身の番号と関連付ける作業をしろという指示がメールであった。おそらくこれをすればうまくいくだろうと期待。しかし専門的にやっている者は簡単にわかるだろうが、藤四郎の知識では画面のどのどの位置に番号を書き込むのかわからない、また業者に連絡した。馬鹿らしい質問なのだろう返答がない。仕方なく論理的にこうなるだろうと思われる番号打ち込みを冒険して入れてみたところ画面がアクティブになった。チェックを入れて送信をクリック!システムに受理されたとの画面表示。

 

 しばらくしてグーグルから登録が受理され申込みはアクティブになったというメールが着信した。この間既に約2カ月が経過、作業をする時必ず気合を入れ「今度こそは!」を何度やったかわからない。

 

 アドグランツ承認がされて、業者へお礼とこの先どうするか?質問するも返答がない。だが肝心の広告がされていない!仕方ないので仕事の合間を見て今度は主催者であるグーグルの担当サポートへ電話し解決しよう考えた。しかしサポートを受けるにはご存知かもしれないが相当待ち時間がかかり、電話で画面確認や入力などかなり暇がいるため、よほど時間に余裕があるときでなければ出来ない。2時間ほど時間をあけられる機会を狙ってまた数日たった。来客や電話問い合わせ回答などで時間が取れなかったからである。

 

 思い立ってからまたズルズル時間は経った。やっと数日後時間に余裕ができたのでグーグルのサポートに電話をかけて設定に間違いがないか確かめたところ、「ほとんど完了しています。しかしユーザーによる最後の確認がされておらず宣伝が開始されてません」とのことで・・・

 

 言われるまま登録された画面を開けたところ、今までになかった確認画面がトップ表示され確認のリクエストが出ていた。チェックを入れるようになっていたのでチェックを入れ送信をクリックした。一緒に作業していたグーグルの担当者が「手続きが完了しました」と嬉しい返事があった。最初電話口に出た女性の声から憶測してかなり若い女性で大丈夫だろうか?思惑と違い実によく理解している担当者であった。この間のやり取りは、2カ月掛かって四苦八苦したどり着いた最終段階で約20分程度のやり取りであった。苦労が報われた感動的な瞬間だった。

 

 サポート担当者曰く、「支払い方法には一切手を触れないでください」と警告を受けた。支払い情報でクレジットカードなど入力するとシステムが無料でやっている広告の費用を請求する場合があるとのことで無料提供を受けている限度額いっぱいの宣伝設定を行っておりで毎月10000ドル言い換えると120万円も請求されたら・・・おぞましい限りではある。

 

 

 一旦完了したということで電話を切って、確認を行ってみた。キーワードを検索画面に入力し検索したところ所定の検索結果のトップページの上段に我が会の会員募集の広告がなされていた。成功である。

 

 検索キーワード設定は、iPS 治療、黄斑変性症、加齢、歪み、見ようとするところが見えない・・・など考えられるキーワードを散りばめてある。オーディエンスすなわち目で苦しむネット閲覧者が検索で我々の患者会が存在し新規会員募集中で有ることを知ってもらうのがこの宣伝の趣旨である

 

 未だアドワーズエキスプレスの設定は勉強中で詳しく十分に理解したとは言えないまでもこれ以外に設定したキーワードで広告がなされており機能していると実感している。言い出しっぺの当初の目的は達成できただろうと考えている。これ以外に制限のないNPOユーチューブ利用(目の不自由な方へ情報伝達の有効な手段となりうる)、マイクロソフトのオフィス365利用などの利用展開を開始している。

 

 

平成30年6月20日

星野 龍一

窪田先生 講演

高齢者医療に関して

https://youtu.be/3R-N66DFed0 

ユーチューブ動画です。リンクをクリックすると別ページが開いて見れます。

2018/06/12 窪田純子医師

認知症治療と糖尿病

糖尿病治療の目的・・・健康寿命を伸ばすこと

3秒に一人が 糖尿病糸診断されている

33分に一人が 透析導入

3時間に一人が 視覚障害へ

 

中年期(肥満・運動不足・タバコ・アルコール 生きがい不足

生活習慣病【高血圧・糖尿病・内臓脂肪】

脳卒中 心筋梗塞・骨折

要介護・ねたきり・認知症

 

【フレイル】 意味は虚弱

フレイルサイクル

嚥下障害→低栄養

食欲低下   筋量低下

動かない

フレイルの評価

1.体重減少:6ヶ月で2~3kg以上

2.筋力低下 : 握力 男26kg未満 女 18kg未満

3.疲労感: 理由なし

4.歩行速度の低下 1.0m以下/秒

5.身体活動 軽い運動・体襲う・スポーツなどしていない

 

筋力(量)低下を防ぐために皆さん少し運動をしましょう。生涯自分の足で歩けるために

 

疲労は脳が原因

回復させるためには質の良い睡眠

睡眠時無呼吸症候群の治療

にわとりの胸肉100g摂取:抗酸化作用

介護保険

遠隔診療

サプリメント

サプリメント

髙田 忍

10回目の注射

5月22日、3カ月ごとの定期検診を受けた。先生は眼底写真と断層写真を見せて「水が溜まっているので、注射をしましょう」といった。

「断層写真を撮るときに点滅する赤い線は縦横ともまっすぐに見えましたが」と訴えたが、眼底の赤い部分が水だという。

初めて注射したのは4年前、2014年9月の事であった。今回は昨年の12月に続いて10回目となる。次の写真は昨年12月19日のもので、赤い部分がかなり多かった。

それから3カ月後の2月6日は、治療の効果があったのだと思う。赤い部分が少なくなっていた。このときは、注射はしなくて済んだ。

10回も注射すると慣れてくる。ベッドの上で仰向けになると「まな板の上の鯉」のようだ。それでも気分のいいものではなく、不安もある。今回も医師から「血管に傷をつけてしまい充血させてしまった」と言われ、翌朝まで不安であった。幸い大事には至らなかった。できることなら、注射は少なくしたい。その間隔を広げたい。

サプリメントをのめば、症状の進行を抑えられるのではないかと思い、医師に尋ねるとOcuviteのサンプルを手渡された。

 

サプリメントを試す

サプリメントとは、栄養機能食品のことである。Ocuviteにはルテインという成分が含まれている。ルテインは黄斑部に集まる色素を構成する大切な成分である。これは青色光遮蔽するといわれている。この成分は、体この内で生成できない成分で加齢とともに不足がちになるので、黄緑色野菜などから摂取する必要がある。

今迄、栄養は自然の食品から摂るものと決めていたが、試してみることにした。アマゾンに注文すると翌日に配達された。価格は60粒3ケース入りで6800円。一日二粒をのむので90日分である。コストは1日当たり約75円である。

少しでも注射の間隔が伸びるのか、効果を確かめることにする。間隔が伸び、注射の回数が減れば、経済的にも負担が減ることになる。

 

富士山十二景

富士山十二景

5月17日から19日の三日間、富士山を各方面から見るツアーに参加した。富士山を目的にしたツアーに参加したのは初めてである。静岡駅でバスに乗り箱根を経由して富士五湖を巡るツアーである。箱根、富士五湖、日本平など見所スポットから富士山を見ようという趣旨である。
ここ数年の間に各地で撮影した富士山の姿とあわせて記録に残すことにした。富士山から遠い順に十二枚の写真を選んだ。題して富士山十二景である。


1. 岐阜上空から(2015年10月、約200Km西)
2015年10月、東北の栗駒山の紅葉を見るため大阪空港から花巻空港行きの飛行機乗った。離陸してほどなく木曽川上空に差し掛かると進路を北に変えた。ある人から乗鞍岳からも富士山が見えることがあると聞いていた。念のため、右の窓から東の方を見ると雲の上に富士山が浮かんでいた。



栗駒山は岩手、秋田、宮城の県境にまたがる山で紅葉を楽しめるところである。山頂には温泉があり日帰り入浴をした思い出がある。


2. 長野県千畳敷カールから(2016年10月、約100キロ北西)
2016年10月、車で学生時代のクラス会に軽井沢まで行った帰りに駒ケ根市のホテルに宿泊した。翌日、バスとロープウェイを乗り継いで千畳敷カールを訪れた。赤石山脈など南アルプスの山々の向こうに富士山が頭を出しているのが見えた。


千畳敷カールは中央アルプスにある氷河地形である。高山植物の宝庫として知られている。

3. 羽田空港から(2012年10月、約100Km東)
2012年10月東京へ行く機会があった。羽田空港の第一ターミナルビルの出発ゲートを離れ、離陸前の滑走を始めた時、遥か彼方に富士山を見ることが出来た。ターミナルビルの右側にかすかに見える。昭和49年(1974)から昭和52年(1977)まで、東京の郊外日野市に住んでいた頃、冬になると間近に富士山を見ることが出来たが、羽田空港から見ることが出来るとは驚きであった、

4. 静岡県、日本平展望台(2018年5月19日、40Km南東)
日本平は今回の富士観望の目的地のひとつで最後に訪れたところである。前日の天気予報では雨で雨具を用意していたが、幸運にも予報が外れた。画面左の、ふたこぶらくだの形をした山がある。その向こうの雲の上に山頂が見える。一時間の滞在時間の間、このチャンスを待っていた。5月になると見えない日が多いとの事であるには。右は駿河湾で次郎長やサッカーで有名な清水港がある。更にその右に世界自然遺産に認められた三保の松原が伸びる。


日本平は2回目である。2016年6月に来たが、その時、富士山は見えなかったので三保の松原を記念に写した。

5. 神奈川県、箱根(2016年6月、約30Km何東)
箱根は正月の大学駅伝でも知られる観光地である。芦ノ湖の周囲には美術館や別荘もあり、東京からも近いため、多くの観光客が訪れる。
二年前に中学校の修学旅行に続いて訪れ今回は三度目であった。生憎、今回は雲に覆われ、写すことはできなかった。
写真は二年前のもので、ホテルの庭から写した。露天風呂からも見え、朝風呂につかりながら富士山を眺めると疲れが取れゆったりとした気分になった。



下の写真はロープウェーで昇った駒ヶ岳山頂からみた芦ノ湖である。

6. 静岡県三島(2017年4月、約30Km南東)
昨年春、東京と伊豆の花見を見るツアーに参加した。伊豆から三嶋大社に向かうバスの中から撮影した。三島には富士山からの湧き水が出ているところがある。


下の写真は三嶋大社の枝垂れ桜である。

7. 静岡県由比付近(2018年5月19日、約30Km南西)
静岡県の太平洋岸には、東名高速道路、国道一号線と東海道線が並行して走っている。東名高速が国道一号線と交差する由比の付近で、バスの車内から撮影した。

 

8. 新幹線富士川鉄橋から(2018年1月、27Km南南東)
1月25日、伊豆の早咲きの桜を見に行く途中、新幹線で富士川を渡るとき撮影した。途中の関ヶ原付近は雪で覆われていたが、太平洋に面する静岡県一帯は好天で雲一つなかった。冬の日本列島はこんなにも違うのかと改めて認識した。雪に覆われた姿は美しい。

 



その日、熱海では1月というのに桜祭りが行われていた。熱海桜は河津桜より早く開花する。

9.山梨県、富士五湖(2018年5月17日~18日)
富士五湖とは、富士山の北山麓、山梨県側にある五つの湖のことである。東から順に山中湖、河口湖、西湖(せいこ)、精進湖(しょうじこ)、本栖湖(もとすこ)がある。
初日に宿泊した山中湖の近くのホテルの庭から撮影した。


次の写真は17日の夕方は曇り空の富士山を写したものである。

山中湖から



二日目、予報では雨であったが、夜が明けると雲一つない青空であった。
午前6時頃、朝風呂にも入らず同じ庭から撮影した。



時間が経つにつれ雲が広がってきた。富士のすそ野に広がる樹海が見える。

本栖湖から
ツアーの目的は、芝桜と富士山の光景を見るのが一番の目的であった。今年は桜に限らず、季節の訪れが早く、芝桜はあまり残っていなかった。霧が出て富士山は見えなかった。



下は旅行社がお詫びにくれた絵葉書の富士と芝桜である。

OK Google(音声検索)

OK Google(音声検索)

 

5月10日夕方、MBSテレビがニュース番組Voiceで、「視覚障がい者の社会進出」というテーマで放送した。目が見えない、もしくは非常に見えにくいという困難を抱えながら生活する視覚障害者、3人の事例を紹介していた。

MBSテレビ ネットリンク

芸人の日本一を決めるお笑いグランプリで、目が不自由なことを笑いに代えて優勝した漫談家、大手ハウスメーカーのセキスハウスの住生活研究室に勤務する女性が活躍する姿を放送した。

 

それに続いて、ITを活用している神戸市の男性の事例が紹介された。男性の視力は右目が0.3で左目は見えない。ITの進歩で生活が劇的に変わったという。例えば、スマートフォンの設定を変えてすべて音声で読み上げさせることで画面を見なくても操作できるそうだ。

 

男性は人も交通量も多い三宮駅からスマートフォンのアプリを駆使して、迷うことなく目的地のホテルへ向かう姿を映した。ホテルの看板は見えないが、スマートフォンのカメラで撮影、拡大して確認した。

最後に画面が変わり、「OK Google、明日の宍粟市の天気」と男性がパソコンに向かって話すと、パソコンが音声で「明日の宍粟は最高気温22度、最低気温8度で曇りのち晴れでしょう」と答えたところで、特集番組が終わった。

 

そこで、OK Googleとはどういうものか興味が湧いた。

先ず、Googleの検索機能を使って「OK Google」と入力すると、設定画面が出てきた。説明に従ってスマートフォンを操作すると容易に設定することが出来た。

設定が終わると、スマートフォンの立ち上げ画面が左のようになった。

右上のマイクの絵をタップすると左のように画面が変わる。

「認識しています」の文字が出ている間に話しかける。

 

この画面に向かって、例えば「NPO法人 黄斑変性友の会」と話しかけると左下の画面に変わる。「NPO法人 黄斑変性友の会」をさがして、タップするとホームページが現れる。

 

OK Googleは意外と便利である。文字入力でなく、音声入力なので面倒な操作を省くことが出来る。試しに、次のような音声検索をしたところ、すべて正しい答えが返ってきた。

「最寄りのバス停はどこですか」「近くの病院はどこですか」「今何時ですか」「最近の円ドルレートはいくらですか」「645-381はいくらですか」「アメリカの大統領は誰ですか」

最初のバス停の質問では、バスの時刻表も出てきた。外出先では便利に使える。応用範囲が広がりそうである。これを読んだ人が事例紹介していただけるとありがたい。

髙田 忍 05/17/2018

今年の桜

今年の桜

今年は例年より桜の開花が早く、あっという間に春が過ぎてしまった。今年、訪れた各地の桜の写真集である。


伊豆半島


今年一番早く桜を見たのは一月のことであった。伊豆半島の付け根にある温泉町熱海の桜である。1月25日のことで日本列島が寒さに震える中。ここでは桜祭りが行われていた。

 

 

翌日、早咲きで全国的に知られる河津桜を見に行った、少し時期が早く、それでも蕾みが開き始めていた。

 

四国高松 栗林公園


4月1日、天気が良かったのでドライブを思い立った。山陽道から瀬戸内大橋を渡り、四国高松の栗林公園へいった。かねてから一度は行ってみたいと思っていた庭園である。満開で多くの家族連れは職場の仲間で賑わっていた。大きな松も見事であった。帰りは淡路島を経由して戻った。




大阪 大川桜並木

4月2日、大阪法務局へNPO法人の登記申請へ行った際、天満橋の八軒屋浜から対岸の桜並木を撮った。満開であった。

 

宝塚、逆瀬川沿い


4月3日、宝塚市の逆瀬川沿いの桜である。根元から咲いていたので生命力の強さに感心し撮影した。

 

日光東照宮


4月8日から10日まで草津温泉、日光、鬼怒川温泉のバスツアーに参加した。関西より北に位置するため、まだ見頃であった。



群馬あしかがフラワーパーク


このフラワーパークは藤で有名なパークである。藤の花はようやく咲き始めたばかりであった。桜を背景に撮影した。



奈良吉野


4月12日、学生時代の友人、その家族12名で奈良県吉野の桜を見に行った。例年であれば見頃なのだが、早すぎた春の到来で葉桜ばかりであった。それでも新緑の美しさを楽しむことができた。夜はあべのハルカスで大阪の夜景を見ながら懇親を深めた。

 

滋賀県 海津大崎


4月17日、友の会の行事「歩こう会」で琵琶湖畔の海津大崎の花見ヲークが企画され参加した。近畿各地から家族を含めて14名が参加した。例年なら一番いいタイミングであったが、土地の人によると一週間来るのが遅かったという。それでも、葉桜の中にわずかに花が残っていた。去り行く春を惜しみながら懇親を深めた。



曇り空で墨絵のような琵琶湖の風景が印象に残った。

神坂真佐子さんの体験談を読んで

神坂真佐子さんの体験談を読んで

 神坂真佐子さんの体験談を読ませていただいた。3月15日の神戸アイセンター見学会で初めてお目にかかった方である。その時は忘れ物をされるなどしたため、世話の焼ける「お婆さん」という印象を受けた。

 

 ところが、そうした第一印象とは違って、体験談に書かれた内容は示唆に富む点が多い。労作である。目が不自由なことを嘆かずに、色々と挑戦されている姿に感動を覚えた。

 

 先ず、第一に家族のことが書かれている。息子さんが、車の運転による事故を心配して住まいを兵庫県の三田から、車がなくても生活できる大阪の京橋近くの放出という所にあるマンションに引っ越された。しかも新しい住まいに便利な病院をネットで探し出す。難病の患者にとっては家族の支援は欠かすことが出来ない。

 

 息子さんの年齢は分からないが、おそらく50歳代の働き盛りだと思う。仕事から疲れて帰って、眼の不自由な母が作った料理をだまって食べておられる姿は目に浮かぶようだ。

 

 医療機関については、批判的な言葉はないが、問題点が浮かび上がる。折角診てもらおうと行った眼科や病院でたらい回しされる。同じ眼科でも専門が違うと言って診察を断られる。病院には白内障や緑内障のパンフレットは置いてあるが、加齢黄斑変性のチラシは置いていない事実などが浮かび上がった。

 

 両眼だけでなく脊柱管狭窄や肺炎などを患いながら、家に引きこもらず積極的に体や頭を使って若さを保つ努力をしておられる。老犬を散歩に連れ出したり、歌を歌う会に出たり、筋トレや脳トレなど積極的である。さらに驚いたことは、アイパッドを使いこなしていることだ。メールを通じての友人との会話や、息子やお孫さんとラインでつながり、心豊かな生活を送っておられる。とても83歳の女性とは思えない若さである。

 

 一日も早く先進的医療が実用化し、「お料理を目でも味わいたい」という夢が、夢でなくなることを願いたい。この体験談は、多くの高齢の患者や家族に病気とどのように向き合うかのヒントを与えてくれる。一人でも多くの人が読んで下さることを願うばかりである。

(高田 忍)

NPO法人への道のり

NPO法人への道のり

1.なぜNPO法人か

 関西黄斑変性友の会は2018年4月2日、特定非営利活動法人(NPO法人)の法人登記の申請を大阪法務局に行い、新たなスタートをすることになった。法人化によって、より多くの患者に情報を提供できるよう努めていきたい。

 「友の会」は黄斑疾患の患者団体である。全国に70万人の患者がいると言われているが、その内会員になっているのは70人に満たない。患者団体の目的は、医師から聞くことのできない患者の貴重な体験を相互交流しようとすることにある。この目的を実現するためには、より多くの患者を会員になっていただく必要がある。

 その方法としてホームページの活用や病院でのポスター掲示である。ホームページでは広告などの効果がある。病院ではNPO法人であることが信用を高める手段になる。そこで昨年から法人化に向けて準備を続けてきた。法人化を検討している他の患者団体の参考になればと思い、記録を掲載した。

 

 2.どのような手続きが必要か

 ではどのようにすればNPO法人にすることが出来るか。インターネットで検索すると、NPO法人設立を支援する司法書士などが出てくる。規模の小さい団体が、そのために費用をかけることは経済的にも負担になる。

 内閣府のホームページには解説が書かれている。

 大きな手続きは、二つのステップがある。自治体の認証の後、法務局での法人登記である。先ず設立する自治体の認証を得ること、認証を得たのちに法務局に法人登記をすることによって法人として認められることになる。

 法人とは法律で認められたもので、個人と同じように契約などの行為が出来る。

 

3.どこで申請するかの判断

 NPOの申請は都道府県か政令指定都市である。主たる事務所の所在地を決定して設立認証を申請する自治体を決めなければならない。

友の会の事務局が大阪市生野区にあるので、大阪市で手続きをとることにした。大阪市のホームページに詳しい申請の仕方が記されている。

大阪市の場合、窓口は市民局市民活動支援担当NPO法人グループである。

市役所地下一階にある

 

4.必要な書類

 大阪市の場合「特定非営利活動法人設立認証申請書」に以下の添付書類を添えて申請する。いずれも、大阪市のホームページらダウンロードできる。

添付書類に設立総会議事録が含まれていることから分かるように、申請に先立ち設立総会を行う必要がある。

友の会は、定例会の日に合わせて設立総会を開催した。事前に開催通知を会員に送り、総会に参加できない会員から「委任状」を取るようにした。

以下、それぞれの添付書類の書き方の留意点、注意事項を記す。

  (1)定款

大阪市のひな形をもとに作成する。特に目的事業はそれぞれの法人によって異なるので丁寧に記載する必要がある。

友の会の場合は次のような記載をした。

 

 目的及び事業

 この法人は、主として関西に在住する黄斑疾患の患者、その家族及び支援者に対して、医療や治療に関する情報、社会生活上の諸情報の提供と相互交換に関する事業を行うとともに、疾患に関する知識を深めることにより、これら患者の日常生活上の不安を緩和し社会参加の促進を通じて社会に寄与することを目的とする。

 この法人は、その目的を達成するため、特定非営利活動促進法(以下「法」という。)第2条別表のうち、次に掲げる種類の特定非営利活動を行う。

 (1)保健、医療又は福祉の増進を図る活動

 (2)前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動

この法人は、その目的を達成するため、次の事業を行う。

 (1) 特定非営利活動に係る事業

     ① 定期的な情報誌の発行に関する事業

     ② 交流会、講演会の開催に関する事業

     ③ 体験談集、社会生活情報誌などの発行に関する事業

 

会費等も独自に決めることが出来る。

年会費は正会員の場合は3000円、賛助会員は5000円とした。

 

(2)役員名簿

   役員には理事長、副理事長、理事、監事を決めなければならない。

  役員の締めに続いて住所の欄がある。住所は住民票記載の通りに書かなければならない。細かいことであるが、日常は「久出ヶ谷町」と小さい「ヶ」を皆既慣れているが、住民票は「久出ケ谷町」のように大きな「ケ」になっている。注意が必要である。

(3)就任承諾書

  所定の様式に従って役員に就任する人から提出してもらう。就任承諾日は「設立総会」の開催日より後の日付でなければならない。

設立総会の前に、承諾日を空欄にして提出してもらう。

(4)役員の住民票

(5)10人以上の会員名簿

(6)法例の該当することを確認した書面

(7)設立趣旨書

(8)設立総会議事録

   議長の他に議事録署名人名の署名捺印が必要である。

(9)事業計画書

(10)活動予算書

収支の計算に誤りがないか、整合性があるか確認する。

 

一旦出来上がった所で、市の窓口に持参しチェックを受けると良い、親切に指導をしてくれる。

 

5.認証通知

 認証申請すると閲覧がなされ、約3カ月後に認証した旨の連絡がある。

 窓口に出向き、認証通知と定款を受領する。

 登記には法人の実印が必要となる。印鑑の店に出向き注文する。一日で出来上がる。

 法人の実印は個人の実印と異なる。丸印で外側に法人名、内側に「理事長印」と入れる。

 

6.登記

 認証通知を受領後2週間に内に登記申請をする必要があるので、すぐ法務局に出向き必要書類の等手続きを相談する必要がある。

大阪法務局の場合地下鉄天満橋

 窓口がいくつもある、先ず相談室に行き、説明を聞いた後書類を作成し、申請窓口に提出する。

 約10日後に登記が完了する。

 

7.大阪市への届け出

  登記事項明書等を添付して大阪市に届ける必要がある。

 

8.全体の流れを整理すると

2017年11月1日  設立総会開催通知、役員就任依頼
2017年11月30日          委任状集約
2017年12月7日            設立総会開催(大阪市内)
2017年12月15日大阪市に設立認証申請書
2018年3月19日            大阪市から認証の連絡
2018年3月20日            認証通知受領
2018年3月22日    大阪法務局に相談
2018年4月2日              大阪法務局に設立登記申請
2018年4月12日    登記事項証明書        

法人化を決定してから、完了するまで約五か月半かかった。

      

9.その他

 (1)いかなる団体であっても会計の透明性が求められる。出来るだけ、団体名義の口座を作っておいた方が良い。例えば、ゆうちょ銀行は任意団体であっても、団体の規約を添えて申請すれば口座開設ができる。

(2)NPO法人は設立すれば、それでおしまいというわけではない。設立後も自治体に定期的に事業報告や役員の異動の報告をしなければならない。このような事務に多くの時間や労力がとられる。本来の活動がおろそかにならないよう体制を整えておく必要がある。

(3)患者団体にとっては財政上の問題もある。会員の会費のみで運営することは困難である。助成する機関があるので積極的に応募するのも解決策の一つである。

(高田 忍)

 

 

ポルトガルを旅して

ポルトガルを旅して

(2018年3月24日~28日

 

なぜポルトガル?

 3月23日から30日まで、旅行会社のポルトガルツアーに参加した。往復の3日を差引くと、現地滞在は24日から28日までの5日間であった。今日にいたるまで、仕事の出張も含めて30数ヶ国を訪れたが、ポルトガルはなぜか後回しになっていた。この国は日本に鉄砲やキリスト教を伝えた国で、日本にとっては最初にヨーロッパ文明に接した国である。フランシスコザビエルの名前は誰もが知っているし、学校では外来語のシャボン、カルタ、カッパ(合羽)はポルトガル語に由来すること、歴史の時間にはバスコ・ダ・ガマも教えられる。日本人にとっては縁の深い国で、是非訪ねてみたいと思っていた。

日本との関係

 日本人にとっては、このようにポルトガルは心の中に潜んでいるが、この国ではそれほど日本が意識されているようには思えなかった。その理由は秀吉より後の時代に、キリシタンを迫害し虐殺したことが潜在的にあるのかも知れない。最後に訪れた商業都市ポルトのサンフランシスコ教会の壁には、イスラムに虐殺された聖人並んで日本での殉教者の像があった。

 リスボンの川沿いの公園の路面には、世界地図描かれポルトガル人が発見した国の年代が記されている。日本に到達したのは1541年のことである。ポルトガルにとっては、日本は彼らが到達した多くの国の一つにすぎないようだ。

 

日本1541

日本1541

         

ポルトガルと日本は同じ緯度

ポルトガルと日本は同じ緯度

 初日に訪れたリスボンの教会には、天正の少年使節の像が描かれていた他には、関係を示すようなものには接しなかった。

 コインブラという学問都市の郊外、貴族の館というホテルには白い砂の上に石を並べた日本風庭園があり、傍には竹林があり、筍が既に芽を出していた。

 

 葦(よし)の群生が各地にみられ、日本と同じく日よけに利用しているのは興味深かった。

 

 

 

ポルトガルという国

 人口は約1000万人、国土面積は日本の4分の一という小さな国である。そのためかポルトガルがニュースになることは少ない、例えば、国際政治で重要な役割を果たすこともないし、世界経済に大きな影響を与えるような重要な産業があるわけでもない。

 ポルトガルという国名は北部の商業都市Portoに由来する。英語の港を表わすportもここからきているとの現地にガイドの説明であった。そのため、古くから海に目を向けたらしい。1500年代の大航海時代にインドから胡椒を、南米から金や銀の財宝を持ち帰った。おそらく石見銀山の銀も得たに違いない。多くの財宝がイギリスやオランダのように、大西洋三角貿易などの新たな投資に使われていれば違った姿になったかも知れない。多くの金や銀は教会という宗教施設の装飾につぎ込まれた。そのためか観光で訪れる場所といえば、ロカ岬を除けば必然的に教会や修道院に限られてしまう。

ロカ岬

ロカ岬

 

ロカ岬

ロカ岬

 

教会

教会

 

修道院の内部

修道院の内部

 

 

 

 コインブラ大学は日本の安土桃山時代に創立されたという。世界でも有数の歴史のある大学である。30万冊の蔵書が保存されている。

 

 

 しかし、大学は古いことに価値があるわけではない。その後の歴史にどの様な役割を果たしたかが問われる。英国やドイツのような科学上の重要な功績は見られない。江戸時代の藩校に由来する日本の大学さえ、多くのノーベル賞学者を輩出している事実とつい比較してみたくなった。

交通システム

 日本に比べると、自動車の運転手のマナーは良い。横断歩道に人がいると止まってくれる。もっとも赤信号で渡る人が警官に見つかった場合罰金を取られるそうだ。場所によっては片側4車線もある高速道路でも、あおり運転をする姿は見かけなかった。これに比べて街の中は道幅が狭いうえに両側に駐車する。その間をバスが通り抜ける。渋滞も発生する。

4車線の高速道路

4車線の高速道路

両側に駐車

両側に駐車

 リスボンの地下鉄は日本の通勤電車並みの混雑で、スリが多いというので緊張せざるを得なかった。

 世界にはイギリスや日本のように、自動車も鉄道も左側通行の国がある。これとは反対にドイツやアメリカは、いずれも右側通行である。その中間型がフランスで、自動車はドイツと同じ右側、鉄道はイギリスと同じ左側通行である。

 なぜこのようなことになったか。最初に、イギリスが馬車の御者が座る位置が右側で左すれ違い際に左側に寄せたことから自動車も左側通行に決めた。ところがヨーロッパ大陸ではナポレオンが支配していて、イギリスと反対の仕組みにしたという。その後、鉄道の時代になると、蒸気機関車を発明して鉄道網を作ったイギリスが自動車と同じ左側にした。フランスはイギリスから鉄道技術を学んだので鉄道は左側、自動車は右側という折衷型になった。しかし、フランスでは同じ鉄道でも地下鉄は路面電車の延長という考えから右側になっている。世界にはこの三つの型しかないと思っていた。ところがポルトガルは違った。地下鉄も鉄道と同じ左側であった。新たな発見であった。

 

リスボンの地下鉄 

リスボンの地下鉄

         

ポルトの鉄道

ポルトの鉄道

ワイングラス

 春がまだ早いというのに、思いのほか緑が豊かであった。高速道路沿いにはいたるところで葡萄畑を目にすることが出来た。ワインは日常の飲み物のようで、レストランでは、水とともにワインが無料で供された。

 

 これまで訪れたヨーロッパの各国では、ワインのグラスに目盛り線が入っていた。20数年前に駐在したドイツでは、度量衡法という法律で目盛り線が義務付けられ、例えば150mlの線が入っていた。営業としてワインを客に提供する店は、この目盛り線までワインを注がなければ罰せられるし、反対に客はその線まで注ぐことを店に要求できる。日本の枡酒のように溢れるばかりに次いでくれる文化とは違う堅苦しさに感じたことがある。

 4年前に訪れたチェコのプラハ、昨年のクロアチアでも目盛線が入っていた。ドイツの法律がEU法に取り入れられたものと思っていた。

プラハのレストラン(2014)

プラハのレストラン(2014)

 ところが、ポルトガルやスペインのレストラン、ホテルで目盛入りグラスは見かけなかった。謎として残った。

 

スペイン、サンチャゴ

スペイン、サンチャゴ

       

ポルトのワイナリーで試飲

ポルトのワイナリーで試飲

 

ポルトガル語

 日本人が学んだポルトガル語を探すのも目的のひとつであった。タバコがその一つである。リスボンの空港の外に出ようとするとき、大勢の出迎えの人がいた。突然煙草の匂いがしてバスに乗るまで漂っていた。路上には吸い殻が多い。

 

写真はコインブラの町の中で見た煙草の看板

写真はコインブラの町の中で見た煙草の看板

 

 合羽は日本語化している。普通日本語は連濁といって「灰(はい)」と「皿(さら)」がつながると、後ろの言葉が濁って「灰皿(はいざら)」となる。しかし外来語の場合は、例えば「紙」と「コップ」を組み合わせても「かみこっぷ」で「かみごっぷ」とはならない。ところが、合羽の場合は「雨合羽(あまがっぱ)」と濁る。漢字も当てられ日本語化した言葉である。

 写真はコインブラ大学の学生が着ているカッパである。

 東京は「Tokyo」(英語)とか「Tokio」(フランス語)で表現される。ポルトガル語では「Toquio」であった。

 

ポルト空港

ポルト空港

 

6年ぶりの再会

 今回の旅は、初日のホテル到着時間が真夜中の1時、最終日の出発時間が早朝の4時というハードなスケジュールが組まれていた。多くの見学先はキリスト教会や修道院が多く、ゴチック建築だ、ロマネスクだと言われても事前の知識がなければ違いが即座に分からない。その上、街の歩道のほとんどは石畳で足に負担がかかってしまった。初日のリスボン、最終日のポルトの自由散策には参加せずホテルのベッドで横になった。

 

それでも、今回の旅はこれまでと違って思わぬ出会いがあり実り多い旅であった。ツアーの参加者は16名で、ほどなく顔を覚え打ち解けた。ほとんどの人がすでに仕事から離れた人で、中には校長先生、数学の教師、会社役員などさまざまであった。 

 4泊目のホテルでのことである。部屋のキーが渡されエレベーターに乗ろうとするとき、背後から「高田忍さんでしょう」と女性に呼び止められた。荷物の名札を見て確認したらしい。「歴史街道」「カモミールおいしい」「五味先生」と立て続けにキーワードを並べられたが誰か思い出せない。その時は患者会のひとりかもしれないと思った。

 夕食のテーブルで隣り合わせになった。年賀状を交換していると言われ、ようやく大阪の下町で開業されている医師であることを思い出した。6年前、歴史街道倶楽部で京都から若狭の小浜へ行くバス旅行に参加した。窓側の席に座っていると、後から乗ってきた女性が空いていますかと尋ね座った。「JRが遅れるといけないので、昨晩は京都駅近くのホテルに泊まったという」ことから会話が始まった。小浜への途中、郷里の湖西街道を走ったので説明をした。神宮寺や東大寺お水取の源などを訪ねた後、京都府と滋賀県の境の鯖街道を通って京都へ戻る途中、「一人暮らしですか」と尋ねると「主人がいます」との返答と共に、名刺を頂いた。そこには、医師と書かれていた。終末医療について質問するうちに、あっという間に京都に着き、新大阪まで話し続けだったと思う。それ以来年賀状の交換が続いている。

 それでも記憶力が衰えたせいか、名前が出てこない。一晩中名前を思い出そうとした。名前に「田」ついたはずだ。翌日のバスは6年前と同じく隣り合わせになった。ようやく思い出し名前を確認すると「よしこ」と読みますとのことであった。キリスト教信者にとって三大聖地の一つサンチャゴを見下ろす丘の上に立つ巡礼者の像の前で写真を撮った。

 翌日ポルトのワイナリーの見学が終わった所で、友の会の定例会で「老人医療について」というテーマで講演を依頼すると快諾していただいた。思いもよらない人に再会し、有意義な旅であった

(高田 忍)