富士山十二景

富士山十二景

5月17日から19日の三日間、富士山を各方面から見るツアーに参加した。富士山を目的にしたツアーに参加したのは初めてである。静岡駅でバスに乗り箱根を経由して富士五湖を巡るツアーである。箱根、富士五湖、日本平など見所スポットから富士山を見ようという趣旨である。
ここ数年の間に各地で撮影した富士山の姿とあわせて記録に残すことにした。富士山から遠い順に十二枚の写真を選んだ。題して富士山十二景である。

1. 岐阜上空から(2015年10月、約200Km西)
2015年10月、東北の栗駒山の紅葉を見るため大阪空港から花巻空港行きの飛行機乗った。離陸してほどなく木曽川上空に差し掛かると進路を北に変えた。ある人から乗鞍岳からも富士山が見えることがあると聞いていた。念のため、右の窓から東の方を見ると雲の上に富士山が浮かんでいた。

栗駒山は岩手、秋田、宮城の県境にまたがる山で紅葉を楽しめるところである。山頂には温泉があり日帰り入浴をした思い出がある。

2. 長野県千畳敷カールから(2016年10月、約100キロ北西)
2016年10月、車で学生時代のクラス会に軽井沢まで行った帰りに駒ケ根市のホテルに宿泊した。翌日、バスとロープウェイを乗り継いで千畳敷カールを訪れた。赤石山脈など南アルプスの山々の向こうに富士山が頭を出しているのが見えた。

千畳敷カールは中央アルプスにある氷河地形である。高山植物の宝庫として知られている。

3. 羽田空港から(2012年10月、約100Km東)
2012年10月東京へ行く機会があった。羽田空港の第一ターミナルビルの出発ゲートを離れ、離陸前の滑走を始めた時、遥か彼方に富士山を見ることが出来た。ターミナルビルの右側にかすかに見える。昭和49年(1974)から昭和52年(1977)まで、東京の郊外日野市に住んでいた頃、冬になると間近に富士山を見ることが出来たが、羽田空港から見ることが出来るとは驚きであった、

4. 静岡県、日本平展望台(2018年5月19日、40Km南東)
日本平は今回の富士観望の目的地のひとつで最後に訪れたところである。前日の天気予報では雨で雨具を用意していたが、幸運にも予報が外れた。画面左の、ふたこぶらくだの形をした山がある。その向こうの雲の上に山頂が見える。一時間の滞在時間の間、このチャンスを待っていた。5月になると見えない日が多いとの事であるには。右は駿河湾で次郎長やサッカーで有名な清水港がある。更にその右に世界自然遺産に認められた三保の松原が伸びる。

日本平は2回目である。2016年6月に来たが、その時、富士山は見えなかったので三保の松原を記念に写した。

5. 神奈川県、箱根(2016年6月、約30Km何東)
箱根は正月の大学駅伝でも知られる観光地である。芦ノ湖の周囲には美術館や別荘もあり、東京からも近いため、多くの観光客が訪れる。
二年前に中学校の修学旅行に続いて訪れ今回は三度目であった。生憎、今回は雲に覆われ、写すことはできなかった。
写真は二年前のもので、ホテルの庭から写した。露天風呂からも見え、朝風呂につかりながら富士山を眺めると疲れが取れゆったりとした気分になった。

下の写真はロープウェーで昇った駒ヶ岳山頂からみた芦ノ湖である。

6. 静岡県三島(2017年4月、約30Km南東)
昨年春、東京と伊豆の花見を見るツアーに参加した。伊豆から三嶋大社に向かうバスの中から撮影した。三島には富士山からの湧き水が出ているところがある。

下の写真は三嶋大社の枝垂れ桜である。

7. 静岡県由比付近(2018年5月19日、約30Km南西)
静岡県の太平洋岸には、東名高速道路、国道一号線と東海道線が並行して走っている。東名高速が国道一号線と交差する由比の付近で、バスの車内から撮影した。

 

8. 新幹線富士川鉄橋から(2018年1月、27Km南南東)
1月25日、伊豆の早咲きの桜を見に行く途中、新幹線で富士川を渡るとき撮影した。途中の関ヶ原付近は雪で覆われていたが、太平洋に面する静岡県一帯は好天で雲一つなかった。冬の日本列島はこんなにも違うのかと改めて認識した。雪に覆われた姿は美しい。

 

その日、熱海では1月というのに桜祭りが行われていた。熱海桜は河津桜より早く開花する。

9.山梨県、富士五湖(2018年5月17日~18日)
富士五湖とは、富士山の北山麓、山梨県側にある五つの湖のことである。東から順に山中湖、河口湖、西湖(せいこ)、精進湖(しょうじこ)、本栖湖(もとすこ)がある。
初日に宿泊した山中湖の近くのホテルの庭から撮影した。

次の写真は17日の夕方は曇り空の富士山を写したものである。

山中湖から

二日目、予報では雨であったが、夜が明けると雲一つない青空であった。
午前6時頃、朝風呂にも入らず同じ庭から撮影した。

時間が経つにつれ雲が広がってきた。富士のすそ野に広がる樹海が見える。

本栖湖から
ツアーの目的は、芝桜と富士山の光景を見るのが一番の目的であった。今年は桜に限らず、季節の訪れが早く、芝桜はあまり残っていなかった。霧が出て富士山は見えなかった。

下は旅行社がお詫びにくれた絵葉書の富士と芝桜である。

今年の桜

今年の桜

今年は例年より桜の開花が早く、あっという間に春が過ぎてしまった。今年、訪れた各地の桜の写真集である。

伊豆半島

今年一番早く桜を見たのは一月のことであった。伊豆半島の付け根にある温泉町熱海の桜である。1月25日のことで日本列島が寒さに震える中。ここでは桜祭りが行われていた。

 

 

翌日、早咲きで全国的に知られる河津桜を見に行った、少し時期が早く、それでも蕾みが開き始めていた。

 

四国高松 栗林公園

4月1日、天気が良かったのでドライブを思い立った。山陽道から瀬戸内大橋を渡り、四国高松の栗林公園へいった。かねてから一度は行ってみたいと思っていた庭園である。満開で多くの家族連れは職場の仲間で賑わっていた。大きな松も見事であった。帰りは淡路島を経由して戻った。

大阪 大川桜並木

4月2日、大阪法務局へNPO法人の登記申請へ行った際、天満橋の八軒屋浜から対岸の桜並木を撮った。満開であった。

 

宝塚、逆瀬川沿い

4月3日、宝塚市の逆瀬川沿いの桜である。根元から咲いていたので生命力の強さに感心し撮影した。

 

日光東照宮

4月8日から10日まで草津温泉、日光、鬼怒川温泉のバスツアーに参加した。関西より北に位置するため、まだ見頃であった。

群馬あしかがフラワーパーク

このフラワーパークは藤で有名なパークである。藤の花はようやく咲き始めたばかりであった。桜を背景に撮影した。

奈良吉野

4月12日、学生時代の友人、その家族12名で奈良県吉野の桜を見に行った。例年であれば見頃なのだが、早すぎた春の到来で葉桜ばかりであった。それでも新緑の美しさを楽しむことができた。夜はあべのハルカスで大阪の夜景を見ながら懇親を深めた。

 

滋賀県 海津大崎

4月17日、友の会の行事「歩こう会」で琵琶湖畔の海津大崎の花見ヲークが企画され参加した。近畿各地から家族を含めて14名が参加した。例年なら一番いいタイミングであったが、土地の人によると一週間来るのが遅かったという。それでも、葉桜の中にわずかに花が残っていた。去り行く春を惜しみながら懇親を深めた。

曇り空で墨絵のような琵琶湖の風景が印象に残った。

神戸アイセンターへの乗継案内

神戸アイセンターへの乗継案内

昨年12月に開設された神戸アイセンターに行く方法は、ホームページに掲載されている。括弧内はホームページの説明である。「各交通機関から三宮でポートライナーで乗継」と簡単に書かれている。三宮には阪急、阪神、地下鉄、JRの各駅がある。1月21日アイセンターを訪れる機会があったので、初めての人にとって、分かりやすく乗継できるか確認した。

 

ポートライナーでお越しの方
ポートライナー「医療センター」駅より徒歩2分

• 各交通機関から三宮でポートライナーに乗り継ぎ、医療センター駅で下車してください(所要時間:約12分)

• 「神戸空港行き」または「京コンピュータ前止まり」にご乗車ください。「北埠頭行き」または「中埠頭止まり」は停車いたしませんのでご注意ください

• 運賃250円

 

阪急電車の場合

ホームに乗換案内がある。東出口へ進む。

エレべーターで降り改札を出る。右に行く。

5メートルほど先に左方向への矢印があり、短いスロープを上がると屋外に出る。

正面いビルがあり右へ曲がりさらに左に曲がる説明がある。
曲がって90メートルほど先に駅がある。

 

阪神電車の場合

東出口と西出口がある。西出口の場合改札を出ると通路に案内がある。

右に曲がると、直進の表示がある。

エスカレータを昇ると、右向きの矢印がある。

しばらくすると、直進の案内がある。

迷うことはない。

地下鉄の場合

地下鉄は市内の居住者だけでなく、新幹線の乗客も利用する。
改札を出ると、路面に矢印がある。薄くて見えにくい。

左方向に進み突き当りまで歩く。

そこでエスカレータに乗って地上へ出る。

地上へ出るとJR三ノ宮駅の中央口に入る。

駅構内には案内がない。逆に新幹線方向の矢印が目に入る。

駅構内を抜けると、右か左かの表示もない。そこで左へ曲がることにした。人ごみの中を歩くと表示が出た。

エスカレータで上がったところがポートライナーの駅である。

新幹線で遠方からくる人は、新神戸駅でホテルのシャトルバスを利用する方法がある。20分おきに出ている。ポートライナーの駅はホテルの横にあり、一駅で行くことが出来る。ホテルの最上階には中華レストランがあり、バイキング形式で60歳以上はシニア料金で利用できる。眺めも良い。

 

JRの場合

ホームから改札への階段は3カ所あるが、表示はない。ホームの中央にある階段又はエスカレータで降りる。中央口ではなく東改札を出る。東改札付近に案内があったが、工事中の柱に隠れて見つけにくい。

改札を出ても案内はないが右にエスカレータがある。それを昇ればポートライナーの駅である。

ポートライナーでは医療センターで下車する。

改札を出て左へ行くと路面に矢印があり、迷うことはない。

阪急と阪神は分かりやすいが、JRが最も不親切のように思えた。

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この件に関して友の会事務局からの対応とJR西日本から

「ご指摘有り難うございます。改善に務めます。」との回答がありました。

ちょっとしたことが世の中役に立って嬉しく思います。

事務局長 星野

ラオス旅行記

月の連休中夫婦でラオスを連休中は、代休で営業し連休あけの5月13日から18日まで観光で訪問。

ラオスへは、日本からダイレクトで行くことが出来ず、韓国仁川国際空港からの出発でした。

いざ関空から一路韓国仁川国際空港へ

 

連休あけとは言え空港は発着のラッシュアワーで離陸待機中、写真下は離陸後の関空を見渡したところ、上昇中。

3日間韓国ソウルで過ごした後、ラオスエアーで今度はラオス・ビエンチャンのワットタイ国際空港へ、写真は仁川国際空港とラオスエアー用の搭乗券。

 

約5時間掛け到着したワットタイ国際空港は工事中(間組が受けていた)であったが、何か昔の伊丹空港を思い出させる感じであった。到着後乗り継ぎでルアンパバーンへ。荷物
預かり証を座席前のポケットに入れたままで降りたた
め確認のため少し手間取ったが難なく乗り継ぎ手続完了。ただし飛行機が延着のため約1時間ほど待たされた。

空港施設はまだまだお粗末でフィンガーは無く駐機された場所まで歩きタラップで搭乗であった。機材は、全てエアバスの中古飛行機であった。人件費が安いからもう少し手入れすれば乗客も気持ちよく乗れるだろうと思ったが、何かの理由があるのだろう。

写真はルアンパバーンまでの風景と到着間近で見えた町並みなど

 

長時間の飛行後暗くなってからホテルVilla Santi、Santi Resort & Spaに到着。Spaというからには温泉があるのか?と思いきや、温泉はなかった。

 

ラオスは北は中国、東はベトナム、南はカンボジアタイ、西はミャンマーと国境を接する内陸国。面積は日本の約63%に相当し、国土の約70%は高原や山岳地帯で人口は約700万人である。

ラオスは、豊かな地下資源に恵まれているのだが、山脈沿いに接するベトナムが米国と戦争していた折、いくらベトナムを攻撃しても衰えること無くおかしく思った米CIAが親しくするミャオ族(モン族:中国からインドシナ半島まで広域に居住する少数民族)に調査させ国境沿いにホーチミン・ルートがあることを突き止めた。この情報により戦況は米軍に有利に働き、功績の有ったモン族の多くは米国に移住したという。だがラオスでは裏切り者としての扱いを受け殆どのモン族は貧しい暮らしを強いられていると聞いた。

この後、米国の爆弾在庫処分と言うか甚大な量の爆弾爆撃をラオス側のホーチミン・ルートに投下したと言われ、国境沿いの山脈には今も日本で時々発見される不発弾が大量に残っており、ガイドから聞いた話では今も年間150人程の死傷者が継続して被害に遭っているということであった。

ラオス人の人柄は、数少ない現地の人の接点、店屋、ホテル、飲食店などで接した印象から、人々は貧しくとも大人しく慎ましやかな生活を日々送っているという感じだった。おみやげも派手で嫌気の差す人を欺く偽ブランド品など無く、質素な民芸品(衣類などは恐らく中国製が多いと思われる)が多く、地元の人にお金が落ちるようできるだけ現地生産されたお茶などを購入した。

内陸国で海外との貿易が出来ないのがこの国の発展を阻害してきている感じだった。

また国民は、我々のようにガスや石油を使用するのではなく、炭を多用するためこのような七輪のようなものが売られていた。

 

さて話は観光に戻り翌朝ルアンパバーンの僧侶の托鉢を見に出かけた。本来は信者さんたちが日常生活で行っている喜捨を、観光客に知ってもらう意味で行っているとのことであった。喜捨に使うもち米のお櫃と中国製の菓子類など約3米ドルで参加する事ができる。

喜捨が行われる夜明けの町並み

 

喜捨をする方法を真剣に聞く観光客

 

ガイドが女性は僧侶に触れてはならない旨、強調し説明していた。

 

椅子は喜捨の材料を販売するお店が用意したものである。

 

喜捨は、庶民や徳のない者に善を積む事を僧侶が助ける行為であり僧侶に恵みを施し助けるための行為ではないという。

どこからと無く僧侶たちが各寺院から現れてきて喜捨を受け静かに立ち去っていく姿を眺めていた。

また写真に見える籠があるが何のためのものか最初何のためのものか?ゴミカゴくらいに思い、さして気に留めなかった。

説明を聞くと、いくら大勢の僧侶が喜捨を受けても全てを抱えて受け付けられるのではなく、抱えきれず余ったものを貧しい人のために投げ入れるためのもので、僧侶が立ち去った後貧しい人たちが分け合えるために備えてあるものだという説明であった。したがって我々の目からせっかくの喜捨が捨てられたと思うのは早合点である。

僧侶は幼い子どもの修行僧から大人の僧侶までいたが。レンジ色の袈裟の着方に違いが有り、ある程度徳を積んだ偉い人は両肩を覆い、修行中の僧は片側だけ覆うという違いがあるとの事であった。別の説明では年齢で差を作っているとの説明だったが20歳を超えた僧でも片側を覆わない人がいたので、徳を積んだかどうかの区別であるという説明に納得が行く。

僧侶は全て裸足で歩いていた。これも修行の一つであるという。熱帯の道路言うまでも普通熱くて歩けないのを歩いて知るという説明だった。

まっ 頭の毛を剃っているのでお坊さんの年齢がどうなのかは正直言って解り難い。右の肩を露わにしているのは修行中の僧であることを表している。

 

 

訪れたルアンパバーンは街全体が美しい街並みを保っており、街全体が世界遺産であるということであった。

次に自由時間が有ったので街の生鮮食品市場を訪れた

 

ある程度観光客も見受けられ観光化しているとは言えやはり庶民の胃袋を満たす贖罪で溢れており、色々買い食いをした。生物は危ないので揚げ物などを食べた。

 

 

パックに入っている果実はドリアン。完熟状態でないので臭みはないがほんのり甘く生栗の味がした。

 

マンゴスチンやマンゴーは、食べにくいが美味しかった。マンゴーにも色々種類があることも知った。

 

街では行きた鶏や蛙など売られていた。ラオスで味わった鶏と豚に関して、鶏や豚などの専門的な養鶏場や養豚場からの供給はほとんどなく、庭先で走り回っている鶏や豚が主で肉質は少し硬いが鶏や豚元来の味がしてどれを食べても美味しかった。

 

下の写真は朝ホテルで所望して食べたコメの麺でできたうどんと言う感じの朝食。ベトナムを訪れたことがあるが、ほとんど同じような感じの食材。ただし塩加減が絶妙にサれていて美味しかった。

 

 

宿泊したホテルは、リゾートタイプのホテルだったが、広大な敷地に庭園が有りそこそこ手入れされてとても良いと思った。

 

クアンシーの滝

 

ガイドは豚のように太って滝上に登った事がないようだった。したがって観光客も自分に合わせようとする意図がありあり。

クアンシーの滝に訪れる観光客の皆さんは、ガイドは豚のように太っており登った事がないらしく、冒険心が強く皆で登ってみようということになり、滝の横の山道を登山。

 

 

実は、滝上は滝下同様整備されていた。

 

 

滝上からの眺望、

 

ブルー色の水が蓄えられた幾つもの池が段々畑のようになっている状態、いずれ中国の九寨溝、シャングリラを訪れる計画で有ったが、ここで見てしまい計画は危うくなった。

 

帰る途中飼育されている熊を見た

 

雨季のせいでさほど暑くもなく、よく食べてよく寝ている。人が来ようが全く関心ない様子、昼寝を貪っている感じだった。網で囲ってあるが、本気になれば簡単に脱獄できそうな感じだが、三食昼寝付き、強いて厳しい自然で暮らす必要は無いから逃げないのだろうと、勝手に想像。

 

欧米人が水遊びに興じて帰る途中に出会わせた、彼らは水質について関心があるのかどうか?小生も後にカヤックでメコン川下りをし、現地人の漕ぎ手と同乗し、彼らが冗談で水をかけてくれるのだが、汚い水に棲むアカウントアメーバーが運悪く目に入ったら失明することを知っており少し心配した。現在まで異常がないので大丈夫だろうと思っている。

 

少なくとも海外に出て水遊びするのであれば、ゴーグル持参し、目を洗うときはホテルであろうとどこでも水道水はご法度、信頼できるミネラルウォーターで洗浄することをお勧めしたい。日本ほど水道水が衛生管理された国は非常に珍しい事を知るべきである。

 

無論透明できれいなプールの水も同様、信頼できるものでは無いと思う。

次に車で移動しワット・シェーンへ訪れた

 

ワットは、ラオス語で僧がいる寺院を意味するとのこと、タイなどにある寺院と同様の建築物が多い中、ワット・シェーンはラオス独特の建築様式をもっており、この寺院はその中でも美しさを誇るとの説明であった。

きらびやかに光るのは、緑や青色、金色の硝子でできた鏡がモザイクのように埋められているせいで光に輝いて見えた。

 

壁面に描かれた木は、命の木だそうである。

 

単なる絵では無く、してはいけない事をするとこのような目に遭うストーリが・・・中に頭が胴体から離れている図などあった。ラオスは女系社会でその辺の事も背景に描かれているとか・・・あまり良くわからなかったがスカートを履いている人のことだろうか?

パノラマで

 

赤いお堂の中

 

 

この後、車で移動し「バーン・サーンハイ」と言う村からボートでメコン川沿いにある洞窟 「パークウー洞窟」へ

 

 

僕は蛇やムカデは大嫌いだが店頭に並ぶその数々、蛇はなんと子供のコブラだそうで、とてもお土産に買おうという気になれなかった。

 

瓶詰めされた蛇は皆さん尻尾を咥えるポーズをしているが、整えるのは大変な手作業だろうとそのほうが気になった。強壮効果も疑わしく、下手な毒でも飲むことになればそれこそ健康に害があるだろう。奇特な方がおみやげに買えばいいし御免被りたい。

 

 

洞窟は川の神と関わり合いがあると信じられ、ラオス皇室が存在していた頃毎年新年の祈りを捧げられた由緒ある場所であるとのこと。4000体の仏像が納めてあるらしい。

 

これらの仏像は木彫りや松脂を固めて作った像に赤や黒のラッカーで塗装し金箔を施してあるらしい。他に動物の角やブロンズで出来たもの或いは素焼きの像などがあると書かれていた。

 

この後帰る途中でスコールに見舞われた。

熱帯の雨粒の大きさも然ることながら、バケツを引っくり返したような感じ。船頭さんも少し危険を感じたようで船を岸辺に寄せスコールが過ぎ去るのを確かめて再出発し元の船着き場へ戻った。

 

翌日バンビエンへ移動

洞窟探検ごっこ、ジップライン、カヤック下りなど

残念ながら携帯電話を壊したり水没させるおそれがあるとのことで携帯を持たずに出撃

 

バンビエンの庶民市場

 

こちらに来てまたぞろ気がついたのが山々の美しさ、似ている!まだ行ったこと無い桂林の風景・・・という事でラオスで九寨溝と桂林を期せずして体験することになった。

 

 

ブルーラグーン、料金払ってこの湖?池だろ。見る値打ちがあるのかどうか?(笑)

バンビエンから首都ビエンチャンへ

到着したのは夜、ホテルからの夜景が綺麗だった

ところがである、川向うはタイだとのこと。小生は今から20年ほど前仕事でほとんど毎月タイへ出張していたが次のような事情は全く知らなかった。ラオスとタイの関係は無論陸続きではあるが、ベトナム戦争時何かのペナルティで米国がラオスの穀倉地帯である平野部をタイに無償で譲ったらしい。お陰でタイは裕福な農産物を得て、ラオスはベトナムと接する山脈に眠る地下資源はアメリカの爆弾在庫処分のお陰で不発弾だらけの危険な山、実に踏んだり蹴ったり。

 

 

また後で紹介するエメラルド寺院の話、本尊のエメラルド像はタイの脅迫で届けて流血の惨事、戦争を回避したという話も相まって同情する。

翌朝ビエンチャンから仁川国際空港に出発するまでの間の観光名所を訪れた。

ワット・シエンクアン

一人の僧侶が一人で作ったコンクリート製の彫塑、どちらかと言うと芸術品と言う感じ、ラオスのサクラダ・ファミリア。随所に仏教とヒンズー教の思想が織り込まれており素晴らしい建造物と言う感じだった。

残念ながら、このような文化遺産を珍重する考え方が薄く、手入れ保存されること無く観光客が自由に建造物に入り手を触れることにより、劣化が激しく傷んでいるのが随所に、見受けられた。

 

お面の上に時計が・・・なんかモダンさが溢れています。この建物実は中が三階立てで一階は地獄、2階は天国、三階は解脱、その上は何か涅槃とか説明を受けた。てっぺんの木のようなものは生命の木だそうである。奇特な僧・・・少し?大分変わっている方のようでした。セメントやレンガ・鉄筋で長年かけて作ったらしい。芸術性の観点から高い美術作品と思うけど、手入れされず荒れ放題。

入り口で入場料を取っていたが、維持修理のために使用している形跡なし。

 

 

一階の地獄広場。

2階の天国

天国への階段。

建物のてっぺんにある生命の樹

 

建物天変から撮影した講演もしくは寺院の全貌

 

 

お釈迦様の涅槃像は、風雨と苔でパンクモード。

 

アメリカのロックバンドのパンクファッションが流行るそうとう昔の出来事。仏像の目の周りがロックバンドのパンクファッションを思い出され、妙に親しみを覚えた。胸の張り出しは女性を表しているのかと思ったり。

 

次に訪れたのは塩工場

大昔、ラオスは海の底で岩塩のある層から塩水を井戸で組み上げ、沿岸のない国に貴重な塩を供給していたらしい。

 

この後メコン川の船上で食事

日本で言う屋形船でお食事と言う感じ。川エビが妙に美味しかった。

 

この後国立博物館へ

 

現在の地図

州に色分けした地図。

 

アメリカがタイに領土を譲る前の地図。メコン川の両岸はラオスの領土であった。平地で豊かな穀倉地帯はタイに領土を奪われている。

 

博物館にある金製の仏像、簡単なステンレス製の檻の中に保存されていたが、相当高価なものであろう。やはり国が貧しいため博物館の施設は貧弱であったが中身の濃い展示物が多く有った。

フランス植民地時代の市民弾圧の絵画

 

 

次に訪れたのは元祖エメラルド寺院、ホー・ケパラケオ

ここに安置されていたエメラルド像はラオスの国宝であった、勢力を誇っていたタイがラオス王室を脅迫し、ラオス側が血を見る争いを嫌い仏像をタイ迄運んで戦争を避けた経緯がある。今で言う負け犬ということだろうか、寺院には僧がいない事を表すHOが接頭詞として使われている。

 

中はとても良く整備された庭園のある寺院だった。隣は王宮だそうである。

 

今は本尊のエメラルド像の無い寺院

 

この後That Luang ラオス最高の仏教寺院へ訪れた

 

ラオスの仏様は寝ながらも敬礼をするなどと不敬な考え。いかんいかん・・・

 

ここにはラオス最高位の僧侶がお暮らしになっているとのこと。途中小用を催しトイレへ、何処を訪れてもこの国では水が豊富なのか水洗式で大変清潔なので助かった。

 

この後パトゥーサイ(凱旋門)Patousayへ

パリの凱旋門を模して作られた戦没者慰霊碑。

何と慰霊碑の中にお土産店が、時間が遅かったことも有り全てを見るわけにも行かず店員はそそくさと店じまいの最中。何か特徴的なものは目に入らなかった。これなら何処の露天でも買える。

 

その階上に上がるとこの調子。テナントは戸を立てて退勤済み。

階段上から覗き見たらここもおみやげショップ。埃っぽく灯が消されているので工事中の現場と見違えた。

 

建物は遠くから見た目大変立派で細部に至るまで細かい細工が施されているのに反し、何か雑なおみやげショップは場違いな感じすらした。

階段から第一の屋上に出たところ

中に見えるのがおみやげショップ

ここから更に最上部に登ることが出来た。入園時間があと僅かで閉園という所で運良く最上部まで行くことが出来た。

フランスシャンゼリゼと凱旋門は行ったこと無いがアジアのパリ、凱旋門を訪れることが出来、併せてシャンゼリゼあらぬラーンサーン通りからビエンチャンの街並みを眺めることが出来た。

何の変哲もない帯鉄を曲げて作られた祈りを模ったリリーフ、ラオス人の芸術性を感じた。

次にこの後近くにある寺院を訪ねた、途中の街並みはこのような感じでバンコクの交通渋滞と喧騒との違い、静かな佇まいが気に入った。

 

この後ワット・シームアンに訪れた

王様の母親の粘土で出来た塔を支えようとして犠牲になった女性を記念する寺院、今日では王族より庶民の寺院として最高位らしいのですが、入り口のライオンが可愛いかった。一つも怖くない子供のおもちゃのような愛らしさ。恐らくこの寺院の庶民向きの寺院という雰囲気がそこはかと漂ってくるような気がした。

 

次におじいさんの像、中国の仙人かと思いきや地方から出てきて働く庶民のため拝める対象として作られた像だという説明だった。

バンコックでこの手の像をよく見たが、お隣ということで妙に納得して眺めていた。なんかご利益があるのだろうが、よく分からない。

華麗な彩りは庶民ウケが良いのだろうと思う。

 

5泊6日のラオス観光はここまでで終わり。バスに乗りワットタイ国際空港へ出発。到着後飛行機がまた延着で夜中1時半搭乗開始まで空港でウロウロし漸く搭乗し仁川国際空港へ、朝7時到着後午後2時まで連絡便を待ち帰国。

最後のラオス・ソウル・関空の強行軍はさすが疲れた。今回の旅行で気づいたのは、韓国からの旅行者が大挙して訪れていた。日本人はチラホラだった。

ブログを書いていて、写真の張り込みに大変苦労しました。自分で見てもあばら家のような作りですが、ラオスがどんなところであるか少しでもわかれば幸いです。

花の旅(4月2日~4日、東京と静岡)

花の旅(4月2日~4日、東京と静岡)

 

靖国神社の標本木

初めて靖国神社を訪れた。参拝が目的ではない。桜の標本木を見るためである。4月2日のことである。この日、気象庁は東京の桜の満開宣言を出した。3月の寒さのせいか全国的に開花が遅れたが、今年一番早く桜の開花宣言出されたのは東京で3月21日のことであった。開花宣言は気象庁が標本木を観察して出される。桜の種類によって開花時期は異なるのでソメイヨシノを標本にする。東京は靖国神社、大阪は大阪城の西の丸庭園のように、都道府県ごとに決まっている。多くの場合、各地の地方気象台にある桜である。

4月2日は日曜日と重なり、多くの人で靖国神社は混雑していた。

 

 

境内には、他にも沢山の桜が咲いていたが、目にとまったのは幹の根元から咲いている花びらであった。その生命力に感心した。

 

九段坂と千鳥ヶ淵

 靖国神社界隈の通りには街路樹として桜が植えられている。バスの中から花見をしていると、突然スカイツリーが飛び込んできたので思わずシャッターを切った。

 

千鳥ヶ淵にの桜も咲き揃い、多くの花見客で賑わっていた。

 

六義園(りくぎえん)

 続いて向かったのは六義園である。関西ではあまり知られていないが、多くの人が入場券を求めて長蛇の列を作っていた。六義園は五代将軍徳川綱吉の信任厚かった柳沢吉保が築いた庭園で、明治になって三菱の岩崎弥太郎の別邸になった。JR駒込駅近くにあり、東京に、こんな広い空間が残っていることに驚いた。

 

桜は一本の枝垂桜だけで、そこに花見客が群がりカメラに収めていた。翌日の朝、NHKが現場中継をしていた、

園内にはさつきも植えられていた。ひと月後には、楽しませてくれるであろう。スミレが咲き始めていて、春の訪れを感じさせた。

 

 

椿山荘(ちんざんそう) 

一度は訪れたいと思っていたのが椿山荘である。萩出身の藤田伝三郎が事業を起こした藤田観光が経営しているホテルの庭園である。同じ萩出身の山縣有朋公の庭園であった。一万五千坪の庭園に5千本の樹木が記が植えられている。その名の通り椿が100種類、1000本も植えられている。椿はシーズンが終わりに近づきつつあった。

園内には樹齢500年という椎の木が神木として祭られていた。

桜はいずれも満開を迎えていた。園通閣という三重塔と並んだ桜がひときわ目立っていた。園通閣は元々広島賀茂郡にあったもので、明治になって廃仏毀釈で破壊されそうになったのを移築したお寺である。

庭園の中には秩父山系からの湧き水が出ていて、夏には蛍が飛び交うという。

 

神田川 

椿山荘を一歩外へ出ると神田川が流れている。南こうせつとかぐや姫が歌ったことでも知られている。川沿いに全長二キロにわたって桜が見事に咲いていた。

 

 

伊豆高原「さくらの里」 

伊豆は東京より温かい地であるからと満開を期待していたが、ようやく咲き始めたばかりであった。伊豆半島東海岸に沿って南下し、伊東温泉を過ぎると大室山がある。その麓に「さくらの里」があった。観光目的で作られたようだ。大室山には樹木はなく、野焼きされたあとであった。

 

伊豆四季の里公園 

当初の旅程では桜並木を観る予定であったが、開花が遅れているということで、急遽「伊豆四季の里公園」に変更された。城ヶ崎海岸にある公園で、はるかかなたに大島を見ることが出来た。花壇に四季折々の花が植えられていた。

 

 

下はようやく咲き始めた桜である。海の前方に大島がある。

 

帰りに店で花の種を買い求めた。

 

三嶋大社 

富士山の湧き水がでるという三島には三島大社がある。創建された時代は明らかでないが、源頼朝が尊崇した神社と伝えられている。池の淵にある枝垂桜が咲き誇っていた。


富士山を背景に撮影しようと思ったが、ここからは富士山は見えなかった。下は車窓から見た富士山である。

ここには樹齢1200年という金木犀が生き残っていた。

 さいごに駿府城

 徳川家康が引退して後すごした駿府城は開花が遅く一本だけ寂しく咲いていた。