ヨーロッパの交通システム

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ヨーロッパの交通システム

ヨーロッパの玄関口

今年放送されてるNHK大河ドラマ「いだてん」。オリンピックのマラソン選手は東京の新橋から福井県の敦賀を経て日本海を渡り、シベリア鉄道でストックホルムへ向かった。

敦賀はかつてヨーロッパ大陸への玄関口であった。10年ほど前にそれを確かめるために敦賀へ来た。リトアニア駐在の外交官杉浦千畝氏が発行した命のビザで多くのユダヤ人がこの港に上陸した。敦賀から神戸や横浜に行き太平洋を渡った。またシベリアに抑留されていたポーランドの子供たちも逃れてきた。

鉄道資料館には新橋発伯林行きの切符が展示されていた。敦賀はヨーロッパへの玄関口であったことがわかる。

 

ヨーロッパの交通システム

敦賀とつながっていたヨーロッパの交通システムは国によってさまざまである。三つの類型がある。仮にイギリス方式、ドイツ方式、フランス方式と名づける。

イギリス式

日本の交通システムは、明治時代にイギリスから鉄道技術を取り入れたためイギリス方式が採用されている。すなわち複線の鉄道線路では、列車は左側を通る。自動車も同じで左側である。運転席は右にあり右ハンドルだ。

地中海に浮かぶ島、かつてはイギリスの植民地であったマルタは当然のことながら、イギリス方式である。赤いポストはその名残である。同じ右ハンドルということで、日本車が多かった。驚いたことに日本では生産されなくなったいすゞ自動車の乗用車が駐車していた。

この島は1989年 12月2~3日に冷戦を終わらせるため米ソ首脳会談が行われた歴史的な島である。

  

赤いポスト

赤いポスト

左側通行

左側通行

いすゞの乗用車

いすゞの乗用車

                 

ドイツ式

イギリスとは正反対のドイツ方式がある。自動車も鉄道も右側通行である。

ドイツのアウトバーン

ドイツのアウトバーン

ノルウェーの高速道路 

ノルウェーの高速道路

ノルウェーの鉄道

ノルウェーの鉄道

   

      

アメリカもドイツと同じである。

ヨセミテ方面へ向かう車列

ヨセミテ方面へ向かう車列

アメリカの貨物列車、とにかく長い

アメリカの貨物列車、とにかく長い

 

ところが、この中間にフランス方式がある。自動車はドイツと同じ右側を走るが、鉄道はイギリス方式である。ナポレオン時代に、イギリスに対抗して馬車は右側通行にした。その結果、ヨーロッパ大陸では自動車も右側を走るようになった。鉄道については、蒸気機関車を発明したイギリスから技術を学んだため左側になっている。もっとも地下鉄は路面電車の延長という考えから右側になっていて複雑だ。

このフランス方式を採用している国がドイツの周辺にある。スイスやチェコである。ドイツからICE(Inter City Express)という特急に乗ってスイスに向かうと、国境の小さな駅でしばらくの間停車する。走る鉄道線路を右から左に切り替える必要があるからだ。

左の写真はフランスの鉄道でテレビから撮影したものである。日本と同じ左側を走っている。右の写真はスイスに旅行した時、列車の中から撮影したものである。窓の外に線路が見えるからフランスと同じ左側であることがわかる。向かってくる自動車は右側を走っている。

フランスの鉄道(テレビから)

フランスの鉄道(テレビから)

スイス(鉄道:左、 車:右)

スイス(鉄道:左、 車:右)

  

定年後、関西や名古屋の大学で学生を前に会社員時代の経験を話す機会があった。90分授業で年に一回か多くても二回の授業であった。この時話した内容の一部である。

世の中には、選択の余地がないルールと、選択の余地はあるがどちらかに決めないと世の中が機能しないことがある。「人を傷つけてはいけない。人の物を盗んではいけない」などは前者の例である。後者の例として、「生ごみは月曜と木曜」というゴミ出しのルールや、交通システムがある。そのため、ヨーロッパの交通システムは国によって異なるのである。  

ヨーロッパの鉄道の思い出

幼児専用コンパートメント

20年ほど前、オーストリアのブリゲンツで開かれた音楽祭に行った。舞台は湖の上につくられ、オペラ仮面舞踏会が上演された。終わりには花火が打ち上げられ、劇場の舞台では見られない迫力があった。

帰りはボーデン湖畔のリンダウからローカル線に乗り、ウルムからフランクフルトまでのICE(特急のこと)のコンパートメントの指定席をとっておいた。入口の扉に「Klein Kind Abteil」と書かれた貼り紙がしてある。ぼくらの席には幼児連れの二組が占有している。何かの間違いではないか。押し問答するも席を譲ろうとはしない。仕方なく、空いた席を探したが車内は込み合っていて座れない。車掌を探したが、近くにはいない。よく考えると、「幼児用コンパートメント」という意味だ。

シュツットガルトに停車した時ホームでやっと車掌をつかまえた。ぼくらの席は他の一般席の車両に移したといって案内してくれた。ところが、そこにも既に別の乗客が座っていた。ドイツでは指定席と自由席の区別はない。空いている席には誰自由に座ることができる。それが自由席になる。座席を確保したければ指定席券を買えばよい。車掌はその客を立たせた。一息入れてしばらくすると暑さと疲れのせいか、近くの席で幼児が大きな声で泣き出した。それにつられて別のところからも泣き声が上がった。

ようやく扉に貼られていた言葉の理由が分かった。幼児の鳴き声から周りの乗客に迷惑をかけないための工夫である。

それにしても車掌はウルムで乗車した時に指定席が変わったことを知らせる工夫をすべきではないか。幼児を他の客から隔離するとはよく考えている。しかし、はみ出された乗客のサービスにまでは、手と頭が十分に回らないようだ。(2000年9月)

 

イタリアの列車の中で

旅では色々な経験をする。楽しいこともあれば不愉快なこともある。初めてのウィーンでは、すれ違った見知らぬ人から楽友協会のチケットを二枚頂いた。毎年NHKが生中継するニューイヤーコンサートの劇場である。ハンガリー交響楽団の演奏だったと思う。

定年で帰国する直前の休暇を利用してイタリアのヴェローナという町で開かれる夏の音楽祭に行った。この町の円形闘技場では毎年オペラが上演される。あいにく開演間近に夕立が降、開演が10時に延びた。上演されたのは一幕のみであったが、アイーダは迫力があった。

翌日、列車でフィレンツエへ向かった。この時も、コンパートメントの指定席をとっていた。中に入ると6人掛けの席には、すでに夫婦と子供二人の家族の他に老婆の5人が座っていた。明らかに老婆が不法占拠している。切符を見せるように言っても、目をつぶり、横を向いて知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ。

目的地のフィレンツエまでは、わずか30分のことだから通路に立つことにした。すると子供連れの父親がドアを開け、ぼくを招き入れ小学生の子供を立たせ座らせてくれた。お礼を言うと、子供の教育のためだという。スイスから来た大学教授だった。人間の二つの側面を見ることができた。教えられる旅であった。

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